第一幕「焦げた円環」
雨が石を叩いている。
だが儀式室の中には届かない。
ここは閉じられた劇場だ。
白墨で描かれた円が床の中央にある。
正確すぎる円だ。
逃げ道を与えない線。
円の内側には文字。
角度が鋭く、線が揃いすぎている。
祈りというより設計図。
中央に司祭が立つ。
汗が浮き、瞳は熱に酔っている。
最前列にはエリザベス一世。
王冠は重い。だが姿勢は揺れない。
司祭が両腕を広げる。
「光よ――降りよ!」
香が濃くなる。
空気が張る。
炎は、音を立てなかった。
司祭の胸元が内側から裂けるように青く走る。
崩れ落ちる。
兵が踏み出す。
だが円の線の手前で止まる。
誰も、踏み越えない。
火は消えたように見える。
そして、
再燃。
「天使だ!」
誰かが言い、全員がそれを信じる。
女王が静かに言う。
「呼びなさい」
扉が開く。
冷気。
濡れた外套。
靴音は早い。だが焦りはない。
「煙が濃い」
声は低い。
その低さは、演技だ。
手袋を外す指先は妙に細く、
喉仏が、ない。
ジョン・ディー。
宮廷付天文方。
世襲称号“ジョン・ディー”。
彼女は男の姿をしている。
「天使ですね」
沈黙。
「――と、言ってほしい顔をしています。燃焼です」
しゃがみ込み、床の粉を指で擦る。
嗅ぐ。
「松脂。硫黄。鉄粉。粒径が揃いすぎている。
蝋燭の炎は黄色い。これは違う。」
一拍。
「胸だけを青く、鋭く焼いた」
レインが言う。
「今わかったのか?」
「ええ」
「いつ嗅いだ」
「今です」
レインが舌打ちする。
ディーは突然、円の外周に寝転がった。
ざわめき。
「何をしている!」ダドリー。
「視点を下げています」
「今ですか?」
「今しかありません」
床から天井を仰ぐ。
換気孔。布。気流の流れ。
「換気が殺されています」
「……何だと?」
「熱は逃げない。粉は舞う。衣に付着。引火。
計算できます」
司祭補佐が怒鳴る。
「冒涜だ!」
拳が飛ぶ。
ディーはまだ寝転がったまま。
男の肩が動く。
左重心。
足場が湿っている。
拳は右。
殴られた未来を、頭の中で一度だけ死なせる。
――未来①
殴られる。鼻骨折。却下。
――未来②
転がる。燭台接触。火拡大。却下。
――未来③
肘を押す。膝浮く。採用。
時間が戻る。
ディーは男の肘を軽く押し、膝を払う。
男は自分の勢いで転倒する。
「立ったままやれば?」
ケリーが言う。
いつの間にか入口に立っている。
雨に濡れた髪。
靴は磨かれていない。
目だけが妙に楽しそうだ。
「間に合いましたか! 翼を――」
「硫黄です」
「夢がないですね」
「夢は可燃性です」
レインが男を拘束する。
マーガレットが記録を続ける。
ディーは立ち上がる。
円の中央を見る。
焦げていない一点。
視線が止まる。
再計算。
さきほどの蒼の断片が、薄く重なる。
円の位置。
女王の視線正面。
焦げの伸び方向。
「演出が過剰です」
ダドリーが低く言う。
「事故ではないと?」
「事故はもっと無様です」
ケリーが円の文字を見ている。
「これ、呼びかけだ」
ディーは即答する。
「恐怖を呼ぶ形です」
「違う。見ているやつを選んでる」
ディーの指が止まる。
「誰を」
ケリーが肩をすくめる。
「わかるやつを。
……女王陛下が一番わかりやすい例だけどね」
レインが笑う。
「お前のことか?」
「違う。もっと面倒くさいやつだ」
一拍。
ディーはゆっくり立ち上がる。
「観客がいる」
「今まさにいるだろ」とレイン。
「観客ではない。観測者です。違いは重大です」
円。
炎。
女王。
焦げない一点。
光が蒼に沈む。
音が遠のく。
王冠。
閃き。
銃声。
世界が戻る。
音が追いつく。
ディーは息を吐く。
「……終わっていない」
ダドリーが問う。
「何が」
ディーは答える。
「舞台です」
ケリーが笑う。
「続きがある?」
ディーは円を見たまま言う。
「あります。必ず」
女王が立ち上がる。
「では、読みなさい。ジョン・ディー」
ディーはわずかに目を細める。
“名”に向けられた声。
――天文方の席へ、宮廷の椅子へ。
「読みます」
煙がまだ天井へ上がっている。
焦げた円環は、前座にすぎない。
第一幕、終。




