079 : 消えて行く子供たち
昔、僕が通ったセンターヒルズ南小学校は、この公園から歩いて五分くらいの所にある。
菅波奈々子は僕の返事など聞かず、さっさと自分から歩き出していた。仕方なく僕は、その後を追い掛けて行く。
こいつと一緒だと、いつも後ろを付いていくばかりだな。
僕は、菅波の形の良いヒップを見ながら、そんな風に思った。
小学校の校庭には、誰もいなかった。一見して、学校がやっている気配がしない。どう見たって休みに入っているように見える。
それなのに菅波は、手前の校舎の来客用入口に辿り着くと、勝手にドアを開けて中へと入って行ってしまう。ここでも上履きは脱がないみたいだ。
「なあ、菅波。今は夏休みなんじゃないのか?」
さっきから思ってたことを僕が口にすると、彼女はそっけなく、「まだ夏休みじゃないよ」と言う。
「小中学校ともに休みは同じ。今年は七月一杯の間、ずっと普通に授業がある筈だったの」
やっぱり、廊下にも教室にも人の気配が無い。まだ午後四時前だから、少なくとも教職員は、学校に残っている筈だ。それなのに菅波は、何も気にもせずに無人の廊下をスタスタと歩いて行く。
やがて、僕らの目の前に「職員室」と表示された黒い札が見えてきた。菅波は、ためらわずに扉を開けて、サングラスだけ外すと、更にずんずんと中に入って行った。
そこには、人が居た。金髪の教職員が、ざっと数えて二十人、それぞれの机に座って、相変わらず好き勝手なことをしている。雰囲気は、さっき行った中学校とほぼ同じだった。
「あら、奈々子ちゃん」
それまで女性週刊誌を見ていた女性が、こっちに歩いて来た。年齢はリカちゃんよりも少し上って感じで、白のブラウスにタイトスカート。一応、顔にはマスクをしている。でも、髪が例によって茶髪なので、何となく柄が悪く見えていた。
「まあ、この子、ボーイフレンド?」
「友達よ、叔母さん。元クラスメイトの香山くん」
僕は、「香山樹です」と普通に挨拶した。
「私は、菅波玲子。奈々子の叔母です」
「えーと、菅波先生とお呼びすれば……」
「玲子で良いわよ。もう先生じゃないもの……。てか、もうここには、先生なんて呼ばれる者は誰もいない。教師の抜け殻だけよ」
「えーと、それって……」
「私達はね、全員が教師失格なの」
「……?」
そこで、横から菅波奈々子が口を挟んできた。
「ねえ、叔母さん。樹くんには、ちゃんと事情を話してあげないと伝わらないわよ。だから、『この学校の子供達が、どうなったのか?』を、彼に教えてあげてくれる?」
いきなり核心に迫る彼女の叔母への依頼に、思わず僕は唾を呑み込んだ。
だけど、彼女の叔母の玲子さんは、静かに菅波に問い返す。
「その前に、香山くんの事を教えてくれる? そんな事を君が私に頼むってのは、彼が特殊な立場だからじゃないの?」
この玲子さんは、まだそれ程イルージョンの影響を受けていないらしい。それだけ彼女の言葉は、しっかりとしたものだったからだ。
「ごめんなさい。ちょっと急ぎ過ぎたみたい。叔母さんの言う通りよ。彼、避難先のナコヤから来たの」
その後、奈々子が僕の方に顔を向けたので、「はい、五月のゴールデンウィーク開けにナコヤの学校に転校しまして、今日、戻って来ました」と補足しておく。
だけど、玲子さんは僕に訝しげな視線を向けてきた。
「それは、おかしいわね。今のヒカリ市には、そんなに簡単に来られない筈よ」
「やはり、そうなんですね」
「そうよ。検閲所があったでしょう?」
「はい。実は一緒に来た人が特別な通行証を持っていまして、僕はその人の案内人の形で来てるんです」
「なるほどね。何となく分かったわ。だけど、この事を知ったら、きっと後悔する事になるわよ……って、まあ、私が言わなくたって、どうせ直ぐに真実に辿り着く事になるだろうから、結局、おんなじなのかもね……。良いわ、教えてあげる。でも、この後、ヒカリ市から出たら、この事は誰にも言わない事。じゃないと最悪は、命を狙われる事になるわよ」
「えっ?」
「まあ、ここに来たってだけでも危険なのは同じだろうから、それも今更なのかもしれないわね」
玲子さんは、脅しとも忠告とも取れる言葉を口にした後で、「それじゃあ、応接室に行きましょうか?」と言って、僕を職員室の奥にある小部屋へと連れて行く。もちろん、菅波奈々子も一緒に付いて来た。
応接室で玲子さんは僕をソファーに座らせると、自分は向かいのソファーに座る。菅波は当然、玲子さんの隣だろうと思ったら、僕の隣に腰を下ろした。
「えーと、お茶でもコーヒーでも出してあげられるんだけど、そんなの飲みたくはないでしょう?」
「はい……。あ、いや、お構いなく」
「ふふっ、ごめんなさいね……。あら、どうしたの?」
「あ、あの、なんか……」
「私が意外と普通で驚いたって感じなのかな? ふふっ、これでもイルージョン対策は、今まで徹底してたのよ。さすがに今週は、マスクだけにしたんだけど……」
確かに彼女は、口にマスクをしている。その点は、他の教師達と一線を画していた。
実はね、私の旦那が警察署勤務なんだけど、やっと辞表が受理されて、今週中にはヒカリ市を出て行く予定なの。と言っても、本当に出て行けるかどうかは、その時じゃないと分からないんだけど……。ほんと、こんな事になるんだったら、さっさと逃げちゃえば良かったわ。でも、それなりの役職にある警官だと、色々と面倒なのよね」
「あの、菅波さんは……」
「ああ、奈々子の事ね。もちろん、この子も連れて行くつもりだったんだけど、今の所、嫌だって言い張ってるの。えーと、香山君だっけ? あなたからも言ってあげて……」
「(ごほん)」
「あ、ごめんなさい。そろそろ本題に入りましょう」
そこまでは前置きで、それから彼女は、「さて、どこから話そうかしら?」と呟いた後で、ポツリポツリと事の次第を語り出した。
その内容は、予め長い前置きがあったにも関わらず、俄かには信じ難い程の驚異的なものだった。
「……簡単には信じられないとは思うけど、今言ったのは本当の事なのよ。教室の子供達が、一人づつ消えて行くの。でも、その事で特に教室の中がパニックになったりだとか、大騒ぎになったりする訳じゃないの。その不思議な事象を、誰もが当然の事として受け入れてる感じなのよね」
「……」
「それとね。もっと不思議なのは、消えて行く子供達が最後までニコニコしてて、凄く嬉しそうなのよ。この世界から自分がいなくなるっていうのに、恐怖だとか絶望だとか、そういった感情が一切感じられないの。まあ、子供だから『死ぬ』って事が良く分からないのかもしれないけど、それでも、うちらの常識では考えられない反応なのよね」
最初は背もたれに身体を預けた状態で、ゆっくりと語っていた菅波の叔母さんの言葉には、次第に怒気が混じって行く。
「私、六年生の女の子に思い切って、『友達が次々に消えて行く事を、あなたはどう思う?』って訊いた事があるの。まあ、その質問自体、教師として問題があるのは認めるけど、『どうしても訊いてみたい』って思っちゃったのよ。そしたら、何て言われたと思う?」
やはり僕には、何も答えられなかった。
「その子は私に、『何で怖がる事があるの?』って逆に訊いてきたわ。その子が言うには、『皆、別の世界へ行ったんだよ』って事らしいの」
「別の世界ですか?」
「そうよ。別の世界。それを聞いた時は私も、『いったい、どういう宗教よ?』って思っちゃったわ。とても小学生の子供が考える事じゃないし、『どうせ誰かに吹き込まれた話なんだろう』って思ったの」
「そうですよね」
「あ、それと、身体の半分が消えかかった子に、『お父さん、お母さんに会えなくなっても良いの? 淋しくないの?』って聞いたこともあったわ」
「消えかかった子にですか?」
「そうよ。最初の頃は、そういう子を見る度に私も半狂乱になったものだけど、人間って何でも慣れちゃうものなのよね。そのうちに冷静になって、色々と試してみたくなるの。そんな時に訊いたんだけど、『全然、淋しくなんて無い!』って断言されちゃった。『だって、お父さんもお母さんも直ぐに来てくれるから』だって。その後で、『ねえ、先生も来てくれるでしょう?』って言われた時は、背筋がぞーっとしたわよ」
確かに、ちょっと想像しただけでも怖そうだ。
「とにかく、どの子も皆、おんなじ事を言うの。皆、二言目には、『別の世界』。どうやら、その世界は素晴らしい所みたい。別の男の子に、『それって、天国じゃないの?』って訊いたら、『違うよ』って言うの。『僕らは、死ぬんじゃない。こことは別の世界で、ちゃんと生きて行く』……」
玲子さんは、子供が消える時の様子についても、事細かに語ってくれた。
「予兆ってものがあるのよね。最初は、身体中の色素が徐々に薄くなって行くんだけど、それが進むと、透明に近付いて行くの。身体の輪郭がぼんやりし始めたら、もう駄目ね。その数時間後には跡形も無く消えてしまうわ」
淡々と語る玲子さんの顔が、僅かに歪んだ。
「消える時は、身体が砂人形のように崩れていくって感じかな。それまで身体だった物質が、サラサラとした粉になって、その粉が空気中に舞い上がるの。それが光を反射して、キラキラと輝くんだけど、それがもう、一度見たら忘れられない程に綺麗なのよねえ……。何度見たって、見飽きないくらい……」
そうして今日までに、センターヒルズ南小学校の全ての児童は、粉になって消えてしまったのだという。
僕は、その時の光景を思い浮かべてみたけど、とても綺麗だなんて思えなかった。
それどころか、ただただ虚しく切ない思いが僕を襲い、終いに堪え切れなくなった僕は、慌ててトイレに駆け込んだのだった。
END079
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「消えて行く世界」です。
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