少尉の事件簿②
ベルールの寮に忍び込むための準備を終え、ミリィが眠りについたのを確認してからシルビアと合流する。
「良いのか?黙って行って、ミリィが怒るぞ。」ベルールの寮に向かう途中でシルビアが言う。
「…出来ることなら気付かせないで終わらせたいのです。」
「上級精霊が相手だと言うのに、余裕じゃな。」
「いえ、本当は相手の陣地に踏み込むなんて危険なことはしたくありません。ただ、相手が何か企んでいるようですから…それにこれ以上犠牲者を増やさないためにも、早めに潰しておいた方がいいと考えました。」
「油断するなよ。…上級精霊の討伐は本来なら…中級魔術師を数名含む中隊(200名)以上の討伐隊が必要になる。如何にラースが天才とは言っても気を抜ける相手ではないはずじゃ!」
「わかっています。だからこそ、ミリィには内緒にして行くのです。」
「そうか…厳しいからこそか…おっと!着いたな。」
ベルールの寮の前に着いた…寮というより庭付きの豪邸だな。ミリィの寮よりも一回り大きく見える。あちらこちらに金で装飾があしらってある。はっきり言って成金趣味だ。
「相変わらず、無意味なところに金を掛けて悪趣味じゃな…!」
などと言いながらシルビアが庭に入る。もちろん門からではない壁を乗り越えてである。僕も続いて庭に入ると…一瞬で景色が変わった。
そこには淀んだ空に、枯れた樹木がまばらに生えた薄気味悪い荒野が広がっていた。
「いかん!…罠だ。」
「くっ!こちらから来るのを狙っていたんですね。」
「ゲゲゲ…俺っちの精神世界にようこそ!ラース リットラント歓迎するすぁ。」
「…誰だ?カエルに知り合いはいないはずだが…。」驚くほど軽い調子で現れたカエル男に目をやる。
「ケケケ…俺っちは根腐伯爵バルサールすぁ。今は、ベルールの旦那に使われている魔精霊の一柱ですぁ。」
「魔精霊…根腐伯爵だと…禁忌に手を出した上に…序列持ちまで呼ぶとは正気の沙汰じゃないな…」シルビアが呻くように言った。魔精霊は人が産んだ精霊と言われている。今では多くの種類がいる精霊だが、はじめは原初の精霊と呼ばれる何の属性も持たない存在一種類だけだった。
それが、なぜ今のように多様な存在となったのか?それは、精霊が意志を持ち、自分が好むモノからだけ魔力を得るようになったからだ。
何千年も何万年も同じものから糧を得ている内に、それからしか糧が得れなくなった存在が、それぞれの属性に特化した今の精霊達らしい。
その中で魔精霊達は、人の負の感情を糧にすることを選んだ精霊達である。下級魔精霊は人にイタズラをして、困らせる程度だが、上級魔精霊にもなれば国家を滅ぼす程の惨事を引き起こす。
これは、御伽噺でもなんでもない。その証拠に、各国は魔精霊との契約に厳罰を設けており、オースティンの場合は死刑となる可能性もある。
にもかかわらず、契約する者が後を絶たないのは、単純に他の精霊より魔精霊と契約することが簡単であるからだ。下手をすると魔術師でなくても契約できる。
さらに、他の精霊では考えられないことだが、魔精霊から契約を持ちかけることすらある。また、他の精霊ではほとんど姿を見せない上級精霊も頻繁に姿を現すのだ。
利害が一致すればこれほど扱い易い精霊は他にはいない…ただ、忘れてはならないのは魔精霊が人の負の感情を糧としており、契約を履行する方法として、人ができるだけ不幸になる方法を契約者に選ばせようとすることである。
「魔精霊か…見るのは初めてだが、バルサール伯爵よ。女生徒を返して、剣を収めてここから去るなら見逃してやる。」とシルビアが言った…見れば顔面は蒼白になっていた。上級魔精霊はそれほど恐ろしい相手なのだろう。
「ケケケ…お嬢さん…それは無理ですぁ。女生徒は喰ってしまったすぁ。」
それと同時に、女生徒に何をしたかが頭に流れ込んでくる。吐き気がする内容だ。精神攻撃のつもりか?いや、僕たちを不快にすることだけが目的だろう。
こんなモノを糧とする存在を生かしておく訳にはいかない。怒りに満ちた視線をバルサールに向けようとした瞬間…
バルサールにシルビアが火炎魔法を全力で放ったのだ。おそらく、シルビアも女生徒が何をされたのか見たのだろう。
「ケケケ…まだ話してる途中すぁ。せっかちなお嬢さんだぁ。」バルサールが手を払うだけで炎は霧散する。
「黙れ!」シルビアは最強クラスの混合魔法を使用した。炎の竜巻がバルサールを巻き込んだ…が、次の瞬間に霧散し何事もなかったようにバルサールは元の場所に立っていた。
「ケケケ…人間にしては…素晴らしい魔力ですぁ。お嬢さんの絶望も美味そうすぁ。」
「…下衆が!」自分の攻撃が全く効かないことがわかり、僕の位置まで後退したシルビアは吐き捨てるように言った。
「強がったところで、無駄すぁ。リットラントの坊ちゃんはわかってるようですぁ。ケケケ…この精神世界ではグリフォンとの共有は切れているすぁ」
「ああ…そのようです。」忌々しいカエル野郎め…見た目はアレだが確かに強い。とりあえず、遠距離魔術を連続で放つ。
「ケケケ…やはりグリフォンさえいなけりゃ、このバルサール様がこんなガキに遅れをとるはずないっすぁ。でも、まだ絶望が足らないすぁ。」愉快そうに遠距離魔術を払い除けてこちらに進んでくるバルサール
とその時、一本の遠距離魔術がバルサールの防御魔法をスリ抜けバルサールに直撃した。
「グギャ!…な…何ぃ俺っちの防御魔術をすり抜けるなんて…」
シルビアの片目が赤味を帯びている。魔眼を解放したのだ、魔眼は魔力を肉眼で見ることができる。防御魔法の隙間を見つけるなど造作もないことだ。
「…けけけ、魔眼持ちすかぁ!でも、残念ですぁ。威力がなさすぎて何のダメージにもならないっすぁ!」
「それだけ、気をそらせれば十分じゃ!ラースやれ!」
グリフォンと共有されてなくても身につけた知識と技術は使える。一気に間合いを詰めながら、魔力で作り出した刀で斬りかかる。
「な…にぃ!」
バルサールは辛うじて身を躱したが、片腕が宙を舞う。追撃するが…バルサールが火炎魔法を放ったため距離を置く。
「ゲゲゲ…油断しすぎたすぁ。まさか…勇者と同じ技を使うとはぁ…人間に傷を負わされたのは久しぶりですぁ……」薄い皮膜のまぶたを細め本当に懐かしい思い出を思い返すようにバルサールは言う。
「腕は再生させないのか?」精霊なら核を破壊しなければいくらでも再生可能なはずだ。
「ケケケ…俺っちたちは最も人に近い精霊ですぁ。再生はしますがぁ、半日は時間がかかるすぁ。」と言いながら準備している火炎魔法が暗闇の色に変わり、剣の形になる。
「剣で勝負ですぁ!」切りかかってくる。速い!幾つもの斬撃を捌き、避けたが、全てを避け切れない。身体にいくつもの傷が刻まれていく。
「くっ…」刻まれた傷に鋭い痛みが走る。
「ケケケ…難儀ですなぁ、痛みは魔精霊にはないすからぁ」
言葉は返さず斬撃を返すが…全てギリギリで避けられてしまう。信じられないことだが…剣術では一枚上手だ勝てない。
仕方なく、刀に炎の魔術を纏わせる。手数で勝てないなら、威力をあげればいい。ただ…当たらなければ意味がない。
「ケケケ、なるほど!威力と攻撃範囲を上げたわけですかぁ」
これも難なく避けられそうになるが、避けられた瞬間に炎の剣先を伸ばすことでバルサールの身体の一部を焦がすことはできた。
「ゲゲゲ…上手いすなぁ。焦がされたすぁ。」
一見するといい勝負をしているように見える。ただ、こちらが圧倒的に不利な点がある。それは、痛みだ…こちらはどんな小さい傷だろうが痛みがあれば反射的に動きがにぶる。
それに対して、バルサールは腕を失っても気にした様子がないし、恐れもない。上級精霊を甘く見過ぎていた。さらに言えば、接近戦ではシルビアの援護は期待できない。背中に冷たい汗がつたうのを感じるーーー
どのくらい斬り合っただろうか?腕は辛うじて刀を握っているが…指は完全に炭化しており、身体の至る所が深く切り刻まれている。意識を保つのがやっとだ。
「ケケケ…俺っちがこれだけの傷を負ったのは千年前の聖魔戦争以来ですぁ。」
声の方を見ると片腕と片目を失い、なおも愉快そうに笑うバルサールの姿があった。
「くっ…」
「でも…もう終わりですぁ!ケケケケケケケケァケケケ…」気持ちの悪い笑い声をあげて近寄ってくるバルサール…これで…終わりかと考えかけると…シルビアが僕を守るように、バルサールに立ち塞がった。(何をしているんですか?)と言おうとしたが声が出ない。
「何のつもりですかぁ?お嬢さん…」
「…させない。」
「はぁ?」
「殺させない。ラースは絶対に」見れば足が震えている。顔面は蒼白で戦える精神状況ではないはずだ。それでもシルビアは僕を庇う様に凛々しくそこに立っていた。
「ケケケ…今さら、お嬢さんに何が出来るんすかぁ?でも…おかげでいい事を思いつきましたぁ…、せっかくの最上級の魂ですぁ。お嬢さんを目の前で嬲り殺して、もっと絶望させてから喰らうすぁ。」そう言うとバルサールはシルビアに向けて拘束魔法を放つ…
「させるかよ!」シルビアにここまでさせて黙って死ぬわけにはいかない。意地で拘束魔法を弾くと…全力で攻撃魔法を畳み込む。
それと同時に、事前に準備していた転送魔術をシルビアに使う。行き先はエトグリークのところだ。
「ブゲェ…な…ナニスルスァ!」
もう遅い転送に入ってしまえば…こちらのものだ。干渉は出来ない。
「なんじゃ?どういうつもりじゃ?」シルビアのいつもの口調に少し安心する。
「転送魔法です。こうなってしまったのは僕の驕りが原因です。怖い思いをさせて、申し訳ありません…」
「な…!?ふざ…」
何かを言い切る前に…シルビアは姿を消した。最後の攻撃と一人分の転送で魔力はスッカラカンだ。
「クァケケーー気に入らないすぁ!気に入らないすぁ!なんで絶望しないすぁ。なぜ?人を庇う余裕があるすかぁ?もういい…もういい!お前を喰らって終わりにするすぁ」
先ほどまでの軽い調子は消え失せて、怒りを口にするバルサール…怒りを露わにすると同時に体の形状が変わった。
メキョ!ボキョ!メキメキ…気持ちの悪い音と共に巨大化する身体…身の丈は4mを超え、皮膚は岩のように硬質化した。変化を終えるとそこにはドラゴンとカエルを掛け合わせたような不気味な生き物がいた。
「もうお前に勝ち目はないすぁ。絶望するすぁ!」
誰がするか!炭化した腕で剣を構えて立ち上がる。すこしでもダメージを与えて死んでやる。
「終わりだって言ってるんすぁ!」
めんどくさそうに前脚で吹き飛ばされる。受けた魔力の剣が折れる。為す術もなく、吹き飛ばされながら…頭に言葉が聞こえてくる。
(愛しき我が君よ。力を欲するか?)
(欲しい…。)
(よろしい…我が名は苦しみ…我が名は悲しみ…最も近しい力を我が君の元へ送ろう。)
声が聞こえなくなった瞬間…途轍もない痛みと喪失感が襲う。
「ガッ…ハ!?」
「けけけ…やっと絶望したですぁ。ケケケェ」どうやら、僕が絶望したと勘違いしているらしい。笑い続けるバルサールが僕の目を見て動きを止める。
「け…け…け…その目は…赤銅のその目は…まさか…そんなはずは…死んだはずだすぁ」
(?…何をそんなに怯えているんだ。)痛みに耐えていると、あることに気付く。自分の後ろに懐かしい気配があることを…そこには前世で最期を共にした小隊があった。
白骨化している上に、距離が離れているため顔はわからない。しかし、身につけているものには見覚えがある。何より、自分が率いた愛すべき部下たちの気配がする。一瞬、死んだ自分を迎えに来たのかと思ったが…部下の存在に気付いた途端に万能感が支配する。
「なんだすぁ…軍隊?死せる軍勢!…間違いない…お前は…あの方の…」
ドン!|九四式三十七粍速射砲(きゅうよんしきさんじゅうななみりそくしゃほう)らしき発砲音と同時にバルサールの半身が吹き飛んだ。
「…ひぃ!ひぃぃ…なんなんすかぁ…なんなんすかぁ…」完全にパニックになるバルサール…まぁ、完全に優位な状況だったのに、防御魔法が一発で吹き飛び…さらに致命傷に近いダメージまで負えばパニックになるのは無理もない。
潰れた半身を引きずりながら、逃げようとするバルサールに容赦無く九九式小銃が撃ち込まれていく。
「ひぎゃあ…本当に死ぬすぁ!やめて…」
はじめは何か喚いていたバルサールだったが、しばらくすると完全に沈黙した。それと同時にバルサールの精神世界は鏡が割れるように崩壊する。
崩壊が終わると、目の前にはバルサールの頭部だけが残されていた。足で頭を踏みつける。
「ヒィ…殺さないでくだせぁ…俺っちは騙されただけださぁ!貴方様だとわかっていたら逆らわなかったでさぁ」
何を言っているんだ?まぁ、いいか!踏み潰そうと力を込めようとした瞬間
「待たぬか!主よ!」シルビアを背に乗せたエトグリークが姿を現した。よかった…シルビアも無事だったか。
「何故です?生かしておいても害になるだけですよ?」
「それもそうなのだが…ベルールを罰する証人にはなる。そのために、魔精霊を拘束する小瓶も持って来たのだ!」
エトグリークの前足を見ると器用に小瓶を持っている。仕方なくバルサールの頭部を渡す。
頭部は小瓶の容量の3倍はありそうだったが…不思議なことに綺麗に小瓶に収まっていた。
そして、気が付けばシルビアが僕のそばに来た。バキッ!そして、思い切り殴られた。思わず尻もちをつく。
「余に何の断りもなく、余を逃がすとはなにごとか!馬鹿者!」
「申し訳ありません。確認する時間がなかったもので…。」言葉を言い切る前にシルビアが抱きついてくる。
「もう会えないかと思った…よかったよ…よかった。」シルビアらしくない…反応だ。
「我は、主なら大丈夫だと言ったのだが、この娘っ子はそれはそれは心配しておったぞ…しかし、主よ…まさか魔精霊の序列30位の根腐伯爵を精神世界で倒すとはな…我が着くまでは持ち堪えるとは思っておったが…予想の遥か上ぞ。」
「運が良かっただけですよ。」シルビアとエトグリークの顔を見て安心したせいか…そのまま意識を失った…。
その後の顛末は、ベルールが騎士団によって拘束された。如何に上級貴族と言っても、魔精霊の使役は重罪だ。すぐに調査が始まり、ラルフールも拘束することになったのだが…ここでおかしな事が起きた。
ラルフール公が自宅の執務室で死んでいたのだ…しかも…何年も前に死んだように一部は白骨化していたのである。もしかして…何年も前から魔精霊の傀儡だったのかもしれない。
何はともあれ、公爵家の相続権はザルフ公のものとなった。ミリィの命が狙われる事はもうないだろう。
事の顛末を聞いたミリィが激怒しながら感謝するという器用なことをしていたが、週末にふたりで買い物に行くことを約束すると機嫌も良くなった。
今回わかったのは、この世界にはまだ…僕より強い者がたくさんいるということだ。序列30位のバルサールは、もし、エトグリークと共有が切れてなくても厳しい相手だった。
特に今回は根拠のない自信で動いてしまい…シルビアまで危険晒したのだ。前世では考えられないことだが…なぜ、自分が絶対に有利だと思ったのだろうか?前世では常に最悪のことが起こることを考えて行動していたのに…。
思うに、こちらでは魔術や戦いで失敗したことなどない。うまく行き過ぎるぐらいうまくいき過ぎていたのだ。それが、慢心に繋がったのだろう。そう自分を戒めると、準備していた鞄を持ちミリィと共に登校する。
退屈ではあるが、平和な日常が一番だと感じながらーーー




