008: 地震発生直後
「さあ、みんな、外に出て頂戴!」
学級委員長の青木麻衣の指示に従って、クラスメイトの全員が、ぞろぞろと教室から出て行く。誰もがまだ白い粉を身体中に纏ったままだ。
「ほら、瑞希と樹くんも行くよ」
麻衣が僕の背中を軽く押してくる。
彼女の声に釣られて、僕は何気ない仕草で緑川瑞希の小さくて柔らかい手を取ると、ギュッと力強く握った。瑞希は、反応を示さない。彼女の視線は、麻衣の方に向いていた。
「麻衣も一緒に行く?」
「もちろん、行くよ。だって、あんた達が最後なんだから、当然よ」
その言葉で、僕は後ろを振り返った。
麻衣が言ったように、そこには誰もいない。教室の中は、机も椅子も含めた全てが乱雑な状態で、まるで廃墟のようだった。
それでも、ほぼ一年間を過ごした教室は何だか名残惜しい。もう二度と帰って来られない気がしたからだ。
「ほら、何してんの。さっさと行くよ」
足を止めてしまった僕に、麻衣の叱責が飛ぶ。僕は、何かを断ち切るようにして前を向くと、足を前に踏み出した。
★★★
廊下も教室の中と同様に色々な物が転がっていて、随分と歩き難かった。階段も同様に、あちこちが崩れ掛かっている。でも、麻衣がいてくれたお陰で助かった。すぐ後ろから、「そこ、危ないよ。気を付けて!」といったアドバイスが、頻繁に飛んで来たからだ。
それに、僕らがいた三階とは違って、二階、一階と降りて行くにつれて、建物の被害が減って行く。どうやら、天井や壁が崩れていたのは、三階だけだったようだ。
ところが、下駄箱の所まで来た時、僕ら三人は、そこで思わず立ち尽くしてしまった。下駄箱の周囲には、無数の靴が散乱していたからだ。
瑞希が泣きそうな顔で、「これじゃあ、私の靴が分からない」と呟いた。
その直後、目の前の下駄箱がカタカタと鳴った……と思ったら、すかさず激しい横揺れが襲ってくる。少し離れた所の下駄箱が、バーンと大きな音を立てて倒れた。
僕ら三人は、咄嗟にしゃがみ込んでいた。繋いだ瑞希の手が小刻みに震えている。僕は彼女に覆いかぶさるようにして、上からの落下物から彼女を守ろうとしていた。
「お二人さん、もう揺れは治まってるよ」
麻衣に言われてハッとなった僕は、慌てて瑞希の身体から離れて立ち上がる。そんな僕らの後ろを、別のクラスの生徒達が通り過ぎて、そのまま外へ出て行った。
「樹くん、気付いた? 皆、上履きのまま校庭へ避難してるみたいね」
きっと、他のクラスには先生がまだ教室にいて、そういった指示があったんだろう。
僕は、再び瑞希の手を取ると、麻衣に促されて上履きのまま校舎を出て行く。
校舎から出てすぐに、再び強い余震があった。僕は怯える瑞希を宥めすかして、できるだけ校舎から離れてから、地面にしゃがみ込んだ。
揺れが治まると、僕らは手を繋いだままの状態で、今度こそ校庭の方へと歩いて行った。
★★★
校庭は、大勢の生徒達で溢れ返っていた。
『同じクラスの皆は、何処だろう?』と思って探してみても、全然、見当たらない。
僕らと同じように、仲間を探してうろうろしている生徒が大勢いる。先生達が大声で何やら叫んでいるけど、周囲が騒がしくて聞こえない。
僕らは、先生達の声が届く辺りまで走った。
「二年は中央、左から順番にA組、B組……」
僕等は二年C組だから、三列目だ。それで、だいたいの見当を付けて、そっちに早足で向かって行くと……。
「もう、樹に瑞希ったら、いったい何処に行ってたのよっ!」
いち早く僕らを見付けた鯨岡菜摘が、寄って来て言った。
「まっ、二人が一緒だったんなら、それはそれで良しって事かな」
ニヤニヤ顔の菜摘の視線は、今も堅く握ったままの僕らの手に向いていた。それに気付いた瑞希は、「あっ!」と小さく叫んで、慌てて僕の手を放した。その瑞希の顔は、耳たぶまで真っ赤だ。
でも、周りの連中は、さっきの地震の事を夢中になって話していて、菜摘以外、誰も僕らの様子なんて気にしちゃいないだろう。
「凄かったよねー。あたし、一瞬、身体が浮いたよ。どっかに飛ばされるかと思っちゃった」
「私もそう。もう、マジに死ぬかと思っちゃった。今、生きてるのが不思議って感じ」
地震直後の教室とは打って変わって、誰もが饒舌だった。そして、とってもハイになっている。普段の全校朝礼の時のようには先生も注意したりしないから、余計に騒々しかった。
ようやく担任の菊池里香先生が、僕らの所に走って来た。先生は珍しく真剣な顔で、僕らが無事に揃っているかを、一人ずつ顔を見て確認して行く。そして、最後尾の僕らの所まで来ると、「全員無事ね。良かったあ!」と呟いて、他の先生方が集まっている所に向かって、再びバタバタと走り去って行った。
その様子を黙って見ていた瑞希が、「あんな真面目なリカちゃん、初めて見たかも」と言う。
「そんなの当たり前でしょう。先生なんだから」
「麻衣の言う通りだぞ。一応、リカちゃんにだって責任感はあるんだ。大人だかんな」
「一応ねえ……」
金森翔太の言葉に菜摘は疑わしげではあったけど、ここにいる皆は、それでも菊池先生の事は信用している。少なくとも、学年主任の先崎先生なんかよりも、ずーっと生徒思いだからだ。
その菊池先生が再び僕らの前に現れたのは、それから十分後のことだった。
「さあ、皆、このまま今日は帰るのよ」
戻って来るや否や、菊池先生は大声でそう言って回った。
「できるだけ同じ方角の人達で、集団になって帰りなさい。靴は上履きのままで良いから。鞄は、取りに行っちゃ駄目。校舎内は一切、立ち入り禁止よ」
「先生、来週の月曜日の授業は、どうなるんですか?」
男子生徒の声がした。
「そんなもん、休みに決まってるだろ」
この声は高萩勇人だ。
「なっ、そうだろ、先生?」
「まだ決まってません。決まったら連絡するから、お家で待ってるのよ」
相変わらず菊池先生の声は大声で、少し上ずっている。
「連絡ったって、電話も携帯も繋がらねえんじゃないのかよ」
「それは分からないけど、何か考えるわ」
なおも高萩の奴は、菊池先生に食い下がる。
「そんなこと言って、先生、俺らの家を一軒一軒、回ってくれんのかよ」
それに答えたのは、菜摘だった。
「うるっさいなあ、月曜までには電話だって通じてるでしょうが」
「そんなもん分かんねえだろ」
「とにかく、まず家に帰るのよ、高萩くん。言うこと聞きなさい。お家の人が心配してるわ」
いつになく強い口調の菊池先生に、それ以上は高萩も反論しなかった。
★★★
結局、朝来た時と同じメンバーで、僕らは家路に着いた。
五人全員が黙り込んだまま、ひと塊りになって足早に自宅の方角へと向かって歩く。
いつの間にか雲が空一面を覆っていて、辺りが薄暗くなっていた。風も出てきて、思いのほかに寒い。僕は、『コートが必要だったかも』と後悔し始めていた。
校門を出てすぐに、信号機が消えているのに気が付いた。
「あれっ、停電?」
「そうみたいだね。学校でもそうだったから」
そんな翔太と麻衣の会話が耳に入ってきた。僕らは、車が来ないのを念入りに確認して、注意深く横断歩道を渡る。
ふと足元を見ると、路面が大きく波を打っていた。それにアスファルトが、所々ひび割れている。特に、端の方は酷かった。
横断歩道を渡った先の右手の家は、屋根瓦がすっかり落ちてしまっていた。その向かいの家は雨樋が外れていて、片側が地面まで垂れ下がった状態だ。
その先の路上に、近所のお婆さんが佇んでいた。両手を後ろに回して、腰を屈めて瓦の落ちた家をぼんやりと眺めている。
その前を僕が黙って通り過ぎようとすると、菜摘が声を掛けた。
「お婆さん、大丈夫?」
「あれまあ、菜摘ちゃんかね。学校、もう終わったんかい?」
「うん。今日は地震があったから、早く帰れって事なんだ」
「そうかい。母ちゃんも心配しとるだろうから、それがええわな。そんでも、菜摘ちゃん、無事で良かったなあ」
「うん、お婆さんもねっ!」
菜摘の元気な声が、僕には妙に場違いに感じた。
「皆も、気を付けてお帰りや」
ようやく、お婆さんの顔に笑みが浮かぶ。菜摘がニッコリと笑って頷いたのを見た僕は、ちょっとだけ、この幼馴染のことを見直したのだった。
END008
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「帰宅」です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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