076 : 菜摘と瑞希の変貌
僕は、鯨岡家のリビングダイニングで最愛の彼女、緑川瑞希と向かい合っていた。この部屋には、僕ら二人しかいない。他の人は全員、隣の僕の家に移動してしまったからだ。
今の瑞希は、白いワンピ姿。肩先までの髪の毛は見事な金髪で、碧眼色白のまごうことなき美少女だ。
その時になって、僕はようやく気が付いた。
「あれっ、瑞希、マスクは?」
「あのね、樹くん。ここじゃあ、もう誰もマスクなんてしてないよ。暑くなって、皆、外しちゃったの」
そう言って、その金髪の少女は無邪気に笑う。
それで、ようやく僕は思い出した。こないだ電話した時、そういった事を既に彼女は僕に打ち明けていたんだ。あの時は確か、菅波奈々子にイルージョン対策の事を色々と忠告されて、珍しく瑞希は腹を立てていたんだっけか……。
だけど、自然と僕の口からも忠告の言葉が零れ落ちてしまった。
「それって危なくないか」
「何で?」
彼女は、心底不思議そうな顔で問い返してきた。
「イルージョンだけど」
「イルージョンって、実は身体に良いの」
目の前の瑞希は、以前よりも饒舌だった。そして、平気でトンデモな発現をする。
「ねえ、樹くんもこっちに戻って来てよ。ここの方が絶対、楽しいと思うよ。学校もね、今は行っても良いし、行かなくたって良いの」
「えっ?」
「今はね、全てが自由なの。教頭先生、『皆さんの自主性に任せます』って言ってくれてるんだ。あの、大っ嫌いだった避難民の子達も居なくなっちゃったし……」
「居なくなったって、どっかへ行ったの?」
「分かんない。知らないうちに居なくなってたっていうか……。あ、でも、リカちゃんが何か言ってたような……。うーん、思い出せないや。ふふっ。たぶん、あの子達も別の世界に行ったんだと思う」
「別の世界?」
「そう、別の世界。あのオバサン先生もいなくなっちゃった」
「えっ、猪狩先生も?」
「うん。えーと、何でだったっけ……。菜摘なら、覚えてるかもしんないけど、避難民の子達よりも前だったから、忘れちゃった」
「そうなんだ……」
今の瑞希は、何でも忘れてしまうようだ。僕は、最近の電話で瑞希と話が噛み合わない理由が、やっと分かったって思った。
「なんか、皆、別の世界へ行っちゃうの。きっと私も、そうなる気がする」
「えっ?」
僕は、瑞希の言葉に何か不気味なものを感じたものの、強引に心の奥に押しやってしまった。まだ今は考えない方が良いって気がしたんだ。
それに今の瑞希の話は、どれも要領を得ない。話をしていると、こっちまで頭がおかしくなってくる……。
正直な所、僕は既に、この金髪の少女を持て余し始めていた。本当に彼女は、僕が知っているのと同じ瑞希なんだろうか?
「出ようか? 少し散歩とかしてみたいし」
僕がそう言うと、金髪の瑞希は自分から先に出て行こうとする。
「あの、戸締りとかしなくて大丈夫?」
「大丈夫だよ。もう悪い人なんて何処にも居ないから」
瑞希は、随分と嬉しそうだ。そして素早く靴を履くと、元気良く外へ飛び出して行った。
★★★
僕の目の前に、金髪美少女の後ろ姿が見える。白いワンピ姿の彼女は、両手を後ろに組んで、軽やかな足取りで歩いて行く。
「あれ?」
自分ん家の方を見た僕は、庭に母さんの姿を見付けて、思わず瑞希を呼び止めた。
「ねえ、瑞希。僕ん家の庭、ちょっと寄って行こうよ。皆、いるみたいだしさ」
僕の声で瑞希は、急いで引き返して来た。前よりも痩せたからなのか、動作が実に軽やかだ。そのまま僕ん家の庭への階段を一気に駆け上がる。白いワンピースの裾が大きく捲れ上がり、僕はドキッとした。
「うわっ!」
庭の中央に横たわる物を前にして、僕は思わず息を飲んだ。
母さんと僕がこの家を後にした時、折れたミモザの巨大な茂みは、枯れて葉が茶色くなっていた。それが今は銀色に輝いて見える。それが、夏の午後の陽射しを浴びて、庭一面に強い光を放っていた。眩しくて目が開けられないくらいだ。
鯨岡朱美さんが、「樹くん、こっちよ」と僕を手招きしてくれた。
「ねっ、凄く綺麗でしょう。街のあちこちが最近、こんな風なのよ。街中が、どんどんと輝きを増していくの。ふふっ、うちらの髪の毛とおんなじね」
朱美さんの髪の毛は、さっきより更に明るさが増していて、もうほとんど金髪に近かった。菜摘、瑞希と、ここに住んでいる人達は、全員がニホン人離れした見た目に変わってしまったって感じだ。まるで、別の人種みたい……。
僕だけに聞こえる声で、そっと母さんが呟いた。
「何かが、おかしい。こんなの間違っているわ!」
★★★
それから間もなくして、金森さんのミニバンが到着した。そして、翔太と金森さんの二人が、この場に加わった。
車から降りた時の金森さんは、少し疲れたように見えた。それなのに、庭に現れるた時には、「うわあ。これは凄いですね」と感嘆の声を上げる。そして、その場に見知らぬ女性を見付けた彼は、早速、声を掛けた。
「あ、申し遅れました。僕は、フリージャーナリストの金森智哉と申します。翔太くんとは従兄の関係になります」
金森さんは、そう言って朱美さんに名刺を手渡した。それを受け取った朱美さんの頬がほんのりと赤い。
その金森さんから、「色々と聞かせて頂いて良いですか?」と言われた朱美さんは、嬉しそうに頷いた。
金森さんが朱美さんに取材している間、僕と翔太は、瑞希と菜摘を連れて公園に向かった。
その途中、翔太が僕に小声で話しかけてきた。
「さっき、市役所に行ったんだけどよ、ひっでえ状態だったんだ」
「えっ、どういう事?」
「誰も、まともに仕事しねえで、好き勝手な事をやってんだ」
「何だ、それ?」
「そう思うよな。でも、本当なんだ」
僕は、少しだけ考えてから言った。
「それって、イルージョンの影響なのか?」
翔太は、確信めいた物言いで相槌を打った。
「ああ、そうだろうな」
その直後、菜摘の声がした。
「おーい、樹も翔太も遅―い!」
「わりい、今行く」
答えたのは、翔太だった。
金髪美少女の菜摘に急かされて、僕と翔太は慌てて公園の方へと走って行った。
★★★
夏の盛りなので、公園の中は青々としている。
何だか、凄く暑い。いくらヒカリ市の夏は涼しいと言っても、今は一年で一番暑い季節なのだ。
僕の隣で翔太がボソッと、「暑いな」と呟いた。すると、すかさず菜摘が、「こんなの、全然、平気よ」と返す。いつも「暑い、暑い」と愚痴るのは菜摘の専売特許の筈なのに、やっぱり、今の彼女は変だ。
「トキオだって、ナコヤだって、ここよりはずっと暑いんじゃないの? アタシは、全然へいき」
そう言うと菜摘は、ブランコの所へ走って行って、立ったまま勢い良く漕ぎ出した。裾が短めのワンピースなので、直ぐに中が見えそうになる。でも、今の菜摘は、そんな事なんて全く気にしていない様子。
ふと、小さい頃の菜摘と今の菜摘とがダブって見えた。この公園は、僕ん家の庭と同様、僕らが昔よく遊んだ場所だ。
「ああやって菜摘がブランコに乗ってると、ちっちゃい頃の事、思い出さないか?」
翔太がボソッと言った。翔太も僕と同じ事を感じていたようだ。
再び、僕は菜摘を見た。金色の髪の毛が揺れている。今度は、見知らぬ碧眼の少女がそこにいた。
そして僕の隣にも、もう一人の見知らぬ別世界の少女がいる。
僕の腕を掴み、僕の肩に寄り掛かった彼女が、そっと耳元で囁く。
「樹くん、来てくれて嬉しい」
甘酸っぱい匂いがした。忘れもしない瑞希の匂いだった。
やっぱり、彼女は瑞希なんだ。だったら、僕には、きちんと伝えておく事がある。
「ねえ、瑞希。僕と一緒にナコヤに行かないか? 瑞希が良ければ、僕が瑞希のお母さんに頼んでみるから」
「駄目!」
即答だった。
「私は行かない。何処にも行かない。ここハッピーアイランドのヒカリ市が好きなの。ここが私のいる場所なの」
瑞希の強い言葉に、僕は思わず狼狽えた。
「ねえ、樹くん。お願い、樹くんがここに残って。また昔のように、皆で一緒に学校へ行きたいの。ねえ、樹くん、良いでしょう?」
菜摘は、相変わらずブランコを漕いでいる。ギーコ、ギーコ、ギーコ。単調な音が、静かな公園に響く。
菜摘の金色の髪が揺れる。前に来て、また後ろに戻って行く度に、水色のワンピの裾が際どい辺りまで捲れ上がる。菜摘の太股が見える。それは、驚くほどに白い……。
「あ、猫だあ!」
瑞希が猫のいる方に、いきなり走って行った。
「あの猫、この辺で良く見かけた猫に似てないか?」
翔太が、僕の所に寄って来て呟いた。
「まさか。ここで良く見かけた猫って、黒猫だろ?」と僕が言うと、翔太が答えた。
「菜摘や瑞希が金髪になるんだから、黒猫が白い猫になったって、全然、不思議じゃ無いだろ」
そういや、こないだ瑞希と電話した時も、公園に居た猫が黒いか白いかで言い合いになったっけ。それって、あの猫の事だったのかもしれない。
だけど、良く見ると、あの猫って白というよりも銀色じゃないか? さっきのミモザの木の残骸のように、身体中の毛がキラキラと輝いて見える。
相変わらず瑞希は、猫をあやしている。彼女が喉の辺りを撫でると、猫は気持ち良さそうに目を細めてニャーと鳴く。
「ねえ、樹くん、いつまでいるの?」
ふいに瑞希が、振り向かずに言った。少しだけ見えた横顔が、妙に淋しげに見える。でも、それは一瞬のことで、僕の目の錯覚だったのかもしれない。
「明日の昼頃には、ここを出るつもりだよ」
「そう」
瑞希の白いワンピの背中は、やっぱり、どこか淋しげだった。
「ねえ、まだ時間も早いし、これから学校に行かない?」
「えっ、学校?」
「良いじゃないか。学校、行ってみようぜ」
横から翔太の賛成の声が上がった事で、僕らは菜摘と瑞希を連れて、久しぶりの学校へ行ってみる事になったのだった。
END076
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「変わり果てた教室」です。
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(ジャンル:ローファンタジー)
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
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