075:鯨岡家の変化
父さんとの電話を終えた後、僕は玄関先に置いた荷物を室内に入れてから、二階の自分の部屋を覗いてみた。そこは、少し埃っぽかったけど、一階とは違って雨戸を閉めずにおいた為か、一階のように黴臭くはなかった。
だけど、当然のように凄く暑い。この部屋にはエアコンが無いので、今日は一階の和室で母さんと一緒に寝た方が良いかもしれない。
一階に下りると、母さんは台所周りの状態と調味料とかを確認していた。一応、今回は一泊だけの予定だけど、状況によっては数日間、日程を延長する事も視野に入れている。逆に、不測の事態が生じた場合は、予定より早く撤収する事も有り得る。要は、臨機応変の対応をするという事で合意している訳だ。
当初は少しでも長くヒカリ市にいたかった僕だけど、父さんと少し話しただけで、既に不気味な何かを感じていた。だけど、それを口にしてしまうのが憚られて、敢えて僕は黙り込んでいたんだ。
ともあれ、僕らは念の為、だいたい一週間分の食料を持参していた。と言っても、お米の他は缶詰にレトルト食品、野菜と果物、そして、大量の水だ。余ったら、隣の鯨岡家にあげてしまえば良い。
ちなみに、僕らが持参した分には、金森さんと翔太の分も含まれている。二人が泊まるのはヒカリ駅近くのホテルだけど、朝食以外、できるだけ一緒に食事を取る事にしていた。一日や二日なら大丈夫だろうとはいえ、イルージョンの摂取は少ない方が良いからだ。
そうこうするうちに、持参した荷物の整理をしていた僕に母さんから声が掛かった。
「さあて、取り敢えず家の中の確認は終わったから、お隣に顔を出しに行くわよ。樹も来るでしょう?」
当たり前だ。だけど……。
「でも、今日って平日だよ。朱美さん、仕事じゃないのかな?」
「そんな事ないと思うわよ。だって、さっき見たら朱美さんの車があったから」
なるほど。だったら、今日はお休みなのかもしれない。
僕らは急いで用意していたお土産を持って家を出ると、隣の鯨岡家の玄関側に回って、インターホンを鳴らしたのだった。
★★★
ところが、インターホンを押しても、直ぐに返事は無かった。
「あれ、やっぱり朱美さん、お留守かしら? 車はあるのに、おかしいわね」
「栄太オジサンの車で一緒に行ったんじゃないの?」
「その可能性もあるけど、病気で寝てたりとかだったら心配だわ」
僕らがそんな会話をしていると、ようやく玄関が開いた。
「あらまあ、びっくりだわ。葵さん、いつ戻ったの?」
そう言って玄関からひょっこりと顔を出した鯨岡朱美さんを見た僕らは、思わず固まってしまった。何故なら、僕らの知っている彼女とは、まるで別人のようになっていたからだ。
今の彼女の髪色は、淡い茶髪。瞳も薄茶色だ。髪の毛は染めた可能性だってあるけど、瞳の色まで違うってのは……、カラコン? まさか……。
いや、それだけじゃない。何だか前より痩せたように見える。それに、何となく影が薄くなった気がするんだけど、単なる気のせいだろうか?
僕の隣で、フリーズから三秒で立ち直った母さんが、先に口を開いた。
「こっちに来たのは、ついさっきよ。はい、お土産」
「まあ嬉しい。この海老せんべい、あたし、大好きなのよね。樹くんも元気だった?」
朱美さんは、いつもよりテンションが高めだと思った。前から明るい人ではあったけど、いつも僕の前では大人の女の人って感じだったんだ。それが、髪の色とかの違いとも相まって、とても若返った感じになっている。
そういや、こないだ電話で母さんと口喧嘩していた筈だけど、もう忘れちゃったんだろうか?
朱美さんは、僕らをリビングダイニングに招き入れてくれて、いつもの食卓テーブルに座った僕らに訊いてきた。
「朱美さん、お勤め、今日はお休み?」
母さんの質問に朱美さんは、たった今思い出したって感じで答えた。
「あら、あたし、言ってなかったっけ? 実は、先月で信用金庫、辞めちゃったのよ」
「えっ、そうなの?」
「あ、クビになったとかじゃないのよ。旦那のお給料で充分にやって行けそうだし、もう無理する必要もないかなあって」
「そうなのね。でも……」
母さんは、何となく納得していない感じだったけど、その前に朱美さんが話題を変えてしまった。
「それより、お昼はまだかしら?」
「こっちに来る途中で食べたから、気にしないで」
「あら、そうなのね」
「でも、朱美さんがまだだったら、出直すけど……」
「あたしも食べたから、大丈夫。それに、もうすぐ菜摘が帰って来ると思うから、お茶でも飲んで待っててくれる? きっと驚くわよ」
そこで僕は、少し気になって口を挟んだ。
「あれ、もう夏休みじゃないんですか?」
「ううん、四月にお休みとかがあったでしょう? だから、七月中は普通に授業があるらしいの」
朱美さんが言ったのは、もっともな事だ。
壁にかかった時計を見ると、まだ午後一時を過ぎたばかり。僕は、『普通に授業があるにしては、少し早過ぎないだろうか?』と思ったけど、『きっと、何かあったんだろう』と思い直して、後で菜摘に聞いてみることにした。
朱美さんが、コーヒーを持ってきてくれた。
「あたしもね、前はペットボトルのお水を使っていたんだけど、今月に入ってから、遂に止めちゃった。面倒だし、結構、お金も掛かるのよね。それに最近ではあんまりスーパーに置いてなかったりするし……、市長が絶対に安全だって言うから、まあ良いかなって……」
朱美さんの話の途中で、徐々に母さんの顔が強張って行くのを僕は感じた。出されたコーヒーカップを持つ手が、ピタッと止まる。母さんは、そのままカップをソーサーに置いた。
それでも僕は口を付けてみたけど、前と変わらない味だった。
「ところで、朱美さん、髪を染めたの?」
「えっ? 別に染めてないけど、何で?」
「いや、何となく……」
僕は、朱美さんに対する違和感の原因が、ようやく分かり掛けてきた。やっぱり、イルージョンの影響なんだろうか?
その時だった。玄関のドアが勢い良く開いて、僕にとって聞きなれた元気な声がした。ところが……。
「たっだいまあ!」
「おじゃましまーす!」
二つ目の声に、僕は再び固まってしまった。それは、僕の良く知っている声の筈なのに、どこか違っていたからだ。
「あら、瑞希ちゃん、いらっしゃい」
玄関へ出迎えに行った朱美さんが発した、「瑞希ちゃん」という言葉を認識した途端、いきなり僕の心臓がスロットル全開になった。
僕は、期待と恐れの入り混じった不思議な気分で、その彼女の登場を待ったのだった。
★★★
見たいのだけど、振り向くのが怖い。そんな二律背反した気持ちの中にいた僕は、酷く動揺していた。だけど、容赦なく彼女は僕の方へ迫って来る。
「あれ、誰か来てるの?」
「そうよ。誰だと思う?」
「うーん……、何か、葵さんみたいだけど、でも、最近のアタシって、変なものが見えるようになっちゃったから……」
「久しぶり、菜摘ちゃん」
母さんが声を掛けると、しばらく会話が途切れて、沈黙が続いた。
「本物の葵さんよ」
朱美さんの言葉で、菜摘はようやく母さんが幻じゃないと信じる気になったらしい。
「こんにちは葵さん。あれっ、樹もいる」
今度は、ハッキリと瑞希の声がした。でも、何かが違うような……。
「えっ、ホント?」
僕が振り向かなくても、二人は僕の目の前にやって来た。そしてしげしげと僕の顔を見詰める。
「どうやら、本物の樹みたいね」
「そうみたい」
「ほら、樹。マスクはずして、ちゃんと顔上げて」
仕方なく僕は、マスクを取った。
僕の目の前に、二人の金髪の見知らぬ少女が並んでいた。瑞希と菜摘はショートヘアだったのに、この二人は肩先まである。肌は、透けるように白い。そしてブルーの瞳。
それでもこの二人は、たぶん緑川瑞希と鯨岡菜摘なんだろう。
二人は、かなり痩せていた。朱美さんも痩せてると感じたけど、この二人はそれ以上だ。
それに、服装だって違う。菜摘は普段、夏でもジーンズしか履かないというのに、今日はどちらもワンピース姿。菜摘と思われる方が水色で、瑞希の方は白……。
「どうしちゃったの、二人とも?」
僕は、震える声でそう言った。
「どうしちゃったじゃないわよ。失礼しちゃうわね。菜摘よ。菜摘。生まれた時からあんたと一緒にいるこのアタシを忘れちゃったの」
そうやって一気に捲し立てるその声は、やっぱり菜摘のものだ。でも、どうしても目の前のお人形さんのような少女が、あの菜摘だとは思えないのだ。
その水色ワンピの少女は、全体的に痩せていてすごく華奢な感じだってのに、胸だけが飛び出ていてアンバランスな印象がある。
「何で、幼馴染のアタシに見惚れてんのよ。あんたの彼女は、こっちの瑞希でしょうが」
そう言って菜摘は、隣の白いワンピースの少女を僕の前へと軽く押し出した。僕はその少女の全身をくまなく見た。
僕が知っている瑞希よりは、ひとまわり小さい印象だ。すっごく綺麗なんだけど、綺麗過ぎてこの世の生き物じゃないようにすら感じてしまう。
「瑞希、綺麗になったね」
自然に、そんな言葉が僕の口から洩れていた。そして言ってから、死ぬほど恥ずかしくなった。母さんや朱美さん、そして菜摘の前なのだ。
「あらあ、やっぱりあなた達って仲良いわね。久しぶりに会った恋人同士だもの、二人っきりにしてあげましょうか?」
「だったら他の皆は、うちに来ると良いわよ」
母さんがそう言うと、瑞希以外のみんなはぞろぞろと出て行ってしまった。
そして残されたのは、僕と白いワンピの少女の二人だけになったのだった。
END075
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「菜摘と瑞希の変貌」です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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★★★
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(ジャンル:ローファンタジー)
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
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