鋼の剛刀
ひとりひとりが固有の魔術を持つ世界。
生涯の在り方を決める魔術を創造する儀式は、何よりも重要とされていた。
長い歴史の中で、魔術にはいくつか汎用性の高いテンプレートができていく。
火炎属性魔術、広範属性魔術、特化治療魔術、特化攻性魔術、偏重闇影魔術。
あらゆる人間は先人たちが編み出した魔術群から自分にあった魔術を選び、作る。
必死で努力して、崇高なる「魔神」を目指す。
そんな風に国家は形を成している。
技術も、社会も、道徳も。
ここは、そんな世界――
★
気が付いたときには、赤子であった。
☆
一人の赤子が、母親に胸に抱かれていた。
可愛らしい赤子である。青い目に金色の髪、幼児でありながら既に美しい顔のつくり。赤子を愛情のこもった瞳で見下ろす母親の容姿も並々ならぬ美しさとあって、将来見目麗しい女性になることは誰の目にも明白だった。
たおやかな母親の手が、壊れ物に触れるよりも更に優しく、赤子を撫でる。
母親が我が子をあやしている。
そんな微笑ましい、人が思う幸福の象徴ともいうべき光景だ。
しかしこの情景にあって幸せ以外の感情を抱く者がいた。
赤子である。
他ならぬ赤子自身が、驚愕の感情を露にしていたのだ。
アルカニアと名付けられたその女児は、小さな口をぽかんと開いて、目をまんまるにして、驚いていた。
それは獣の怯みとは異なる、理性の反響たる人の驚きだった。
つまり、明晰な思考能力から出力された感情だった。
生まれて間もない赤子が、自身の境遇を理解し、感想を抱く。
異様なことである。泣くか笑うかしかできない動物のような生物が、本来の赤子なのだから。
しかし、また別の側面から考えると道理でもあった。
(これは一体……どういうことだ……)
アルカニアは思った。
そう。アルカニアの――その赤子の中には、既に成熟した自我があったのだ。
赤子とは別の人間の記憶が、その小さな頭の中には確かにあった。
記憶が正しいのならば、その人物は成人男性であり、生まれたばかりの女の子ではなかったはずだった。
つまり――”彼”からすれば、自分が突如として赤子に生まれ変わったと、そのように感じられていたのだ。
アルカニアは驚愕のまま美しい母親の乳房に誘われ、吸う。
吸いながら、物思いに耽る。
なぜ、自分は赤子になっている。
なぜ、自分は女になっている。
なぜ、自分は――
疑問は湯水の如く湧き出してくる。
いくらかの時間の後。それらの答えを出すことは不可能であると、アルカニアは結論した。
(……答えが出ない問題を考え続けるのは、賢い選択じゃない)
赤子の口から、万感の思いがこもった溜息が出る。
それはあまりにも”らしい”溜息で、アルカニアを抱えていた母親は柔らかい笑い声をあげた。
アルカニアは思考を放棄して、虚空を見つめる。
ぼんやりと思う。
(刀。刀が欲しい)
それは、余裕がなくなり漏れ出したアルカニアの芯の部分だった。
気づいたときには、抗いがたい渇望がアルカニアの脳髄を満たし始めていた。
(刀が見たい。刀に触れたい。嘗め回したい)
アルカニアは、そう。日本刀大好き人間だった。
それも普通に好きだったのではなく、度を越えて愛していた。
刀のためならどのようなことでもする覚悟が、アルカニアの中には当然のようにあった。
堰を切って溢れ出す、刀への愛。
赤子らしいプニプニとした手を、アルカニアは固く握る。
――それをアルカニアは、理性で封じ込める。
アルカニアは理解していた。歩くこともままならない今の自分には、この感情は枷になるだけだ、と。刀と触れ合うことができるようになるまで、解放すべきでない。
余計なストレスを避けるために、アルカニアは自身の欲望に蓋をしたのである。
アルカニアの特異な点がここにあった。
アルカニアが持つ刀への思いは常軌を逸している。もはや何かに例えることもない超絶的なレベルであり、普通の人間ならば欲望を果たすためだけに動く獣になっているという領域だった。感情を数値で示せるなら、アルカニアのそれは悠々とカウンターストップを叩き出すことだろう。
それをアルカニアは、”してはならない”と抑え込むことができる。
自身の奥底から屹立する硬くて太い欲望を、毅然と叩き折る鋼の意志。
人間の常識を超えた異常なまでの精神力。
それがアルカニアという人間の、最大の特徴だった。
――そうしてアルカニアは、雌伏の時を迎え入れた。
どうやら、母親が操る言語はアルカニアの知識にないもののようで、まずはそれの習得に全力を注ぐと心に決めた。いくら刀を愛そうと、日本に帰る経済力を得るまでは、このどこともわからない国で暮らさなくてはならないのだ。遅かれ早かれ行き会う障壁。ならば赤子である今のうちから全力で励もう。
すべては刀のために。
アルカニアは行動を開始した。
……それからいくらかの時間が経ち、アルカニアは違和感を覚え始めていた。
アルカニアは言語と歩行をある程度我が物とし、その幼い手でもって、書物をめくることができるようになっていた。あわよくば刀の本でも見つけて自身を慰めようといった魂胆だったが、そのようなものは父親の作った図書室にはなく。暇を潰すために武器に関係のない書物を読むようになってからのことだった。
おかしかった。
あらゆる書籍の記載が、ちぐはぐな印象をアルカニアに与えた。
風俗や科学、はたまた動植物。色々あったが、最もアルカニアの眉をしかめさせたのは、歴史について記された書物だった。
偉人、地理、出来事。
名称が何一つ、記憶のそれと合致しなかった。
そこでアルカニアは気づいた。
ここは。
否、この世界は。
(前とは違う、まったくの別世界なのではないのか――)
ある事件を通して、その疑念は確信に変わった。
母親に連れられて馬車で赴いた下街にて。
手を引かれ、幼女の低い視界から新しい世界に目を奪われていたとき。
アルカニアは”魔術”を見た。
それは異様な光景だった。
道に立つ派手な服装の男。男が腕を天へと掲げたかと思うと、突如として紅蓮の炎が迸り、何か猛々しい獣のかたちをとる。
それは腕の持ち主の意のままに、空中を駆け、低く吼えた。
美しい火花を散らし、鮮やかに爆発した。
後から知ることになることだが――このとき大道芸の男が披露したのは”火炎属性魔術”という人気の魔術だった。
アルカニアの知る物理法則を超えた現象であることは、一目瞭然であった。
☆
言語を完全に習得し、肉体的には六歳児にアルカニアはなっていた。
いまだ日本刀への愛を静めたままのアルカニア。
金髪碧眼の、愛くるしい女の子であるアルカニア。
アルカニアは絶望していた。
男であったのに女に生まれていたことに、今更ながらに絶望していた。
大人であったのに子供になったことに、この期に及んで絶望していた。
のではなく。
刀が存在しないことに絶望していた。
図書室で呆然と立ち竦みながら、アルカニアは絶望していた。
この世界に刀が存在しないことに気づいて。
いや、実はとっくに理解していて、自分を誤魔化し続けることに失敗したという、あるいはそういうことなのかもしれなかった。
事実、アルカニアは信じたくなかった。
武具について著された書物を調べ上げて、家族に秘密で武器商人と接触をもって。
そこまでして、アルカニアはようやく納得した。
日本刀などという特殊な代物が、この世界にはないという、当たり前の現実を。
アルカニアは手に取っていた書物――この本の中程のページを捲っていたとき、不意に悟った――を取り落とし、床にがくりと小さな膝をついた。
刀が存在しない。
刀に触れることができない。
その可能性が、微塵もない。
それはアルカニアにとって空気がないにも等しいことであった。否、それ以上の、あまりにも深刻な事態だった。刀とは、アルカニアという人格の形成する精神の土台であり、それが虚無に消えた今、アルカニアの心はガラガラと音を立てて崩壊し始めていた。
アルカニアの魂は、絶望の底なし沼に沈みゆこうとしていた。
青い瞳は光を失い、虚空を映す。
ぽつりと、アルカニアは呟く。
刀。
ひとりでに口が動く。
刀。
刀。刀。刀、刀刀刀。
押さえ込んでいた愛情が、漏れ出す。
かたなかたなかたなかたなかたなかたな……
常軌を逸した感情の塊が、その累積が、慟哭となって幼女の喉から吐き出される。
血を吐く勢いで、アルカニアは叫ぶ。
「――――――――――――ーッ!!」
涙がこぼれたその時。
アルカニアの体内で、何か決定的な変化が生じた。
アルカニアの周囲に空気が渦巻き始める。
どこからともなく吹いてきた激しい風が図書室で暴れだす。
床に撒き散らされた本がバラバラと捲れ、棚に収まっていた何冊かが揺れて落ちる。
不意に――アルカニアの脳に、天啓が降りた。
”刀がないなら――
――作ればいい”
瞬間。
魔術作成。
ガチッと、脳内に異音が響いた。
アルカニアの叫びが止まる。涙も止まる。早鐘を打っていた心臓も収まる。
「…………」
アルカニアは能面のような無表情で、自身の手を見た。
頭の中には、先ほど閃いたフレーズが反響していた。
(刀がないなら……作ればいい……)
それは思いつきというには度を過ぎた閃きで、あまりに生々しい実感を伴っていた。まったく新しい何かが生きた肉となって身についたかのようだった。
本能の赴くままに、アルカニアはか細く囁く。
「刀」
手のひらに眩い光が現れた。黄金とも純白ともつかぬ不思議な色合いの光。灼熱する鋼の赤にも、たゆたう水面の色にも見える。
それは束の間光って、あっけなく光り終わる。
光が消えた跡には、一本の棒状の鉄があった。
――それは、魔術だった。通例、魔術とは”儀式”の場ににおいて作り出すもの。しかし、あまりにも強烈なアルカニアの希求が、本来人の手を借りなければできないはずの魔術の生成を強引に成し遂げたのだ。
ガクン、と突然てのひらの上に現れた重みに負けて、アルカニアの手が落ちる。
金属音を立てて、図書室の床にそれが転がる。
女の子座りをしたアルカニアは変わらない表情で、床の上に横たわる物を見つめた。
刀だった。
それは紛うことなき刀だった。
アルカニアの記憶にある通りの、刀であった。
幼げな、女児の手が伸ばされる。
生まれたての赤子に接するように、ゆっくりと指が刀の刃に触れる。
指先が浅く切れ、赤い血が溢れ出す。
その光景を、アルカニアは熱に浮かされた瞳で見下ろした。
そうしてアルカニアは――
引きこもった。
☆
六歳児のアルカニアは、その日から部屋の外に出なくなった。
翌日の朝、起こしに来た使用人の存在を完全に無視して、アルカニアはひたすら魔術の行使に励んでいた。徹夜で、刀を作り続けていた。その表情は怖気だつような歓喜と戦慄に彩られていた。
数え年で十三の年に”儀式”を経て親と選んだ魔術を習得する――というのが本来の様式であり、常識である。その半分にも届かない幼さで魔術を使うアルカニアの姿に青ざめた使用人は、ことを速やかに雇い主に報告した。衝撃の事実を告げられたアルカニアの父親は、信じられない思いで娘の部屋の扉を開け、血相を変える。そこには確かに魔術を使う娘の姿があり、父親は眼前が真っ暗になるのを感じた。
魔術は、ひとりにつき絶対にひとつしか覚えられないもの。やり直しは利かなかった。一度作った魔術とは、一生添い遂げていかなければならない。そしてこの世界において、魔術とは将来の展望を明確に左右する要因だった。就職や結婚に端を発するこの世界の様々な物事に、魔術の優劣は密接に絡まっていた。
幼児期に魔術を習得してしまう者は、稀にいた。
多くは孤児などの教育環境に恵まれなかった子供たちである。彼らには教養がなく、そして優れた魔術を作るためには知恵と知識が必要不可欠だった。結果、できあがった魔術は一つの例外もなく劣悪なものとなる。
そんな魔術を持つ人間を待ちうけている未来は、暗かった。
だから、一般の家庭ではテンプレートの中から相性のいい魔術を両親と共にじっくり時間をかけて選んだ。
貴族なら、家が代々受け継いできた魔術をどんな形であれ継承するのが習いだった。
そして、アルカニアの場合は後者だった。
アルカニアは、”特化防性魔術”を通して魔神に至らんとする名門貴族の長女だった。
父親は嘆き、激昂した。半月後に魔術の教育を始めようとしていた矢先だった。
まさしく家に忠実な魔術”特化防性魔術”を操る彼は、”コミオールカ”という技を発動させた。対象の周囲にやや茶けた色の防壁を形成し閉じ込めるという、単純でありながら高い技量が要求されるものだった。
高い能力を誇る魔術師の手によって”コミオールカ”は即座に出来上がり――
瞬時に両断された。
アルカニアが、その手に持つ刀を無造作に振りぬいたのである。
刀を愛する者の嗜みとして、アルカニアはある程度の刀術を習得していた。しかし、先の一閃はそんなものではなかった。途轍もない刀の切れ味が、鋼並みの硬度を持つ”コミオールカ”を破壊したのだ。
その光景を見た父親は――諦めた。
それから彼がアルカニアに干渉することは一切なくなった。
アルカニアは没頭した。
刀作りに没頭した。
アルカニアが作った魔術は、既存の命名方式に従えば”偏重造刀魔術”と呼ばれるべきものだった。
当然、異様な魔術である。
儀式において最も作られている魔術は、火炎や水氷、攻撃や防御などといった汎用性のあるもので、様々なことが出来るようになっている。例えば、”火炎属性魔術”は最高の人気を誇る魔術の一つだが、これは”火を起こす””火の形を操る””火の温度を操る””火の性質を変える”などといったことが可能だ。
しかし、アルカニアの”偏重造刀魔術”は、”刀を作る”ことしかできない。
”火炎属性魔術”などといった魔術は、魔術師本人の力が増すごとに操れる技の種類も増えていく。
アルカニアは、今後どれだけ成長しても、一種類の技しか使えない。
将来性の有無。
それはこの世界の風俗文化において、非常に重要な意味を有していた。
この世界には”悪魔”という途轍もなく凶悪な害獣が現れる。眷属である小悪魔たちはともかくとして、甚大な被害をもたらす悪魔たちを討伐できるのは絶対に魔神だけ。人類を脅かす悪魔を退けうる唯一の存在である魔神は、尊ばれ、崇拝され、英雄視されていた。
あらゆる人間は魔神となって世界を救うことを夢見ている。悲願している。
そして魔術とは、つまるところ魔神へと到達するための手段である。
そして将来性のない魔術とは、魔神になれない魔術ということ。
つまり、アルカニアの魔術は、本末転倒の役立たず。
そういうことになるのだった。
……この世界にとっては。
アルカニアにとっては、魔神などどうでもいい話だった。
魔神。途方もない力を持つ、人を超えた不老の存在。
今、世界には三人の魔神がいるという。紫焰の魔神、碧毒の魔神、黒布の魔神。
悪魔を倒し、世界を守る、世界の尊敬と憧憬を一身に受ける存在だ。
どうでもよかった。
この世界の子供が空想するのは魔神になり活躍することだが、アルカニアがこれまで夢想していたのはいうまでもなく刀への慕情である。
刀への愛である。
そして今、アルカニアは思いを遂げるに足る力を手に入れた。
愛を昇華する手段を得て必要な時間も親から黙認されたアルカニアは没頭する。そこに、魔神や家族や日常が入る隙間はない。
寝食は最低限。腹が鳴ったとき傍に食事があれば手掴みで食らい、なければ飢餓を無視し、何日かに一度昏倒するように眠りに就く。アルカニアの魔術は精神力を代償とするもので、これは時間と材料費がかからない代わりに常人が三日に一度使えるかどうかというほどの異様な消耗を強いられるものだった。だったが、精神力は無尽蔵に湧き出てくるのがアルカニアである。高位の魔術師も衰弱死するほどのエネルギー消費は、ないものとして扱われた。
刀を作り、刀を愛でる日々。
それは前世でも果たしえなかった至福の時であった。
天国だった。パラダイスだった。アルカディアだった。
眺め、触れ、舐め、色々なことをシながらアルカニアは過ごした。
そうやっていくらかの年月を経たアルカニアの欲望は――次の領域へシフトした。
今までアルカニアは、刀という存在をただ愛してきた。
前世では、真剣を収集するのは難しかったし、保存の観点から接触は最低限に控えなければならかった。
しかし今。アルカニアは溢れんばかりの刀の中で生きている。
その冷たい輝きに溺れてしまいそうなほど真剣は作っているし、やりたいと思ったときにやりたいことをやっている。
あらゆる意味で我慢はしていない。
そんなアルカニアは――つまり、舌が肥え始めたのである。
幸せに慣れて、更なる甘美さを欲するようになったのだ。
それは強欲とか暴食とか、そういう風に分類されるものだったが、同時に更なる高みを目指す求道者の生き様でもあった。
ただ刀を愛するだけだったアルカニアは、より優れた刀を愛するアルカニアへと変貌を遂げた。
アルカニアの愛情を刀にして吐き出すだけだった魔術は、刀の質を高めるという方向性を得た。
より一層打ち込んだ。
鬼気迫る勢いだった。
見かねた母親が、友人候補や婚約者候補を連れて来たこともあった。同世代との触れ合いで、魔術は駄目でもせめて心根だけは正そうという魂胆だったが、彼ら彼女らは突きつけられる刀の鋭さに耐えられなかった。一人は失神して、一人は失禁した。一人の少年だけがアルカニアの部屋に時折訪ねてくるようになったが、母親の目論見は概ね失敗した。
ともかく、首を突っ込んでくる些細な邪魔を切り払って、アルカニアは邁進した。
刀は研ぎ澄まされていく。
異様な精神力から生み出される異様な速度は、異様な成長性に繋がった。
いい出来の刀ができればアルカニアは歓喜し、愛す。暫くすると飽きて、更なる刀の製作に入る。
その繰り返しだった。
そしてここから、十年の年月が過ぎる。
☆
薄暗い部屋。
設計者の少女趣味が伺えるつくりは、しかし床や壁に刻まれた無数の傷痕によってどこか凄惨な雰囲気を漂わせるに至っている。傷痕は細く鋭く、触れただけで切れてしまいそうだ。そんなものが、この部屋を満たしている。
部屋の中央には、刃物の山があった。
部屋が完全な暗闇になることを防いでいるのは何がしかの灯ではなく、煌く刃たちだった。その一本一本が、見るものが見れば気絶しかねないほどの完成度を誇っていた。魔術的な加工はないのに、刀は確かに青白い光を放ち、部屋から闇を払っている。
その山の頂点に、一人の少女が背中を丸めて座っていた。
信じられないほど肌の白い少女だ。まるで生まれてから一度たりとも陽の光を浴びていないような、一種の不健康さを感じさせる色合い。
乳房は薄く肋骨が微かに浮いていて、しかし尻や太腿といった体の各所に脂肪はちゃんとついている。
抱えれば折れてしまいそうに白く淡く。この世のものとは思えないほどに華奢で柔らかく。体の輪郭は刃の青白い光に浮いていた。
第二次性徴が終わっていることが嘘のような――”女性”ではなく”少女”の風体。
近づけば甘い乳の香りさえ漂ってきそうであったが、実際にそうしようと思う人間はいないに違いなかった。
少女の顔が危険だったからだ。
その鋭い瞳は煌々と燃えていた。蜃気楼じみた覇気が全身から立ち上がり、笑んだ口元は禍々しくさえあった。
その雰囲気は、圧倒的に攻撃的だった。
剣のような――否。刀のような表情だ。
まるで今から神にでも挑もうとしているかのような凶相である。それでも少女は脆く白く美しかったが、地獄の釜のような熱を発するそのオーラには、見るものを怯えさせるに十二分の迫力があった。
十六歳に成長したアルカニアであった。
アルカニアは、手を掲げる。
尻に敷いているのは剥き出しの刃だが、それがアルカニアを傷つけることはない。
アルカニアは、手を開く。
その体に纏うのは一枚の襤褸切れ。背中や胸元は大きく破れ、白磁の肌が覗く。
アルカニアは、言祝ぐ。
「――刀」
アルカニアが過ごしてきたのは、一生よりも余程濃厚な十年だった。
ただ、刀を作って作って作って作った。
愛して愛して愛して愛した。
それ以外のことは、ほとんど記憶に残っていない。
その日々の結晶が、今まさに生まれようとしている。
それを、理性の外側で感じる。
光がこぼれる。
そして、刀が現れる。
莫大な精神力の消耗にも小揺るぎさえしなかったアルカニアが初めて眩暈を覚えた。それほどの力が一瞬のうちに注ぎ込まれていた。
そして、その成果が顕現した。
刀が、刀の山に突き立つ。
その加速だけで、下にあった刀が砕けた。その刀はこの前作った、つまり二番目に完成度が高い刀だった。一番目は次番を圧倒的に優越していた。
刀の大地に埋もれた刀を、震える腕で掴みとる。
アルカニアの全身が、ぶるぶると戦慄していた。
刃に顔を寄せ、目を全開にして注視する。
それは、なんの変哲もない刀。
特段美しいわけでもない、地味な刀。
――そう、素人目には映るだろう。
アルカニアは本能で理解した。
これが。
究極の刀。
「はは……」
喉から、かすれた声が漏れる。
「ははは、はははは」
哄笑が鳴り響いた。声は少女の柔らかさで、声音は苛烈な鋭さで。
屋敷に轟き渡る異様な大笑。
部屋の扉が開く。
額に汗を浮かせ疲労に顔を歪める男は、アルカニアの母親が手配した中で唯一残った少年だった。彼はアルカニアと同い年で、不健康なアルカニアとは違い精悍な青年に成長していた。彼は足繁くこの部屋に通い、時折アルカニアの世話をした。
その存在を、アルカニアは認識しない。
童子のようで兇人のような笑い声が続く。それに誘われて、父親、母親、兄、妹が顔を出す。
ただ静かに刀を作り続けていた娘が久方ぶりに起こした行動。何事かと家人が集まる。続々と、部屋の扉の前から覗き込む。
その存在を、アルカニアは認識しない。
笑いが収まる。
部屋に静けさが戻った。
陶然とした表情で、アルカニアは両手で柄を持つ。
切っ先を自分の胸に向け、衝動の赴くままに――アルカニアは心臓を突き刺した。
刃が背中から突き出る。
少年と家人たち叫び声は、アルカニアの耳に届かない。
肉を貫いた感触を覚えることは、ない。
あまりに鋭い刃がそれを許さない。
静かに流れ出た血液が、刀を濡らす。その血が青白く発光する。
刹那。
――魔神、覚醒。
体全体が燃え盛ったような炸裂音を、アルカニアの魂は確かに聞いた。
アルカニアと融合した刀身が霞むように消失する。その華奢な手の中にはもはや、虚空しかない。
その手を曲げて、アルカニアは自身の胸を撫でる。
そこに空いていた穴は僅かな残滓もなく消え去っていた。
治ったのではない。体がまるごと作り変えられて、その副作用としてそのように見えたというだけのこと。
アルカニアの外見は、以前と一切変わっていない。不健康な白さと折れそうな柔らかさを持つ少女のからだ。
ただその儚さと美しさが、有終の美ならぬ無終の美と化していた。
至高の刀を作り終え、荒れ狂うような欲望が減じ、アルカニアは一時の冷静さを得た。
アルカニアは大幅に拡張された意識で、冴え渡った視界で、刃の山の頂上から部屋のすべてを睥睨する。
魔神となった少女は、機敏に違和感を感じ取った。
「刀が……少ない」
アルカニアは呟く。
改めて見るに、自身の下に折り重なっている刀の量は、アルカニアの頭の中にある予想よりも少なかった。
最も過敏な反応を見せたのは、父親だった。
刃のような眼光を向けられて、父親の口がほとんど勝手に動き始める。
「う、売ったのだ」
父親は言った。
刀が山と積まれるようになってから、定期的に何本か抜き取って、武器商人に高値で買い取ってもらっていたと。アルカニアの奇態を黙認していたのはその稼ぎがあったからで、最初に刀が自身の魔術を切り裂くのを見たときから考えていたのだと。
アルカニアは目を伏せた。
父親の行動は――別によかった。理屈もわかる。
しかし、自身の作った刀が誰とも知れぬ人間に振るわれるのは気に入らなかった。アルカニアは、刀とはそれに相応しい者が持つべきだと思っていた。
アルカニアは決めた。
刀を持つ人間たちのもとを訪れ、相応しいか確かめてこようと。
アルカニアは立ち上がった。その下にあった刀の山が瞬間に消え失せて、傷だらけの床にアルカニアは裸足で降り立った。
魔神になったアルカニアの魔術は、”神秘”となってその能力を進化させていた。
刀を作る魔術ではなく。
刀を司る神秘。
山を築いていた刀はアルカニアの見えざる異空間に収納されたのである。
部屋が暗闇に落とされて、アルカニアは明るさをもたらすための刀を作り出した。
煌々と光る刀を手にしたアルカニアは新たな目的を果たすために、ペタペタと扉に向かって歩く。
それを、青年が遮った。
「アルカニア!」
「……ケイン」
少女の高い声が、青年の名前を呼んだ。
かつて少年であったその男の瞳には、怯えの色があった。
このままなにも言わないでいたら少女はそのまま行ってしまうと、青年は悟っていた。
その整った顔立ちに決意の色を滲ませて、青年ははっきりと言った。
「……君を愛してる。結婚しよう」
一連の出来事に当惑していた家人たちの息を呑む音が、密やかに響いた。
「お前」
アルカニアは青年の喉に刀の切っ先を突きつけた。
愛らしい声で、愛らしくない台詞を言う。
「この十年、そんなくだらない下心で俺に接してきてたのか」
アルカニアの青い吊り目に、軽蔑の色が浮かんだ。
「俺は純粋に善意だと、友情だと思ってたよ。――失せろ」
これほどまで長い台詞がアルカニアの口から出たのは、およそ十年ぶりだった。
鈴を鳴らすような可愛らしい少女の声なのに、その言葉と切っ先には蓋世の迫力があった。
たじろぎ、息を呑んだ青年が浅い呼吸をする。暫くそうしているうちにようやく言葉の意味を理解した青年は、顔を歪ませて反論する。
それを無視して、アルカニアは家族に向き合った。
「今から、刀の持ち主たちのもとを巡ってくる」
アルカニアは父親に世話になったと頭を下げ、母親に生んでくれて有難うと礼を言い、名前も知らない幼い妹の頭を撫でた。
父親は狼狽し、母親は涙で頬を濡らし、妹は不思議そうな顔をした。
「父上、売却した俺の刀は何本だ」
「……五百くらい、だろう」
父親は後ろめたそうに顔を背けて言った。
アルカニアは虚空を見つめる。
「そうみたいだな」
魔神となったアルカニアは、今や、自身の作り出した刀を完全に支配していた。散らばった刀の居場所を、誰に訊くこともなく理解する。
最後に、アルカニアは次期当主である兄に相対する。
「迷惑をかけた。これは餞別だ」
アルカニアは新しく刀を作り、兄に握らせる。
兄は、妹であるアルカニアの分を合わせた二人分の期待と重責を一身に受けてきた。それに文句を付けずに貴族としての責務を全うした彼は、アルカニアが認める刀に相応しい男だった。
アルカニアにとって初めてとなる鞘付きの一品。
すらりと、刀を鞘から抜いた兄は、その怜悧な輝きに眼を瞠った。
明らかに、既存のあらゆる武具を超越する代物だった。
兄は目を伏せる。
「しかし……これほどのものを……」
国が傾くほどの値打ち物を容易く手に入れてしまった兄は、もはや罪悪感さえこもった声でそう言った。
「なら、そのコートを寄こせ」
アルカニアは兄が着ていた、いかにも新品である様子の黒いコートを指で示す。
破れかけの白い肌着が一枚――今のアルカニアは、外出するには些か不釣合いな服装だった。
おずおずと渡されたそれにアルカニアは腕を通す。
そこには、ダボダボの黒いコートの合間からボロボロの肌着姿を晒す金髪碧眼の少女の姿があった。黒色の狭間に覗くのは破れた肌着と白い肌が半々で、ほとんど半裸の上にコートを着ているといってもよかった。見ようによっては恥知らずな格好であったが、少女の纏う剣呑なオーラが、それを一つの衣装として昇華させていた。
ミルクに陽光を混ぜ込んだような柔らかい金髪が、なびく。
別れの言葉を告げ、アルカニアは十年ぶりに部屋から出ようとする。
その腕を、青年が掴んだ。
アルカニアが振り返ると、そこには混沌とした青年の相貌があった。
恋情、狼狽、後悔、怒り、悲哀、非難、絶望。それらすべてが渾然となった表情だった。
「……アルカニア、」
「あとな」
青年が搾り出すように放った言葉を遮って、アルカニアは愛らしい声で言った。
「俺が好きなのは女だ」
魔神の剛力で、振りほどく。青年は呆然とした表情でたたらを踏んだ。
アルカニアは黒いコートを翻し、扉から出る。
すると、出た先の廊下が爆発した。
「マーセナル庸兵団参上ぉッ!」
崩れて空いた壁の穴から、ぞろぞろと屈強な男たちが入ってくる。
全員が腰に剣を佩き、物々しい雰囲気を帯びて、屋敷の中に上がりこむ。
何事かとアルカニアの背後に出てきた家人たちが顔色を変えた。
眉をしかめ、父親が言う。
「盗賊風情が我がイリナンス家になんの用か」
「違う、違うねぇ! 俺らは傭兵だ」
リーダーらしき人物が、鼻にかかった声で言う。
「ここが”この剣”の出所だってことは調べがついてんだ」
男が振って見せたのは、刀だった。
アルカニアの目が細める。
リーダーに合わせて、刃物の銀色が集団の中から次々と煌く。
男たちが、それぞれ剣を抜いていた。あるいは、その手に魔術の光を灯らせていた。
家人たちが後ずさる。父親は家族を庇うように前に出て、魔術の構えをとる。母親と妹は互いに抱き合い、正気に返った青年が切羽詰った様子で唾を飲んだ。
リーダーはアルカニアに粘ついた視線を送りながら、
「俺ら、遠慮なく頂戴しにきましたァ!」
”マーセナル庸兵団”の男たちの首が飛んだ。
リーダーも含めて、一人残らず胴体から首を乖離させて、どうっと膝をつく。
「――あれぇ?」
と転がるリーダーの生首が言った瞬間、大量の血液が至る所から噴出した。
高価な絨毯が見る見るうちに赤く染まり、鉄の匂いを帯びていく。
「――お前は、相応しくない」
刀を振りぬいた姿勢で、アルカニアはぽつりと言った。その眼前の空間には、青白い残光が弧を描いている。
アルカニアがじろりと見ると、リーダーの体が握っていた刀が消え去る。
アルカニアはその手の刀を”収納”して、新たにもう一本、刀を作り出した。
赤く光る刀が、華奢な少女の手に現れる。
アルカニアがそれを床に突き刺す――すると、床から赤い罅がバギンッ! と広がり、視界中の床を埋め尽くし、屋敷全体を覆った。
赤い罅は一際強く光ると、薄くなって消えた。
アルカニアは刀を消して、小さく頷いた。
これが最後のケジメだった。この赤い罅が刻まれた範囲に、極めて邪な胸中のまま侵入した者は、地面から伸びた刀に貫かれる。刀を狙いにやってくるような人間は、この屋敷に入ってこれない。
ポカンと顎を落とす父親にそれを伝えて、アルカニアは今度こそ歩みを進めた。
廊下の壁に開いた穴から、家の外に足を踏み出す。
柔らかい風が吹いて、ちらりと白い肌が太陽の下に覗いた。
手をかざし、天を仰ぐ。
「あと、499本……」
空は眩く晴れ渡っている。
こうして四人目の魔神は、刀のために旅立ったのだった。
好評だったら二話を書く。かもしれない。
設定紹介。
魔術
広範(浅く広く)→(普通)→特化(深く狭く)→偏重(一極主義)
炎とか氷とか毒とか攻撃とかの属性で縛りをかけることで成長限界を伸ばす。しかし特化しすぎると出来ることが減る。その兼ね合いで大体の人間は決めるため、偏重魔術はほとんどいない。
縛らなかったら「なんでもできるけどなんにもできない魔術」になる。全属性使えるけど全部レベル1技までしか使えない、みたいな。
作り直せない。13才で受ける特殊な儀式で作る。
顔面偏差値にも等しい超重要スターテス。これの作成に失敗すると人生がヤバイ。
魔神
魔術を超えた「神秘」を持つ存在。人を超えた生き物であり、寿命もなくなっている。魔術師としての研鑽を積めばなれる可能性がある、と経験則的にわかっている。途方もない力を持つ人々の憧れ。途轍もない被害をもたらす悪魔を殺せる。
現在生きている魔神は三名。
紫焰の魔神(火炎属性魔術:白髪白髭の性悪爺)、碧毒の魔神(特化治療魔術:)、黒布の魔神(特化闇影魔術:剣呑好色な覇王女)。
それとアルカニア(偏重造刀魔術:傍若無人の刀少女)
心と魔術を高次の領域にまで研ぎ澄ませたもの。
悪魔
超デカい。黒い。出てこない。スケールダウン・バージョンであるところの小悪魔を無数に生み出す。小悪魔は一般の魔術師でも倒せる。
主人公
ts転生。刀ジャンキー。刀を愛し刀に死ぬ。そこそこ裕福な貴族の長女に生まれ、主に言葉の勉強に親しむが、幼児期に刀がないことを知り絶望。「刀の魔術」という特化にもほどがある魔術に、儀式もなしに目覚める。それ以後は最低限の寝食以外は刀を作るだけの日々。その他学園生活とか家族団欒とか完全無視。婚約者も友達候補も切り捨てる。
二次性徴が終わったころ、膨大な数の失敗作の山上に至高の刀を作ることに成功。衝動の赴くままに自分の心臓へ突き刺し、魔神へと覚醒する。
自分が今まで打ち捨ててきた刀たちが無断で使用されているとこを知り、刀収集に動き出す。刃鋼の魔神。刀を持った半裸黒コートの金髪碧眼少女。ミルクのような相貌に浮かぶのは剣呑な表情。
(偏重造刀魔術)
魔術。莫大な精神力を代償に、それに見合った刀を生み出す。使用には刀に対する深い理解と膨大な知識、異常な愛情が必要。
(刀の神秘)
刀愛刀知識刀魔術刀マスタリーの限界突破を体現したもののみが至れる変態的境地。ありとあらゆる刀を作り出し使役し支配する。しかしそれ以外は何もできない。
「燃える刀」「光る刀」「影を操る刀」などを作り出すことで擬似的に魔術を模倣できるが、再現できるのは「魔術」レベルで、「神秘」レベルの能力は模倣不可能。仮に「燃える刀」の炎と「炎の神秘」の炎がぶつかることがあれば、後者が勝る。