木槿(むくげ)と五円玉
「ねえ、お宮さんのお祭りに行こうよ!」
歌穂が、私と茜を誘ったのは、先週のことだった。
「お宮さん?」
「そうか~。夕深は去年の秋に引っ越してきたんだものね!
お宮さんのお祭りは知らないんだ。
この町では、有名なお祭りだから、
小学生の頃はみんな当たり前のように行くんだよ。
中学生になったら、あまり行く人いないけど……」
「来年は受験だし、遊べるうちに、遊ぼうよ!」
「ちょっとスリルのあるお祭りだしさ~……」
歌穂が、語尾を伸ばして声を震わせ、
幽霊のように手をひらひらと振ってみる。
「やだ! もう! 私は会ったことないよ!」
茜が寒気がするみたいに、両腕をさすって体を震わせた。
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駅の改札の向こうから、
青い浴衣の歌穂とクリーム色の浴衣の茜が揃ってやってくるのが見えた。
「おまたせー!」と手を振りながら、私の浴衣を見つめる。
「夕深の浴衣、珍しい模様だね。紫色の大きな花。なんていう花?」
「むくげっていうんだけど。この柄、古臭いでしょ。これしか無くて」
私は恥ずかしくなって、浴衣を隠すように腕を前に組んだ。
突然お祭りに行くことになって、母は自分の浴衣を出してきた。
白地に、朝顔のような丸い薄紫の花が、大きくいくつも描かれている。
「こんなんじゃ嫌だよ! 新しいの買って!」
「そんな余裕はないの! これでも十分きれいなんだから、
これにしなさい!」
楽しいはずのお祭りの前も、また喧嘩になってしまった。
母とは、ここのところ衝突してばかりで、会話をするのも面倒になる。
体を包む母の浴衣から、
わずかに樟脳の匂いがして、ますます苛立つ。
母のことを毛嫌いするようになったのは、いつからだろうか。
まだ小学校の低学年のとき、植木屋だった父が事故で亡くなり、
それからふたりで助け合って生活してきたはずなのに……。
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駅を出ると、『お宮さん』と呼ばれる丘の上の神社まで、
まっすぐに提灯の灯りが並んでいる。
道の左右を屋台がひしめき合い、
屋台の前の裸電球の黄色い光がさらに明るく輝いている。
夕暮れの日の色を少しだけ残した空を背にして、
提灯や屋台の灯りは、一層まぶしく感じられた。
私たちは、飛行機の滑走路に降り立つように、
人がごった返す参道へと入っていった。
人の波をかき分けて進もうとするが、なかなか思うように進めない。
歌穂と茜の姿を見失わないように、必死でついていく。
しかし、大事な目的も忘れていない。
二人の姿を追いながら、もうひとりの姿も探す。
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「スリルがあるお祭りって、何?」
「お宮さんのお祭りに行くとね、死んだ人に会うんだって!」
「もう、やめてよ歌穂!
私小さい頃死んだ頑固者のおじいちゃんに会ったら、こわい!!」
ふたりが冗談で怖がっているときに、私は真剣に考えていた。
『お父さんに逢えるかもしれない』
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「ここだよ! 五円駄菓子屋!」
ひとごみを掻き分け掻き分け、ようやく参道の中ほどに来たとき、
茜が指差した。
―― 五円駄菓子 ばあちゃんの店 ――
屋台の列が切れて、参道よりちょっと奥まったところに、
古い木の看板を掲げる小さな店があった。
今にも崩れそうな古い家屋には、開け放した店先から覗くだけでも、
小さな駄菓子がところ狭しと置いてあるのが見える。
店の中は、いくつかの裸電球で照らされていて明るい。
意外にたくさんのお客さんが狭い店の中にいる。
値段は、五円、十五円、二十五円と、必ず五円が付いている。
歌穂と茜は、さっさと品を選んで買っていた。
「夕深! 買うときは奇数買うんだよ」
品選びをする私に、茜が教えてくれた。
結局三個の飴を選び、清算してもらおうと
おばあちゃんのところに行った。
三個で十五円。二十円をおばあちゃんに払う。
「お宮さんにしっかりお祈りしておいで。ご縁があるように」
おばあちゃんは、そういってお釣りの五円玉を私の手に握らせた。
『このおばあちゃん、
私がお父さんに逢いたがっているのが分かったのかな?』
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おばあちゃんに渡された五円玉を手に、
神社の境内へ続く長い石段を上っていく。
境内に続く階段は、上る人、下りる人の行列が、
左右に分かれてのろのろと流れている。
参道よりも暗い提灯の下で、人の流れにまかせて上っていると、
自分がどこに向かっているのか分からなくなってくる。
石段を上りきったとき、ふと気づくと、近くには歌穂も茜もいなかった。
『どうしよう……』
薄暗い森に囲まれた境内は、たくさんの人がいるのに、
参道の賑わいとはまったく違って不気味に静かだ。
異次元の世界に迷い込んでしまったような不思議な感じがする。
私はふと、何かに導かれるように、
境内の脇に続く林の中の道に入っていった。
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林の道の先に、白くぼんやりと光る一本の木があった。
私の背よりも少し高いその木には、たくさんの白い花がついている。
「あれ? この花は……」
私が言いかけたとき、後ろのほうで誰かがその続きを言った。
「おや、木槿だ。
この花は夜になるとしぼんでしまうのに、
なんでこんな時間に咲いているんだろうなぁ」
振り返ると、甚平を着た男の人が、
赤い浴衣の小さな女の子を肩車して、木槿の木を見つめていた。
「なんで、夜になるとしぼんじゃうの?」
「お花には、昼だけ咲く花や、夜だけ咲く花、いろいろあるんだよ。
でも、このむくげという花はたった一日、
それもお日様が出ている間しか咲かないんだよ。
夕方、花がしぼむと、ぽろんと落ちてしまう。
そして次の日には、別の花が開くんだよ」
「一日しか生きられないの?かわいそう」
「そんなことはないよ。一日だけの命だから、
一所懸命開いてどれも一番きれいな姿をしているんだ」
私は、その親子の会話を耳にして、『おや……』と思った。
植木屋だった父は、夕深によく植物の話をしてくれた。
ずいぶん前、小さい頃に父から聞いた『木槿の話』と同じだ。
「毎日がその日しかないんだと思ったら、一所懸命になるだろう?
そうしたら、その姿はとてもきれいだ。
……も、そう思って一日を大切に生きるんだよ」
『……』の名前は聞き取れなかった。
振り返ったときには、その親子の姿はなく、
境内のほうから提灯の灯りが、薄く道を照らしているだけだった。
でもその会話は、夕深と父が昔かわしたものに違いない。
「お父さん……」
木槿のほうを振り返ると、さっきまで開いていた白い花は、
みんなしぼんで小さくなっていた。
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境内に戻ると、歌穂と茜が睨んでいた。
「どこ行ってたの? 遊ぶ時間がなくなっちゃうでしょ!」
「あれ? 夕深の浴衣の花の色、さっきとは違う色だ」
「本当、紫色に見えたのに、きれいなピンク色になってる!」
「提灯の灯りの色でそう見えるんだよ」
そう言いながら、本当は私もこの花のいろが変わったのだと思っていた。
「あのおばあちゃん、会いたい人に会えるおまじないを知っているのかな?」
私が手の中の五円玉を見て言うと、
歌穂と茜が不思議そうに顔を見合わせた。
「だって、ご縁があるように。って……」
二人はそれを聞いて笑い転げた。
「何言ってんの! あのおばあちゃん、あれが決まり文句なの!
ほら、私たちにも同じこと言ったよ!」
と、二人とも手の中の五円玉を見せた。
「もしかして、夕深、会ったの? ゆうれいに~?」
二人は同時にきゃあと叫んで、げらげらと笑った。
「まさか! きっと、ご縁って、すてきな人に会えるようにってことだよ」
「あれ~。夕深ったら、おとめちっくー!」
それから三人で、お宮さんの賽銭箱に五円玉を投げ入れてお参りした。
五円玉がちゃりんちゃりんと小さな音を立てて落ちていった。
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木槿のように、一日を一所懸命、大切に……。
父はその言葉を思い出してほしかったのかもしれない。
帰ったら、母に『浴衣をありがとう』と声をかけてみよう。
もしもたった一日しかなかったら、どんなことにだって勇気が出せる。
どんなことも大切に思える。
そんなことを考えながら、参道に下りて
『ばあちゃんの店』の前を通りかかったとき、
店の奥のおばあちゃんと目が合った。
おばあちゃんは、私を見てにっこりとうなずいた。
「まーた! 夕深はぐれないでよ!」
私はおばあちゃんにうなずき返すと、急いで二人のあとを追いかけた。
(おわり)