078 : 変わってしまった世界
教室に戻ると早々に僕らは、二人の天使達を促して家に帰ることにした。もうここは充分だと思ったからだ。これ以上いると、頭がおかしくなってしまいそうだ。
帰り路、僕だけに聞こえる声で金森翔太が囁いた。
「俺さあ、悔しいよ。何で俺らの学校が、こんな風になっちまったんだよ。それに、ここだけじゃないんだぜ。さっき言った市役所もそうだけど、この街全体が同じような感じなんだ。何処へ行っても誰もが明るくて、何でも気さくに話してはくれる。だけど、どっかがおかしいんだ。それに、皆、外人みたいに金髪か銀髪で碧い瞳になっちまってるっていうのに、その事に誰も気付いてすらいない。当然、誰も変だなんて思ってないんだ。いったい、どうしちゃったんだ。たったの三ヶ月だぞ。俺がヒカリ市を離れて、たった三ヶ月の間に何があったんだよ……」
菜摘と瑞希はと見ると、二人で何か話しては、時々甲高い声で笑い合っている。菜摘からは以前の刺々しさが影を潜め、瑞希は別人のように明るくなった。今の二人は天真爛漫、純粋無垢で、その可憐な表情は、まさに天使の笑みのように見える。
でも、こんなの、菜摘と瑞希なんかじゃない!
僕は、ギュッと唇を嚙みしめる。しょっぱい血の味がした。
★★★
公園の少し手前の所で僕は、翔太と菜摘の二人と別れた。先に菜摘の家に行っていると言う。きっと彼らは気を利かせてくれたんだろう。今夜は、菜摘の家で夕食会をやった後、翔太と金森さんは、駅近くのホテルに泊まることになっている。
瑞希と二人っきりにはなったものの、もう僕にはあまり話すことが無かった。目の前の美少女は、瑞希であって瑞希じゃない。見た目が天使のように美しいだけに、却って何を話して良いのか分からなくなってしまう。
一見、この瑞希はフレンドリーでも、中身は以前に輪を掛けて頑固なのだ。僕がどんなに言葉を連ねようとも、彼女はここを決して離れたりはしないだろう。
本当を言うと、さらってでも連れて行きたい。でも、今の僕には、そうする勇気が残ってはいなかった。
情けないとは思いつつ、ここに居ると、どうしても駄目なのだ。瑞希のブルーの瞳を見ていると、まるで彼女は、ここでしか生きられない特別な生き物であるかのように思えてしまう。
ベンチに並んで腰掛けたまま無言でいると、唐突に瑞希が言った。
「ねえ、樹くん、キスして!」
僕は、思わず絶句した。
「どうしちゃったの、樹くん? この前、この公園でキスしたじゃない」
そう言うと瑞希は、悪戯っぽい目で僕を見詰めてきた。
この目は、むしろ菜摘の目だ。あの大人しかった瑞希じゃない。
だけど、彼女の身体からは、紛れもない瑞希の匂いがする。
だから僕は目を閉じて、瑞希に二度目のキスをした。酸っぱい夏ミカンの味がした。
目を開けると、瑞希は目を瞑ってはいなかった。ちゃんと僕がキスをしてあげたのに、瑞希のブルーの瞳は、どこか淋しげだったんだ。
それから更に小一時間ほど、僕は瑞希の取り留めの無い無邪気な会話を聞き流しながら、彼女の屈託のない笑顔を眺めて過ごした。それは、一見、幸福な時間であると共に、とても残酷な時間でもあった。
こうして僕の前で笑ってくれているってのに、もう、ここに彼女はいないという感覚。それは僕にとって、とても虚しくて淋しくて、どうにも居たたまれないものだった。
そして僕は、明日の朝、もう一度ここで会う約束をして、そろそろ鯨岡家に向かおうと席を立ったんだ。
別れ際、僕らは子供のような指切りをした。どうしても指切りをすると瑞希が言い張って、とうとう僕が根負けして渋々って感じだったけど、何故か彼女は嬉しそうだった。
「……嘘付いたら、針千本飲ーます!」
最後の所で、一瞬だけ不気味な感覚が僕を襲った。それは、本当に僕が針千本飲まなきゃなななくなっちゃうみたいな思い。それと同じくらいの苦しみを与えられるって予感……。
それでも僕は、その考えを半ば強引に追い払って、「じゃあまた」と軽く別れの言葉を瑞希に伝える。
一方の瑞希は、天使の笑顔で大きく手を振りながら、後ろ向きにゆっくりと公園から出て行った。
★★★
天使が僕の前から去って行った後、突然、僕は肩を叩かれた。
「よっ」
振り向くと、帽子を眉毛の所までしっかりと被り、顔に大きなマスクとサングラスをした、若い女の不審者が立っていた。その上、この暑いのに白い長そでのウィンドブレーカーを羽織って、白い手袋までしている。ボトムはスリムの黒いジーンズで、髪の毛は帽子の中に隠している。
「アタシだよ」
その女が、サングラスとマスクを一瞬だけ外すと、そこには見覚えのある元同級生の顔が現れる。菅波奈々子だった。
「帰って来たんだね。緑川さんに会いにかな? だけど、それにしては、あんなに簡単に別れちゃって良かったの?」
菅波は、いつもの軽い調子で訊いてきた。
「お前には、関係無いだろ!」
僕は、ついムッとなって叫んだ。それが必要以上に強い口調だったのは、たぶん、菅波の言葉に引っ掛かるものがあったからだろう。
「もう、久し振りに会っていきなり怒らないでよ……。まっいいか。驚いたでしょう。ここが、あまりにも変わっちゃったから」
僕は、菅波の言葉を無視して、そのまま、その場を通り過ぎようとした。
「もう、ちょっと待ってよ。せっかく久しぶりに会ったんだから、ちょっとぐらい付き合ってくれたっていいじゃない」
そう言われて、ようやく僕は立ち止まった。確かに、菅波の言う通りだと思ったからだ。
いったい僕は、何をイラついているんだろう?
考えれば考えるほど、分からなくなってしまう。
ところが、その時に菅波が口にした言葉は、この期に及んで更に僕を、混乱と恐怖の渦に突き落とすトンデモないものだったんだ。
「ねえ、香山くん、気付いた? もう子供達が、何処にもいなくなってるってこと」
「えっ、何だって!」
最初、僕は菅波が言った言葉の意味が理解できなかった。
「この公園にも、いないでしょう?」
「それはイルージョンのせいで、親が外で遊ばせないからじゃないの?」
「まあ、イルージョンのせいなのは確かではあるんだけど……」
菅波は、しばらく黙り込んだ後、ポツンと言った。
「ねえ、小学校に行ってみない? 今、アタシが世話になってる叔母が、センターヒルズ南小学校で働いてるんだ。そこに行ってみれば、アタシの言った事の意味がハッキリすると思うよ」
こうして、今度は菅波奈々子と一緒に、僕はセンターヒルズ南小学校へ行く事になったのだった。
END078
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「消えて行く子供たち」です。
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★★★
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