セロアの英雄記③
ラースが7歳になる頃、ハインラントの公爵令嬢をリットラント家で預かることになった。
旦那様や奥様はもしかすると、ラースの婚約者として預かるつもりなのかもしれない。そう思ったのは、人族の貴族は10歳程度で婚約することも珍しくないからだ。
奥様の異母兄弟の娘で家柄も血縁も申し分ない。ただ、相手がどんな娘かもわからないのが不安だ。こんなに可愛いラースが公爵令嬢とはいえ、変な女に捕まったら可愛いそうだ。
しかし、自分にはなんの権限もないのだ…つい難しい顔になる。
ラースを見るとラースも難しい顔をしてこっちを見ていた。おそらく、都会育ちの公爵令嬢が、こんな田舎に来る理由がわからないのだろう。
令嬢が来る理由で確定的な事だけ伝える。婚約云々の話は私の想像の域を出ないからだ。
公爵家で相続争いがあることを伝えると、ラースはすぐに理解したようだ。しかし、すぐにまた難しい顔になる。今度は、何を考えているかわからない。
何を考えているかは、その日の夜にわかった。ラースが同年代の女の子とどう接すれば良いか聞いてきたからだ。
「同年代の女性とどのように接すればいいのでしょうか?怒らせたりしない様に事前に知っておきたいのですが…。」
うーんどうしたものか、普通に接すれば問題ないだろう。辺境伯は公爵家よりも格下ではあるが、一種の独立国に近い立場にあり、実力にそれ程差がある訳ではない。
何よりラースは可愛い。育ての親である私の主観ではなく、客観的に見てこんなに綺麗で整った顔立ちの子供は見たことがない…おそらくほとんどの女性は見ただけで好感を抱くはずだ。なので一般論をもっともらしく伝えることにした。
「王都に近い貴族ほど面子を気にします。特に貴族の女性はプライドも高いので、下手に刺激する様な言葉や誤解を招くような言い回しは避けた方が無難でしょう。後は、丁寧に接すればラースなら大丈夫です。勝手に向こうが好意を持ってくれます。」
ラースは少し考えた後に、納得したらしい。そのまま部屋を後にした。その後はいつもと変わらない日々が続いた。
2ヶ月後、公爵令嬢を迎える日が来た。降りてきた公爵令嬢を見て息を飲む…絶世の美少女と言って良い、気品溢れる女の子がそこには立っていた。
立ち振る舞い、食事作法なども完璧だ。ラースにとっては理想的な婚約の相手だと言えるだろう。旦那様も奥様も乗り気だ、もう反対する理由はない…なのに胸が痛むのは何故だろう。
予想通り、ミリィティア様はラースを気に入った様だった。すぐに愛称で呼ばせていたので間違いないだろう。
その日から…ラースと少し距離を置くことにした。ラースとミリィティア様を仲良くさせる様に、奥様から言われたからである。それと、応援すべきことなのに素直に応援出来ない自分の気持ちを整理するためだ。
ラースがミリィティア様と外出する時は、なるべく二人で行かせた。もちろん、旦那様の許可は取ってある。旦那様も私もラースがいれば大丈夫だと思っていたからだ。
その甲斐もあってか、ラースとミリィティア様はすぐに仲良くなった。そして、羨ましいくらいにお似合いだった。
そんな時、外出中にミリィティア様を攫った盗賊を1名捕縛し、5名を殺害したとの連絡がラースから入ったのだ。
急いで現場へ向かう。信じられない光景がそこにはあった。一人は剣で首を飛ばされ、4人は魔術で押し潰されていた…にも関わらずリーダー格の男はほとんど無傷だった。
ラースの実力なら、盗賊が十数人いても倒すことは容易いと思っていたが、それぞれ目的を持って冷静に処理したことに驚かされたのである。
1人目は、一撃で確実に殺す必要があったのだろう。強い殺意を感じる。4人については生死に関わらず、確実に行動不能にする魔術を選んだようだった。
そして、もっとも驚くべきは残る1人であった。情報を得るためだろう。ほとんど無傷でリーダー格の男が捕らえられている。…偶然だろうか?いや、間違いなく、最も情報を得ることが出来そうな者を選定して生かしたのだ。
それらの事実を認め、背筋がゾクリとした。初めてラースを怖いと思ったのだ。少なくとも4人については生死などどうでもよかったのだ。自分の目的のために合理的に判断した結果なのだろうが…。
そして…それを見た旦那様が「素晴らしい…」と一言だけ誰にも聞こえないような声で言ったのだ。7歳の子供が人を殺して素晴らしい?異常だ…理解出来ない。
文明をもつ各種族の中でミーア族と人族は生活様式と考え方が近い種族とされる。ただ、私達ミーア族には理解出来ない悪癖が人族にはあった。
それは、同族殺しと強姦である。もちろんそれが人族の中でも限られた者が行う行為であることは理解している。ただ、ミーア族はそれらを激しく嫌悪する傾向があり、私自身もそれは同様であった。
それでも、いつも通りに接して来るラースに…あれは子供ゆえの無知から来る残忍さだと言い聞かせた。そして、無茶をしたことをいつもより強めに叱り、抱きしめた。
しかし、この日を境に歯車が狂い始めてくる。まるで英雄に活躍を即すようにーーー
ーーーラースが8歳になる頃である。いつもの食事中に、旦那様がとんでもないことを言い始めた。
ラースに盗賊「龍の尻尾」の討伐を任せると言い始めたのだ。
龍の尻尾は、オースティン王国と帝政マーシアの戦争の際に傭兵として活躍した一団である。停戦後に多くの者が解雇され、団の一部が盗賊となったのだ。
落ちぶれたとはいえ、リットラント領の正規兵が手を焼く戦闘のプロ集団である。それを8歳の子供に討伐させる…こんなおかしな話はない。奥様の反対に同調するように反対意見を述べる。
いつもなら、奥様が反対すれば、大人しく引き下がる旦那様が今回に限っては強い口調でこの作戦の有用性を主張してきた。
確かに、ラースの剣術と魔術に数名の正規兵がいれば盗賊の討伐は可能だ。下手をすれば簡単な仕事かもしれない。ただ、ラースにリスクがあることには変わりない。
さらに、可能性は低いが盗賊に優秀な魔術師がいれば、リスクは格段に高くなる。そんな未確定なところで、8歳のラースが危険を冒す必要性はないはずだ。そう考えてさらに反論しようとすると…
「僕はやりたいです。」黙って成り行きを見守っていたラースが口を開いた。これは…いけない奥様が迷い始めている。
「ダメです。」即座に反対意見を述べる。奥様に賛成に回られたら、もう覆せないからである幸い奥様は私の意見に同意を示してくれた。
「お母様、先生、僕は領主の息子です。領主たるもの領民が困っているのであれば、その手助けをするのが当然だと思っています。」
「それにお父様は戦闘のプロです。無茶な作戦ならば8歳の息子に任せたりしません。それに、危ないと判断したら、早い段階で引き上げて来ます。」
奥様に困惑の表情が浮かぶ。ダメだこれは覆せない。ならば、同行することだけでも旦那様に認めさせなければ…
問題は旦那様が私の実力を知っていることだ。私が手を貸せば簡単な仕事になりかねない。ラースに経験を積ませたい旦那様は、私が同行するのを反対するかもしれない。
「ミリィはどう思う?」
ここで、意見を求める辺りに、ミリィティア様に対するラースの信頼度の高さが伺える。
「伯母さま、セロアさん、ラースがここまで言うのだから危険は少ないのではないでしょうか?」ミリィティア様はこのタイミングで話しを振られた意味を理解し、即座にフォローしている。なんか、悔しい…
「危険の大小の問題ではありません。戦いに行く以上は不測の事態もあり得ます。死んでしまうかもしれません。他にいくらでも方法があるのに、8歳の子供をそんな危険に曝すのは異常です。」
多勢は決したが、自分の胸に宿った黒い感情を払拭するように、間髪入れずに反論する。
「そうですね。ただ、ラースは騎士の子です。いずれは戦いに身を投じなくてはなりません。実地で経験を積むのは悪いことばかりではないと思いますが?」
その通りだ、ただ危険な目に合うのはもっと大きくなってからでも遅くないはずだ。そう思いつつも、もう覆せないことはわかっていた。
しかし、待つ必要があった。旦那様が決定を口にするのを…それまで反対の立場でいなければならないのだ。そのため、ミリィティア様との論戦を引き伸ばさなければならなかった。
気づけば、リットラント家の面々をそっちのけでミリィティア様と論戦を繰り広げていた。そして時が来た。
「これは、私がラースに依頼した仕事だ。ラースが依頼を受けると言った以上、私はこの仕事をラースに任せるつもりだ。」
旦那様が強い口調で決定を口にした。旦那様が決定を口にしたら覆せない。それはわかっている。だから…待っていた。
「わかりました。ただ一つお願いがございます。今回の討伐に同行させていただけないでしょうか?」
これが狙いだった。旦那様は家族の意見を尊重しようとする。そのため、反対を押し切り物事を進めた今回のような場合、逆にお願いが通りやすくなるのだ。
案の定、旦那様はしばらく考えた後、許可を口にした
「セロア…君の息子に対する忠信には感謝してもし切れない。ただ、過保護過ぎるのは良くない。討伐には直接加わらないという条件付きでよければ、同行を許可しよう。」
それで構わない。うまくいけば見ているだけで終わる。問題は何かあった時だ…ラースのそばにいれば防御魔法で守ることも…最悪、身を呈して守ることも出来る。ーーーそれが、今の私の存在意義なのだ。
ーーーあの食事の後、盗賊の討伐のために旦那様は装備などを揃えるための資金をラースにくれたらしい。
装備品を買うため、買い物に行くことになったのだが、ラースは買い物の相手に私を選んだ。
ただ単に、装備を買い揃えるだけの買い物だったが、久しぶりにラースと一緒に外出できることが嬉しかった。
商人との交渉術や装備や日用品を選ぶ基準などをアドバイスしながら、買い物を進めて行く。買うべき物を買い終わると、夕方になっていた。楽しい時間は過ぎるのが早い。
もっとラースと一緒にいたいと考えていると…ラースが武器を買いたいと言いはじめた。断る理由もなかったので、一緒に買いに行く。
武器のことはわからないので、ラースに好きに選ばせる。ラースはサーベル一本と短剣を一本買った。
サーベルはわかるが、短剣など何に使うのだろうか?しかも、短剣は私が月々にもらうお給金の5倍はするほど高価な品だった。
確実に旦那様から貰った準備金では足が出る。そういえば、ラースは5歳からかなりの額の交際費を貰っていたはずだが…使っているところを見たことがない。貯めていたのだろうか?
確かに見事な短剣だ。美しい諸刃の刀身に、持ち手や鞘には青を基調に金の細かい装飾がほどこされていた。所々に小さいながらも宝石が散りばめられており、星座を表している。
そこで思い出す。人族の貴族には、大切な人…妻や恋人に御守りとして短剣を渡す風習があることを…渡す相手はミリィティア様だろうか?そう考えると少し胸が痛くなった。
買い物から帰る途中、ラースはその短剣を私に渡して来た。
「これ先生に似合うと思って買ったんですが、どうですか?」
「ラ…ラース…意味わかってやってますか?」この国で大切な人に短剣を渡すのは、ある種の儀式であり、将来を誓い合うという意味がある。
「え…?何のですか」やはり、何も知らないらしい。少し期待した私が馬鹿だった。ラースは賢いが色恋沙汰には信じられないほど鈍感かつ無頓着だ…ミリィティア様も苦労するだろうな。
8歳のラースにこんなことを考える当たり、私も旦那様と同じくラースを特別視しているのだろう。
「いえ、なんでもありません。ありがたく使わせてもらいます。」こんな高価な物を理由もわからず貰っていいのか迷ったが…私のためにラースが選んでくれた物だ大切にしよう。
旦那様から貸与された兵士5名は、ラースの指示で2週間前から情報収集に励んでいた。
まず、ラースは旦那様から提供された情報を基に、盗賊団の規模や移動の傾向などを把握していた。
それに予測を加えて、盗賊の位置を一定の範囲に絞り、その範囲を兵士達に調査させていたのだ。
兵士達が持ち帰った情報を、ラースが地図に書き込んでいた。
「範囲はかなり絞れました。後は現場に行って調査するだけです。」
いつもながら驚かされる。手際が良すぎるのではないだろうか?
ーーー兵士5名と一緒に捜索していると、すぐに盗賊団は見つかった。
ラースとともに様子を伺うと、裸同然の女性の姿が何人も見えた。攫ってきたのだろうか?
理解出来なかった。文明を持つ種族の中で、女性が産まれず他種族を攫って子を産ませるしかないオーク族以外では人族だけが行う行為であった。
嫌悪感が込み上げてくる。 愛のない行為に何の意味があるのだろうか?
そう考えていると、ラースが兵士一人に女性達を保護するために応援を呼んで来るよう命じていた。どうやら、すぐに攻撃に移るようだ。
ラースは私に失敗した時のために光魔法を最大出力で準備するように言って、自分自身は風魔法を準備し始めた。旦那様に討伐に直接関わることは禁止されているが、いざという時の準備なら構わないだろう。
見張り以外が、洞窟の中に入った次の瞬間に見張り役の2人は音もなく倒れた。
ラースが放った風魔法の応用だろう。弱い魔力にも関わらず、急所に当たれば確実に致命傷を与える威力があった。にも関わらず音も聞こえなかった。
原理は理解出来た。中級魔術師なら原理さえ分かれば出来てしまうだろう。もしかしたら、低級魔術師でも使用可能かもしれない。
遠くにいる相手を弱い魔力で確実に殺傷出来る魔法。今の戦争のやり方を変えてしまうほどの危険な魔法であった。思わずラースを見る。
そして、見てしまった。ラースの双眸が赤く輝き、その顔に嗤いを湛えているのを…。
ただ驚愕と恐怖はそれだけでは終わらなかった。見張りを倒すとすぐにラースは次の行動に移った。
洞窟の入り口に近寄り、風魔法で洞窟内を探っているようだ。
しばらくすると、私と兵に下がるように指示してきた。そして、洞窟の入り口を塞ぐような形で魔法を展開した。やったことはそれだけだった。
そして、しばらくするとこう言った。
「盗賊は行動不能になっているはずです。先生は女性達の保護と治療を!他の人達は盗賊を捕縛して下さい。」
理解は追いつかなかったが、風魔法で何かしたのだろう。すぐに女性の保護と治療に当たるため洞窟内に入る。
洞窟内に入ると、盗賊達は全員失神しており、女性達も失神していた。ここに来てラースが何をしたのかようやく理解した。洞窟内の空気を抜いたのだ。
1時間後に応援が到着し、捕縛した盗賊を引き渡し、治療した女性達を保護してもらった。
旦那様に報告するために、ラースと一緒に家路につく。
「いつ、あんなことを思いついたんです?」嫌悪感を隠しきれない。
「鉄の玉を魔法で飛ばしたことですか?それとも洞窟内の空気を抜いたことですか?」
「両方です。まるで以前から練習していたように感じました。」
「練習はしていません。ただ、以前からこういったことも出来るだろうと考えていました。」盗賊が洞窟に潜んでいるのは今日わかったことだ…思いつきであれだけの事をやったのだろう。
「思いつきですか?もし、洞窟内が脆かったり、他に入り口があった場合は失敗したはずです。その場合どうするつもりだったんですか?」なんでもよかった。この嫌悪感と不安感をぶつけるアラを探しているのだ。
「最初に洞窟内の空気を探って、他に入り口がないか。強度は十分にあるかを空気の流れで確認しました。それとーー」
そんなに精密に把握出来ることに驚かされる。
「もし、実行できない場合は風魔法で火を消した後で、先生に最大出力の光魔法を洞窟内に放ってもらい、盗賊が混乱状態になっているところを叩くつもりでした。」
「それでは、質問を変えます。ラースは今回、最小のリスクで最大の結果を出しました。これは本来なら褒められるべきことでしょう。」
ラースが言っていることはおそらく正しい。言うべきではない、それはわかっていた。ただ、あの嗤いが頭から離れない私は言わずにはいられなかった。
「こんなこと言うべきでないこともわかっています。ただ、何故ですか?人を殺したのに何故!そんな平気な顔をして笑っていられるのですか?私はラース…あなたが怖い」
「…え?…」その言葉を聞いた時、ラースははじめて見せる顔をしていた。言葉を話すようになってからは、泣いた顔など見せたことのないラースが…今にも泣き出しそうな…全てを諦めたようなそんな表情だった。
その時、失敗に気づいた。ラースは賢いし、強い意志を持っているが…非常に繊細で傷つきやすい面があった。
それを忘れていたのだ、慌てて取り繕おうとするが…掛けるべき言葉が出てこない。怖いと思ったこと…嫌悪感すら抱いたことは事実なのだ。
気付けばラースは自室の中に閉じこもってしまったーーー
ーーーあれから一週間が経ったが、ラースと一言も話せていない。会うのは簡単なのだが…会うのが怖いからだ。夕食時もつい顔を逸らしてしまう。
あの戦いをよくよく振りかえってみると、ラースは私達のリスクを出来る限り少なくしていたし、女性達に対する気遣いもしていた。盗賊も必要がなければ殺してはいない。
褒められることはあっても、非難されるようなことはしていない。なのに私は…ラースがただ笑っていただけで、双眸が赤く煌めいていただけで取り乱し、非難し、ラースが怖いとまで言った。今更、どんな顔をして話せばいいのだろうか。
笑っていたのも何か理由があったに違いない。戦いの時に怖さを紛らわすために笑う者がいると聞いたこともある。早く謝ってしまいたいのに、行動に移せない自分がもどかしい。
ただ、ここに至っても私はまだ関係は修復出来ると信じていた。しかし、その夜その考えが甘かった事を思い知る。
その日の夕食、ラースが貴族院学校の特別選抜試験を受けたいと旦那様に申し出た。旦那様も奥様も驚いた様子だったが、賛成していた。
私は動揺を表に出さないようにするのに必死だった。何故?何故!突然に何の相談もなく…と怒りが湧きかけたが、相談がなかったのも突然行く気になったのも自分の所為だと気づいた。
相談がなかったのは、言うまでもなく1週間前の出来事であり、学校に行く気になったのは私に教えられる事がもうないからである。
実は以前から、貴族院学校に興味があったのは知っていた。ただ、行くのは10歳になってからだろうと考えていたのである。そこには、ラースが自分を好いているとの自惚れもあったかもしれない。
私に止める権限はもちろん、反対する材料もない。私に出来るのはラースが旅立つのを指を咥えて待つしかないのだ。
でもそれも仕方ない…原因を作ったのは私の思慮と実力の欠如からなのだ…これは罰なのだと思う。ラースを疑い傷つけた。
その後、私はラースと一言も話すこともなく、王都に旅立つラースを見送ると…旦那様と奥様に退職願いを出した。
「ラースがいなくなったことを気にしているのかい?だとしたら、気にしなくていい。君は家族の一員だ。」
「ありがとうございます。ただ、ラースと過ごして自分の実力のなさを痛感させられました。村に戻ってもう一度鍛え直したいのです。」
「そうか…そういえば、8年間も故郷に一度も帰ってなかったな。ちょうど良い機会だ好きなだけ休みを取るといい。ただし、退職は許さない。働かなくてもあと2年間は給与を受け取ってもらうし、その後も出来ればリットラント家で働いてもらいたい。」
「そんな…そこまでしていただく訳には行きません。」8年間で十分なお給金をいただいている。ミットラントなら10年は働かなくても家族全員養えるほどの額だ。
「いや、受け取ってもらうよ。これはリットラント家の名誉のためでもある。尽くしてくれた家人を契約途中で解雇したなんて噂が立ったら困るからね。」冗談ぽっく笑いながら旦那様は言った。
「戻って来たければいつでも戻ってくればいい。リットラント家はいつでも君を歓迎する準備がある。それだけは忘れないで欲しい。」
続けるように奥様が言う。
「セロア…今まで本当にありがとう。あなたの事を本当の妹のように思っているわ。ゼロフィスが言うようにいつ戻って来てくれてもいいからね。待ってるわ。」
家族として扱ってくれたことは知っていたが、これほど暖かい言葉をもらえるとは思ってもみなかった。本当に感謝しても感謝し切れない。後ろ髪を引かれるような思いで、リットラント家を後にしたーーー。




