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異世界から来た冒険者のおっさん、現代日本で始末屋になるようです  作者: 鳥獣跋扈


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第5話 おっさん、風呂に入り金を得る

 翌朝――革張りのソファの上で、バルドは自然と目を開けた。

 姿勢が固まったままのせいか、少しばかり体が硬い。


 窓の隙間から差し込む光は、まだ白さの残る柔らかい色だ。

 まだ日が昇って間もないのせいか、鳥の鳴く声位しか耳には入らない。


(……あれから、すぐ寝てしまったのか。どうやら思ったよりも気を張っていたようだ)


 ソファから体を起こす。

 軽く肩を回してみると、筋肉の張りや、関節の動きに引っかかりを覚える。


(少し、鈍ったか)


 日々戦っていた頃に比べれば、反応がわずかに遅い。

 だが、致命的というほどでもない。


 窓を開けると、ひやりとした空気が流れ込んできた。

 街の空は、淡い雲が薄く散り、東の地平はわずかに朱に染まり始めている。


 周囲にはあまり高い建物もなく、地方の城砦都市――そんな印象だ。人の気配はまだ薄い。


(身体を慣らすには、ちょうどいい時間だな)


 バルドは服を整えると、そっと部屋を出た。

 灯りの無い階段は、どこか冷え冷えとした印象を受ける。


 ゆっくりと階段を下りて行った。



* * *




 事務所から、数街区ほど離れたあたり――

 早朝の住宅街は、まだ人影もまばらだ。時折、犬の散歩をする老人の姿が遠くに小さく見える程度。


 バルドは、人気の少ない狭い路地を抜け、小さな河川敷に出た。


 岸辺にわずかに残る草地。その向こうを、淡い色の川が静かに流れている。


「……この辺りなら、見られにくいか」


 周囲を確認し、人気がないことを確認しながら、ゆっくりと肩を回す。

 まずは単純な動きから――


 膝を曲げ、地面を軽く蹴る。

 空気を切る感触と共に、身体がふわりと浮き、すぐに着地する。


 二度、三度と跳躍を繰り返す。

 足裏から伝わる衝撃と、筋肉の収縮。地面との距離感。


(……多少、鈍りはあるが)


 そこまで酷くはない。

 立ったまま腰を折り、上体を左右にひねる。背筋が鳴り、関節が順に目を覚ましていく。


 続けて、腕を振り上げ、軽い素振りの動作。

 しなり、戻り、バランス。

 身体の「癖」が、少しずつ、馴染んでいくのが分かる。


 ひと通り確認を終えると、バルドは静かに息を吐いた。


「……次は、魔力だな」


 意識を内側へと向ける。

 腹の底――鍛え上げた「器」の手触りを、ゆっくりと探る。


 昨夜まであった、胃の裏を撫で回されるような不快感は、ほとんど消えていた。


(環境に、多少は慣れたか)


 空気に含まれる魔素の質は、場所によって違う。

 この辺りはだいぶ《《魔力が濃い》》ようだが、ようやく身体に馴染んできたのだろう。


 バルドは、周囲から魔力をゆっくりと取り込み、それを体内で循環させるイメージを描く。


 血流に沿って、全身へ流し込む。

 腕へ、脚へ、背骨へ、指先へ――


 次の瞬間、彼の身体の周囲の空間が、わずかに揺らいだ。


 陽炎のように、景色がかすかに歪む。

 光が、薄い水膜の中を通過したように屈折し、輪郭が一瞬だけ曖昧になる。


 地面を軽く蹴る。

 さきほどより、明らかに高く、軽く跳べた。


(ふむ。巡りは良くなった)


 身体能力の底上げが問題なく機能している事を確認し、魔力の流れを徐々に鎮めていく。

 川面を渡る風が、汗ばみ始めた頬を撫でていった。

 

 最後に一つ、腰を落として脱力。

 一瞬の間の後に、ふん! と全身に一気に気を巡らす。


 うっすらと滲んでいた汗が体から吹き飛び、大気へと昇華していく。

 風の巡りを魔力で操作して周囲へと馴染ませる。


「……戻るか」


 短く呟き、バルドは踵を返した。



* * *



 事務所へ戻ってくる頃には、街は目に見えて動き始めていた。


 若者の集団が揃いの衣装で歩き、作業着姿の男たちが車輪のついた箱に乗り込んでいく。

 あれが所謂、馬車のようなものだと聞いた時には信じ難かったが、実際に動く様子を見れば信じざるを得ない。

 何か魔道具の様なものだと思えば、納得も出来る。


 静まり返った事務所の中で、バルドはふと気づいた。


(……そういえば、食料がないな)


 昨日は結局、昼餉から何も食べていない。

 カズとしずくが帰ってから、すぐに寝てしまったのだ。


 腹が、ぐう、と控えめに鳴いた、その時――


「おはようございますっす!」


 勢いのある声と共に、ドアがガチャリと開いた。

 藤堂和弘――カズが、軽く息を弾ませながら顔を出す。


「あ、バルドさん。もう起きてたんすね」


「ああ」


「っすよね。あ、親父さんから伝言預かってきやした。まずは風呂行ってこい、って」


 カズは頭をかきながら笑う。


「昨日はバタバタしてたんで、すっかり抜けてて。すんません」


「風呂、か」


 先日借りた“シャワー”とやらで体の表面は洗った。

 だが、長旅と魔力酔いの疲れを考えれば、悪くない。


「この近くに、銭湯があんすよ。朝からやってるんで、一っ風呂浴びに行きやしょう」


「……銭湯?」


 聞き慣れない言葉に眉をひそめると、カズは嬉しそうに笑った。


「あー、公衆浴場っていや分かりますかね? デカい風呂。みんなで入るやつ」


「皆で入る……湯殿か。向こうでは、似たようなものは温室の方が多いな。湯は限られている」


「そりゃもったいねぇっすね。じゃあお楽しみだ」


 バルドは少しだけ目を細める。


(湯を、潤沢に使う……)


 それがどれほど贅沢なことか、まるで貴族か魔術師だ。

 少し楽しみになってきた。


「よし、行くか」


 短く答えると、カズは「よっしゃ」と笑って先に立った。




* * *




 銭湯は、事務所から少し歩いた先の、古びた商店街の外れにあった。


 瓦屋根に煙突が突き出た建物。

 入り口には「ゆ」と大きく描かれた暖簾が揺れている。


「……ここか」


「そうっす。昔ながらって感じっすけど、中はちゃんと綺麗にしてるんで安心して下さい」


 暖簾をくぐると、木の香りと洗剤の匂いが混じった温かな空気が鼻をくすぐった。

 入口に居る婆さんに挨拶し、料金を払い、男湯へ。


 脱衣所には籐の籠と木の仕切り。

 壁には羽が数枚ある丸い金属製の道具が、ゆっくりと回っている。

 どうやら風を起こすものらしい。


 服を脱ぎながら、バルドは奥から香る湯の匂いを感じた。


 ガラリと引き戸を開け、浴場へ足を踏み入れた瞬間――

 一面に広がる湯気と、白いタイルの床、そして大きな湯船が視界に飛び込んできた。


 青い絵柄のタイルが貼られた壁。

 奥には複数の浴槽が並び、湯が絶えず注ぎ込んでいる。


 湯気の向こうで、数人の老人たちがゆったりと湯に浸かり、世間話に興じている。


「……これは、壮観だな」


 思わず漏れた言葉に、カズが得意げに胸を張る。


「でしょう? サウナもいいですけどね、こうやって湯にどっぷり浸かるのが日本の正解っすよ」


 頭と身体を洗い終え、湯船に足を沈める。

 瞬間、じわりと熱が侵食してきた。


 膝、腰、肩まで沈める。

 全身が湯に包まれ、硬くなっていた筋肉がほぐれていく。


(……これは、贅沢だな)


 思わず目を閉じる。

 背中を預けた石の感触と、湯の重み。

 魔力の流れが、ゆっくりと穏やかな波に変わっていく。


 しばらく無言で湯を味わい、のぼせる手前で浴槽から上がった。




 風呂から上がると、脱衣所の隅に置かれたガラスでできた箱の前で、カズが瓶の飲み物を指差した。


「バルドさん、コレっすよコレ。風呂上がりはコーヒー牛乳かフルーツ牛乳っす」


「牛乳に……果物?」


 不審そうな顔をしたバルドのために、カズはフルーツ牛乳を一本購入し、栓を抜いて渡す。


 一口、恐る恐る含む。

 甘さと冷たさが喉を滑り落ち、さきほどまでの火照りを一気に撫でていく。


「……妙な味だが、悪くないな」


「イケるでしょ」


 湯上がりの空気を胸いっぱいに吸い込みながら、銭湯を後にする。

 外はすでに朝の光が強くなり、通りには人々が行き交い始めていた。


「そうだ、忘れてたっす」


 歩きながら、カズがズボンのポケットを探り、封筒を取り出した。


「親父さんから預かってます。『当面の生活費だ』って」


 手渡された封筒は、軽くはなかった。

 中を覗くと、同じ大きさの紙片が何枚も入っている。


「これは……貨幣か?」


「あれ? バルドさんの国って紙のお金ないんすか? まぁ日本のお金初めてだと分からないかもっすから、説明しますね!」


 カズは歩みを緩め、ざっくりとした口調で言う。


「お金は紙のお金と硬貨、コインがあるっす。基本的に数字が書いてあるっすから、分かると思うんすけど、数字は読めます?」


「ああ。……これは一、と、四つの零か」


「そうっす、それが一万円札って言って、一番価値の高いお金っす。で、それが十枚で十万っすね」


 バルドはしばし黙って紙幣を眺めた。

 質感。刷り込まれた模様。一種の美術品の類と言っても信じられるほどのモノだった。


「なるほどな。これで……どのくらい過ごせる?」


「まぁ、一人暮らしで無駄遣いしなけりゃ、一か月はいけるっすね」


「一か月……月巡りのことか」


「つき……? ああ、月巡りって言うんすか、そっちでは」


 バルドの住んでいた地方では、三十日をひとまとまりに数え、「一月巡り」と呼んでいた。


「そうっす。大体三十日。それくらいは保つっすよ」


 バルドは軽く頷き、封筒を懐にしまう。


(これ一つで、三十日分……か)


 冒険者としての稼ぎを考えると、やや心許なかったが、今は世話になっている身。

 ありがたく頂戴することにした。


「んじゃ、せっかくなんで朝飯買いに行きましょうか」


 カズが指で前方を示す。


「しずくお嬢さんも、まだ来ないでしょうし。先に腹ごしらえっす」



* * *



 事務所スペースの座卓に、買ってきたパンや飲み物を広げる。

 主にカズが選んだものだが、買い物の練習、とのことで、先ほどの金から出した。

 釣りとしていくらかの紙幣とコインを受け取ったが、確かに数字が書いてあるので、なんとなくだが貨幣価値は理解できて来た。


 二人で簡単に朝食を済ませた頃――


 ガチャ、とドアノブが回る音がした。


「……おはよ」


 昨日と変わらない姿のしずくが、眠そうな目で入ってくる。

 いや、よく見ると服の色が違うようだ、同じ服をいくつも持っているのだろうか。

 肩から下げるバッグは、昨日は持っていなかった。


「おはようございます、お嬢さん」


「おはよう」


 しずくは、テーブルの上に山と積まれたパンをちらりと見た。


「あんたら、朝からよく食べるわね」


「身体が資本だからな」


 淡々と返すと、しずくは「ふーん」と鼻を鳴らし、そのまま部屋の隅にある机へ向かう。


 机の上には、先日黒岩が書いた「黒岩調査・探偵事務所」の紙と、いくつかの書類が積まれていた。


「今日は事務所の登録とか、書類仕事がメインだから。あと、足りてない備品とか配送頼んだのが来るはず」


 しずくは椅子に腰を下ろし、バッグから薄い板のようなものを取り出し、それを開きながら言う。


「だから、あんたは外で散歩でもしてなさい。ここにいてもやることないでしょ」


「散歩っすか?」


 カズが口を挟むと、しずくは冷たい視線を向けた。


「カズは残り。荷物受け取りと荷ほどき、全部よろしく。雑用係でしょ、あなた」


「マジっすか……」


「マジ」


 反論の余地はないらしい。

 しずくは、改めてバルドの方を見た。


「この辺、まだよく分かってないでしょ。地理覚えるのは、大事なことよ。迷子になられたら面倒だし」


 もっともな話ではある。

 バルドは、少しだけ周囲を見渡し、頷いた。


「分かった。少し歩いてくる」


「そうして」


 しずくは、もう興味を失ったように開いた板へ視線を戻した。

 何やら指を素早く動かすのに合わせ、カタカタと小さく音が響き始める。


「はぁ……バルドさん、俺の分まで楽しんできてくださいっす……」


 カズが未練たらしく呟く。

 バルドは肩をすくめただけで、玄関へと向かった。


(この街の構造を知っておいて、損はない)


 そう判断すると同時に、胸の奥に微かな高揚があった。

 見知らぬ街路、見慣れない建物、異質な文化。


 これもまた、《《冒険》》の一つなのだろうか。

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