イタコ殺人事件
四十三県分は続きません。
それは確かに、今際の重傷者か、地を這う亡者を思わせる呻き声だった。
「うん……、うん……。ううーん……ううーん……」
「貴方を殺した犯人は、霊媒師の福士さんですか?」
「ううーん……違います……」
「それでは、誰に殺されたのですか」
「うーん……うーん……自殺です……」
「被害者は背後から全身滅多刺しにされていたそうですが」
「背後から全身滅多刺し自殺です……」
事件は今まさに、迷宮入りしようとしている。
毒入り林檎殺人事件。後にそう呼ばれる事件を解決した帰り道。県道四号を飛ばしていた僕は検問につかまり、そのまま新たな事件に巻き込まれることとなった。幸いなことに、今回の事件については、僕が巻き込まれた時点では既に、県警の地道で堅実な捜査により、容疑者は一人に絞られていたのだ。これならば僕が口を出すまでもなく、事件はすぐに解決し、僕も解放され、ゆっくり休むことができる。そう思っていた。
しかし、凶器や指紋、足跡に体液を始めとした全ての物証、目撃証言、関係者全員のアリバイ、動機、精神鑑定、プロファイリング、現実味の面から見て絞り込まれたその容疑者は、しかし、たった一つの明らかな反証により、絶対に犯人では有り得ないということであるらしい。
「被害者本人の証言だべさ」
県警の刑事は、通りすがりの民間人に過ぎない僕に、操作の内情を明かしてくれた。
「被害者は死んだのでは」
「んだべ」
「その被害者が証言を」
「んだべさ」
県警の優秀さについては、先程見せられた証拠の数々からも明らかであり、捜査状況を語る刑事の目付きも至って真面である。しかし、死体が証言をするなんて、頓稚気な話があるだろうか。
「ああ、探偵さんは県外の人だべな」
刑事はそう言って笑った。曰く、死体が起き上って口を利くのではなく、死者の霊魂を呼び戻す降霊術というものが、この県では盛んであるらしいのだ。成る程、確かに僕も聞いたことはある。被害者本人が犯人を証言してくれるというのであれば、さぞかし捜査も捗るはずだ。しかし、今回はそれが裏目に出たということか。
「その霊媒師というのは」
「今回の事件の容疑者の、福士板五郎さんだべ」
先程刑事に見せてもらったあらゆる証拠が犯人と指し示す今回の事件の容疑者・福士板五郎氏は、高名な霊媒師でもあるらしい。自分が容疑者として疑われているにも関わらず、事件解決への協力を申し出、被害者の降霊を行ったのだそうだ。体に負担のかかる降霊術にも関わらず、一刻も早い事件の解決のため、未だにその身に霊を降ろし続けているという。福士氏への尋問については一旦中断することになったが、それも致し方あるまい。
僕もその被害者の霊に聞き取りを行う許可を得、刑事と共に駐在所へと赴いた。
座布団に正座した男が、目を閉じたまま首を大きく傾けている。
「こんばんは、フィルマン=フェルベッケンです……」
男はそう名乗った。
「被害者はベルギー人だべな」
「成る程」
ベルギー人でも日本語を流暢に話すということは、霊魂の話す言語は肉体の知識に依存するということなのだろう。
「まず最初に確認ですが、貴方は本当に死んだフェルベッケン氏なのでしょうか」
「うーん……うーん……本当です……」
「貴方の好きな映画のタイトルは?」
「うーん……『八甲田山』……」
「貴方の母親の旧姓は?」
「……うーん……ううーん……ううーん………」
「飼っていたペットの名前は?」
「うん……、うん……。ううーん……ううーん……」
刑事が言うには、降霊術によって現世に呼び戻された死者の霊魂は、死に伴う衝撃により、記憶が曖昧になっている場合が多いらしい。それでは生前の知識で本人確認を行うことは困難だし、そもそも僕は被害者の好きな映画や、飼っていたペットの名前など知らないので、聞いた所で特に意味はない。ベルギーは西洋のスタンダードらしく夫婦別姓だった気もするし、旧姓という概念がないのであれば、質問を受けても混乱して当然だ。
僕は直截に尋ねる事とした。
「貴方を殺した犯人は、霊媒師の福士さんですか?」
「ううーん……違います……」
「それでは、誰に殺されたのですか」
「うーん……うーん……自殺です……」
「被害者は背後から全身滅多刺しにされていたそうですが」
「背後から全身滅多刺し自殺です……」
被害者が自殺だと言うのであれば、自殺なのかもしれない。しかし、先程見せられた捜査資料を見ても、この死に方で自殺等ということが有り得るだろうか?
死因は刃物による刺し傷が原因の出血多量によるショック死。その傷は後頭部から首、肩、背中、腰、尻、太腿、脹脛、踵に至るまでの全身。傷痕から判断するに同じ刃物によって何度も刺されたと断定されており、近くに傷痕と一致する血の付いたナイフが落ちていて、容疑者の指紋もついていた。
それでも、被害者は自殺だと言っている。これは当たり前の事件ではない。何か、トリックがあるに違いない。しかし、それがわからない。
誰もがこの事件が迷宮入りすると思ったその時……僕はふと、あることに気付いた。
「謎が解けましたよ」
謎が、解けたのだ。




