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百年桜町奇譚  作者: 桜月黎
Class1『ドッペルゲンガー』
13/22

Sub 5( バイロケーション ) ~1~


 そしてゴールデンウィーク明けである。

 そう今年の、私の大型連休はかくもあっさり終了した。

 全く味気ないことに期間中、特筆すべき事は本当に何もなかった。

 あえて挙げるならば、先日であった例の『専門家』であるという赤い女性に一度だけ再会して、遅ればせながら互いに自己紹介したことくらいだが、それも本当にそれだけだった。あえて詳しく話す必要もないだろう。

 ただ、上記からも判るとおり連休中ずっと部屋に篭っていたわけでもない。

 そりゃあ、我がへや冷蔵庫びちくこのキャパシティは丸一週間近い日数分の食料を保管しておけるほど大きくないのだから、都度買出しに出なければいけないという生活観溢れる必然性もあるのだけれど、そういうことではなく。

 なんだかんだ文句を言いつつも結局私はイオにせがまれるままに、連休中は市内をぐるぐる歩き回っていたのである。イオの弁が正しければバグ──かの赤い女性の言い方をすれば例外イクセプション──を探し出すための囮、もっと身も蓋も無く言えば寄せ餌の役を甘んじていたということになるわけだ。

 我が身不名誉のために言っておくが、別に献身の心が芽生えたわけでもなく、使命感に目覚めたわけでもない。

 ぶっちゃけ暇だった、というのが理由としては大きい。

 イオに物理的な強制力はないから小五月蝿いのを我慢すれば部屋に立てこもることも出来たのだけれど、そもそもの問題として外出せずにいたら安全であるという保証がなかったことに気付いてしまったのだ。

 逆説的に町を歩き回る必要性も消失するのだが、幸いにも花粉症というものに未だ縁の無い私は麗らかな春日の下を散歩することが、わりと嫌いじゃない。

 どこに居ても変わらないなら、気の向くときに気の向いた場所に居るのが健全である。

 そういうわけで私は、五日間ほどの連休の内……三日間くらいは百年桜市内をあてどなくぶらついていたのだった。

 イオの手伝いなど物のついでである。

 実際私は本当に何もせずあちこち歩き回っただけなのだから。

 人混みが苦手な私がわざわざ何かの坩堝みたいに人が溢れ混ぜっ返されている百年桜公園──百年桜町へ足を運んだのも、年に一度の賑わいに触れるのもたまには悪くないと思っただけだ。

 人の噂話が発生の源になっているという現象なら人の多いところの方が遭遇の可能性が高いかもしれない、という論法も後から気づいたことである。

 そう、それに。


 ──よく考えなさい


 という赤い女性の言葉も何となく引っ掛かっていた。

 何を考えればいいのか私にはまだ判らなかったが、少なくとも考える材料を蒐集するのにも、この時期の百年桜町は最適だったのである。

 しかし、だ。

 よく考えてみれば当たり前だったのだけれど、いくら私がバグを引き寄せる体質になっているとはいえ、わらわとごった返す今の百年桜市で何の手掛かりなく人間に扮したドッペルゲンガーを探そうというのが土台無理な話なのである。

 向こうから名乗り出てくれるならまだしも、相手は簡単に見分けられる特徴がない……というか見分けられないのが特徴だと言ってもいいような存在だ。砂漠の砂一粒、とまでは言わないまでも、草原から一本の名もない草を見つけ出せと言うのと変わらない。

 しかも百年桜町の賑わいは世界に三人居るというそっくりさんが何組か揃っていても不思議じゃないくらいの人出だ。

 うん?

 そういえば世界ソックリさん三人説(三秒で命名)はドッペルゲンガーに当たるのかな? いやでも『ドッペル』とか『ゲンガー』とか言う単語は今やすっかり『影』とか『オバケ』みたいな意味があるようなイメージを持たれがちだけれど、実際は二重ダブルとか歩行者ウォーカーと言う、実に味気ない意味なんだよね。なら三人トリプルでは当てはまらないか。

 閑話休題。

 そんな取り留めもないことを考えてしまうくらいには、何の収穫もなかった。

 私にとっては普段とさしたる変わり映えのない、良くも悪くもいつも通りな休日を五日間過ごしただけなので虚無感だとか挫折感なんてものはあまりないのだが、やはりと言うか当たり前というか、イオ自身はどうにも芳しくない気分であるらしい。

 それを気の毒に思ったというわけでもないが、たまには小さな貸しの一つでも作れはしないかと言う打算のもと、私は一つの提案をしていた。

 彼女自身、どうやら失念していたらしく──どうやら物忘れしなくても失念はすることがあるようだ──私の案に、割と本気っぽい表情で感心していたのは狙い通りと言うべきか、心外と言うべきか、複雑な気分である。

 実は、一つ思い出したことがあったのだ。


 ……

 …………

 ………………


 収穫無しで終わろうとしていた連休最後の日。

 せめて──役に立つのかどうか甚だ怪しいが例えば──目撃情報なんかでもあれば、まだ捜索の指針にもできたのに。

 と、そう愚痴った私にイオはあっさりとこう言った。


「なら集めればいいじゃない、情報」


 しかし方法論を聞いてみれば、彼女はあろうことか「聞き込みでもすれば?」とのたまったのである。

 私はいつぞかのように鼻で笑った。

 古典RPGのイベント進行じゃあるまいし、見ず知らずの町民に無差別に聞きまわって情報を得るとか、できる訳がない。サクラでも紛れさせてくれるなら考えないでもない。ちゃんとわかる目印付きでね。

 「じゃぁどうするのよ」と頬を膨らませたイオを視て、何かめまいを起こしかけた私はしかし、その時点で一つ思いつくことがあった。

 簡単な話だ。

 見ず知らずの人から聞き込みをするなんて馬鹿げている。が、なら逆に、見知った人から話を聞くくらいならなんということはないわけだ。

 そして幸いにも、話を聞けそうな、少なくともその手がかり持っているかもしれない人への渡りをつけてくれそうな人物に、私は心当たりがあったのである。


 ………………

 …………

 ……


 と、早速その心当たりへの架け橋になってくれるだろう人物の後姿を発見した。

 生徒玄関にて上履きに履き替え、廊下に出たところである。

 向こうは丁度、ほぼ文字通りに一足先に着いていたのだろう、教室へ向かう階段に差し掛かったところだった。

 わざわざ追いかけなければならないほど急ぎでもなかったのだが、歩幅の関係か或いは性格に起因するペースの違いか、階段の途中で声をかけるのに不自然でない距離まで追いついてしまった。

 このまま無言で追い抜くなんて感じの悪いことも出来ないので声をかける。善は急げというし丁度言い。


「あ、おはよう、黎さん」


 後ろからかけられた私の声に何の疑いも抱かぬそぶりで振り返り、野の花が綻んだかのような笑顔を作って挨拶を返してくれるのは誰あろう、世界に轟く聖園家がご令嬢。胸元に光るは蛇の絡みついた杯の意匠を取る銀のペンダント。

 本来なら識視さん並かそれ以上に有名人となっていてもおかしくないはずなのに、何故かあまり存在を持てはやされていない、埋蔵金みたいな少女である。容姿だって(文字通り)姉妹揃って整っているというのに。

 そういえば、ほぼ教室でしか会わないから逆にそれ以外ときは双子ワンセットで行動しているんじゃないかという勝手なイメージをしていたのだけれど、今は片割れがいない。学年が違うとはいえ、ここまでなら教室へ向かうルートも共通しているはずなんだけど。


「架折ちゃんは、今日はクラスの用事で先にお家出たから。修学旅行の班とか係りとか、そういうの決めるみたい」


 ということらしい。

 なるほど、もっともらしい話である。

 我が校は高等部教育の時点から既に大学に似た単位制を色濃く受け継いだシステムを導入しているためか、純粋な学業成績に関与しにくいことに関してはあまり明示的に学校側から時間を与えられることが少ない。委員会活動とか部活動、後は全校的でない行事の準備などが特にこの影響を受ける。

 最も、別に非協力的というわけではない。

 放任的というか自主性を重んじているというか、古くから受け継がれる俗な言葉で言うならツンデレというか、『明示的』には用意されていない課外活動時間も、実は『暗黙的』には用意されていたりするのだ。

 例えば水曜日は午後の授業が一コマしかなかったり、土曜が休日に設定されているわりに学内設備は平日とほぼ変わらず使用できるようになっていたりする当たりが、判りやすいところか。

 要するに、こういった『わざと作られた余暇』を自主的に使っていきなさいという方針なのである。

 表面的に百年桜学園が週休二日制をとっているのは別に、かつて世を迷走させた『ゆとり教育』が未だに継承されているから、というわけではない。

 修学旅行はそんな中でも、生徒側が自主的に進めなければならないことの多い行事の一つであるんだそうだ。だから、この学園内における時間の取り方に慣れている二年生以降ともなると、クラスの決め事などを早めに登校して進めるということは日常茶飯事らしい。

 朝早起きが苦手な身としては、ちょっと気分の優れない事実であった。


「架折ちゃんに用事?」


 と、実に巳祷さんらしい仕草で首を傾げられるが、もちろんそんなわけはない。

 彼女と私の接点はそもそも巳祷さんくらいしかないのだから。まぁ、私が振った話題だから思い違いをしてしまうのも無理はないのかもしれない。少々予想外な話運びだったけれど、ここは誤解を解く意味でもさっさと本題に入ることにしよう。


「え? ドッペルゲンガーの噂を教えてくれた人?」


 そんな表情もできたんだ、と言うくらいのすごく意外そうな顔をする。まぁ確かに唐突な話題だよね。

 そう、私の心当たりと言うのがこれだ。

 以前、識視さん達も交えて昼食を取った際に「友達から聞いた」という文脈で、巳祷さんがドッペルゲンガーの話をしていたのを思い出したのである。

 その時すでに大筋の話は彼女の口から聞いているわけだけれど、改めて体験者本人から話を聞けば何か新たな発見が無いとは言い切れない。だからその友達さん渡りをつけてもらおうと思ったのだ。


「あー……、えっと」


 おや、どうも反応が芳しくない。

 やっぱり唐突過ぎたのだろうか。又聞きしただけで体験者本人の事は詳しく知らない、と言うことなのだろうか。……すごく在りそうな話だ。


「う、ううん、そうじゃないんだけど……わかったよ、聞いてみる。お昼休みでいいかな?」


 何となく態度が不可解ではあるものの、一応目的のアポイントは取れそうだからまぁ今は気にしないでおこう。

 と思ったんだけど、あれ、なんで階段下り始めたんだ? 私の教室も彼女の教室ももう一つ上の階であるはずなのに。


「ちょっと、先生に頼まれてたことがあるの思い出しちゃった、教員科の方寄らないと」


 なるほど、基本地味ではありつつも教師陣からの覚えがいい巳祷さんならそういう頼まれごとをされるのも道理だ。なまじ本人が人が良すぎて断りきれないから余計便利使いされてしまうきらいがあるのはちょっと同情に値する部分でもある。

 うん、そういうことならば引き留める訳にもいくまい。もう朝のホームルームまでそう時間もないわけだし、私のせいで授業に遅れるなんてことがあっては申し訳が立たない。

 実際、こちらの目的はほぼ完遂しているから、そもそも引き留める理由もないし。


「じゃぁ、お昼休みに」



   ***



 さて、またしても何も特筆する事無く午前の授業を終えて昼休みである。



 ……と、毎回流してしまうのも芸がないし、なにやら私が学生の本分たることを心底疎かにしていると誤解──全面的に誤解だとは言い難いんだけれど──されるかもしれないので、少しばかり授業風景にでも触れてみようか。

 とは言え、かと言って。

 ここで国語とか数学とか英語とか、そういう誰でも知っていて誰でも経験のあるような事を描写してもさしたる面白みはないだろう。私の物思いにそもそも面白みなどないという部分はこの際置いておく。

 実は話のタネになりそうな、やたらとユニークな教師が数人ほど居たりするのだが、そこは今あえて触れないでおくことにする。

 正直関りあいたくないというか、突っ込んだら負けというか、とにかくあからさまにアレな人物達なのだ。何と無く、いつかは関るハメになりそうな予感がするのもいただけない。スルーできるうちはスルーして居たい。

 なので今回は、多分経験者の方が少数派だろうこの教科について話そう。


 『聖書』


 ナニソレ、意味が判らんと思った人も居るかも知れない。

 しかしこう書く以外の表現方法がないのだ。時間割表に『聖書』という科目名が記載されているのだから。

 言っていなかったと思うが実はこの学園、所謂ミッション系というやつなのだ。

 敷地内には立派な礼拝堂──というか一個の教会──があるし、大学部には神学部があって、しかも単純に学問として学ぶコースと牧師志望者のためのコースを選択できるという親切設計。

 本職の牧師も数名教師として常駐しているし、希望者は洗礼だって学内で受けられる。

 こう説明すると宗教という概念に偏見のある人は敬遠してしまうのかもしれないが、特に信仰を強要されるような場所ではないのでその辺は安心して良い。かく言う私だって無宗教……というよりは日本人特有の良くも悪くも宗教には無節操な人間だ。

 毎週土曜日の朝には礼拝も行われているのだがもちろん自由参加である。

 ただ信仰せよとは言われないものの、興味がないからといって全く無関係を貫くということも出来ない。この辺はここへ入学している時点で皆が承知しているはずだから文句を言う者も居ないはずだし、学校側としても「折角ミッション系の学校に入ったのだから、ちょっとそれっぽい体験をしていってみてください」くらいの軽いノリで色々と設備や機会を提供してくれている。

 その内の一つが『聖書』という科目だ。


 世界最大級のベストセラー書物。

 世界三大宗教のうち、二つがこれを教典としている。

 世界中のほぼ全ての人が母国語で読めるといわれるほどに多数の言語に翻訳されている。

 等々。

 何かと頭に『世界』とつけて説明できてしまう、まさに書物のお化け……じゃなくて王様と呼んでも差し支えないトンデモな代物である。

 それこそ、何かステータス設定バグってるんじゃないの? と言いたくなる。

 そんな書物について勉強しましょうという、まぁ科目名そのままの授業である。ちなみに百年桜学園は新教に属するので授業で取り扱う範囲も基本はそこに準じる。

 ただ、当校の『聖書』の授業の特色として一つ、学ぶ対象が聖書自体というところか。

 さっき言ったとおり信仰の押し売りをするところではないので授業内容も宗教色はそんなに強くないのだ。

 もちろん背景を説明する上でどんな信仰や解釈があるかという部分は取り上げられるが。そういう意味ではこの科目や神学や宗教学というよりは文学に近いノリであるかもしれない。

 私はこの授業が、実は結構好きだったりする。

 なぜなら毎回、テーマとなる箇所の解釈やどういう信仰をされてきたかなどの基本的な内容の他に、ちょっとした雑学的な異説とか逸話なんかも教えてくれるからだ。

 授業内容に関しては担当の教師による判断だから、我がクラスの聖書担当教員である小太り年配の本職牧師さんの講義が好きであると言い換えた方が良いか。



 さて、この日の授業で取り上げられた箇所は、概要だけなら殆どの人が知っているだろう『創世記』の一番始めの部分。天地創造だとかアダムとイブ──手元にある聖書にはエバと表記されている──が出てくるところだった。

 普通に読めばこの辺は大体文字通りに読めるところである。聖書は読む箇所によってはいやに抽象的だったり、判りにくいたとえ話になっていたりして素人には何が書いてあるのかさっぱりなところも多いのだけれど、さすがに天地創造や、そのあと続く失楽園エピソード、カインとアベルあたりまでは、そもそも有名なお話であることも相まって特別読みにくいという感じはない。

 しかしそれは、私が無知であっただけの様だ。


 ──冒頭の所謂天地開闢までの数節、ここにはバビロニア神話の創世譚『エヌマ・エリシュ』を当てはめることが出来るだとか。


 ──人間創造に関する記述に女性を創る描写が二度あるのは、本当の最初の女たるリリスに関する描写が故意に削除されているからだとか。


 さっそく何やら面白そうな異説を披露してくれる。

 週に一度のこの時間、私はそういう話を結構ワクワクしながら聞いている。

 穿った見方……というと語弊があるかもしれないけれど、色んな可能性を模索するかのような行為が私には性に会う部分があるのだ。

 特に今日の箇所は、今の私にとってかなり興味深いところがあった。

 『イブとリリス』それから『カインとアベル』の部分だ。

 これは先生がそういう話をしてくれたわけではないから完全に個人的解釈なのだけれど、この二組の関係は、なんとなくドッペルゲンガーの話に似てはいないだろうか、と思ったのである。


 ひっそりと成り代られてしまった、本当の第一の女リリス。


 嫉妬によって殺され、土の下へ隠されたアベル。


 一見カインとアベルの話にはドッペルゲンガーっぽい要素はないように思えるだろう。実際ないかもしれない。

 けれど私なりの強引な曲解していたら、考えがうっかり転がりだしてしまった。


 ……

 …………

 ………………


 気になったのは神様への供物を差し出したときにカインが無視された点。

 供物の違いと死体の処理方法。

 そしてカインの末路だ。


 まず、何故カインは無視されたのか。

 ここまでの段階で兄弟の優劣や、まして素行の良し悪しに関する描写はない。文脈的にいきなり贔屓されるのは不自然でならなかった。だから私なりに、カインが無視される自然な理由を考えた。導き出した仮説はこうだ。


 カインという『人間』は本当に存在したのか?


 つまり神様への供物をささげた人間はアベル一人だったのではないかということだ。これならば神様がアベルにしか目を向けなかったのも当然である。何せその場にアベルしか居ないのだから。

 じゃぁそうすると、カインとは何者なのかという問題が浮上する。ここを説明する根拠として私が拾ったのが、供物と死体処理法の部分。

 供物に関してはカインは農作物、アベルは羊。

 そして死体処理方法だが、これははっきりと書いていないようだけれどどうも土に埋めるなりしたっぽい。

 以上から私が類推したカインの正体。

 それはズバリ『大地そのもの』である。

 農作物は言い換えれば大地の実り、つまるところ『大地が育んだ成果物』ということになる。

 ここで大地=カインと読みかえれば一周して『カインが育てた成果物』となるわけだ。

 神話のなかでは洋の東西に関らず、無生物や事象なんかが擬人化、擬神化される事には枚挙に暇がない。だからこういう解釈もあながち的外れではないんじゃなかろうか。

 しかも、この考え方をすればその後の展開とも辻褄が合う、或いはこじつけることが出来る。

 まず供物をささげたシーン。

 あそこでは人間アベルが羊をささげた……だけだったのだ、表面上は。

 ところが実際は大地カインも意思を持って作物を実らせ神様へ報いているつもりだったのだろう。

 でもあくまで人間の相手をしていた神様は豊かな自然にはとりあえず目を向けず、アベルの供物を取った。

 それを蔑ろにされたと感じた大地カインは憤ったわけだ。

 ここでカインは大いに憤って顔を伏せたとあり、そこでようやく神様はカインに目を向ける。

 何故神は大地カインが憤っているのに気付いたのか。私はこう思った、地震でも起こしたんじゃないか、と。「顔を伏せた」という部分は自分で考えておいてうまい置き換えが思いつかないけれど、例えば土砂崩れでもおきて自らが育んだ作物を引っくり返した、とか。

 似た方法でアベルの殺害も容易になる。

 土砂に巻き込んでも言いし、地割れでも起こして奈落へ叩き付けてやっても良い。

 どちらにしろこれで殺害と死体遺棄が同時に出来る。あえて遺棄の描写がされないのもこういう理由があるんじゃないだろうか。

 罪を犯した大地カインの末路も見てみる。

 土の中(みのうち)から響く怨嗟の声であっさり犯行がバレたカインは作物を実らせることが出来なくなり、追放される。そしてその子孫にはどうも鍛冶鋳造など金属加工を生業としていく者が居たらしい。

 ここでまた強引な曲解なのだが、大地カインが作物を実らせられなくなったのはアベルの血、つまり鉄を吸って硬くなってしまい植物が根を下ろせなくなってしまったという解釈はどうだろう。

 てつを含んで硬くなった大地、それは鉄鉱石のことではないだろうか。

 カインは追放される際、復讐に会わぬ様にと印を受ける。作物を実らせるふかふかの大地より、金属を含んだ岩のほうが壊しにくいのは当たり前だ。

 またカインの子孫には「カインへの復讐が七倍なら、自分は七十七倍だ」と言い放つものが居る。鉄鉱石から生成した鉄は岩より硬いだろうし、鉄を加工して武器にすればもっと威力は増す。

 結論。

 カインの系譜はつまり鉄の起源と、金属加工技術の変遷を擬人化したものなのではないか。

 というのが、私の考えた一つの持論である。


 ──そして同時に。

 これは非人間が、人間に成り代るというエピソードとも見ることが出来る。

 聖書世界におけるこの初期段階において、人間とは所詮命を吹き込まれた土人形である。

 少なくともカインは純正の土人間であるアダムの直系、第一子とされている。土人間としての純度はアダムの肋骨から作ったイブに次いで高い存在と言って良い。

 でも私の解釈を踏襲するならアダムとイブの子供はアベルだけである。にも拘らず、より両親に近い地位をカインは得ているのは何故か。それはカインがアベルよりもずっとアダムに近い存在だったからではないだろうか。

 神がカインの犯行を追及する際にこう言っている「お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお~(以下略)」と。

 つまり、大地カインはアベルを殺害した際、その血を飲んでいる。血を命と読み替えるくらいの連想は誰でも思いつく発想だと思う。これは日本的は発想なのでこの例で挙げるのはナンセンスかもしれないが「霊」と書いて「ち」と読ませることもあるわけだし。

 だから大地カインはアベルから文字通り命を奪って、アダムと同じ生きた土(にんげん)に成り果せたということになる。しかもアダムの子(アベル)の命を持った、よりアダムに近い存在、長男という立場にまんまと割り込んだのである。


 こう考えると他者の体の一部を使って、元居た本物を追いやってしまったという点で、イブとカインは驚くほど似ている。

 さらに形骸化して『偽者が本物に成り代る』話としてみれば、これは立派な、都市伝説で語られる死神としてのドッペルゲンガーに含めることが出来そうではないか。

 あれ? でもそうすると今ある人類の全てがその偽者達の子孫ということになるんじゃ──


 ………………

 …………

 ……


「では、本日の講義はここまで。──主の恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にありますように」


 ──はっ!?


 変な思考に耽っている間に授業が終わってた。

 いけない、いけない。

 本職牧師にも関わらず聖書の授業では正典だけでなく偽典外典異説珍説も躊躇しない色んな意味で幅の広い聖書科教師の話を半分近く聞き流してしまったとは、ちょっともったいない事をした。

 やっぱり心配事を抱えていると何かと視野狭窄をしてしまう。ここはさっさとできることはやってしまおう。

 ちょうど今のが午前中最後の授業だった。さて──


「桜月さん」


 声の方へ目を向けるとお弁当箱を抱えた巳祷さんの素直な立ち姿があった。

 ふむ、どうやら話はちゃんと通っているらしい。


「学食で待ってるみたいだから、良いかな?」


 こっちから半ば無理に頼んだようなことにも関わらず、恐縮したみたいにそう訊いてくる巳祷さんだった。この素直さはホント、真似できない。

 もちろん文句などあるはずもない。

 今日も自前の弁当を持っていない私はほぼ手ぶらで席を立った。


 百年桜学園には単に『学食』と言った場合に、それに該当する施設が数か所存在する。だから本来ならば単に『学食』と表現しただけではどこを指すのか判りづらいのだけれど、私達高等部生が特に修飾語を付けずに呼称した場合、暗黙的に一番近いところにある広さと安さだけが取り柄の学生食堂を指す。

 予想たがわず先導してくれる巳祷さんの足はそちらへ向かっていた。

 心なし軽やかな足取りの巳祷さんを背後から眺めていて、ふと今朝の事を訊いてみようかと思ったのだがそれよりもわずか先に別の事実が思考に割り込んできた。

 今さらながらに気付いたのだが、これから会う人の事を特に聞いていなかった。男子か女子かも聞いていないし、名前も知らない。隣のクラスという話だったが、私のクラスはCだから可能性としてはBかDという二パターンが考えられる。A、Bクラスは成績上位者が集う特待クラスだから、相手がDならば特に何も思うところはないのだけれど、Bとなると多少気おくれが無いとは言えない。


「えぇーと、あ! おーい、心縁みよりちゃーん!」


 が、目的地は高等部校舎から歩いて三分もかからぬ場所。ちょっと考え事をして発言を控えていただけであっという間にタイムリミットはオーバーを迎えていたのだった。

 まぁ、ここまで来て渋るのも無意味か。そもそも自分から言い出したことだし。


「この人、クラスメイトの桜月黎さん」


 巳祷さんが友達に対する素直な笑顔で駆け寄っていった方へ私も付いて行くと、広い食堂内のほぼ中央に位置する席で、その人物は折り目正しく座っていた。

 綺麗な黒髪を肩口できっちり切りそろえ、制服もカッチリ着込んだ少女である。真面目そうな表情も含め、全体的に色んな意味で整った印象を受ける。

 ミヨリと呼ばれた彼女は私の方へ目を向けると幾分社交的に表情を緩めた。

 ……なんだか、とても魅力的なのだけれど同時にちょっと機械的にも見える反応の仕方である。


「こっちは……」

「あ、自分で自己紹介します」


 今度は私に対して友人を紹介しようとしてくれた巳祷さんを遮って、彼女はわざわざ席を立って右手を差し出してきた。……最近こういうちょっと欧米的なシェイクハンドありきの挨拶が流行っているんだろうか。


「お初にお目にかかります。お噂はかねがね──」


 あれ、私何か噂立つような事したっけ?

 と言う表情をしたのを見透かされたのだろうか「お気になさらず」と苦笑され、そして改めて口を開く。


「自分の名ははなし心縁みより。お伽噺の『噺』に、心のえにしでミヨリです。どうぞよろしく」


 こちらも改めて己の口から名乗りつつ差し出された手にも応える。

 失礼ながらその手が妙に冷たかったことに内心驚いていたのだけれど、今度はうまくポーカーフェイスを保てたようで何か反応を返されるようなことはなかった。


「大体の状況は把握しています。あとは自分の話の中から最後のピースを拾っていただければ幸いです」


 そしてそんな、奇妙な言い回しで心縁さんは語りだしたのだった。



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