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百年桜町奇譚  作者: 桜月黎
Class1『ドッペルゲンガー』
15/22

Sub 5( バイロケーション ) ~3~


   ***



 ということで、放っておくと終わらなそうだったので切り上げていただいた。

 昼休みだってもちろん無限じゃないし。

 ぶっちゃけ聞き疲れた。

 メモを取っているわけでもないから一片に沢山聞いても、そもそも記憶しきれない。

 なんて自分勝手な事ばかりに聞こえるかもしれないけれど、一応心縁さんへの配慮もある。

 私達は、失礼して食事を取りながら聞きに徹していたのだけれど、しゃべる当人はそれこそ本当に語るに徹していたおかげで昼食はおろか水分の一滴すら摂っていなかったのだ。

 いっそ息継ぎしているのかすら怪しいほどに、そのカサつき一つない唇を絶え間なく──という表現が比喩というには些か再現度が高すぎるレベルで──言葉を紡ぐことにのみ費やしているのだから、それはもう物の入る余地など……というか余暇など、ありはしない。

 話を請うた身で言うのも筋違いかもしれないが、人間が生きるために必要な営みまでをも犠牲にする献身的な協力はありがたい反面、逆に申し訳なく感じてしまう。せめてその滑らか過ぎる舌をクールダウンさせる意味でも、お茶の一口くらい飲んでいただきたい。


「自分はこうして、人が集まり人の話が聞こえる場所に居るだけで満たされ、潤います」


 とか、何かどこぞの聖人にでも成れそうなことを言って遠慮しようとしているけれど、意味が判らなかったのでとりあえず注いできたセルフサービスのお茶を黙って差し出しておいた。幸い意図は察してくれたようで「いただきます」と律儀に断ってから一口啜ってくれる。

 重ねて言っておくが、セルフ(タダ)だよ?


「さて、では他に何か聞きたい話はありますか?」


 貴女が何者だよ。

 と正直な話よっぽど訊きたい気分だったが今は自重しておく。

 未知の藪をつついて新たな蛇を引き当ててしまっては目も当てられない。

 触らぬ神に祟りなし、

 好奇心は猫をも殺す、

 キジも鳴かずば撃たれまい。

 ほらほら、先人もこういうときにふさわしい格言をいっぱい残してくれている。スルーできるときはスルーすべきなのだ。

 ただでさえ、ここ最近得体の知れない人物との遭遇率がいやに高いのだから。

 なのでここは当たり障りのない質問でお茶を濁すに限る。

 何もないと言ってしまっての良かったのだけれど、なんとなくそうバッサリ切るのも感じが悪いし、丁度本件と関係にないところで一点気になっていたことがあったのだ。

 始めに顔を合わせたとき、彼女はこんなことを言っていたのだ。

 『お噂はかねがね』と。

 風評に怯えて必要以上に萎縮するほど私は繊細には出来ていないが、かといって全く無関心で居られるほど図太くもない。自分が見えないところでどんな風に言われているのか、少し興味があった。どちらかといえば地味にあろうとしている身なれば、なおさらである。

 大よそ予想しうるパターンとしては『根暗なやつが居る』とか『時々誰も居ない方へ目を向けたり話しかけたりしている電波さん』とかだろうか。後者は気をつけてはいるんだけれど何処かでボロが出ていないとは言い切れない。

 まぁ、どう転んでも良い評判ではなさそうである。

 が、かといって本人に言うのも憚るような酷いネタでもなさそうだ。訊いても問題あるまい。

 何せ初対面で「噂で知っている」なんて意思表示をしてきたくらいなのだから。心縁さんが殊更醜悪な性格の持ち主で、息を吸って嫌味を吐ける人物だというのならまた話は変わってくるが、先ほどから見ているとおりの(噂話を披露しているときを除く)生真面目さを鑑みれば杞憂だろう。


「あぁ、そのことですか」


 案の定、彼女は特に焦るでも気まずそうにするでもなくいたって平静な反応を返してくれた。

 苦笑しつつ「やっぱり自覚はないのですね」なんて意味の測りかねる言葉を枕に据えてからおもむろに、


「桜月さんは漫画やアニメなど嗜みますか?」


 なんて逆に訊いてきた。

 何故ここでそんなことを訊かれるのだろう?

 んん……あれか、もしや何か有名な作品の登場人物に似たところがあるとかそんなんだろうか。

 だとするなら自覚的な心当たりは存在しない。

 心縁さんの挙げたようなサブカルチャーを、根っからはねつけるような堅物ではないつもりだがしかし、好んで摂取するようなことも私はしたことがない。

 人並みに、或いは年並みに娯楽作品を享受することへは一定の価値を見出しはするから全く興味がないわけではないのだが、いかんせん時間対効果タイムパフォーマンスを考えるとどうしても手が伸び難くなってしまうのである。

 例えば、漫画と小説では同じ一ページでもそこにある情報の質が違う。

 ここで言う質と言うのは良さではなく単純に性質の事だ。どちらかの方が価値があると優劣をつけるつもりはない。だから仮に量的には同等だと見なしておこう。

 とすると、だ。一ページを消化するのにかかる時間はどちらが短いか。

 私の持論であるが、この答えは小説である。

 絵に込められた情報をつぶさに読み解くというのは、特別な才能でもなければ文字を読むよりもよほど難しいのだ。

 逆に言った方が判りやすいだろうか。つまるところ、絵を描くことは文章を書くことよりも多くの技術を要するのである。

 かといって文章が簡単だとも言わないが、少なくとも情報として頭に入れる過程で必要な工程がいくつか省略できるという点では端的である。よく言えば効率が良い。

 ……と、いけない。閑話休題。

 ともかくそういうわけで。

 心縁さんからの質問に、私は曖昧に首を振るしかなかった。


「まぁ、格別詳しくなくてもいいんですが。ではティーン向けの娯楽作品において『地味な眼鏡少女』というマクガフィンがあった時、その後にどのような展開が考えられると思います?」


 ……マクガフィンという言葉が何を意味するのか、正直よく判らなかったが文脈から判断するに一定のセオリー内でキッカケとして用いられる仕掛け、みたいな物の事だろう。多分。知ったかぶり? いいのよ、それで話がスムーズに進むなら。

 で、要するにそういう特徴の少女が漫画に登場して、何かしら話が展開するとしたら?

 話のジャンルにもよりけりだろうけれど、捻らずベタなところで考えたら『眼鏡を取ったら実は美少女で──』というトリガーで物語が始まる、とかだろうか。コメディにしろ恋愛ものにしろ、これならとりあえず潰しがきく。


「ご明察です」


 正解だったらしい。

 はて、それで私はなんでクイズなんかに答えていたのだったか。

 いやそうじゃない。

 私は確か自分がどんな噂を立てられているかを聞いたはずだ。なのになぜこんな話になっているのだろう。

 ……もしかしてはぐらかされてる? あれ? やっぱり聞かない方が良い類の噂なの?


「いえ、そうではなくて。すみません、変に話を広げてしまうのは私の悪い機能です。要するにですね、貴女はこの『地味な眼鏡少女』の──」


 ──ごぉーん、ごぉーん


 という、やたらと重たい音が私たちの会話に割り込んできた。

 ただし、すわ何事か、と慌てる人間はいない。

 ここに居る者達ならそれは聞きなれたものだからだ。

 聴こえてきたそれは、午後の授業開始十分前を知らせる予鈴である。


「もうこんな時間でしたか」


 予鈴とは誰でも知るとおり、本鈴に遅れないよう促すためのものである。

 百年桜学園のように比較的広い敷地を持つ施設では、場合によっては移動に数分の時間を要する。だから、まだ予鈴だなんて余裕を持っているとうっかり遅れるなんてことも起きかねないから、これを聞いたらすみやかに動き出すのが基本的には正しい行動だ。

 が、この学食と高等部は歩きでも片道二、三分。急げば一分で往復できる。

 つまり十分前を告げるこの鐘の音に関して言えば、私達にはまだ慌てるような意味を持ちえない。

 なので気にせず、とりあえず話の続きを聞こう──としたのだけれど。


「あっ、次の授業の準備手伝ってくれって先生に頼まれてたんだった! ごめん、あたしちょっと先に戻ってるね!」


 そういって唐突にあわてて巳祷さんが席を立った。

 普段物静かな挙動をする彼女にしては珍しく椅子をガタガタ言わせ、こちらが何か声をかけるいとまもなく小走りに去って行ってしまう。

 相変わらずその素直さを買われて──良いように使われて、とも言う──教師のパシリを仰せつかっていたようだ。

 今のように、度に折にと慌てふためいているようだが、そのくせ嫌な顔一つせず引き受け、そしてなんだかんだ言って結構そつなくこなしているあたりは関心するほか無い。

 でもあんな調子だとそのうち身体が一つじゃ足りなくなってくるんじゃないか、と積極的に助ける気があるわけでもないのに勝手に心配になる私である。我ながら無責任甚だしい。

 さて、そうして残されたのは私と心縁さんの二人きり。

 話の続きは気になるところだが、実際のところここに居てすべき用事はすでに一通り完了している。

 とすると現状まだ『知り合いの知り合い』レベルの人とサシで居るという状況なわけで、これは私にとっては少々敷居が高い。

 巳祷さんほど慌てる必要も無いが予鈴が我ら学生にとって行動開始の目安であることは同じである。

 という大義名分のもと、私も速やかに戻ることとしよう。


「ちょっと良いですか?」


 巳祷さんに続いて席を立ちかけた私を、心縁さんがそういって不意に呼び止めた。

 なんだろう、と思ってその顔を見て私は少々萎縮させられることになる。

 何故ならそこには、先ほどまでの生真面目な無表情でも、噂話に熱を入れているときの高揚した表情でもない、恐ろしく真剣な表情が作られていたからだ。

 なんなんだ、この人は。

 どうにも彼女は無表情で話しているとき以外で口を開いたときの印象が安定しない。

 対する相手によって軽く人格を使い分けることなどは誰にでもあることだが、彼女のこの切り替え方はそういう意図的というか演技的というか、或いはそう、人間的とでも言うような自然さが見受けられない。

 あえて表現するなら、まるで仕入れた情報を自分の口で言葉に変換するのではなく、情報源からそのまま引用して来ているとかそんな感じだ。途中に介在すべき心縁という人格フィルタが無い、とでも言うのが的を射ているかもしれない。

 だとすると。

 このものすごく真剣そうな表情から発せられる言葉とは、いったいどんなものだろうか?


「実は、ついさっき仕入れたばかりの噂話が二件あります。どちらも聞こえの良い話ではないので、公になるまではあまり無闇に話せない内容なのですが……おそらく、あなた方には必要な情報でしょう」


 必要な情報?

 それはさっき散々語ってくれた『ドッペルゲンガー』についての話とは別にということだろうか。

 はて、ドッペルゲンガーの話を聞きたい、以外の意思表示をした覚えは無いのだけれど。

 ……まさか、また新たな噂話を二件披露しようというのか。だとしたら遠慮したいところだ。時間もないし。


「いえ、そうではなく……一つ目は霊界堂神無さんについてです」


 ここで、その名が出てくる事には、一体どんな意味があるのだろうか。

 結局確認する機会も無かったから自分の夢だったのかもしれないと思い始めていた、榊識視の転落死現場に居合わせていた霊界堂神無の姿。それとドッペルゲンガーの話に、何か繋がりが──?

 と、ミステリでも読んでいるような気分になりかけた私の思考に、さらに酷い冷や水がぶちまけられる。


「昨夜。霊界堂家の別宅である、とあるビルの最上階のベランダから転落し、死亡しました」


 ………………………………は?

 ちょ、ちょっと待って。

 少し落ち着こう。

 霊界堂神無がベランダから落ちて死んだ?

 それは、ちょっとどころではない大事件じゃないのか。

 起きたのがつい数時間前であるとしても、すでにニュースで取り扱われていても不思議じゃないレベルである。百年桜市の中でなら特に、だ。

 なのに私にはまったくの初耳である。

 私が知らなくても学校中がざわめいていてもなんらおかしくないスキャンダルであるはず……だが、そんな様子はこれっぽっちも無い。

 ガセネタじゃぁないだろうか。


「そうですね、あくまで『噂』です。けれど、その噂も今のところあまり知られていません。どうやら霊界堂家は神無さんの死を全力で隠蔽しているらしいのです」


 ますます意味がわからない。

 なんでよりにもよって家族が一人娘の死を隠蔽する必要があるのだろうか?

 それで何か得がありそうな気もしないし。もちろんさまざまな家庭の事情はお金の事情なんかが絡んでいるのだとしたら私には知る由もないが。

 それにそう。

 うまいこと世間一般には隠しおおせるとしてもだ。少なくとも一人、霊界堂神無が居なくなた事へ不信感を抱いてしまう人物が居るではないか。

 行方一なめかたすすむである。

 いくらなんでも恋人であった彼に対しては、そうそう言い逃れできるはずも無い──


「その件に関してが二件目です」


 私が反論し終える前に、さらっと、もう一つの爆弾を心縁さんは投下した。


「行方一は、というよりむしろ行方家丸ごとなんですが……数日前から失踪しています」


 …………ナニソレ?

 言葉の意味がもうよくわからない。

 仮に、そう仮に、今聞いた言葉が私の知る言語と同じ意味を成すのだとしたら、それはある意味一人の人間が死に、その事実が世間に隠されていることよりも異様なことじゃないのか?

 一つの家族が突如居なくなる、という事象だけならばそう不思議な言葉でもない。夜逃げって概念が存在するくらいだし。探されたらすぐ見つかるだろうけれど、示し合わせて家族総出で一時的に行方をくらませることくらいなら出来るだろう。

 問題はそこじゃない。さっきと同じだ。


 ──なぜその事実は未だ誰にも知られずにいるのだ?


 私は識視さんに聞くまで知らなかったが行方家も結構な大家であるらしいじゃないか。

 それが丸ごと失踪だなんて、騒ぎにならないはずがない。普通に大事件である。

 そっちも何か情報操作がなされているなんてことは言わないよね?

 そんなんばっかりだとなんだか陰謀論めいてくる。

 誰かの都合が悪い人物たちが次々と居なかったことにされていくとか、どんなホラーモノの村社会だ。


「そこまでは聞いていませんが、これも『噂』です。但し、霊界堂神無は本日付で家から退学届が来ていることと、行方一が無断欠席していることは事実です」


 心縁さんは妙に『噂』であると言い張るが、なんだかそれが逆に疑わしい。

 隠蔽されている事だったり、誰も知らないという内容のはずなのに何故知ってるの? というツッコミを入れたくなるあたりはいかにも根も葉もない『噂』っぽくはある。が……しかし、


 霊界堂神無の転落死。

 行方一の行方不明。


 適当なデマカセと言うにはどうにも因果や洒落が利き過ぎている気がする。

 しかもそれを今この私に対して告げることに誰かの作意が感じられて仕方がない。

 私が心縁さんに直接会ったのは今日が初めてであるはずだし、そもそも私が置かれている状況を知っているのはイオを除けば、識視さんくらいのはずだ。だから今心縁さんから奇妙な情報がもたらされたことに何らかの意図を感じるというのは私の自意識過剰でしかない……はずなのだけれど。


「自分達もそろそろ戻りましょう。こちらは次、移動教室ですし」


 真剣な表情で人の思考を混ぜっ返す様な事をさらりと言ってのけた当人は、今度は気づけばもうニュートラルな表情に戻っていた。席を立とうとする所作にはどんな懊悩も感じられない。

 お門違いの感情ではあるが、まことに恨めしい。


「これは単なる自分の感想なのですが……」


 と、後に立ち上がったにも関わらず私を置き去っていこうとする心縁さんが、最後の捨て台詞とばかりに軸のぶれない表情で振り向いてこんなことを言ってきた。


「自分の話を聞く前から、すでに気づいていた(・・・・・・)んじゃないですか?」


 ──────。

 それではまた、と彼女は私の答えを聞かないまま学食を後にした。

 はぁ……。

 ため息の一つも付きたくなる。

 これでも内心を表に出さないようにするスキルは結構なものがあると思っていたのだけれど、イオだけならばまだしも識視さんや、そして心縁さんにまであっさり見抜かれてしまうとは。

 ただ、心縁さんの見立ては少々甘いと負け惜しみを添えておこう。

 確かに私は、彼女の話を聞く前からすでにある程度の事には気づいていた。

 けれどそれは予想していた多数の解答の一つ、という域をでないレベルのものだったのだ。

 それが彼女の話を聞くことで、またその発言のタイミングを考えることで、ほぼ間違いないだろうという確信に変わった。


「それで、どうするの?」


 ずっと黙っていたイオがぼけっと立ち尽くしている私に神託のように染み入る声で軽口を言う。

 しかしどうすると言われても、そんなものは決まりきっている。


 ──さっさと教室に戻って次の授業の準備だ。


 今現在すべきことなどそれくらいしかない。

 判ったことを細々と整理するのは帰ってからの作業である。


「そうね、それが学生の本分というものだわ」


 イオの声はとりあえず無視して、私は小走りに自分の教室へ足を向けた。

 そうして教室へは特に遅刻することもなく、午後の授業を適当流し、放課後を迎え、帰途に就く。

 あとは集まった情報ピースを組み直し、改めて確信を得て、それからやるべきことをやろうと、そう考えていた。

 ただ、この計画はすぐに変更を余儀なくされた。

 なにせ──



 ──この日私は、部屋に帰り着くことができなかったのだ。



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