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毒入り豆腐殺鹿事件

 鹿、鹿、大仏、鹿、鹿、大仏、鹿。一言で言えば、そんな景色が広がっていた。

 宿で昼食にと持たされた鹿煎餅を、僕はかじりながら、奈良公園を東大寺に向けて歩く。鬱陶しく付き纏う鹿と大仏の群れをステッキでしばし遠ざけ、フリスビーの要領で煎餅を一枚放り、鹿と大仏が一斉に離れた、その隙に駆け出した。争い奪い合う音がキィン、キョォンと響く。正に奈良、といった趣だ。分相応に慎ましい暮らしを送ってきた僕だから、地獄というものを見たことはない。けれど、もし鹿地獄というものがあれば、斯くの如き光景なのであろう。大仏がいるのは、ああ、そう、まさに地獄で仏というわけだ。

 奈良公園の植生は、県外の者から見れば、極端に偏っている。鹿共が樹皮を食べないことで生き残ったナンキンハゼ、毒のあるアセビやイラクサ。この辺りではさぞ毒殺の多いことだろうな、と周りを見渡したが、存外死体の類いは転がっていなかった。それら木々の隙間からは、存在しない筈の死体の墓標のように、五重塔が威圧感を放っている。奈良県では神獣として崇められ、その生命は人の命より重い。五重塔を有する興福寺が司法も兼ねる奈良では、鹿を殺せば市中引回しの上に斬首、或いは石子詰めとその末路が定まっていた。

 鹿煎餅をかじる。


「それ、突っ込み待ち?」


 軽薄に響く女の声を、僕は無視した。毒草があるのに毒殺体がないというのは、果たして、何かの事件の予兆だろうか。


「お兄さん。あんたやで、鹿煎餅食べたぁるお兄さん」


 などと左右の耳元でちょろちょろする気配に、尚も目を合わせず足を止めない僕に焦れたのか、遂に相手は「ちょいちょい」などと呟きながら、手の甲で僕の肩をつつき始めた。


「奈良県民が何の用だ」


 そう振り向き様に噛み割った煎餅の刃を突きつけると、拙者リアクションの大きな関西人で御在とあざとく見せつけるかの様な大振りで、女は後方へ跳びすさって見せた。「あっぶ!」との発言も気に食わないが、


「うち、こう見えても大阪府民やねんけど」


 とは、ぬけぬけとよくもまあ、だ。一人称が『うち』などという大阪人が現実世界にいるものか。キャラ付けだろうと鼻で笑えば、「なっおまっ、それ他の大阪人に言いなや!」などと如何にも胡散臭い関西弁で、その奈良県民は憤りを示した。だが僕は知っているのだ。奈良県民というものは、京都に近い地域で生まれれば京都人を名乗り、大阪に近い地域に住めば大阪人と主張する。そうして関西人のイメージを捏造する暴虐の徒、悪辣な簒奪者なのである。「大筋では合うてるけども」と女は認め、「一つ問題があるわ」と続けた。そうして、背負い鞄を下ろし、背負い鞄から財布を取り出し、財布から免許証を抜く。


「うちがほんまに大阪府民やってこと」


 写真を爪で掻き擦っても、文字を指で擦っても、成る程、驚くべき事に、それは偽造身分証でも、上からシールか何かを貼り付けた訳でも無い様子であった。


 奇しくも、その大阪府民の女、田中さん(アクセントは「な」に掛かるらしい)と僕は宿を同じくしていたらしい。近鉄奈良駅から大和西王子駅、大和西王子駅からファミリー公園前駅までの列車の旅で、概ね互いの境遇を語り合う事となった。左程特別な内容でも無かったため割愛するが、少なくとも彼女が大阪府民であることを僕は信用するに至ったし、相手も僕がそれを信用した事を信用した。とはいえ、別段大阪に良い印象がある訳でもないが。

 宿の名は奈良健康ランドと言う。大浴場とレジャープールを有するリゾート宿泊施設であり、僕と彼女はウォータースライダーや流水プールを通して旅の道連れとしての交友を深め、夜には居酒屋でグラスビールを打ち合わせるまでに至ったのである。


「やっぱし豆腐は豆腐で食べるのが一番やね。京都人はあの、何やっけ、ヨーグルトの蓋の裏みたいなあの」

「湯葉か」

「エスパーか」


 僕が探偵としての推理力を遺憾なく発揮した、その遣り取りの後の記憶はない。


 事件が起こったのは、その翌朝の事だ。

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