表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
百年桜町奇譚  作者: 桜月黎
Class1『ドッペルゲンガー』
16/22

Sub 6( ジャスパー ) ~1~


 人間、習慣化し、慣れ親しんでしまった物事に関しては得てして鈍感になるものだ。

 実家暮らしで毎日黙っていても親が食事を用意してくれているとそのありがたみが判らなくなってしまうとか、

 お風呂で最初に何処から洗うか訊かれてパッと応えられるくせに「本当に? 昨日もそうした?」と念を押されると記憶が曖昧で首を傾げてしまうとか、

 ちょっとした買い物程度の外出時に出先でふと戸締りをしたかどうか不安に成ることとか。

 まぁ、似たようなことは人によっても色々あることだろう。

 そんな話の類型でも特に誰もが大なり小なり体験したことがあるだろうモノの一つに『歩きなれた道』がある。

 現代日本において学校教育にお世話になっていない人間などほぼ居ないはずだから、登下校のために日で二回は使うことになる通学路は誰しも身体に叩き込まれているはずだ。

 そういう、頭で考えるまでもなく身体に染み付いているような道を行く工程というものは、本当に何も意識していなくても違える事無く完遂できてしまうものである。

 地図が読めず、行く先々で必ず道に迷うと評判の真性方向音痴であっても、一度覚えた通学路だけは半分寝た状態であろうが放心していようが過たず行き来が出来たりする。……ソースは私。

 しかしてそこまで思考の介在する余地がない慣習ともなると、その鈍感力は時々ちょっとした不可思議現象を発生させてしまう。

 例えばこんな体験はないだろうか。

 勉強や部活動でヘトヘトになりようやく家に辿りつき、食事や入浴を済ませて落ち着いたところでふと思い返すと、帰り道に通学路を通った記憶がポッカリと抜け落ちている。

 昇降口を出たところまでは覚えているのにそこから自宅の玄関をくぐるまでの過程がどうがんばっても思い出せない。

 下手をすると電車通学にも関らず電車に乗った記憶すらない、或いは改札を通った記憶があっても出た記憶がない、とか。

 そこまで極端じゃないにしても、思い返すと行き帰りに歩いたはずの道行く光景の記憶がビックリするほど曖昧だということは誰でもあるはずだ。

 ちょっと味付けするだけで『宇宙人にアブダクションされた』とか『ワームホールに迷い込んでいた』なんていうSF風都市伝説に発展したり、『スワンプマン』みたいな思考実験が産まれるくらいだから、これがどれだけ一般的な現象か判ろうというものである。


 ……と、のべつ幕無しに言い訳染みたことを並べ立てている私であるが、別に常日頃からこんなことを考えて歩いているわけでは断じてない。

 そもそも。

 そんなことを常から意識しているのなら、こんなことにはならなかった。



 部活動に所属しない私は、まだ西日というには位置の高い太陽を望みながら百年桜学園を出たはずである。

 学園から部屋までは一時間もかからない距離だから、十分明るいうちに帰れる算段だった。

 ……のだけれど。


「レイ……アナタは注意力が散漫なのか在り過ぎるのか、どっちなのかしらね? まさかこんなになるまで気づかないとは思わなかったわよ」


 気付いてたのなら早めに教えてよ。

 今更言っても仕方がないのにそんな毒の一つも吐きたくなる。

 周囲へ視線を走らすとそこは見慣れぬ街並みだった。

 但し、振り返ってみると遠くに百年桜が見えている。

 かの巨樹は市外からでも見えるほどの樹高を持ってはいるが、今見えている威容から距離を察するにここはまだ市内だろう。とりあえず完全に未知の空間に居るわけではないらしいことには安堵しておく。

 が、今現在憂慮すべきは場所だけではない。というか次の問題に比べたら現在位置など瑣末な話だ。

 見上げれば濃紺の背景にちりばめられた大小の光点。見ようによっては女性の横顔にも蟹の鋏にも、或いは餅をつく兎にも見える印影を湛えた銀光を灯す円。

 少し視線を下げると暗い道を薄青い光で照らす街灯。

 正面を向けば、まるで誰もが寝静まっているかのように静かな町並み。


 ──どう見ても夜中である。


 一応申し添えておくと、私は今日──つまりゴールデンウィーク明け初日、昼休みに噺心縁さんにであった日である──の朝自分の部屋を出て以来一度も帰宅していない。

 買い物等の用事もなかったから何処かへ寄り道することもせず、真っ直ぐ帰路を辿った。

 辿っていたはずだ。

 が、気がついてみれば、見知らぬ道のど真ん中に突っ立っていた。

 辺りはとっくに日が暮れている。しかも空の様子を鑑みるに日没直後というわけでもない。昨日見た月の位置から推測するにもう殆ど深夜帯だ。少なく見積もっても学園を出てから既に六時間以上経っている事になる。

 途中で公共の交通機関を利用した記憶も……どうやらないようだ。つまり、私はそれだけの時間ひたすら歩き続けていたことになるわけだが……そんな感覚が全く無い。

 学園の門を出て、歩いて十分もかからないところにある最寄駅へ向かう途中、ふと我に返ったらこんな状況に陥っていたのだ。あきらかに異常事態である。

 しかし、私はこの状況にあって至極平静な意識を保っていた。ともすればパニックなりヒステリーなり起こしても撥は当たらない状況なのだが、どうやらそういった過程を一歩通り越してしまったようだ。

 あまりにも唐突な所為で事態をうまく理解仕切れていないだけかもしれないが。

 とりあえず思ったことといえば、帰り道はどっちだろうか、だった。


「今そんなことを気にすることが出来るのは逆に正気の沙汰じゃないわよ…… もっと他に考えるべきことがあるでしょうに」


 言われなくてもそんなことは判っている。

 一体何が起きているのか、或いは起こったのか。どうしてこうなったのか。

 そういうことを考えた方がいいのかもしれない。人情的な意味では。

 だが少し考えてみて欲しい。

 例えば道に迷って見知らぬ場所に出てしまったとする。そのとき、自分が何故そこに居るのかを考えるよりも、知った場所に出ることを考えた方がずっと建設的ではないだろうか。

 第一ここがあきらかにファンタジーな世界とか、いかにも異次元的な場所だったならばともかく、一見する分にはただの住宅街なのだ。現実味がありすぎて驚くべき要素が無い。

 とりあえずは帰り道を探して、その過程で更なる異常でも起きたならばそこで今しがたスキップしてしまった分まで思う存分驚くなりパニクるなりさせてもらうとしよう。


「アナタの肝は一体どんな超合金で出来ているのよ……」


 嫌味なのか褒めているのか良く判らないイオを普段どおりスルーして、私はもう一度辺りを見回す。何か現在位置を把握できる目印などがあれば御の字なんだけれど。

 しかし期待は容赦なく裏切られる。

 辺りに見えるのは民家や電柱ばかりで目立つものが何も無い。電柱には住所表示が張り付いているのだけれど、住所を読み上げて自分の居場所がわかるほど私はこの辺の地理に明るくない。一応、自分の借家の近くでなさそうなことは判ったが。

 手近に目印が無いとすると、やはり遠くに見える百年桜を目指してみるしか無さそうだ。百年桜環通りにでも出られれば流石の私でも慣れた道へ帰り着くことが出来る。


「あ」


 そう思って改めて百年桜の見えるほうへ身体を向けようとした瞬間、イオがなにやら似合わぬ単音の呆けた声を漏らした。

 何事かと彼女の視線を追うと──それは偶然か必然か、丁度向かおうとしていた方向だった──、そこに人が居た。

 さっきまで辺りには誰も居なかったはずのそこに、沸いて出たように忽然と、人影が現れていた。ソレは少し距離を置いたところに何故か無言で佇んでいる。

 その姿に、強い違和感を覚えた。

 いやもちろん、何も無い夜道で何もせず突っ立っている人間が居れば不審なのは当たり前だけれど、それとはまた別の違和感だ。

 何がどうおかしいのかと訊かれると言葉に窮する。あきらかに何かがおかしいのに、そのおかしい部分が何故かどうしても見つからない。まるで左右反転しない鏡でも見ているような、或いは巧妙精緻なトリックアートでも見せられているような、そんな不思議な感覚である。

 ……ん?

 私は今何を考えた?


 するり──


 と、私の考えがまとまる前にソレが一歩、こちらへ踏み出す。

 その動きは見た目だけならなんら不自然なところが無いのに、人が歩くモーションにおいて自然に発生する上下振動が完璧に抑制されていて、立体映像が平行移動でもしたかのような無機質さがこれでもかと詰まっていた。

 歩み出たことで僅かに届いていなかった外灯の光がソレの顔を照らす。

 違和感はあっさりと最大級の危険信号に変わる。

 現れたその顔は、表情が奇妙な笑みに歪んでいることを除けば──私と全く同じモノだったからだ。


 ──ドッペルゲンガー


 なんだかんだ色々あったものの、最初に見てから今の今まで私の前にその姿を現すことが無かったソイツが、ついに満を持して登場というわけだ。もちろん、私は出来ることなら会いたくなかった存在だが。


「………………。」


 相変わらずソイツは何をしゃべるでもなくただ無言で、歩くような動きを再現しながらゆっくりと近づいてくる。

 ハッキリ言って非常に気持ちが悪い。

 どう見ても自分にしか見えないのにどう考えても自分ではないモノが薄ら笑いで近づいてくるのである。なるほどこれはトラウマモノだ。体験者がうっかり『死の予兆』だと安易に思ってしまうのもうなずける。


「レイ、逃げるわよ」


 ──え?

 そのイオの言葉は予想外のものだった。

 そりゃぁ、私としてもあんな気味の悪いものからはさっさと逃げ出したいわけだけれど、てっきり「さぁ立ち向かいなさい!」とか無茶振りされるんじゃないかと密かに思っていたくらいなのだ。何せ彼女は世界の『バグ』を探していて、今回はそれがドッペルゲンガーの形を取っているという話だったからだ。

 どうやって処理するのかは知らないが、きっと接触を強要させられるのではないかと、手伝いを要請──というか強制──されたときからずっと危惧していたのである。

 何か準備でも必要なんだろうか。


「いいから早く!」


 いつになくイオは鋭い声を出した。

 その剣幕に押され、私は近づいてくるソイツが居るのとは逆方向へ走り出す。そうすると当面の目的地から遠ざかってしまうのだが、まさか正面衝突するわけにもいかない。

 しかしイオは急にどうしたのか。

 ドッペルゲンガーは確かに異常に不気味ではあったが、高速で移動して肉薄するでもなく、そもそも手には何も持っていない徒手空拳。そして以前教えてくれた話では、しゃべらないただ現れるだけのドッペルゲンガーは無害だと言っていた気がするんだけれど……なぜそんな必死に遁走を促したのだろう。

 もし危険な方の、つまり死神としての『都市伝説版ドッペルゲンガー』だったとしても、走って逃げればどうこうなるようなものじゃないはずだ。何せ見てしまった時点で死亡フラグが立つのだから。だからこそ、識視さんからの対策術を聞こうとしたり、イオに言われる通り街を練り歩いたりしたんじゃないか。今更に脱兎を演じることの意味をぜひ問いたい。


「ごめんなさい、レイ。一つ謝らなければいけないわ」


 走る私に追従してくるイオが苦そうな表情でそんなことを言い出す。

 謝る? この状況で一体何を、私は謝罪されるのだろうか。


「アレは、ドッペルゲンガーじゃないわ」


 ──……なんだって?

 じゃぁ、アレは一体なんだ?

 類型に数えられるほかのやつだろうか。バイロケーションだとかヴァルデガーだとか、他にも色々聞かされた気がするが、さすがに話で聞いただけの知識では判別しにくい。


「ジャスパーよ」


 ジャスパー?

 そんな名前の存在について聞いただろうか。

 一応まじめな聴衆として色々聞いたから大事な話を聞き漏らしたりはしていないと思うのだけれど。だがしかし、私はただの人間で、つまりイオのような完全記憶能力──正確には忘れる機能が無いだけだったか──があるわけじゃないから、さっと説明されただけの名前なら記憶しそびれている可能性は大いにありえる。


「そうじゃないわ。ジャスパーについては説明してない。……する必要が、無いはずだったのよ」


 必要がない?

 さっきから話が見えてこない。せっかく今回の騒ぎについては見えてきたと思っていたのに。

 と言うかタダでさえ無理やり付き合わされている身なのだから、せめて情報開示くらいはしっかりしていただきたい。バグだかイクセプションだか未だによく判らないけど、それを処理していくというのならこんな調子では長続きしないよ。


「アレもバグではあるんだけどね、私が探している『ヌル』じゃないの。レイに与えた性質はあくまで『ヌル』集めのために調整したものだから、鉢合わせる可能性なんてほとんどないと計算してたのよ! ……まったく、これだから不確定要素の多い世界はっ」


 そんなこと私に愚痴られても知らない。

 というか愚痴りたいのは私の方である。完全に巻き込まれている側なのだから。

 もっと手近なことで言うと、なんで逃げなきゃならないのかということだ。走りながらじゃろくに頭も回らないし、そもそももやしな私にフィジカル面のタスクを振るのが間違っているんじゃないの?

 本当に走らなきゃいけない状況なんでしょうね。


「消えたくなければね」


 なにそれ!?

 すごい不穏当な言葉が聞こえたきがするんですけど。

 しかもここであえて「死にたくなければ」と表現しなかったことも引っ掛かる。下手をすると死ぬより恐ろしい事が起きるっていう意味なのではないかと勘繰ってしまうではないか。


「アレはそうね……言うなれば『二重宣言リデクラレーション』とでも言える性質を持った存在なの」


 もうとりあえず呼称とかどうでもいい。

 アレがいったい何なのか、できるだけ端的に教えていただきたい。まだ何分も走っていないのにすでに息が上がりそうになっている私の、酸欠気味の脳でも理解できるくらいに!


「……触れられたら、消えるわ」


 なんだって?

 何が何に触れられると、いったい何が消えるって?


「アナタがあのジャスパーに触れられたら、アナタが消えて。以降『桜月黎』という名前はアレを指す名称になる」


 冗談にしてもきつ過ぎる。普通に死ぬより恐ろしい。

 何が怖いかって、ジャスパーとかいうのに捕まって私が──あえてこう表現するが──死んだとしても、その事実に誰も気づくことがないということだ。

 さっき『スワンプマン』の事を考えたが、思いがけずドンピシャである。

 あれに捕まったが最後、『桜月黎』と言う人間は哲学的ゾンビと化して、まるで変わらぬ本人のように生涯を終えることになるのだ。

 まったく……俄然やる気が出てきたじゃないか。もちろん逃走することについて。

 一体どこまで走ればいい?

 どこまで行けば安全だろうか?

 というかだいぶ走ったがどれくらい引き離せただろうか。

 そう思って私は、なるべくペースを落とさないようにして首と目だけで背後をうかがった。──よせばいいものを。


「………………。」


 ちっとも引き離せてなんかいなかった。

 むしろ差が縮まっている。

 私の顔をしたジャスパーは悠々と歩いているようにしか見えないのに、なぜか差は縮まる一方だった。

 ヤバイ、これはだめかもしれない。

 どうにもあれは脚力で追いかけてきているのではないようだ。だとするとやっぱり、走る事には何の意味もない可能性が高い。

 がしかし、もはやこの状況で立ち止まれるほどの度胸は私にはなかった。

 立ち止まったその瞬間に追いつかれてしまうのではないかと言う恐怖で、もはや体力がどうのこうのというより、生存本能からくる反射行動で足が動いているようなレベルになる。

 おかげで、意識して走るよりも足運びが雑になり、舗装された道の、わずかな凹凸に足を取られ


 ──あっさり蹴つまづいた。


 ここでそのまま、勢いに任せて地面にダイブしてしまえばまだ幾分距離を稼げたかもしれないが、あろうことか私は反射的にバランスを取り、転ばないように踏みとどまった。止まってしまった。


「くっ……レイッ!!」


 イオがそう呼びかけて来たが、ダメだ。

 元々無い体力を使って今まで走っていたのだ。こうして一度止まってしまったらもう、しばらく休んで息を整えない限りまともに走れない。

 走るどころかもはや立っているのも辛く、私はその場にへたり込んだ。

 最後の体力を使って背後に目をやる。

 相変わらず私の顔のまま不気味に微笑んでいたジャスパーは、もう手を伸ばせば届くところに立っていた。

 ああもう、まったく、なんてことだろう。

 今度は恐怖までは感じることができたが、またしても一部過程をすっ飛ばして、悟りみたいな諦観に達してしまっている自分を自覚してしまった。

 せめて自分の最後のタイミングくらい見届けてやるか、なんて思って伸びてくる手を見つめる。

 あと少しで私の背に触れようかと言うところまで来たその手はしかし、──唐突に、あらぬ方向へ飛んで行った。

 ………………?

 何が起きたのかと見上げてみると、どうやら私に伸ばされていたジャスパーの腕が肘の当たりからパージされ、後方へ放物線を描いて飛んでいるらしかった。

 何故か血の一滴も出ない腕の断面からさらに上、ジャスパーの顔に目を向ける。

 こんな訳の判らない事態に陥ってもそこに在るのは張り付いたような不気味な笑みであったが、その顔も次の瞬間、


 ──真っ二つにカチ割れた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ