095:樹の後悔
田中美佳の家に行った日の夜、僕は夢を見た。
それは、短い夢だった。まるで雪のようにイルージョンの粉が舞い散る草原に、金髪碧眼の少女が笑顔で立っている。少女の服装は白いワンピ。
『樹くん、戻って来てくれたんだね』
僕は、躊躇いがちに首を縦に振った。
『嬉しい。これからは、ずっと一緒にいられるんだよね?』
僕は、やっぱり答えない。ていうか、答えられない。
周囲の草原は、見る見るうちにイルージョンの粉に覆われて行く。草原の緑が銀色に塗り替えられてしまい、僕には眩しくてしょうがない。
舞い下りるイルージョンの粒は、次第に大きくなって行く。良く見ると、それは球体じゃなくて……。
『うわあ、金平糖みたい。綺麗……』
目の前の少女が歓声を挙げた。だけど、僕は少しも嬉しくない。だって、頭に当たる金平糖は地味に痛いし、銀色に染まった地面は滑り易くて気が抜けない……と思っていたら、盛大にコケた。
目の前の少女が笑っている。その笑顔は、何故か少しぎこちない。そして、お決まりのように、彼女は僕の目の前で消えて行ってしまう。
後には、ただ銀色に輝く世界だけが残されていた。
★★★
最近の僕は、緑川瑞希の夢を良く見る。夢の中の瑞希はいつも笑っていて、でも、いつも最後は砂のお城のように身体が崩れて、跡形もなく消えてしまう。
それはきっと、あの時、公園で見た消えて行く猫のイメージなんだろう。そして、あの猫の不気味な笑みも僕は、消えて行く瑞希に重ねて見ているのかもしれない。
でも、現実の瑞希は、いったい何を思っているんだろう?
あの公園で、今でも僕を待っているんだろうか?
分からない。それに、正直な所、僕はあの日の事を考えたくない。
だけど、毎晩のように夢で見てしまうって事は、きっと考えなきゃいけないんだろう。
あの日、結局、僕はヒカリ市から逃げ出したんだと思う。もちろん、母さんや翔太からの説得を受け入れたってのもあるけど、それが本当に正しかったのかって言われると、僕は黙り込んでしまうしかない。
あの瑞希を永遠に失いかねないという場面で、僕の判断はあまりにも稚拙だった。それ故に僕は今、死ぬほど後悔している……。
「樹、いつまで寝てるの? 水野くんから電話よ」
布団の中であれこれ考えていると、母さんから声が掛かった。僕は布団からのろのろと置き出して、パジャマのままの恰好で受話器を取る。
「おう、香山。お前、こんな時間まで寝てたんか?」
「こんな時間ったって、まだ八時にもなってないだろ?」
「充分、おせーわ。昔から早起きは三文の徳って言ってだな……。あれ? 八文だっけか?」
「どっちにしろ、大した得じゃないだろ? 話が無いなら、僕は寝るけど」
「おいおい、話ならあるって。ゲーセンでも行こうぜ」
そんな風に誘われて、僕はサッカー部の仲間の水野、中村、林の三人と午後にゲームセンターで待ち合わせ、一通り遊んでからハンバーガー屋でダベる事になった。
最初のうち僕は田中さんとの事を集中的に訊かれたけど、直ぐに話題はハッピーアイランドの事になった。
水野達に瑞希の事は話してない。だから、彼らは単純に「未知の病原菌」についての話が聞きたいんだろう。でも、僕は彼らに本当の事を言うつもりはない。
「ごめん。話せる事はあんまり無いんだ。一日だけ父さんに会いに行っただけだからさ」
「そっか。で、香山は身体の方、大丈夫なんか?」
「電話でも言ったけど、大丈夫だよ。父さんの方は、まだ入院してるけどね。それよりも問題は、この髪の毛だよ」
「おう。実はオレも気になってたんだけどさ。お前、思い切った事したなあって思ってたんだけど……」
「だから、染めたんじゃないんだってば……」
とまあ、そんな風に髪の毛を染めたという冤罪を晴らすのに苦労はしたけど、その三人は、しつこく訊いては来なかった。そういう所は、女子よりもアッサリしていて大変助かる。
それでも、僕の気分はちっとも晴れなかった。
★★★
夕方の割と早い時間に帰った僕に、珍しく祖父が話し掛けて来た。
「なあ、樹。お前の母さんの事なんだが……」
最近、母さんは見るからに痩せてしまった。ヒカリ市に行った時は誰もが痩せていたから目立たなかったけど、あの鯨岡朱美さんと比べたって、遜色ないレベルだと思う。
たぶん、祖父も気になっていたんだろう。だけど……。
「あの、祖父さん。まずは母さんが言った事をちゃんと聞いてあげるべきなんじゃないかな。祖父さんには信じられないのかもしれないけど、それは僕らにとっても同じだったんだ。今までの常識じゃ考えられないような事が、あの大地震の後は立て続けに起こっていて、正直、僕だってパニックの連続だったんだよ。それは、きっと母さんも同じだったんだと思う。それなのに、何を言っても頭ごなしに否定されたんじゃ、誰だって落ち込んで当然だと思う」
「そうは言ってもなあ。あんなこと言われたって……」
「子供や孫が、九死に一生を得たってぐらいの災厄に見舞われたってのに、それを信じない人に何を言っても無駄だって思うよ。まあ、最初から僕は、本当の事を言うつもりは無かったけどね」
僕は、祖父に本当の事は言わないまでも、ある程度は喋らないと納得しないだろうという気がし始めていた。
僕は少し考えて、祖父が取っ付き易そうな事から話してみる事にした。
「あのさ、祖父さんは、新型発電について、どこまで知ってる?」
僕の質問に対して、祖父が答えた内容は、「何も知らない」に近い状態だった。一応、祖父は地元の大手自動車部品会社で管理職だった筈だけど、畑違いの事には関心が無いって事なんだろう。
「新型発電ってのはさ、既得権益の塊で、今まで多くの政治家や役人なんかが甘い汁を吸ってきたんだけど、そういう話って聞いた事ある?」
祖父も、こっちの話については、酒の席とかで聞いた事があるようだった。大人の世界には、色々と縄張りみたいなものがあって、それを侵すとヤクザとかまで使って、必死に抵抗しようとする人達がいるらしい。それは何も新型発電だけの事じゃないようだけど、一番典型的な例として、新型発電の事が取り上げられる事が良くあるそうだ。
「今回の新型発電所の事故はさ、そうした既得権益を持つ人達からすると、まさに『目の上のたんこぶ』だったんだ。だから、その人達が本気になってマスコミを操作して事故を隠蔽しようとしたんだよ。だって、今回の事故で新型発電の事業が大幅に縮小されちゃったりしたら、大変だもんね。それで政府は、イルージョンの人体への影響を過少評価した。ハッピーアイランドがどんな状態になろうと、それをひたすら隠そうとしたんだ。こうやって説明しても、まだ分からない?」
「じゃあ、葵が言ってるように、テレビのニュースで言われてる事は、本当に間違いなのか?」
「そうだよ。そんなのは、ハッピーアイランドにいる人は誰だって知ってる。もっとも、今だにハッピーアイランドに残ってる人は、ほとんどイルージョンに侵されちゃって、何にも分かんなくなっちゃってる人が大半なんだけど……、まあ、それは別の話だから良いや。それより、今のハッピーアイランドは、本当に酷い状態なんだ。それで、いよいよ被害を隠し通せなくなったから、その原因をイルージョンじゃなくて、偶然に生まれた『未知の病原菌』のせいだなんて嘘をバラ撒き出したんだ」
「それって、嘘なのか?」
「当ったり前じゃない。どう見たって子供だましだと思うけど」
「そ、そおうなのか……。でもなあ……」
「だいたいさあ、今のヒカリ市は、たった一晩いただけで、こんな髪の毛になっちゃうんだよ。それくらいに酷い状況なんだ……あ、ごめん。今のは忘れて。今は公安警察ってのが動き回ってて、ハッピーアイランドの情報漏洩を避ける為なら、もう『なりふり構わず』って感じだからさ。僕も尋問された事があるけど、非常に危険な状態なんだ。祖父さんが老人会とかで言いふらしたりするのも、絶対に止めて欲しい。誰かがネットで呟いたり、マスコミに情報を持ち込んだりしたら、大変な事になるかもだからさ」
実際に、老人がそんな事をするとは思えないけど、念には念を入れておいた方が良い。現役時代に社会的地位が高かったとかだと、思いがけない所に知り合いがいて、大事にならないとも限らないからだ。
祖父さんは、意外にも僕の話をちゃんと聞いてくれていた。良く「孫は可愛い」って言うけど、案外、本当なのかもしれない。
ところが、その祖父さんは、その後でとんでもない事を言い出した。
「それとな、俺にはどうしても気になって仕方が無いんだ。三月に樹と一緒に来た女の子達……」
「愛奈なら、死んだよ!」
僕は、思わず叫んでしまっていた。だけど、「消えた」って言わなかっただけでも褒めて欲しい。
「瑞希と菜摘も、僕の父さんより、ずっとずっと重症なんだ……」
それだけ言うと、僕は祖父さんの所を離れて、自分の部屋に引き籠った。正直、夕食も食べたくない気分だ。
僕は、部屋の隅で頭を抱えて蹲った。
僕は本気で、『何もかも忘れてしまいたい』と思った。
それなのに、庭のアブラゼミの鳴き声がうるさくて、直ぐに現実へ引き戻されてしまう。
ああもう、何もかも糞食らえだ!
僕は思わず心の中で、『こんな世界、無くなっちゃえ!』なんて悪態を吐いてしまった。
END095
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「樹の決意」(の筈)です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
尚、ストーリーが終盤に近付いた事で、この後、投稿のペースが遅くなってしまう事があるかと思います。大変申し訳ありませんが、ご了承下さい。
また、大変お手数ですが、ブックマークや評価等をして頂けましたら励みになりますので、ぜひとも宜しくお願いします。
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★★★
本作品と並行して、以下も連載中ですので、できましたら覗いてみて下さい。
(ジャンル:ローファンタジー)
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
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