愚かな男①
馬鹿息子ことベルール ハインラントは、憂鬱な日々を送っていた。あの日、従妹のミリィティア ハインラントに身の程をわからしてやろうと計画し、警備生に金を渡し、止めに入らないように伝えておいた。
自分と自分に従う貴族7人で囲んで、少し脅せば身の程を知るとだろうと考えていた。確かに、ラースと出会う前のミリィならば怯えさせることは出来ただろう。
しかし、実際はそうはならなかった。ミリィは脅しても怯えるどころか毅然とした態度で反抗し、自分や取り巻きに反論し始めたのだ。
それでも、女一人だ暴力に訴えれば黙るはずだと考えて取り巻きに黙らせる様に指示した。意図を理解した取り巻きは、ミリィの頬を叩いた。これで黙るだろうと考えかけたが、即座にミリィは叩いた男の頬を叩き返してきた。
大人しくさせようと、さらに暴行を加えようとした時…一人の男が自分達とミリィの間に割って入ってきた。
初めは女かと思った…喋り方やラース という名前からやっと男だと気が付いたほどだ。それほど、ベルールの目にはラースは美しく映ったのだ。
一般的に美少女と呼ぶならミリィの方がふさわしいだろうが…ベルールがラースの見た目に惹かれたのにはある理由があった。
ラースの母であるキャルロアは、父ラルフールの歳の離れた異母妹であり、ベルールの叔母に当たる。幼いベルールはこの若い叔母によく可愛いがってもらっていた。
そして、キャルロアはベルールの初恋の相手でもあったのだ。そのキャルロアの面影を持つラースの容姿にベルールは惹きつけられたのだった。
リットラントが辺境伯と呼ばれており、他の貴族とは違うことはベルールはわかっていたし、キャルロアの息子ならば自分が世話をしても良いとも考えた。
しかし、キャルロアの雰囲気を持つラースに罵倒され、途端に怒りが爆発した。取巻きにラースを黙らせるように指示を出した。
こちらは最上級生の7人に対して、最下級生2人だすぐに黙らせることができると考えていた。黙らせて従わせればいい。その程度の認識だった。すでに自分が虎の尾を踏んだことにも気が付かずに…
それは悪夢の始まりだった。取り巻き4名は一瞬でやられてしまい、後の二人は自分を置いて逃げてしまった。
魔法を使おうとしても、ラースのモノと思われる魔力に発動をキャンセルされてしまう。力量にかなりの差がなければできないことだ。
その後のことは思い出したくもない。あれから一ヶ月以上経った今でも、ラースへの恐怖心で震えが止まらなくなる。
しかし、愚かではあるが、能力自体は高くプライドも人一倍高いベルールは自分が下級生のラースに怯えていることが許せなかった。
「くそ!クソ!…リットラントの山猿め…公爵家の跡取りであるこの俺にあの様な仕打ちを…許さん…絶対に許さん。」
相続争い中だというのに、ベルールの中では自分が公爵家を継ぐことはすでに決定事項なのだ。ただ、同時に今の自分がラースに対して何ら打つ手がないのは分かっていた。
下級生を7人で囲んで、逆にボコボコされたなど父親に伝えたらどうなるか?罰を与えられることはあっても手助けしてはくれないだろう。名誉を重んじる貴族としては致命的な汚点である。長子とは言っても弟がいるので、最悪…切り捨てられるかもしれない。
必要な物は全て与えられてきた…ただ、どれだけ努力しても愛情だけは注いでもらえなかった。父ラルフールにとって自分は道具に過ぎない事をベルールは理解していた。
そして、父にこのタイミングで呼び出された理由は、間違いなくミリィティアの件が耳に入ったのだろう。癇癪持ちの父に会いにいくベルールの気分は最悪だった。
憂鬱な気持ちのままラルフールの部屋をノックする。
「父上、ベルール戻りました。」
「よい、入れ…」老人のような声に促され部屋に入る。部屋の中には長身ではあるが骨と皮ばかりに痩せこけた老人がいた。全てが干からびたような雰囲気の中で目だけが鋭い眼光をベルールに向けている。
「呼び出された理由はわかっておるな?…まったく、無意味なことをしたものだな。」
「は…い、返す言葉もございません。」
「ザルフの娘に手を出すのは良い…だがリットラントの息子に手を出したのは愚かとしか言いようがないな…お前は辺境伯を敵にまわしたいのか?」
「し…しかし…伯爵家など我が家に比べれば有象無象に過ぎません。父上も王族とオルタラント公爵家以外であれば好きにしろと仰られていたではありませんか?」
オルタラント公爵家はハインラント公爵家と対をなすオーステインで2つしかない公爵家の一つだ。
「…馬鹿が、いつも状況を見ろと言ったはずだ…リットラントの息子はまだ歳が足りてなかったからな…入学当初にはそれは正しかった。」
「な…ならば、事情を知らぬ私がリットラントと争っても仕方ないではないですか…。」
「だから馬鹿だと言うのだ…リットラントは王都から離れているとはいえ、広大な領地と強力な軍事力を持ち、帝政マーシアと国境を接してなければ独立してもおかしくないほどだ。そんな常識さえ言わねば分からんのか?」
「しかし…」ベルールは何か言いかけて黙ってしまう。
「さらに言えば、リットラントの現当主ゼロフィスは馬鹿だが…剣の才はある。先の帝政マーシアとの戦いではリットラント騎士団を率いて戦い、王国の剣とまで呼ばれる活躍をして、国王様や王族殿下からの信任も厚い。奴が望んでおれば、3つ目の公爵家になっておっただろうよ。」
「…」ベルールは完全に沈黙してしまう。
「…ふん、黙りか。まぁ、よい敵に回ってしまったのは仕方ない。今日呼んだのは別に叱るためではない。お前に渡したいものがあるからだ。」
「…なんでしょうか?」いつもであれば罵倒され殴打されてもおかしくはない失態であるのに…ラルフールは微笑みながらベルールに黒い半透明の鉱石を渡してきた。
「…暗闇の魔石だ。これを使用すれば魔力を何倍にすることも、魔精霊と契約することも思いのままだ。幸いお前には魔法の才だけはある…好きに使うがいい。」
暗闇の魔石ーーこの世界で最も強力な精霊である魔精霊を呼び出して行使できる魔石であるが…穢れを撒き散らし禁忌とされるモノである。
「ラース リットラントはいずれ我が家の障害となる。芽を詰むのであれば早い方がよかろう。」そう言うとラルフールは顔のシワをより深く刻みつけ嗤ったのだった。