完全合法電気椅子型安楽死式自由恋愛殺人事件
野沢菜の山葵漬けについて否定的な描写が含まれます。
イタコ殺人事件、という名で県警の捜査記録に収められたその事件の解決から一週間が経った頃、僕はとある県の避暑地に赴いていた。
イタコ殺人事件については、多くを語る必要もないだろう。あれは被害者本人の証言通り、手の込んだ自殺だったのだ。被害者は、例の事件現場に落ちていた血の付いたナイフで作った型で氷のナイフを沢山作って床に立て並べ、椅子の上から後ろ向きに飛び降りで、背後から全身滅多刺し自殺という凶行に及んだ。氷のナイフは時間の経過と共に溶けて消え、その時に流れた血が、たまたまその場に転がっていた本物のナイフに付着した。氷のナイフなんかで刺されたのだから、被害者の傷痕は凍傷になっていたが、県の土地柄、全身凍傷などという内容は当然のこととして捜査関係者全員が一顧だにしなかったとのことである。容疑者となった霊媒師は、たまたまあの場に居合わせただけだったとのことだ。被害者が仕掛けた隠しカメラ(被害者本人は記憶の混濁で失念していたらしい)がその一部始終を捕えており、晴れて霊媒師は無罪放免となった。
僕が今回、この県を訪れたのは、あの事件の被害者が持っていた別荘の管理人に、主の死の報と遺書を直接届けるためだった。警察関係者でもない僕がその任を担ったのは、県警の管轄の問題による。県警関係者は、管轄外で職務に係る行動の一切を禁じられており、こうした県跨ぎのお使いも、探偵の仕事となることが多いのだ。
そのお使いの帰りに僕は、後に、生イナゴ胃袋喰破り連続殺人事件と呼ばれることになる事件を解決することとなったのだが――更にその帰りのことだ。
「お兄さん、お兄さん」
そのように、道の脇から声を掛けられた。声のした方へ首を向ければ、紺のブレザーにくすんだ赤のリボンタイ、青い格子柄のスカートを纏った少女がこちらを見ている。左胸に中の字を意匠化した図柄が刺繍されている所を見ると、差し詰め中学生であろう。そういえば、イナゴ料理屋の主人が言っていた。修学旅行先の代名詞である京都府、その中学生が最も多く修学旅行に訪れるのが、この県であるらしい。というのも、この県には日本で唯一、青少年保護育成条例が存在せず、実質的な成人年齢が十三歳とされているのだ。京都府民は未だに平安の気風が抜けていない事もあり、中学校教諭にも何かしらの思惑があるのだろうが、過去の判例では児童福祉法に照らして有罪となったこともある。パワーハラスメントや金銭授受を通した自由恋愛は法的には認められないのだ。これを搔い潜るために生まれたのが変形三点方式と呼ばれる運用形式で、まず、入店した客は規定料金の五~十倍の金銭の入った財布を店内に落とす。これを遺失物として交番に届けることで、財布の中にあった現金の一~二割を合法的に供与することが可能となり、また客観的に見てごく自然な自由恋愛の切っ掛けも生まれるという算段である。と、イナゴ料理屋の主人が懇切丁寧に説明してくれた。僕にとっては単なる地方文化の一端、程度の話ではあったが。
なお、本年七月に県議会では遂に条例が可決、施行されることとなったが、罰則規定の施行は十一月からとなる。県外からの駆け込み需要、県内の少年少女らによる呼び込みも熾烈を極めているという。
「結構です。僕はこれから、野沢菜の山葵漬けを買いに行くので」
言った切り、振り向きもせず早足で駅へと向かう。実の所、相手が何の用事で僕に声を掛けて来たのかは知らないが、呼び掛けの言葉に苛立ったというのは、多少ある。探偵として少なくない年月を重ねて来た僕は、理髪店やタクシーで「学生さん?」と聞かれることを酷く厭う。自分の威の無さ、覇気の無さを指摘されている様で、気が滅入る。三十前後の身で中学生に「お兄さん」等と呼ばれるのは、蔑みにも等しい。
駅前の土産物屋で山葵漬けを買い、酒屋で地ビールを仕入れ、駅前の交番の裏手に腰を下ろした。ここならば警察官からも死角となり、昼酒を入れても見つかるまい。省みるに、僕は思ったよりも腹を立てているらしい。そもそもこの県に来ること自体、あまり乗り気ではなかった。死人からのお遣いと言うのはあまり気分の良いものではないし、その後、イナゴに胃袋を喰い破られた遺体の検分というあまり有難くない出来事があった上に、先程は知らない中学生からあまり好ましくない言葉を掛けられた。実の所、買ったは良いがこの野沢菜の山葵漬けという物も特別好きな訳ではない。独特の食感と水気が人類の根源的な腐敗食品への恐怖を誘い、強烈な辛味が「これは腐っていても味で気付かないのではなかろうか」という不安感を煽る。一先ず地ビールで流し込み、息を吐く。
足音に顔を上げれば、先程の中学生が困惑顔でこちらを見下ろしていた。