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百年桜町奇譚  作者: 桜月黎
Class1『ドッペルゲンガー』
9/22

Sub 3( ヴァルデガー ) ~3~


   ***



 出逢ってたったの一日。

 いやさ、時間に換算すれば半日すらも触れ合っていない人の死。

 目の前でまさかあんなことになるなんて、と流石に酷く驚きはしたものの、結局のところ知り合いと呼ぶにもちょっと無理があるような人物の死である。

 親しくなれたかもしれないのに、という感傷はあれど、それ以上の事は特にないと、私は自己分析していた。

 例えばショックで物事手に付かなくなるとか、そういうのとは無縁だと思っていたのだ。

 ところがどうだろう。

 私はどうやら、客観的に見て、結構落ち込んでいるらしかった。

 或いは得られるはずだった問題解決の糸口か失われたことに落胆しているという、卑しくも実利的な気持ちの表れだったのかもしれない。

 どちらにしろ、私の気持ちは識視さんと共に落下してしまったのかな、なんて不謹慎な駄洒落的なことを考える程度の余裕はあったから、まぁ深刻というレベルの問題はないんだけれども。

 事ある毎に集中力を欠いていたり、不用意にぼんやりすることがままあったりしたらしく、素直で人の良い巳祷さんはもちろんのこと、今まで殆ど言葉を交わしたことが無いようなクラスメイト達からすらも、ポツリポツリとした頻度で憂慮の声を頂いてしまった。

 はっきり言って授業をまともに聞くのもままならない状態で、私のノートは一向に新雪が如き白さを減じていない。

 ……のは、だいたい元からか。

 だが幸か不幸か……というのは曲がりなりにも人の死が原因に在るからあまりに不適切ではあるけれども、あえて似た言い回しを使うなら不幸中の幸いというべきか、私が大きく授業から置いてけぼりになるということは無かった。

 私が即効で立ち直って事なきを得たというのなら良かっ──いや、その場合はまた別の懸念が沸くのだけれど、そうではなく、上の空状態で居る間の通常授業が結局丸一日しかなかったためである。



 学園内で人が亡くなる事故──ということにとりあえずはなっているらしい──があった翌日から平然と通常授業を行うほど私達の学び舎は淡泊ではなかったようで、あの後、つまり私が気を失った後の、つまりは午後の授業はすべて休校となり、翌日も生徒たちの精神安定云々という理由で休校になった。

 まぁ、普通に現場検証とかそういうもっとそれらしい、人情とはお世辞にも言えない事情も少なからずあるのだろう。それを学校側の全面的な学徒たちへの配慮という立て看板を掲げて使うのだからちゃっかりしたものだが、別にそういうことを否定はしない。そこに心が一片もないとは思わないし。

 というかそこまで野暮なことを考えたのだって私くらいのものかもしれない。

 その次の日は登校日ということになったが、通常授業ではなく学校を揚げた榊識視の告別式が執り行われた。

 有名人などが亡くなった時にテレビで見るような、大勢が集まってやるやつだ。

 私はアレが、なんだか人の死を餌にした興業染みているように感じて好きではなかったのだけれど、まさか自分が参加することになろうとはこの日まで思ったこともなかった。

 集まっている人たちの様子を見れば、モニター越しに私が感じていたような軽さはなかったので、色眼鏡はかけるものじゃないなと、私は思い直し──かけたのだが。


 いざ始まってみればそれは、想像以上に異様なものだった。


 告別式と言ったら、遺族親族中心の通夜なんかと違って故人に関りのある様々な人たちが参加するものだから、人脈や知名度が広く高くなるほど規模が大きくなる。

 一方で、学校という閉じた世界ではたとえどれだけ影の薄い人間だったとしても、その死という出来事は大きな事件として認識され、世界全体の共通感情として瞑目を惜しむきらいがある。

 告別式が希望者参加でなく、こうして登校日を利用した全校集会の体を取っているのもその表れだろう。

 まぁでも、そのくらいならいい。

 想像した範囲内だ。

 だから問題は、少なくとも私が引っ掛かったのは式の内容である。

 生前の識視さんと関わりがあった、各方面の偉い人々が代わる代わる出てきては彼女を悼む言葉などを述べていく……という形なのだが、それはなんだか。


 なんだか故人を悼んでいるというよりは、まるで財産の被害報告のようだったのだ。


 ──彼女はこんな功績を遺した。

 ──惜しい人を亡くした。

 ──彼女が居ればコレコレはこうなるはずだった。

 ──この空いた穴を埋めることは難しいだろう。


 そんな内容ばかりだった。

 榊識視という個人に対する悔やみの念が見当たらない。

 榊識視の才覚という至宝の喪失にばかり、大人たちは嘆いているように見えた。

 これが人の死なのだろうか、なんて哲学の道へ踏み込みそうになる。

 或いは、これは才有る者の死特有のものなのかもしれない、とも感じた。

 きっと榊識視の『才』を惜しむ彼らには悪気などなく、本気で榊識視『本人』を悼んでいるつもりでいるに違いない。

 ただ彼女は、多くのモノを持ち過ぎていたんだと思う。

 榊識視という存在が『一人の人間』であるということを周りが無意識に忘れてしまうほどに。

 この違和感に私が気づけたのは多分、付き合いが浅かったせいだろう。

 もしも私がもっと彼女に近しい場所に居た人間だったならば、今壇上で語られている言葉にも一つ一つ首肯していたに違いない。


 こんな歪な催しになってしまうことを、恐らく唯一に近いレベルで予想し得ていたのは識視さんの親族だけだったのか。

 開始時にちらと、進行をしている人が言っていたところによれば正式な葬儀一通りは親族のみでやる事になっているらしいのだ。

 あったこともない人たちの事をどうこう言えるほどプロファイリング力があるわけでもないけれど、他人を呼ぶと多かれ少なかれこうなる事が判っていたからこそ、正式なものはこぢんまりと済ませることにしたんじゃないだろうか。

 思えば主催が学校側というのも変だった。

 こういうものは普通喪主にあたる人──大抵親族だろう──が主導するもののはずだ。

 つまりこの催しは学校側が勝手に──さすがに許可くらいは取っているだろうけど、ニュアンス的に──やっているようなものなのだ。

 悪意がないことくらいはわかる。

 けれど実際として、あまり感心できないのが正直なところだ。

 またここで、明確に不愉快になりきれない自分が居る。

 私は自分の事をあまり信用していないが、それでもこんな時苛立ちを覚えられるくらいの人らしさは持っていたはずだ。

 事此処に至ってようやくと、少しだけ自覚する。

 感情が鈍る程度に、私は気落ちしているらしかった。

 広い体育館に並べられたパイプ椅子の一つに座ってただ淡々と状況を俯瞰している私は、もはや今尻の下に敷いている無機物と、存在意義として大して変わらない。

 それでも一つ、知性あるものとして他力本願に思う。

 誰かちゃんと榊識視本人を悼んでやれる人は居ないのかと。


 ……そういえば。

 偉い学者さんだかなんだかよく判らない人が、榊識視の発見はどれほど偉大だったかについて専門家特有の専門用語だらけで余人にはちっともわからない解説をしている最中にふと我に返った私は、上級生達の座るエリアを横目で確認した。

 識視さんの友達だった彼らはどんな様子だろうかと思ったのだ。

 特に、霊界堂神無さんとか。

 しかしまぁ、高等部の学生は一学年三百人近い人数が居るのである。

 本格的に見回したならまだしも、ちょっと様子を見るくらいの目視では誰一人見覚えのある姿は見つけられなかった。

 何かの間違いで、平然と聴衆にまぎれている神無さんなんかを見つけてしまった日にはどう反応したら良いか判らないので、結果的には望むべくと言えなくもないのだけれど。

 ただ、昼食や放課後を共に過ごす様な仲だったのだ。壇上の大人たちとは違って純粋な利害関係や商売目的で一緒に居たわけではないはずである。ならばせめて彼らくらいは、榊識視本人の死を悼んでいる姿を見せてほしいと感じたのだ。

 事件現場に居た(かもしれない)神無さんについては、事情がよく判らないから何とも言えないが、彼女のあの性格からして自分の近くに……というよりも行方一の近くに自分以外の女が居ることを許容するのに純粋な打算が含まれていたことは考えにくい。

 飛躍かもしれないけれど、この学校で榊識視と最も仲が良かった人物は霊界堂神無だったんじゃないかと、私は思うのだ。

 今となっては真実の是非を問う理由も方法もなくなってしまった私には考えてもしようがない事なんだけれども。

 結局十数えるまでもなく私は人探しを断念した。

 あぁ、いや、しようとしたのだが。

 見つけられないかと思ったところで見覚えのある後ろ頭を発見した。

 左側で髪を束ねている女子生徒、聖園架折さんだろう。

 顔が見えないので絶対とは言えないが、その後姿が巳祷さんと全く一緒だ。

 巳祷さんは識視さんの死に大層胸を痛めている様子だったけれど、彼女はどうなんだろうか。遠目に後頭部を見るだけではその心境を慮ることは叶わない。

 少々首を俯けているように見えるから、やはり少なからず気に病んでいるのかもしれない。

 学年の関係上、巳祷さんよりも近しい間柄であったはずだし。

 それに、やはり双子というべきか。

 架折さんはその言動や仕草が巳祷さんに酷似しているのは、少し触れ合った程度でも容易に感じ取れた。

 ならば今このときに何食わぬ態度で居るほうが、きっと不自然だ。


 粛々と、というよりはただ淡々と式は進行し、私にとってもそれ以上の発見もなく、告別式という名のナニカは静かに幕を下ろした。

 幕を下ろした、という表現も本来なら適当ではないはずなんだけれども。

 私にとってこの日、特筆すべきところがあるとすれば一つだけだ。

 榊識視の死。

 これが、公然の厳然たる事実であることを知らしめられた。

 失神から目覚めて色々聞かされた後も、休校になって丸一日部屋でぼんやりしていた時も、何処かまだ、現実味を感じられずにいたのだ。

 繰り返すが私は彼女に特別な感情を抱くほど長い付き合いがあるわけではない。だからこの感覚は単なる感情論というわけではない。

 じゃぁ何だと言われれば、はっきりしている。

 純粋に、彼女がただの転落事故などで死ぬとは思えなかったのだ。

 そんなはずない、というよりも、そんな可能性があるんだろうか、というのが正直なところだった。

 だがそんな疑惑も、こうしてわかりやすく示されてしまえばもう言えることなどない。

 私にとってはただ単に、そういう一つの転機だった。

 転機を迎えたからと言っていきなり心機一転というほど、私は切り替えのはっきりした人格はできていなかった。

 むしろ放心状態は拍車がかかったくらいで、次の日からは通常授業になったものの、前述のとおり授業などノートも取らず傾聴するでなくただ聞くだけ状態だった。

 発言が前後するけれども、クラスメイト達に要らぬ心配を与えてしまったのはこの日のことである。

 なんだか自分自身でも色々と時系列が錯綜しているようだ。

 思考の整理ができていない証拠なのだろう。

 識視さんが亡くなったのはもう数日前の話であるはずなのに、そしてそれを知らしめられたのはついさっきの事であるはずなのに、彼女がまだその辺をうっかり通りかかるようなそんな予感が未だに拭い去れない。

 下手をすると、街ですれ違っても驚かずにいられるかもしれないくらいだ。

 ……良くも悪くも、自分は淡泊な方だと思っていたのだけれど、どうやら相当打たれ弱い性質たちらしい。

 結局その日は授業をオールシカトした。

 そして次の日は祝日、そのあとは土日、さらにそのあとは振替休日とか祝日とかが数日続く……つまり、俗にいうゴールデンウィークへ突入することになる。

 全くいいタイミングだ。

 さすがの私でもそこまでブランクを作らされてしまったら立ち直ることも容易かろう。

 どんなに大きな事があっても、喉元を過ぎたら加速度的に忘れてしまうものだ。

 その時こそ一生忘れられないだろうなんて感じても、いざ振り返ってみれば数多ある過去の記憶の一つ、以上の大きさを維持できる思い出はそうそうない。

 今回のことだって例外じゃない。

 ただでさえこの時期は、街全体がお祭りムードである。

 騒がしさに紛らわされてしまえばもう、そう長い時間を待たなくても今の感覚など綺麗に忘れてしまうことだろう。


 ──そう、思っていたのだけれど。


 神様というやつは、或いはもっと他にこの事態の責任を負っている誰かは、どうやらそう簡単に私を忘却の彼方へ追いやることを良しとしないらしい。

 追撃はまた、思わぬところから来た。

 いっそ我ながら驚くほどにどこをどう歩いたかさっぱり記憶がないが、そんな状態でも帰路を間違えなかったらしい私は、気が付いた時には現在部屋を借りているアパートの前に立っていた。

 呆けていても仕方がないので私はそそくさと自室のある二階への階段に足を向ける。


「おや、桜月さん」


 そこで穏やかにしわがれた声をかけられた。

 顔を向けるとアパート敷地内の庭で、実にステレオタイプなことに盆栽弄りをしている老人が目に入る。

 痩せて腰も少しばかり曲がっているが、その笑顔と声には不思議と人を落ち着かせてくれる力があった。アパート一階に住む、ここの大家さんである。

 確かひょろっとした外見とは裏腹な、たくましい名前をしたおじいさんだったはずだが、私は基本的に大家さんとしか呼ばない。

 昔ながらの人特有の気さくさで、いつものように挨拶をしてくれるつもりなのだろうと思い、私も軽く会釈をしてそのまま二階へあがろうとしたのだけれど、続く大家さんの言葉で私は足を止めることになった。


「どうしたんだい、忘れ物でもしたのかい?」


 そんな、よく判らないことを言ってきたのだ。

 意味が分からず私が困惑したまま今学校から帰ったところだと告げると、今度は彼が困惑顔をした。

 その反応に、嫌な予感がした。

 似たようなシチュエーションを、先週あたりに聞いたような気がしたからだ。

「ありゃぁ、おれも歳かねぇ……」

 苦笑いをする大家さん。

 私は苦いものを口いっぱいに含んだ気分だった。

 次の言葉が、想像できてしまったからだ。



「さっき桜月さんが出かけるのを見かけた気がするんだがなぁ……」



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