魔王ですから
「おい、なんだよ、あれ」
月が西の空にその光を漂わせている。
日の出まではまだ時間があるが、空はそろそろと明るくなり、太陽を待ちわびている。
まだ視界がはっきりしないというのに、海の上の一角の空気がきらりきらりと揺るいだ。その光は徐々に大きくなり、ぼんやりと縦横に伸びながら、ゆっくりと岸に向かってきている。岸に上がろうという頃には、何となく人型に見えるようになった。
「サイーナ……」
ハリスを出迎えてくれた漁師が後ずさりしつつ、声を若干震わせながら、答えるとも言わず、つぶやいた。
「サイーナ?」
ハリスの2回目の問いかけの間に、光はまだ不完全ながら、女の姿となっていた。
「ああ、海の亡霊だ。形を取らない間は大丈夫だが、もう少ししたら人を海に引き吊り込みだすぞ。まあ、浜辺からは出られないから浜の外に出れば大丈夫だが……」
「なるほど」
相手がそう慌てる様子もなく言ったので、ハリスも何となく納得してしまったが、ハタ、と気づいた。
「それ、やべーだろ!!!速く逃げないと!」
「そうだった、剣、剣!」
そういうと漁師は懐から一振りの剣を取り出した。小刀ではない、正真正銘の長剣だ。昨日の魚といい、どうやって入れてるのかが気になることこの上ない。
すでに土手に向かって走り出していたハリスは、一度足を止めた。
「剣?!戦う気かよ?てか普通の剣じゃ、亡霊に通じないぞ?逃げた方がいい!」
「これは昨日教会行って洗礼受けさせてきたから大丈夫。ハイ」
漁師が自信たっぷりに言って、自然な行為でハリスの手に渡したので、ハリスもつい手に取ってしまった。そして気づく。
「なんでオレに渡す???」
「勇者だろ、行け行けゴーゴー!」
とか言いいながら、漁師はじりじりと後ろへ遠ざかる。
「勇者ったってオレはな~~~!いつもはどうしてんだ!」
「聖戦士がやっつけてくれる!」
「早くそいつら呼びに行くべきだ!!!」
その時、一陣の風がハリスの背中を叩いた。
くすくすくすくすくすくすくすくすくすくす
耳に聞こえているか、頭に直接響いているのか分からないような笑い声が背筋を伝っていく。
ハリスはゆっくりと振り向いた。そこには、16歳くらいの女性の姿があった。
「ワタシ ト イッショ ニ イイトコ ニ イコ?」
「いいところと言うのは、暗い、海の底ですか。お嬢さん」
ハリスは慌てるでもなく、むしろまったく怯えもせずに一言一言自分の言った言葉を確認するかのように、相手の目をまっすぐに見て言った。
声を聞けると言うことは、もう今から堤防の上に逃げても無駄だ。逃げている途中で殺られる。
ハリスは苦々しい気持ちを押し込めた。
たっく、しゃーねーな。
魔王殺るよりはよっぽどマシだけど。
ハリスは気が進まなかった。いやーな予感がしたからだ。
ハリスは一度後方を振り返る。漁師の姿は若干遠くはなっていたが、まだ見える位置にいた。せめて漁師がここから立ち去ってくれていてくれたら マシだったのに。だが、そんなことをウダウダ考えている暇はない。
先手必勝、なにも分からない相手の出方を待つ気など更々なかった。
目の前に自分の命を奪うであろう存在が居るのだ。何とかしなくてはならない。
ハリスの顔つきがまったく異なるものへと変化する。剣を鞘からゆっくりと抜き、そして、一気に間合いを詰めた。
斬!
まさしく一瞬のことだった。ハリスの背後で、真ん中で上下2つに分かれ、かろうじて皮(?)一枚で留まっているサイーナの姿があった。
それと同時に、「じゅわっ」という音と共にハリスの持っていた剣が、ものの見事にまるでソフトクリームが溶けるようにして、熔けた。
「げ、やっぱり」
ハリスの引きつったつぶやきに、漁師はさもありなんと納得しながらつぶやく。
「やっぱり500ゼニー均一の剣じゃ洗礼受けさせても無駄だったか」
「そこまで安物かよ、これ!ってか、お前そこで何、傍観してんだ!早く聖戦士呼びに行け!」
このまま相手が成仏してくれれば問題もないのだろうが、やっぱりお話。これくらいでやられてもらっては話にならない。盛り上がらない。たとえハリスが泣こうが喚こうが、サイーナはこれくらいでは倒されない。
「イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ」
その言葉を条件的に発しているような棒読みの声がか細く聞こえる。見れば、サイーナは割れた胴体がくっついて元の形となっていく。ハリスの攻撃は無意味だったと言うことだ。
ハリスは、知らず舌打ちする。
手強い!完璧に浄化しねえと駄目か。
刀もないし、俺一人じゃ無理な相手だな。ここは逃げた方が吉!
だがハリスがその場から逃げ出す前に、サイーナは完璧に切れた。
「許さない!!!!!」
海の地割れを起こし、津波を巻き起こすかというような大音量でそう叫ぶと、ハリスにものすごい勢いで突進する。
げっ!
「待ったぁー!今、丸腰ーーーーー!!」
ハリスの訴えなど耳があっても聞こえていないだろうが、切った相手にそんなこと言っても無駄である。
ハリスは直接体当たりしてきたサイーナを辛くも避け、横に飛び移った。
サイーナの突撃した砂浜には、大きな陥没ができている。
洒落になんねぇ…。
足場は悪い。そう易々と逃げられない。ハリスは漁師の姿を捜した。ちゃんと聖戦士を呼びに言ったか見たかったのだ。
幸い、そこにはもう漁師の姿はなかった。
ホッとしたのもつかの間、サイーナは少し砂浜に沈んだ体をふわりと持ち上げさせ、ハリスに向き直る。
その形相はまさしく修羅のごとく。
逃げ切れなさそう…。
ハリスは顔に引きつった笑みをうかべた。
遺書を書きたい気分だ。あああああ、クルーが居てくれりゃ。こんな時に限って!って無理か。あいつが悪いわけじゃないもんな。俺が死んだらあいつ自分のこと責めるなー。自分のせいじゃないってのに。
こりゃ死ぬわけにもいかねーぞ。
じりじりとサイーナから離れつつ、ハリスはなんとか逃げる方法を考えた。無駄だろうが、とにかく話をしよう。相手が聞いてくれれば時間稼ぎにはなる。聞く意思と聞ける力があればの話だが。
「なあ!なんで人間を海に引き吊り込むんだ?」
ありきたりの質問にサイーナは、
沈黙…、沈黙……。沈黙………。
いや、違った!!!!!!サイーナは人間のように砂浜を蹴って、修羅の形相のままハリスにつっこんでくる。
聞く耳持たずかい!ヤな奴ぅ!!!
ハリスはすぐに動けるように身構えながら、サイーナが近づくギリギリまでその場にいた。方向転換なんて簡単そうに思われたのだ。
その時、ハリスは遠くの方から聞こえるクリファーナの声を聞いた。
「ハリス!!」
さすがクルー!何かしらの断片で異変に気づいた。嬉しさのあまり思わず顔をそちらに向けてしまいそうだ。だがサイーナから目を離すわけにはいかない。
クリファーナは、魔王の家からここまでほぼずっと走ってきた。魔王は途中で引き離している。おっとりした外見からは伺えないほど、足は速いようだ。走りながら、クリファーナの手にぼんやりと浮かんできたものがある。クリファーナが空間に持っていたものだ。どうやら魔法を使うことができたらしい。
「ハリス、投げるよ!!」
クリファーナはそう言うと、手の平に現れた黒塗りの、見事な細工の施された鞘を纏った刀をハリスめがけて投げた。
ハリスはそれを受け取ろうと、必要以上にそちらに気を向けた。それが命取りとなる。手に刀を受け取ったかどうかと言うとき、
ダンッッッッッ!!
ハリスは首を絞められる形で砂浜に押し倒された。
とても女の力とは思えない。一気に息ができなくなる。
だが、ハリスは完全に首を絞められる直前に間一髪で刀を受け取り、鞘を抜いていた。その抜き身の剣を迷わず相手に突きつける。そのとたん、
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!」
この世の終わりかと思わせるような絶叫をあげて、サイーナはハリスから遠く飛び離れた。
その間にハリスは起きあがり、しばらくむせた。突きつけただけではサイーナを倒すことはできない。あくまでしばらく身動きを取れなくするくらいだ。ハリスは苦しみながらもサイーナから目を離さなかった。
「ナンダ、ソノ剣ハ!!」
地の底から這うように聞こえるその声の質問に、なんとかむせ終わったハリスが、余裕の笑みをもって答える。
「この刀はな、最高の刀匠が、最高の鋼を使って作ったものを、最高の神官によって洗礼させた、最高の刀だよ」
簡単な浄化なら、魔法を使わずともこの刀で事足りる。
そのセリフを聞いたサイーナの顔付きが豹変する。どういう物かをサイーナは理解できたのだ。
ハリスは身構えた。
だが、いつの間にか隣に来ていたクリファーナが、言葉を発する。
「拘束!」
サイーナの何とも言えない叫び声が響く。その声に合わせるかのようにサイーナの体が左右に動く。だが見えない何かに縛られているかのようで、自由に動ける範囲はごくわずかだ。
「簡単にかけたから、そんなに利かない。今までの状況を教えて」
「洗礼を施した500ゼニーの剣が熔けたよ。皮一枚残したら復活しやがった」
「500ゼニーって、それは又安価な。でも皮一枚残したって?」
「剣の長さが足りなかった。形取る前だったからいけると思ったんだけどな」
「形取ってなかったのに、復活したっていうの?手強すぎじゃない」
「500ゼニーってのもあるのかも知れないけど、それでも、この刀でも無理だな」
「うん。強い円陣が必要みたいだ。それに、ちょっとここ違う魔法がかかってるから魔法かけづらいし、時間かかるからそれまで堪えてくれる?」
「どれくらい?」
「2分くらい」
「あいつ相手に2分はきついなぁ。まあ、しゃーないか。円陣はる前に大地を固めてくれ。ここじゃ動けない」
「うん、円陣も描きにくいしね。行くよ。大地よ我が声を聞き、仮初めの姿を現せ!凝固!」
そうクリファーナが発すると共に、砂浜は踏み固められた道のようになった。
「なんちゅー魔法使ってんだ、あいつ」
クリファーナに置いてけぼりにされ、今追いついたマオーが唸るように呟いた。そばには聖戦士を呼びに言った漁師がいた。マオーに途中にあったので引き返してきたのだ。
「マオー、お前ここの魔法解いたのか?」
「いや、俺の魔法の中で魔法かけたよ、あいつ。お前の話から、勇者だってやっぱりだったし」
「でも、実力は知ってたんだろ?今回の奴らはただ者じゃないって言ってたじゃないか。勇者も賢者も。賢者は魔法も使えるだろうって言ったたじゃないか」
「実際に見たことはなかったんだ。ただ初めて会ったとき、勇者は冗談噛ましてたけど、虎を狩る鷹のようだった。ちょっとでも変な真似見せたら即あの世行きって、本能が感じたね。賢者も何かあったら何かを出そうとしてるとしか分からなかったから、魔法が使えるかどうか本当のとこ分からなかったんだ。あの刀、出そうとしてたんだな。それに、サイーナの退治法も知ってそうだ。あいつ、マイナーだぞ? 2人ともここまでとは思わなかった。俺が退治されたら、手厚く葬ってくれな。できれば教会の下がいいなぁ」
「努力はする。で?やっぱりいつも通りするの?」
「そりゃー、俺は魔王ですから」
そう言うとマオーはにっと笑った。