Sub 4( シェイプシフター ) ~3~
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「ところでレイ、アナタは『ドッペルゲンガー』についてどれくらい知っている?」
部屋を出て少ししたところでイオはそんなことを聞いてきた。
彼女にしては間の抜けた質問である。
その手の知識については先日、私がドッペルゲンガーを視たと言った時に勝手に色々吹き込んでくれたじゃないか。
それはただ『起こるだけ』の現象であるという。
それには善意も悪意もなく、理由も目的もない。
現れる場所にも規則性はほぼ無く、稀に同家系内で数代続けて体験するという事象が確認されているくらい。
また誰かの『分身』という特徴のくせに、実際のところは『全身』現れることはどちらかと言うと少ないらしい。どういうことかと言うと、例えば腕だけであるとか頭だけであるとか、そういった体の一部のみが本人の前に現れるという不完全な状態の方が実は発見例が多いのだそうだ。
そんなでは誰の分身か判らない、と誰しも思うはずなのだが、体験者はそのたった一部だけで「それは自分だった」と確信的に感じるらしい。それもまたドッペルゲンガーの代表的な特徴である。
他の特徴としては、話しかけても応えず、また触ることもできない。分身元の人間に縁のある場所にしか現れない、などがある。
このように、総じて静的な怪異現象なのだ。もちろん、目撃後にドッペルゲンガーが直接的な原因となって死ぬようなこともない。
目撃後に死亡する、という話自体は存在する。
が、それは一種の錯覚や思い込みのようなものか、こじつけである。
占いで『水難の相』と言われた後に、天気予報通りの雨に降られたり水を飲んで咽ただけでも当たったように感じてしまうのと、原理は同じである。
印象的な事柄が続いたときに、そこに因果関係を求めてしまうのは人間の性なのだ。
つまり、結論としてドッペルゲンガー自体は無害な存在である。
広く恐れられている死を孕む性質は全て、口伝が広まる過程でついた尾ひれ背ひれの一つでしかない。
さてここまでの弁は全て、誰あろうイオからの受け売りである。
自分で滔々と語ったことを忘れているんだろうか。
「失礼ね、そんなわけ無いでしょう。私は物忘れをしないのよ? 人間と違って『忘れる』っていう機能が必要ないんだもの」
暗記に追われる立場からすると甚だ理不尽な事実を聞いた気がするが、今は深く考えないことにしよう。
ではどんな意図で声をかけてきたのだろう。
さっと周囲に視線を走らせる。
この時期の百年桜市は観光客で大変に賑わうわけだが、さすがにこの辺は観光スポットからだいぶ離れた住宅街、所謂ベッドタウン的なエリアであるために人通りは普段と変わらない。
近くに人の集まる施設のない街路は、休日の午前中ともなると人影は稀である。
もう少し早い時間に出ると犬の散歩をする近所の住人などとすれ違ったりするのだが、今はそういった姿も見受けられない。
今は周囲に人の気配が無かったから受け答えしたものの、外に居る時は返答に視線や小さな動作以外の情報を載せる必要があるような接触は避けてもらいたいわけで。そういう意味ではまだまだ仔細のわからない状況でノコノコと外へ出たのは私としてもイオとしても失策だったような気がする。
「レイが今言ったのは『ドッペルゲンガー』自体の話でしょ、そうじゃなくて私が聞いたのはアナタは『ドッペルゲンガーの話』に関してどれくらい知っているか、よ」
? 何言ってんの?
電子の妖精さんは日本語が苦手なのかしら。
「……やっぱり、だいぶ説明を形骸化したからまるでわかってないみたいね」
出来の悪い生徒扱いされている……。
だが待ってほしい。
あんな厨二病言語満載の説明を初見で理解せよというのはちょっと無理がないだろうか。
イオはこの事──つまり、私が把握したところの『バグ』だとか世界の在り様だとかそういう話を今日に至るまで一度だって教えてくれなかったのである。
右肩付近に追随してくるようになってもう一か月以上は経つと言うのに、だ。
話すタイミングを見計らっていた、と言うのは良い。確かに出会って二言目に「《意味界層》サイドの《絶対座標設定》不全を修復するのにアナタの力を貸して欲しい」とか言われたら……さて、私はどんな反応をしただろうね。
ともかくいきなり本題を押し付けてこなかっただけイオは冷静かつ理性的だったと褒めるべきだろう。
バグ──今回で言えばドッペルゲンガーが現れるのを何食わぬ顔で待ち構え、その常識外な存在に戸惑う私に助け舟の体で真実を持ち出すあたりにいやらしさも、狡猾だと認めてもいい。
だが、それでも説明の文句を練るのにひと月以上の猶予があったのである。
文面を考えるというだけでなく、私が持つ常識世界がどれほど狭いかと言う部分もイオならば見極めるには十分な時間だったはずだ。
それなのにいざ口を開いてみたら、愉快なワードのオンパレードである。
言語化が難しい概念をどうにか噛み砕いて捻りだした言葉だと言っていたが、砕き方が乱暴過ぎて端々が尖ってしまっている。現実的な常識に慣れた私には荷が重かった。
で、えぇとなんだっけ。ドッペルゲンガーとドッペルゲンガーの話の違いだっけ? うん、もう一度確認してみてもよく判らない。何がどう違うのだろう。
というか、そこに違いがあるとして、今の私には一体何の関係があるのかしら。
「言っておくけれど、『本物のドッペルゲンガー現象』と『バグによるドッペルゲンガー現象』は全く別物よ」
ん……本物とバグに違いがある?
いや待て。
そもそも超常現象みたいな、世間一般が信じる物理法則に則った常識の埒外にあるものは総じてバグが原因で起きているんじゃなかったのだろうか。少なくとも私はそういう捉え方をしていたのだが。
「違うわよ。もしそうなら、私自身もバグになっちゃうでしょう? そうすると機能的に私は最も近くにある私自身を処理しなくちゃならなくなるわ……と言ってもその実行を判断するだけの知性を持ってはいるんだけどね」
ならバグとそうでないモノはどう違ってくるんだろうか。
いやまた難しい仕組みなどを説明されても堪らないのだけれど、少なくとも直近の問題として、両者の違いによって私が被る諸問題はどうなるのだろうか。
扱いが全く異なる、なんてことになったらそもそもどっちがどっちかと見極める術のない私には手の出しようがない。
言われるまま適当に手伝えばそれでいいのかもしれないが、心構えとして知っておくのとそうでないのとでは本当に対面してしまったときの判断力に大きく差がある。
「良いわ、結論から言ってあげる。『ドッペルゲンガーは無害なモノ』私はそう言ったわね? でもごめんなさい、今回に限って言えば、それは嘘になるわ」
……なんだって?
「いい? 本物は本物、それそのものの性質を持って存在している。今回で言うならドッペルゲンガーね、この町にいるのがもし本物だったなら私がこの間説明した、今アナタが反芻した通り、人間からしたら気味は悪いけれどほぼ無害よ。
でもバグはね、もちろん本物の性質も持ってはいるけれどそれ以上に『広く知られた』性質を発現するのよ。この意味が判る?」
広く知られた性質……というとつまり、死の前兆、或いは死そのものの体現者たる『死神』としての側面、ということなのだろうか、もしかして?
「コレクト」
……雲行きが怪しい。
私はいったい何に向かおうとしているんだろうか。
「広く知られている、つまり人気の高い都市伝説としてのドッペルゲンガー、その性質はこうよ──」
それはやはり怪談風の都市伝説としてのものであるという。
前後に付く話の尾ひれ背ひれにはバリエーションがあるものの、オチとしてもう一人の自分を見た遠くない後に死ぬ、という展開になるやつだ。
本来のドッペルゲンガーは前述のとおりただ現れるだけで無害な存在だ。
だが人はその不気味な現象を『ただそれだけのもの』として思考を止めることがなかなかできない。
だからその後に起こった何かと結び付けて、その前兆だったのだ、と語りたがるのである。
始めは些細なものだったかもしれない。
待ち人来るだとか、雨が降るだとか、「ここ掘れワンワン」の類型だったかもしれない。
そうして人から人へ噂話として口伝で広がるうちに少しずつ少しずつ、内容は製錬されていく。
地味な話は忘れられて行き、印象的なものほど人の心に残ってまた次の人へと伝わる。
人の心に残りやすいモノとは何か。
簡単だ。
『死』である。
折角、誰しもが不気味に感じる現象なのだからより衝撃的な結果があって欲しい、と思うのは人ならば当然の事だろう。
聞く側にとってはもちろんの事、話す側もより良い反応を得るために大きなオチが欲しいと考える。そこで登場するのが『人が死ぬ』というオチだ。
人間誰しも『死』には関心があるから、耳目を集める手段としては実にお手軽である。
──もう一人の自分を見た、不気味だね。
と終わるよりも、
──もう一人の自分を見てしまった彼は、その後謎の死を遂げた。
と話が展開する方が噂話としては面白い。
怪談として語るなら話の正確性は必ずしも重要じゃないから、自分が聞いた話にはない、より面白いオチを勝手につけて話してしまう人間は後を絶たない。
おかげですっかりドッペルゲンガーは死神扱いである。
また、ドッペルゲンガーがこうした誤解を持って広まっている理由は他にもある。
『分身』=『ドッペルゲンガー』のイメージが強すぎる所為で類似の別の現象と混同されている点だ。
ドッペルゲンガーには『分身が現れる』という要素以外にもいくつか特徴がある。
一つ、ドッペルゲンガーは言葉を解さない。
一つ、ドッペルゲンガーは当人に関係のある場所にしか現れない。
これら全てが当てはまって正しく『ドッペルゲンガー』と呼ぶ。
ところが多くの人はそんなことを知らない。知っているのは『瓜二つの姿をしている』ということだけだ。
だから類似の現象も全てとりあえず『ドッペルゲンガー』としてしまう。
同じ分身だが会話や物理的接触も可能とされる『バイロケーション』
本人の行く先に先回りする『ヴァルデガー』
姿を偽る妖怪『シェイプシフター』
強い思念が想う先に現れる『生霊』
果ては幻覚や蜃気楼、鏡、他人の空似、見間違い、勘違い等々。
『もう一人の自分』や『誰かの写し身』を視るという特徴だけを拾えば、可能性のある事象はいくらでもあるのだ。
つまり、出だしに使えるネタは本物のドッペルゲンガー現象の絶対数よりも遥かに多くなる。
そのくせ、オチに人が死ぬという結末には大差がない。
正確性を重視しない噂話にとって、入り口が複数あって結末が一つと言うのは、同じ話が複数あるのと意味的にはほぼ同義である。
こうして人を殺すドッペルゲンガーは、人の口先を渡ることで次々と増えていった。
例え入り口になる話が単なる人違いを笑うものだったとしても、何度も人を介することで死神へと進化してしまう。
ある意味で現代における『ドッペルゲンガー』とは、そういう死神を生み出すサイクルそのものを指す言葉になってしまっているのである。
………………さて。
ここまで聞いて、バグ退治に信念やら使命感やらを感じて意欲を燃やす人間が、果たしているのだろうか。
もし居るとするならば、その人は産まれる世界を間違っている。Z軸を取っ払って少年漫画の世界に進出するべきだ、きっと主人公か、或いは悲劇の第一被害者役に抜擢されることだろう。
だってイオの話を総合すると、命がいくつあっても足りないこと請け合いである。
無害であるという話が頭にあったからこそ、面倒だが手伝ってやるか、くらいに思ってこうしてわざわざ休日……しかも連休初日の午前中に部屋から出てきたというのに、いざ詳しく聞いてみれば相手は死神でしたときた。
かつて日本社会に多く蔓延っていたというブラック企業の求人広告に引っ掛かった気分だ。
私は他人のために自らの身を危険にさらせるほど聖人君子ではない。
ここはおとなしく『専門家』とやらに任せて置くのがいい。
私が協力できるのは、もっと危険の少ないバグさんが現れたときだ。
百年桜市中心へ向けていた足を一転、元来た道へ運びなおす。
さすがに十二時間以上寝てしまった後だから、これから帰って二度寝と言う気分でもない。さて何をしようか、そういえばそろそろ食材の補給をしてほうがよさそうだったな……ならまっすぐ部屋へ戻らず少し回り道してスーパーにでも──
「ま、待ちなさい! これは大きなチャンスでもあるのよ」
引き留められた。
好機? 私にとってはただの危機でしかないのだけれど。
良いから聞きなさい、と言うイオの珍しく慌てた様子を見て毒気を抜かれた気分になる。煩く文句を言われるのも面倒だと判断して、私は再度市内部へ向けて歩を進める。
いくらまだ人通りの少ない場所とはいえ、もう数分も歩くと途端に賑やかになるという極端な場所だ。道の真ん中に突っ立って独り言を話している姿を目撃されないとは言い切れない。
「『ヌル』による現象っていうのはね、それが有名な話の具現であるほど、核たるバグが大きい証拠なのよ」
とすると今回のドッペルゲンガーはさぞかし大物なのだろう。
日本中でも知らぬ人の方が少なそうだし、同じような話は世界各国に存在する。そこら辺の、地方限定の怪談なんかとは比べ物にならない知名度だ。
「甘く見られても困る……というか、危ないからアナタのために言っておくけどね、『ドッペルゲンガー』は超大物よ。単なる怪談や都市伝説のレベルを超えている。脅すつもりであえて教えるけど──アレは神話級よ」
何やら妙に大げさな表現である。が、大げさすぎて逆に大したことなさそうな印象を受けてしまう。非常に有名な存在であることくらいはよく判っているけれど、急に神話なんて言い出すのはさすがに持ち上げすぎじゃないだろうか。
私は特に詳しいわけではないけれど、ドッペルゲンガーと言うのはどうにも近代的なイメージがあるから、逆に古めかしいイメージのある神話とはどうにも結びつかない。
「ナルキッソスの話くらい、アナタも知っているでしょう?」
私の疑念にはあまりにも簡単に答えを提示されてしまった。
細かいところまではもちろん知る由もないが、ナルシシズム、ナルシストの語源となった神話のお話があることくらいは知っている。
すごく簡単に言えば、水面に映った自分の姿に恋してしまった美少年ナルキッソスが最後は入水して死んでしまう、とかそういう話だったように記憶している。
……なるほど、確かに。
この話は『怪談としてのドッペルゲンガー』と大枠部分がかなり似ているかもしれない。
しかも私ですら知っていた神話の一説であるし、言葉の語源にすらなっている。知名度は相当なものだ。
「他にもアジスキタカヒコネとアメワカヒコの話。天岩戸伝説と比定した卑弥呼と台与の関係。他にも『死と再生の神』達を引き合いに出せば季節起源のデメテルとペルセポネなんかも含めて、ドッペルゲンガーとみなすことができる神話には枚挙に暇がない」
話の詳細は知らなくても、何となく名前だけ聞いたことがあるような例をイオはポンポンと上げてくる。
ただ「みなす」事ができるだけでも、包括が可能なのか。
だとすればイオが少々慌てるほどの大物だという話にも一部納得がいく。
そして、私としては──より一層逃げたくなった。
「コレだけの大物なら、今回頑張って処理できてしまえば一回でノルマ達成も夢じゃないわよ? 今少しの危険を押してすっぱり役目を終えるのと、安全策を講じて今後何年もの間妖怪だの幽霊だの得体のしれない超常現象に狙われ続ける生活、アナタはどっちのご所望かしら?」
……そう来たか。
だがしかし。
私を甘く見てもらっては困る。私は三度踵を返した。
と、振り返った先、前方からこちらへ歩いてくる人の姿が目についた。
女性である。
なぜ目についたのかと言えば、他の通行人が居なかったというのもあるがそれ以上に、その女性はあまりにも異様な存在感を放っていたからだ。
光の加減で赤く見える濡れたような光沢の髪。
顔の横、胸元、手首、指で輝く赤い光──おそらく宝石だろう。
服装こそ、そこらの量販店で揃えたかのように地味だが、纏う緋の光の印象が強すぎて、まるで真っ赤なドレスでも身にまとっているような錯覚を覚える。
そして、遠目からでも判るほど迫力のある美貌に鋭すぎる眼光。
『鮮血』
なんて言葉が、頭をよぎった。
もちろん、知らない顔である。
目についたからと言ってジロジロとみるのは失礼に当たるだろうと意識から逸らそうとするものの、視界の中に赤い光がチラチラしていてはどうしても気になってしまう。
さっさとすれ違ってしまおうと、私は少しばかり歩調を速めた。
そのまますぐにすれ違って終わるはずだったのだけれど──
「随分と面白いモノを連れているのね」
そう声をかけられて、足を止めざるを得なくなってしまった。
恐る恐る振り返る。
或いは空耳か何かかと期待したのだけれど、残念ながらそこには先ほどの赤い女性が薄い笑みを湛えてこちらを見ていた。
しかもその、やはり赤く見える不思議な色合いの瞳はまっすぐ私──ではなく、私の右肩越しの向こう、つまりイオを視ているようなのである。
今のセリフと視線。彼女にはイオが視えている? しかも、そこに驚いた様子は欠片も見受けられない。
いったい何者なのだろうか。
声をかけてきたということは、何か目的でもあるのか。
冷や汗が背を伝うような感覚になる。実際には見知らぬ女性に声をかけられただけだというのに、異常に緊張してしまう。
緊張と言っても人見知りからくるような可愛いものではない。
私が強いられている感覚は──まるで、首に刃物を突きつけられたかのような、そういう本能に訴えかけてくるような極度の緊張である。
「千五百項の秘密さん」
「……何と勘違いしているのか知らないけれど、私は電子の妖精イオよ」
「そう、今代の情報神の外部インターフェースはそういうキャラ設定なのね……サブカルチャー情報でも取り入れたの?」
「……ちっ」
なんと、イオが本気で嫌そうな舌打ちをした。
しかし……何やら私の及びもつかない単語で会話がなされている、もしや知り合いか何かなのだろうか。
イオも言葉の上では人違いな風を装っているようだが、態度からして明らかに遭いたくなかった知り合いに見つかった、みたいなバツの悪そうな様子である。
状況が全く理解できない私であるが、ここからの会話という意味でも理解度と言う意味でも、さらに蚊帳の外に追いやられることになった。
「で? 何でこんな処に居るのかしら、破壊神?」
「やぁねぇ、私が授かっている《神格》は『破壊』ではなくてよ?」
「いいから答えなさい」
「……そういうことを訊くってことは、やっぱりまだ本体の方は機能していないみたいね。安心したわ──余計な手間が省けて」
「…………っ」
「何でも何も、お仕事で来たに決まっているでしょう?」
「ぬけぬけと……アナタが出張ってこなくても近くにもっと適役が居るでしょうに」
「あの人に言われたのよ、見て来てくれって。振り返る者が急に騒がしくなったそうよ」
「塩の柱はいつだって騒がしいわよ。……それにしても、身の程知らずの計算機は相変わらず私たちの領分を土足で荒らしてくれているみたいね」
「良いでしょう? 今はそちらが機能していないんだから、誰かが代理を務めないとね」
…………私、帰っていいかな?
アウェー感が半端ない。この人たち何言ってんの?
もはやイオが視えている人と言う部分がどうでもよくなってきた。
「ふふ、連れの娘が退屈しているようだからもうお暇するわね」
「出来れば百年桜から出ていってほしいんだけれど?」
「お仕事が終わったらね。そういえばそっちこそ、そんな娘巻き込んで何をやっているのかしら?」
「……私は今も昔も自分の役目と決めたことを果たすためにしか動かないわ」
「ふーん……貴女、何をやらされようとしているのか理解している?」
と、ここで急に話を振られた私は、当然テンパるわけである。
盛大に舌を絡めつつも、イオから聞いて自分なりに理解していた内容を、教師に答え合わせするような心境でとりあえず言葉にしてみた。
ここでまた小馬鹿にでもされようものなら、まっすぐ部屋に帰ってもう丸一日くらい寝てしまおうかと思ったのだが、幸いにも危惧した不快な感情は帰ってこなかった。
「バグ? ふふ、なるほどね。それまた随分と大雑把な喩えにしたわね」
と朗らかに笑いながら流し目をイオに送る。
イオは一文字に口を引き結んで黙り込んでいるだけだった。
「でも人の身として言わせてもらうなら、情報神様が言う『ヌル』をバグと言うのはいささか語弊が強いわね。そうね……同じジャンルで比喩を付けるなら不具合ではなく──例外よ」
不具合ではなく例外──。
そこにはどんな違いが、というか喩えなおした意味がどこにあるのか、私にはよく判らなかった。
「『人』の身で、とはまた白々しいことを」
「お互い様でしょう?」
そういって軽く手を振った赤い女性は、また百年桜市の中心へ向けて歩くのを再開する。
──と思ったらまた立ち止まってこちらを振り返った。
今度はまっすぐ、私の目を見てこんな言葉を残していく。
「気を付けなさい、そして──よく考えなさい」
意味を問う前に、彼女は向き直ってさっさと歩き去って行ってしまった。
なんだか全く意味の分からない邂逅だったが、結局のところ何者だったのだろうか?
多少以上に知っていそうなイオに問う視線を向けると、実に面倒くさそうな顔をしながら言った。
「さっき話したでしょう? あれが『専門家』よ。もっとも、その中でもアレは飛び抜けて異端な存在だから、あまり参考にならないでしょうけど」