Sub 2( 鏡 ) ~1~
本来のペースであれば更新は明日なのですが、大晦日というと何かと物事が集中する日のような気がして、うっかり更新し損ねるのも怖いので一日繰り上げ更新です。
そしてまた分割。
***Function 2( 興味深い少女 ) as 榊識視***
一見してすぐに感じた印象は『暗そうな娘』だった。
長く、清潔ではあるが過度な手入れをしていないらしい黒髪は重たげで、スっと正された背中だけでなく顔の半分近くをも覆い隠していた。
向けられた瞳に宿る感情も希薄で、最初こそわたし達を見た驚きを宿していたもののそれもすぐに鳴りを潜め、あとはただ微かな好奇心とその他幾ばくかの清濁入り混じる何かがかろうじて読み取れる程度のものだった。
その時点でわたしは『彼女』への興味をほとんど失っていた。
感情を制御する力はなかなかだとは感じたものの、しかしそのくらいのことができる人間などごまんといるからだ。
だから、気づいたのは偶然だった、と思う。
『彼女』が一瞬、何もないはずの虚空へ視線を走らせた。
長い髪の下に隠された眼のわずかな動きだったから、普通ならばよっぽど注意深く観察でもしていなければ気づけなかった所作だろう。だが、わたしは気づいた。
その不自然な行動が、単なる居心地の悪さからくる目の泳ぎではないことを、わたしは直観で感じた。こういう感覚を、わたしは大事にしている。これをきっかけに大きな発見をした経験は枚挙に暇がない。
そうして改めて注意深く見てみれば、『彼女』は実に不思議な存在だった。
まず驚かされたのはその隠された素顔だ。
よくもまぁ前髪を伸ばした程度で隠せているものだと思う。
たぶん意図して隠そうとしているわけではないことが、結果的に真実を深い闇へ落とし込んでいるのだろう。だが一度気づいてしまえば、その造形を忘れることができる人など恐らくいない。
また『彼女』は自分に向けられる視線に酷く敏感なようだ。
このわたしですら気配に細心の注意を払っていないと数秒と意識を向けないうちに、『彼女』から目を合わされてしまう。
警戒心が強いというよりは、どうも常に周囲の情報を得ようとしているようだ。しかもそれを意識的にやっているのではなくまるで癖のように半自動的に行っている節が見受けられる。とにかく自然なのだ。
自分の能力についてしっかりと自覚があるからこれは自惚れでなく言えることだが、わたし以外の一般人から見れば『彼女』はただ単にぼんやりしているようにしか見えないに違いない。
不定期的に眼球だけ動かすレベルで周囲へさっと視線を走らせているし呼吸法も独特だ。まるで己が全ての挙動を、一片たりとも周囲への影響させまいと抑制しているようにみえるのである。その練度は、色々と嗜んできた身から言わせてもらえば間違いなく達人級だった。
それを呼吸もかくやという常態を保ったまま行っている。これが何らかの修行の成果ならばその積み重ねは五年十年では利くはずもない。
ならばこれは天賦の才ということだ。
物騒なたとえだが、裏社会にでも身を置けばさぞ名を馳せることだろう。
ここまでならまだ、何処のつわものだろうなどと思いはしても、深い興味を抱くには至らなかった。どの世界にも、何らかの突出した人間という物は少なからずいるものだからだ。
ゆえに興味の起点は最初に戻る。
ある意味完璧に自然体を装っているなかで、ただ一つ浮いた不自然な点。
時折虚空へと走らせる視線だけが、秩序だった所作の中で唯一無駄に見えるのだ。
それを「『彼女』もまた、決して完璧ではないのだ」と済ませるのは簡単だ。だがここでそう思わないのがわたしの今までの功績を作り上げてきた所以でもある。
──何事も疑ってかかれ
とは防犯的な意味でも、学問的な意味でも多くの人が異句同義によく言う言葉だが、わたしのポリシーはこれと真っ向から対立するものだ。
──全てを信じてかかれ
この考え方ゆえに、わたしはどこへ行っても変わり者扱いされる。
だが正そうと思ったことは一度もないし、この発想のおかげで多くのモノを得てきた。
今回もわたしは、わたしが積み重ねてきたものを崩すつもりはない。今まで色々な『過去の常識』を突き崩してきたわたしでも、この一点だけは物心つく頃から崩したことがなかった。
だからわたしはこう考える。
『彼女』は何もない虚空を視ているのではない、と。
何かあるのだ、あの虚空に、わたしには視えない何かが。
霊感というやつだろうか。そう思うと俄然、興味がわいてきた。
わたしは興味を持った物は納得いくまで追求しないと気が済まない性質だ。
多くの才能に恵まれているわたしでも、霊感やその他超常的な才能は今のところ一つたりとも自覚したことはない。ゆえにそれは未知の領域だ。ある程度客観的に研究することは可能でも、それで全てを知った気になれるほど、わたしは謙虚ではない。やはり体感できるかどうかでは得られるものは段違いである。
未知とは得難い娯楽である。
何せもう、わたしにとって未知の領域とは、計算や論理では説明できない処くらいしか残っていないのだ。
才能とは努力で身に付くものとそうでない物があり、残念なことに超常の力とは後者であるらしい。
だからせめて『本物』を調べることで、慰みとするしかない。
募って集まる自称者達からは、ついぞその手がかりは見つからなかった。
霊能者を名乗る人には何人か会ったことがあるし、そこまでいかなくても「自分は視えるんだ」と主張する人や、そういう素振りをする人に会ったこともある。そう言う人たちで、本当に視えている人物は少なくとも会った中には一人も居なかった。
『彼女』はどうだろうか?
少なくとも自称はしていない。
挙動にもわざとらしさは見受けられない。
ならば後は確かめてみるしかない。未知への手掛かりが、そこにあるかもしれないのだ、逃す手はない。
まさか、こんな予期せぬタイミングで諦めかけていたモノに出会えるかもしれないのだ、これは望外の幸運と言える。
そういえば、幸運の女神フォルトゥナは「チャンスの神様には前髪しかない」という言葉の引き合いに出される神だったか。ならばああして長い前髪で顔を隠す『彼女』は真に、私にとっての幸運の運び手なのかもしれない。
……いや、もっとふさわしい喩えがあったか。
『チャンスの神様』という言葉が本来指していたのはフォルトゥナでも同一視されるディケでもなく、好機の神カイロスだという。
かの神は長い前髪を持つ美貌の神なのだそうだ。
カイロスは男神だが、今のわたしにとって『彼女』を喩えるのに長い前髪ほど的を射たモノは他にないだろう。
すれ違う前にその美貌は捕まえなければなるまい。
***End Function***
午後の授業も板書を含め特筆すべきこともなく、適当に過ごしていたらいつの間にか放課後になっていた。
……というとまるで寝て過ごしたかのように誤解されそうだから弁明するが、ちゃんと授業は正常な覚醒状態で聞いていた。
建前として、本来なら言うべくもなく当たり前の事だが、もちろん一睡だってしていない。
私は真面目な学生ではないけれど、少なくとも教師の目に余るレベルの不良ではないのだ。
授業のノートをあまり必死に取らないのも単に面倒というだけの理由ではなく──そういう気持ちがあるというのも否定はしないが──、ただ一心不乱に板書を書き写すことばかりしているとうっかり教師がこぼす大事なことを聞き漏らしたりして結果的にあまり身にならないことがある、という事をただ体感として知っているだけだ。
まぁ、私の学業感は別にいい。今は放課後、考えるべきはこれからの行動予定である。
学生という身分にとって放課後とは、見方によっては本当の意味で一日の始まりと呼べる節目かもしれない。
義務的な拘束時間が解除され、各自思い思いの行動予定を遂行し始めることができるタイミングがこの時なのだから。
部や委員会の活動に勤しむ者もいれば、さっさと学外へ飛び出して一分一秒でも多く遊び倒そうという者もいる。アルバイトに精を出す人だって少なくないだろう。その他、いち学生という社会的にはまだまだ制限の多い身であってもできることは、細かにあげればきりがない。
無論、私だってそうした自由を許される内の一人だ。
部活動……には所属していない。まだ仮入部期間だが特にやりたいこともないし、必ず入らなければいけないというわけでもないため、今のところ何処にも入る気はない。
委員会……にも所属していない。こちらは部活動と違って一応何かしらに属さなければならないから、ぼちぼち考えておかなければならない。しかしこれも最終意思決定は六月なため今すぐどうこうする必要はない。
教育の一環としてある掃除当番も今週は私に割り当てがない。
よって、当然まっすぐ帰宅以外の予定はない。せいぜい帰りがけに夕飯の買い物くらいか。
同じ帰宅部だろうとも、遊興に貪欲な若者であればそうそうまっすぐに帰ったりせず、ゲームセンターだとか買い食いだとかを友人たちと楽しむという選択肢もあるだろう。むしろ帰宅部所属の学生の大半はそれが目的だと言っても、たぶん過言にはならない。
だが現在の私は放課後連れ立って遊び歩くほど仲のいい知人がおらず、仕送り頼りの独り暮らし学生なため財布も軽い。
当然の帰結として笑顔と雑費に溢れたアフタースクールとは縁遠いのだった。
「もっと年頃の女子高生らしいことなさいよ」
と、麗美……じゃなくて憐憫の眼差しで、三日に一回くらいイオが言ってくるのがウザったいことこの上ない。
通い始めてまだ二か月と経っていないが、さすがにすっかり歩きなれた廊下や階段は半分以上無意識のままでも全く違えず生徒玄関の私に宛がわれた下駄箱前までたどり着ける。
蓋を開ける。
下履きのローファーを取り出し上履きを放り込む。
蓋を閉める。
足元へ放り出していた靴に足を突っ込む。
ガラス張りで解放感のある生徒玄関から外へ出る。
そこまでは、半自動で対処できるルーチンだった。
「あら、奇遇ね?」
榊識視はそんな風に声をかけてきた。
ここまで自然な調子に聞こえる『白々しい』セリフは、そう誰でもできる芸当ではあるまい。
驚くことに彼女は、特に柱の陰に隠れていたわけでもなく、玄関の内と外、そのどちらからもよく見える位置に立っていた。
なんで目の前に来るまで気づけなかったのか、心底不思議であると同時に、この人はもう何でもアリなのかもしれないという意見も思考の片隅で小さくない勢力を持っている。己の気配を制御するくらい平然とやってのけそうだ。
声をかけられてまさか無視するわけにもいかない。
私は足を止め、少し俯け気味だった首を解きほぐす。
識視さんの、人を魅了するとともに畏怖を与える笑みが真っ先に目に入る。昼休みの時はそこまで注目していたわけでもなかったからあまり気にならなかったが、彼女もまた霊界堂神無とは種類の違う美人だった。神無さんが純日本風の物静かなイメージとすれば、識視さんは万国受けしそうな明るく活動的なイメージか。
本当に、何でも持っている人である。
「帰りかしら?」
ここにこうしている以上聞くまでもないはずの言葉だ。まぁ、挨拶として当たり障りのない言葉をえらんだのだろう。
じゃぁまた、と会釈でもして立ち去ればよかったのかもしれないが、どうにも会話を続けようとしているらしい気配を感じて私はその場に、影でも踏まれたように縫い付けられた。
圧力、とはまた違う不思議な強制力である。
二枚目の舌でもあれば彼女の言外の誘いにもうまい事断りを入れることができかもしれないが、とっさの嘘が苦手な私はここで否定しても墓穴を掘るだけだ。
素直に首肯する。
私の身長は同年代の平均から見ると少し高めな方なのだが、識視さんは一つ年上という点を考慮しても──と言っても女子は高一と高二で劇的に身長が伸びるなど滅多にないけれど──さらに高い方だった。そして彼女の顔に視線を据えたまま首を俯けたことにより、図らずも私は上目使いする形になってしまう。
そんな私を見て識視さんは嫌みのない苦笑を相貌に滲ませる。
私自身は特に何かを訴えかける意図はなかったつもりだが、どうやら彼女は何かを感じ取ったらしい。……或いはこれも会話のネタになると感じて、意図の裏表がないことを感じつつもあえて拾ったのか。
「そんなに警戒しなくても。取って食べたりしないよ?」
気圧されたのは確かだが別にそこまでアグレッシブなことは考えもしていない。私はそんなに怯えているような顔をしていたのだろうか、と心中首を傾げつつ、表向きは相手に次を促す意図を持って、俯くように肯んじていた首を今度は横へ傾けた。
「今日は帰途を急ぐ用事があったりする?」
夕食の材料を買う用事はあるが、スーパーのタイムセールを気にするほど私の生活力には強かさはない。急ぐ用事、には当てはまらないので答えはノー。
「帰り道、他の誰かと待ち合わせは?」
……ここでノーということに幾ばくかの悲しさを感じる程度には、私は孤高を貫けない人間だったことに自分自身で気が付いてちょっと驚いた。
「これからちょっと、お暇かしら?」
イエス、以外の解答はほとんど塞がれていた。
そしてここまで来れば、次に何を言われるかは聞くまでもなく予想がつく。実際彼女が発した言葉はほぼ想像した通りだった。
「じゃぁ、折角だから帰り一緒しない? 巳祷ちゃんたちももちろん来るから」
急ぐ用事はなく、他の約束もなく、今日はこの後暇である。
ここまで明かしてしまってなお、誘いを断ることができる人間は神経が通ってないかカーボンナノチューブ並みに強靭かのどちらかだ。
私は自分の、中途半端に嘘が付けない性質を呪いつつ、識視さんからの帰途の同道を承諾したのだった。
多少礼を失しても、識視さんからの誘いを断ってこの場を立ち去らなかったことを、一分もしないうちに私は後悔し始めた。
とっくに説明した通り、榊識視とはメディアへの露出が珍しくない有名人である。そして放課後間もない生徒玄関は下手をすれば朝の登校時間よりも往来が激しいポイントである。
──目立たないわけがない。
まだ識視さんが注目を集めるだけならその陰に身を潜めることもできたのだが、なぜだか行きかう生徒たちの視線はその多くが私に向けられるのである。
見慣れぬ取り巻きを連れている……とでも思われたのだろうか。
あたふたすると余計みっともないので、私は必死に自制し、校庭で練習に励む運動部の姿を観察するふりを貫いた。時折吹く強めの春風に前髪をばさばさと乱されるのがうっとうしく、あとから思い出しても一体何部の練習風景だったのか思い出せないくらい、名ばかり……というか体ばかりの観察行動だったが。
識視さんはといえば、私の承諾を受けて以降特に声をかけてくることはなかったものの、何故か執拗なまでにじろじろとこちらを見ている、というか値踏みしているかのような視線を隠そうともしていなかった。ある意味通行人にチラ見されていることよりよほど居心地の悪くなる原因だったかもしれない。
数分ほどそんな状態が続いたものの、幸いそれほど待つこともなく聖園姉妹が現れたので気まずい二人きりの時間は長くならずに済んだ。
が、巳祷さんの全く隠れない素直な、心底意外そうな顔は、別のベクトルで私の居心地を揺さぶった。……あまりうれしそうな顔を、しないでほしい。
程なくして現れた行方×霊界堂カップルも私の姿に意表を突かれたようだったが、同行に対する否やは出さなかった。少なくとも、言葉の上では。
行方一の方は平常運転らしい八方美人スマイルが崩れないので判らないが、霊界堂神無のほうは何かを警戒するような態度を滲ませていた。もっとも、矛先は何故か行方一に突き刺さっていたようだが。……また何か、不本意な勘違いをされている気がする。
「じゃぁ、行きましょうか」
パンと一度手を叩いて識視さんが促すと行方×霊界堂組が歩きだし、そのあとに聖園姉妹が続く。
私は一番後ろから付いて行こうと思い識視さんが歩きだすのを待った。が、数秒待っても動き出そうとせず、何事かと目を向けてもただ微笑み返してくるだけだったので仕方なく殿の役を彼女に譲ったのだった。
有名な狙撃手ではないけれど、何となく後ろに付かれていることに落ち着かない気分になり、思わず少し歩いた所で振り返る。ついでに確認したイオが、何かほほえましい物でも見たかのような聖母のごとき表情をしているのに気付いて思わずこめかみ付近に無駄な力が入った。
そんな状態で振り返った私の表情をどう受け取ったのか、識視さんは変わらぬニコニコ顔に加えて茶目っ気を効かせた小さいウィンクをくれた。
そこにどんな意図があったのかはよく判らなかったが、前に向き直る直前、彼女が私の少し右側へ不自然に目配せしたような気がしたことに薄ら寒さを感じたことを告白しておこう。
識視さんが(或いは『も』?)イオが視えているのかもしれない、という可能性よりもむしろ──イオと榊識視が目配せし合ったように見えたことの方がよほど、私は空恐ろしかった。
特に事件も何も起きず状態で、何かもうつまらなくて申し訳なくなってきた。
トンデモな人が現れたり、トンデモ展開になるのは予定ではSub3(ヴァルデガー)からなんです……。
次回『Sub 2( 鏡 ) ~2~』