080:消えて行く世界
センターヒルズ南小学校を出た僕と菅波奈々子は、さっきの公園に向かって歩いていた。
相変わらず彼女は暑いのに白いウィンドブレーカーを羽織っており、顔にはサングラスと大きなマスク、頭には帽子を被って髪の毛を隠している。
最初のうち、僕らは無言だった。少なくとも僕にとって、さっきの彼女の叔母からの話は、それだけ衝撃的だったのだ。
ところが、僕らが公園に着いた時、とんでもない事象を僕は目撃してしまったんだ。
先に気付いたのは、奈々子の方だった。
「香山くん、見て! ほら、あの桜の木の枝の所」
彼女が指差した所を見ると、猫が居る。昼過ぎに見た銀色の猫だ。でも、何故か輪郭がボヤっとしていて、存在感が希薄だ。
しばらくの間、じーっと見ていた僕は、ふいに気付いてしまった。その猫は、もう頭しかなくなっていたんだ。
そのうち、その頭もまた透明になって消えて行く。最後に消える時、その猫は僕の方を見て、ニャーとひと声啼いた。その時の猫の表情が、何故か僕には笑ったように見えたんだ。
そして、全部が消え去った後に残ったのは、銀色の細かい粉。その粉が風に吹かれて舞い上がる。そして、夕方に差し掛かった陽光を受けて、キラキラ、キラキラと輝いて見えた。
それが僕には、猫の生命の煌めきのように見えたんだ。
「今のが、さっき叔母が言ってた『消える』っていう現象よ」
「ああ、そうみたいだね」
確かに今のを見たら、もう信じない訳には行かないだろう。
「人や猫だけじゃなくて、いろんなものが消えて行くの。例えば鳥。ここではカラスとか全然見ないでしょう? 海辺に行くと、いつも必ずいるカモメ達だって、今はもう何処にもいないのよ」
そう言われて、ようやく僕は、ここに戻って来た時から感じていた違和感のひとつが分かった気がした。
「虫とかもいないわね。トンボやバッタ、そして蝶々。夏の今の時期だったら普通にいる筈なのに、なーんにもいない。きっと、地面を這うアリとかも消えちゃったんじゃないかな」
そういや、セミの鳴き声とかが聴こえて来ないってのは、考えてみたら不思議だ。
「残っているのは、身体の大きな動物だけ。それも、やがては光の粉になって消えて行く……。それに、たぶん植物だって、時間は掛かるけど同じだと思うよ。ほら、あの木を見て!」
彼女が示した木を見ると、全体が薄ぼんやりとしている。
「近くに寄ってみれば分かると思うんだけど、葉っぱが透明になり掛かってるからだよ。ふふっ、終いには、ハッピーアイランドの土地から全ての生物が消えて行くの。きっと最後は、荒涼とした砂漠みたいになっちゃうんじゃないかな。ねえ、樹くん、これって凄い事だと思わない?」
菅波は、楽しいのか悲しいのか分からないような口調で言った。
★★★
しばらくの間、ぼんやりと猫が消えた桜の木の枝を眺めていると、唐突に菅波が声を上げた。
「あ、そうだ。北からの避難民四人組の事は聞いた?」
僕が、「聞いてないけど」と答えると、「聞きたい?」と訊いてくる。
「これも信じ難い話ではあるんだけど、さっきの話を聞いた後だったら信じてくれそうだから、話すね」
「分かった。頼む」
要は、聞くのに心構えが必要という事なんだろう。
「もう気付いたと思うんだけど、あいつらも消えちゃったんだ。それも、アタシの目の前でだよ。迷惑な奴らだよね」
「えっ、いきなり教室で消えたの?」
だとしたら、さすがの菅波もショックだったに違いない。
「ううん、違う。前に香山くんと一緒に行った砂浜の事、覚えてる?」
「もちろん」
「あそこでアタシが海を見てたら、突然、どっかから四人組がやって来たんだ。連中、アタシには気付かずに波打ち際まで行って、新妻さんを中心に裸足でキャーキャーと騒いでたんだけど、そん時から何となくぼやけて見えるとは思ってたんだ」
「それ、いつ頃の事?」
「えーと、今月の始めくらいかなあ。まだ梅雨が明けてなかったと思うんだけど、たまたま晴れた日の夕方でさ。消えたのは、ほんの一瞬だったんだ。最初は、目の錯覚だと思ったんだけど、三人の男子が急に騒ぎ出しちゃって……。それで、アタシも気になって、そっちに行こうとしたんだけど……、その前に男子達が、いきなり海の中に入って行くの。そんでさ、ヤバいって思った時には、スーッと姿が消えちゃったんだよね。後に残されたのは、砂浜に置かれたビーチサンダルが四つあるだけ。さすがにアタシも怖くなって、逃げて来ちゃった」
確かに、さっきの話を聞いていなかったら、『夢でも見たんだろう』って言ってたかもしれない。
「そっか。菅波でも怖かったんだな」
「うん。超怖かった」
「まあ、あいつら、最初から髪の毛が茶色かったもんな。新妻亜紀なんて、最初から金髪みたいなもんだったし」
「そうだね……。その後は見た事ないんだけど、学校に来る生徒の数は、少しずつ減ってる気がするんだ。うちのクラスの連中も、すっかり金髪になっちゃってるし、そろそろヤバいんじゃないかな」
「そっか」
そんな話を菅波奈々子としているうちに、だいぶ陽が傾き出していた。
彼女は今も帽子で髪の毛を隠し、サングラスとマスクで顔を隠している。僕はというと、今はマスクをしているのと、長袖のシャツを着ているくらい。元々長く滞在する気は無いから、軽めのイルージョン対策しかしていない。
僕は、急に菅波の事が気になって訊いてみた。
「お前は、これからどうするんだ?」
「できたら、もう少しこの世界に留まっていたいな」
「そういや前は、消えて無くなりたいって言っていたよな?」
「あの時はね……。でも今は、もうちょっとの間、こっち側の世界に居たいの」
「だったら、玲子さんと一緒に、ここを脱出したら良いんじゃないか? ここに居たら、危ないんだろ?」
「それはまあ、そうなんだけど……」
それから菅波は、センターヒルズの仮設住宅に入る事になった秀じいの所を、最近ちょくちょく訪れている事を僕に打ち明けた。
「アタシが居なくなっちゃったら、秀じいは悲しむと思うの」
「だったら、ここから一緒に出て行ったら良いんじゃ……」
「駄目なの。秀じいは、絶対にここから離れない」
どうやら、大勢の家族や知人が命を失くしたこの場所から、秀じいは離れたがらないという事らしい。
「……だからね、秀じいがこっち側の世界に居る間は、アタシも何とかここに居てあげようと思うんだ。こんな暑っ苦しい恰好してるのも、そういう訳だからなの」
「でも、それって……」
「うん。秀じいも頑固だからさ。イルージョンの事なんかお構いなしで、アタシが何を言っても聞きゃしない。そのせいで、最近はもう、だいぶ身体が薄くなり掛けてるんだ。このままだと、もう長くないと思う」
「……っ」
「大丈夫だよ。アタシ一人だったら、どうにでもなるもん。叔母さんがね、アタシに電動自転車を残してってくれるって言ってんだ。だから、秀じいがいなくなったら、それに乗って、ここから出て行くつもり」
「そっか」
その後、しばらくして僕らは別れた。もう菅波と会うことも無いと思うと、ちょっぴり名残惜しい気もしたけど、彼女の方から「じゃあね」とそっけなく言って去って行ったんだ。
僕は、追い掛けなかった。その代わり、一人で自分ん家の方に、ゆっくりと足を向けたのだった。
END080
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、鯨岡家での夕食時の話です。そこで樹は、とんでもない事実に気付いてしまいます。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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★★★
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