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百年桜町奇譚  作者: 桜月黎
Class1『ドッペルゲンガー』
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Sub New( もう一人の私 )

逃避のように先に番外編なんて痛いことをしつつも、相当遅れて本編を開始。

さして文章に心得もなく、長編以上になるとどうしても途中でダレてしまいがちな私が、一種のチャレンジとしてどこまでやっていけるかを試す場になりそうです。

なので万が一読んでいただける方が居たのならば、続けるペースやそもそもちゃんと続けられるかなど、初めに留意と容赦をいただきたく思います。

 自分自身の姿を、本当の意味で、本当の形で視るということは不可能だ。

 例えば鏡に映る姿は非常によく自らの姿を映しているようでいて、でも実際は見事なまでに左右真逆だ。利き手は逆だし、心臓の位置すら違う。もう全く別人どころかそもそも生命体としての構造すら違う。

 例えば録画した映像の自分を見ても、それは自分の過去の姿に他ならない。過去の自分とは、自分自身と似ているようでいて実際は全く別のモノだ。確かにソレが自分であった過去もあるが、テセウスの船を例に挙げるまでも無くそれは現在の自分とは全く違う素材で出来たナニカである。

 人は誰一人として自分の姿形、または精神的な在り様すら正確に把握できている者は存在しない。

 しかし、人はそんなんでも全く困らない。

 人間、自分自身の本当の姿なんて見れなくても、何の問題もなく生きていけるのだ。

 ……いや、もしかしたら逆なのかもしれない。

 つまり人は、自分自身の姿を直視したら生きていけなくなるのかもしれない。

 己の醜さとか、積み重ねてきた罪の重さとか、そういうものに耐えられないのかもしれない。

 ならば、もしこの世を創造したという神様がいるとするなら、それはさぞかし慈悲深い存在だったのだろう。巧妙に、単純に、人間が自分自身の姿を見てしまうような仕組みを世界から省いているのだから。

 でも、神様とやらは慈悲深くも、どうやら完璧な存在ではなかったようだ。

 なぜならその仕組みには抜け目、抜け穴が在ったからだ。

 或いは世界を一つのシステムと見立てるなら、エラーか、バグである。起きてはいけない例外(イクセプション)

 何でそんなことを言えるのかって? 端的に言えば、こうだ。



 私はその日──私自身に出会った。



   ***



 二車線道路のあちらとこちらを繋ぐ横断歩道。

 歩行者信号の横に付いた待ち時間のメモリを睨む人々に紛れてぼんやりとしていたとき、私は対岸の雑踏の中に妙に気になる人物を視た。

 彼、或は彼女は何が可笑しいのか、ニヤニヤと薄気味の悪い笑みを浮かべて、どういうわけかこちらを見ているような気がした。

 知り合いだろうかとも思ったけれど、いくら記憶を探っても思い当たる顔が無い。人が多い街中で、誰とも知らない赤の他人と目が合ったような気がする、なんてことは良くあることだろうし、気にする必要も無い。そう思うのに、何故か妙に引っ掛る。

 待ち時間のメモリが残り一つになった。

 そんな数秒程度のフライングでどうにかなるわけでもないだろうに、サラリーマン風の男が我先にと見切り発車で歩き出した。

 刹那、視界を遮られる。


 ……っ!?


 その瞬間、そう、その瞬間になってようやく、気付いた。

 信号が青になる。

 一斉に動き出す雑踏の中に目を凝らす……が、見付らない。そんなはずは無いのに、そこに居たはずの人間が視付けられない。

 突っ立ったままの私を避けるように行きかう人々は、不審そうに、或は如何にも邪魔そうな目を向けつつも何も言わずに通り過ぎて行く。もちろんその中にもソレは居ない。

「……なにしてんの? 信号、もう変わってるわよ?」

 右後ろから声がかかる。

 顔を向けると、イオは目を見開いてキョトンとした顔をしていた。

「なに? 顔色悪いわよ? 信号みたいに真っ青」

 もしかしたら彼女なりの軽口だったのかもしれないけど、生憎乗れる気分ではなかった。

 特に応えようとしたわけではない。が、どうやら私の口は勝手に動いたらしかった。

「はい?」

 私が居た、と。

「……なんですって?」

 今度は怪訝そうに、その綺麗な眉を歪めた。

 無理も無い、私だって誰かに突如そんな事を言われたら変な顔をする。

 でも、そう言うしか表現の仕方が思い付かなかった。


 ──二車線道路の対岸で不気味に嗤っていたのは、間違いなく私だった。



   ***



 ごつっ

 実に良い具合に、鈍い音が鳴った。私の額と、樹脂製の真新しい机の天板との逢瀬である。……思いがけず、ちょっと痛かった。

 だが態度にはおくびにも出さない。

 所謂、天使が通ったタイミングというやつか、響き渡るようなモノでもなかったのに、変な具合に教室内へ音が拡散してしまったからだ。

 リアクション芸人気質のムードメーカーならばいっそ大げさに痛がるほうが皆も喜ぶことだろうが、生憎と私はそういった人種とは真逆の生き物なのである。自らノーリアクションを貫くことで、周囲にもスルーを推奨する空気を作り出す。もう高校生という歳であるなら、よほどお幸せな人生を送った人間でもない限り、この無色透明なカンペには忠実に従うはずである。

「……なにやってんの? レイ」

 と、そこで私の右肩方向からKYな発言が降ってくる。だがこれは無視していい発言だ。或いはもっと正鵠を射るなら、反応を返してはいけない声だ、少なくともこの場では。

 なにせ、私にしか聞こえていないはずの声なのだから。

 今時、座席一つ一つに教育機関用のローカルコンピュータ端末が常備されている学校も決してマイノリティで無いこの時代に、古式ゆかしくも普通の机と椅子──と言っても、十年くらい前ならばデザイナーズ家具だとかの謳い文句で家具屋におしゃれにディスプレイされていたであろう人間工学に基づいた曲線を多分に含み、近代的な素材で構成されたソレであるが──を並べた教室で、登校するやいなや己が机と文字通りの意味で額を付き合わせ、独り言(に周りからは見える行為)を始めようものなら、滑ることが芸風のコメディアンが身体を張ったギャグで大げさに痛がる様を見るよりも、イタがられてしまうことだろう。

 まだ高校生活が始まってひと月も経っていない。早いうちから悪目立ちするのは、三十人弱と言う中小規模のコミュニティ内で長時間生活しなければならない学生生活ではよろしくない。精々気だるそうな態度を示し、朝の弱い女生徒が払いきれぬ眠気に耐えかねて机に突っ伏そうとして少々勢い余ってしまった、と思わせておく位が、今私が思いつく最善の……というか次善の処世である。

 ……とはいえ。

 完全にスルーを決め込むのも、雀涙が程度には気が咎めるところであったりする。私は口下手なことと、人見知りの気があるせいでどうも淡白な人間だと思われガチだが、多分、人並みには気を配るという事を知っているつもりだ──実情はともかく。

 なればこそ、気遣いの意を込めて声をかけてきてくれたものならば、最低限聞き届けたことくらいは示してあげるのが道理というものだろう。

 その気遣い(かもしれない)声がたとえ「頭大丈夫?」みたいな響きだったような気がしても。……まぁ好意的に取れば、ぶつけた額を心配してくれた言葉にも聞こえるし。…………。

 何故だか、本当に良くわからないが、上体を上げるどころか頭を上げるのすら億劫になったので、卓上に落ちている頭を転がす要領で首をひねり、さらに眼球だけ動かして声のしたほうへ視線を向ける。


 ──そこには、妖精が居た。


 比喩、ではない。

 彼女の名は、イオという。

 光り輝く羽を持った美しい女性、ちょっと露出度高めのファンタジックな装い、身長二十センチ弱というサイズ。おおよそ人が『妖精』と聞いて思い浮かべるイメージと、そう逸脱しないベタな姿である。だが彼女をベタな妖精だと称するにはちょっと処ではない抵抗を禁じえない。



 まず目に付くのはその腰まで届く豪奢にウェーブのかかった長い髪だろうか。

 絹糸の様なとかエナメル加工されたかの様なとか、そういうありきたりで判りやすい比喩ではその真髄を一割程度すら表現しきれないと言わざるを得ない、えも言われぬ輝きを放つそれは鮮やかな若草色。萌え吹く茶の葉の新芽を思い出す黄緑色の毛髪など、人の形をした生き物が身に有していても本来なら不自然極まりないはずであるのだが、そこに一切の違和感も奇異感も存在しない。

 その貌様も髪に劣らず輝かんばかりだ。

 完璧にしか見えない線対称に配置された眉目。鼻も口も含めて、いっそだまし絵でも見ているのかと思うほど絶妙に配置されたパーツは対する者にただ単純に「美しい」という感想を言わせる強制力さえ感じる。

 黄金色の瞳を抱く目は切れ長で眦が少々上を向いている。正面から本気で睨まれればさぞ強烈な威圧感を放つであろう双眸ではあるが、普段はそこに柔らかな光を宿して、加重を促す雰囲気など微塵も纏っていない……どころか異常な親しみやすさというか包容力を放っている(最もこれはタチの悪いフェイクである)。

 その体躯も五〇〇ミリリットルペットボトル並みのサイズとは裏腹に、可愛らしいと評することが出来ない、実にけしからんつくりをしている。大人の成熟した身体、というよりは人類として完成した身体とでも言うべきだろうか。あらゆる黄金比を巧みに駆使して精緻に作り上げた、精密機械が如き一部の隙もなく一部の隙も赦されない最高以上の、唯一無二のプロポーションを誇っている。それなのに作り物めいた無機質さとは無縁の艶かしさに満ちているのだから信じられない。

 肌は処女雪のように穢れなく真っ白で、しかし冷たさなどは微塵も見えず生命の暖かさを絶妙に共存させている。触れてはならないという禁忌性と、触れるべきだと感じさせる母性のようなぬくもりのコラボレーションは見ていて酷くジレンマだ。実体が無いのが口惜しいと、恥ずかしながら本音を言おう。

 そんな至高の宝石のような美躯を覆うのは、全くの対照的な、襤褸(ボロ)と表現しても或いはそう大げさでもない枯れ草色の一枚の布……それだけである、文字通りの意味でだ。その長く大きめの麻布を右肩から流して胸部を軽く巻く要領で覆い、均整の取れすぎた背中から腰へのラインを沿ってさらに一周、下腹部を隠す。あまった布裾は何処に止めるでもなく宙へ漂う。貧富の差にあえぐ国で、スリや置き引きで日毎の糧を得ているようなストリートチルドレン出すらもう少しまともに服らしい服を身に付けていることだろう。さらに言えば、彼女の魅力的に過ぎる肢体を必要最低限しか隠していないという出で立ちはセックスアピールも並々ならぬものがある。ハッキリ言って性的に過ぎる、俗っぽく言うなら、もう、すごい、えろい。

 だがそんな装いすら、清貧とでも言うべきか、みすぼらしさや弱者の印象などこれっぽっちも付随していない。それどころか彼女の美しさや気高さ、健康的かつ艶美なる魅力を最大限に引き立てる極上のドレスとして機能さえしていた。

 そして彼女が幻想の存在たる一番の証、六枚三対の羽がこれまた筆舌に尽くし難い。

 実在の物で例えるなら木の葉か虫の羽というのが近い。半透明で、葉脈のような模様が見える。ただその模様は不規則ではあるが秩序だった幾何学図形のようになっており、どこか機械の回路図を髣髴とさせる。常に青い光を湛えていて、しかも全く厚みを見出せないものだから背から生えているというよりはホログラムで空中に図形を投影している様で、他の部分が出来すぎのクセにいやに生物的なのに反してこの羽だけは何かの間違いかと思うほどに人工的な印象を受ける。

 その羽が常に発している音のしない蒼雷の火花のほうが、よっぽど生き物めいているだろう。青い色をした線香花火を想像してもらうと近い。ただし、あのパチパチが、蛇がのたくるように宙を走っている様は、やはり見なければ判らないかもしれないが。



 ──とまぁ、ここまで無駄に長たらしく目の前に浮遊している妖精の容姿に関して褒め千切り崇め奉るかのような賛辞を並べたわけだが、私の感情としては全くちっとも蟻の触覚ほどにも褒め称える気持ちなど無い。

 だが、彼女の容姿を文字で説明しようとすると、どうしてもあれこれとした比喩表現やら礼賛の言葉を並べざるを得ないのである。面倒なので自分で見ろと言いたいのだが、生憎と彼女が姿を見せようと思う相手で無い限りは、相当の霊感などがないと見えないので仕方ない。

 ちなみに、一応イオを妖精だという前提で紹介したが、実のところ(それこそ名前すらも)自称でしかないので本当の正体が何なのかは私には全く判らない。

 確かなのは、この自称電子の妖精は現在、私にのみ見えるようであり、声も私のみ聞こえるようであり、そしてもう付きまとわれ始めてからひと月半ほど経っているという事である。

 それだけ交流があれば、否が応でも互いの人となりが見えてくる。

 イオは第一印象こそ美しく、包容力や母性のような温かみを感じたものだが、実際のところは結構な毒舌家……というよりは物事を遠慮なくズバズバという、なかなかに我の強い性格だった。

 本人曰く「何事も0か1かで判断できないと気がすまない」のだそうだ。

 だから目だけ向けた私に対する続く言葉も遠慮容赦もオブラートもあったものではない。

「ひっどい顔してるわよ」

 酷い言われようだ。

 そりゃぁ、私だって自分の表情が客観的に見てあまり人好きする形を得意としていないことくらい自覚はある。大きなお世話というものだ。

 まぁもっとも、そのくらいの言葉をイチイチ気にするほど私だって狭量でもなければお幸せでもない。どの道反論するという行動をするわけにもいかないし。

「普段から酷い顔してるけど、今日は輪をかけて酷いわよ」

 ……輪をかけて酷い言われようである。

 気にしない気にしない。

 ちょっとだけ目線に力が入ってしまうのも特に他意はない。

「どうせ今朝視たモノ、気にしているんでしょう?」

 その言葉に一瞬だけ、私は目を逸らす。誤魔化しのつもりはない、これは肯定のアイコンタクトだ。こういうところで私は見栄を張らない主義である。悪く言えば──自分でわざわざ悪く言うのもアレだが──プライドというものに関して物持ちが悪いのである、私は。

 それにイオは妙に察しの良いところがある。一時しのぎの虚勢など、後で指摘されたときの羞恥心を嵩増しするばかりだろう。

 こちらの意図を正確に汲み取ったらしいイオは、実に様になる動作で小さく肩をすくめて見せた。



 今朝視たモノ──私。

 私は、今朝『私』を視た。

 鏡を見たわけでもビデオ映像を見たわけでも、ましてや比喩表現でもない。

 私が視たのは──言葉としておかしくなるが、私とは全く別の私自身だった。

 他人の空似でも気のせいでもない、それだけは確信できる。

 そんなはずは、そんなモノが存在するはずが無いと常識では判っているにも関わらず、アレが自分自身だったことを、私は何故か確信していた。

 そのことをイオに話したところ、あっさりと言ったものだ。

「ふぅん、じゃ、ま、そりゃ広義に言えば『ドッペルゲンガー』で間違いないでしょうね」


 ドッペルゲンガー


 この名詞を知らないという日本人はあまり居ないだろう。そしてその存在に付随してくる曰くも。

 曰く──ドッペルゲンガーを視た者は、近いうちに死ぬ。

 実に単純で何の捻りも無い怪談、或いは都市伝説だ。単純すぎて深読みすらしにくい。見たら死ぬ、因果関係が初歩的に過ぎる。が、それゆえに突きつけられる恐怖も直球だ。生きているものにとって本能的に一番怖い事はどう言い繕ったところで『死』なのだから。

 古典的かつ伝統的で、多大に有名で、そこそこリアリティがあって、ちらほら実例(という噂)があるのも厄介だ。アメリカ大統領のリンカーンや、作家芥川龍之介などが、犠牲者としては突出した著名人だろうか。

 「わっ!」と脅かす所が無い分、話として聞くだけならばこの手の話はあまり怖くない。

 医学薀蓄番組なんかで難病の初期症状を紹介しているのを見ても身に覚えがなければ口では怖い怖いと言いつつも感情的には本気で捉えたりなどせず予防策なんかもあまり注視しない、何てことは良くあると思う。感覚としてはそれらと同じだ。

 翻って逆に、何かしら身に覚えがあるとジワジワ来る。

 他人事だと思っていた、いずれは誰の身にも訪れると教科書的には理解していても実際は微塵にも覚悟などしていなかった死やそれに限りなく近い、或いは直結する難病というものの、あまりに予想外な身近さに思考の端から徐々に蝕まれていく。

 喉元過ぎればあっさり忘れられるビックリ系怪談、喉に引っかかった小骨のようなジワジワ系恐怖譚、なんて言えば対比しやすいだろうか。

 もっとも、難病疑惑なら色々検査すれば白黒付くし小骨だって取れればなんて事は無いが、こと噂話や都市伝説となると挙げた例以上に後を引くし吹っ切りにくい。何せ杞憂であったと断定することが著しく困難だからだ。正体が枯れ尾花でした、で丸く収まるなんて七割がたフィクションであると私は思う。



「心配性ねぇ、大丈夫よ。さっきも色々教えてあげたでしょう? ドッペルゲンガーと呼ばれるだろう現象は多種多様にあるけれど、本当に関係者が死や不幸に陥るモノなんて、実際そんなに多くないのよ?」

 本気で心配しているのか、本気で呆れているのか判りにくい、微苦笑(美苦笑と書きそうになった……)でイオがそんなことを言う。

 でも、それはつまり可能性としてゼロではないということじゃないか。

 やはりここでは直接会話できないので視線で言外に不納得の意を示すと、

「気にしすぎよ。というか、その『気にし過ぎ』なんかがむしろ悪い場合のドッペルゲンガーの原因の一つだったりするし──」

 やはりというか驚くべきというか、まるで正確にこちらの意図を察したような話の振り方をするイオ。これはこれでまた都市伝説なんかとは別の意味で気味が悪いことだが、そもそも彼女の存在自体が非現実的であるし、付き合いもひと月以上たった今更そんなことに眉をひそめるほどの新鮮味は無い。

 だから、私の眉を歪めさせたのはそれが原因ではない。


「あの……桜月さん、だいじょうぶ?」


 イオの言葉を遮るように(そんな意図など無かったろうが)私に声をかけてくる者があったのだ。

 今の私の姿勢では角度的に姿が見えないがその少々気弱そうな鈴鳴りの声には聞き覚えがある……と思う、朝ホームルーム直前という時間を考慮しても十中、九か十の確率でクラスメイトだ。

 さすがにクラスメイトに対してイオと同じ対応をするわけにはいかない。あまり嫌そうな動きに見えないよう気を使って重たい上体を机の上から引き剥がして声のほうへ顔を向ける。

 確信に近い予想はもちろん違わず、そこにはクラスメイトの女子生徒が、素直に心配そうな顔をして立っていた。

 解けば肩甲骨辺りまで届くだろうセミロングの髪を左耳の後ろ辺りで簡素に纏めた小柄な少女である。

 私見ではなかなかに整った顔立ちに思えるが、良くも悪くも垢抜けた印象は見受けられない。さっと頭頂から爪先まで目を走らせても制服に着崩したような点も校則違反も見つからず、かといってカッチリし過ぎた感も無いところに素朴な真面目さが垣間見えるが、それが気の弱そうな立ち居振る舞いと相まって地味さを演出していた。

 道端に咲く花、という表現がぴったりだろう。

「誰?」

 本人に直接言えば甚だ失礼だろう端的な言葉を発したイオだが、奇しくも彼女のそんな反応も前述の比喩に合致している。要するに、ちょっと影が薄い娘なのだった。

「何か具合悪そうに見えたけど、保健室とか行かなくてへいき?」

 あぁ、うん。大丈夫。ちょっと寝起きが悪かっただけで…… とか私は適当に流すような受け答えだったが、

「そう? ならよかった」

 少しも気にした様子など見せず、素直に安心を微笑みに含めて彼女は言う。可愛い。

 受ける方としても素直に好感を抱ける声と態度だ。こうして相対してみれば、彼女の──もちろん容姿だけではない魅力に気づく人は少なくないだろう。社交レベルの低い私自身が言えた義理ではないが、なかなかもったいない子である。

 保険委員か何かだっけ? などと感触の良い空気に興が乗った私は、柄にも無く自ら雑談を振った。

 私があまりしゃべりたがりでない事も恐らく判っているだろう彼女──聖園みその巳祷みのりは、しかし怪訝な顔一つせず、

「ううん、そうじゃないけど、たまたま目に留まったから」

 なんて応えを返してくる。

 本当に、一々反応が素直だ。心配ならば心配そうな顔をし、安心したならばその気持ちを全身で表現している。オーバーリアクションと言うわけでもないのに、見る者に与える印象にブレがない。

 私は取り立てて取り得が無い人間だがあえて言うなら、それなりに人の機微からモノを察するのが得意な方だ。だが聖園さん──諸事情により以降、巳祷さんと呼称──のそれは、そんなスキルなど無くても簡単に読み取れてしまう。

 これがもし演技ならば、世の名だたる名俳優達はすべて大根となり、世の名だたる詐欺師達はこぞって師事を仰ぎに来るという事態も将来的には検討しなければならないに違いない。

 天然ならば、社会に出るにしては損な性質かもしれないが、逆に愛される点でもあろうことを考えると一概に欠点ともいえないかもしれない。

 真相は確かめようなど無いが、ここは好意的に受け取るべきだ。こんな可愛い娘が悪女なわけがない。

 ──まぁ、だからこそ。

 これは巳祷さんの素直さを、こちらも素直に真摯に受け止めるからそこわかった。


 彼女が今発した言葉に、嘘が含まれていることが。


 後からなら何とでも言えるわけだから、今言っても説得力がないだろうが実を言うと最初に彼女の顔を見たときから、違和感があったのだ。ただ、心配そうな顔も、安心した態度にも嘘の気配が見えなかったので特筆しなかっただけである。

 柄にも無く雑談を振った理由を「興が乗ったから」などと言ったが、本当のところはそれだけでなく、彼女の不審な態度を確かめるためでもあったのだ。

 まさか、いきなり釣れるとは思ってなかったんだけれども。

 私自身、コミュ力の無さには自信がある。だから、単なる慣れない会話から来る挙動不審ならば変に掘り起こすような野暮をするつもりなど無かった。だが、彼女の態度はそういう種類とはどうも違うようだったのである。

 視線を逸らそうとする、というよりは『どうしても見過ごせないものがあって、気になって仕様が無い』という目の動かし方なのである。ゆらゆらと私の目を経由して往復する視線は、いくらかランダム性を付けてはいるもの明確にある一点へ収束する。

 丁度、私の右肩やや上の中空に。

 ふむ。

 まさかとは思ったが、もしやと思うところでもある。

「……あ、えっと?」

 さっきまで辛うじて淀みなく回っていた舌を絡ませて視線も先ほどまで以上にあちこちへ泳ぎだす巳祷さん。オロオロというオノマトペが幻視できそうだ。実に愛らしい。野の花と評したが、小動物になぞらえるべきだったか。

 さて、彼女は何に対して動揺し始めたのだろうか。

 急に黙り込んでじっと見つめる私の態度を気にしてかさもなくば──私と同じ結論に至ったらしいイオが面白がって彼女の周りを飛び回り始めた所為か。

「ひぅっ!? あぁ、あの……」

 どうも、まさかの後者──つまりビンゴらしい。

 顔面に衝突する勢いで迫ったイオに反応して小さく悲鳴を上げる巳祷さんを見てしまってはもう、我が眼の曇りで済ますわけにも行くまい。

 さてしかしどうしよう。もうすぐ朝のホームルームだし、そもそも他のクラスメイトの目があるところで面と向かって『この』話をするわけにもいかない。


 ……というわけで、既に相当怯えきってしまっている巳祷さんには可哀想なことをしてしまうことになるが、お昼ご飯の同道をお誘いしてみた。誠に申し訳ないがここで遠慮されてしまうと面倒なので、少しわざとらしく悪めの表情とともに。訳知り風な視線をイオのほうへ向けつつ。

 若干涙目になっている──しかし意外に気丈にも、出来るだけ平静を装った態度(失敗しているが、努力は買うべきだろう)で──彼女は、多分その場から離れたいが一心で迷わず首を縦に振ったのだった。



 ──後から思えば、これこそがこれから起こる事の全ての始まりだったと言えるかもしれない。

 色んなことが終わってしまってからでないと、そんなことにも私は気付かなかった。こんな些細な日常風景の一コマみたいな事よりも判りやすい節目が、幸か不幸かいっぱいあったからだ。

 イオに出会ったこととか、

 自分に出会ったこととか。

 間違いなく非日常なこれらに比べたら、単なるクラスメイトとのやりとりなんて──少々日常に属さない話題が挙がっていようとも、所詮はただのおしゃべりだ──三日もすれば吹き散らされる霞みたいに雲散霧消する他愛のない、特筆すべきことなど何もないことだと当時は……いや、見栄を張っても仕方がないのでぶっちゃけるが、全てが繋がるまで、私はそう思っていた。

ここまではしばらく前にすでに書き終えていた部分。

なるべくならば一週間毎ペースくらいは作っていきたいところですが前科(今までの経験)からして、果たしてそんなことができるだろうか……。


次回、『Sub 1( 双子 )』開始予定。

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