072:増幅する不安
「私が、わざわざこっちに来たのはね。直接に会って話すしかないからなの。お義兄さん、まだヒカリ市にいるんでしょう?」
香澄叔母さんが父さんのことを口にした途端、母さんの顔が強張った。
実は、七月に入ってから父さんからの連絡がピタッと途絶えていたんだ。その事を母さんが香澄叔母さんに話すと、彼女はボソッと、「それは、心配ね」と呟いた。
「お義兄さん、スマホとか携帯とか持ってないの?」
「社用のは持ってるわよ。でも、ちっとも繋がらないの」
「それはおかしいわね。わざとハッピーアイランド以外からの通信は遮断されてるのかもしれないわね」
「えっ、それだと仕事にも支障が出ちゃうんじゃない?」
「本社とかなら、内戦で繋がるから大丈夫なんじゃないかしら。元々社用のスマホや携帯って、通話に制限を掛けてる会社が多いみたいよ」
「なるほど」
「でも、それなら直接、お義兄さんの職場に架けてみれば良いじゃない」
「もうやったわよ。それで前だったら繋がったんだけど、最近は全然ダメ。代表の電話番号に架けても、おんなじなのよねえ」
「やっぱり、変ね」
それから話は、前回、香澄叔母さんが来た時に僕と一緒にいた三人の女の子の話になった。
「そっか。三人ともヒカリ市にいるのね」
「そうなんだ。それでさ、最近、瑞希とも菜摘とも上手く話が続かなくて……、なんかチグハグっていうか……」
「それは、だいぶイルージョンにやられてる可能性があるわね。それより、愛奈ちゃんは?」
「そう言えば、最近、話してないや」
僕は、急に愛奈の事が心配になってきた。小さい子ほど、イルージョンの影響は出易いのだから……。
その時、母さんがボソッと言った。
「何とかして、ヒカリ市に行けないかしらね」
僕も同じ思いだった。だけど、香澄叔母さんに「それは危険よ。お勧めできないわ」と言われてしまい、それっきり僕らは黙り込んでしまったのだった。
★★★
七月になっても、僕は必ず週に一回は緑川瑞希に電話していた。だけど、僕らの会話は、どんどんと空虚なものになって行く。
『最近ね、公園の猫ちゃんが、すっごく可愛いの。ほら、前に樹くんも見たでしょう?』
「ああ、確か黒猫だったよな?」
『ううん。白猫だよ』
「えっ?」
いや、あの猫は、黒猫だった筈……。
僕は、話題を変える事にした。僕の方から強く誘導して行かないと、近頃は直ぐに会話が空回りしてしまうからだ。
「そんな事よりさあ、最近、うちのクラスはどう? 四家さんがいなくなった後、他に転校してった生徒はいない?」
『いない……のかなあ? あんまり分からない』
「分からないってどういう事?」
『あ、そうだ。こないだ転校生が来たよ。なんかチャラい系の男子で、髪の毛が金髪なの』
転校して来た生徒というのは、たぶん、仮設住宅に越してきた北からの避難民の子なんだろう。
「金髪って言うと、新妻亜紀みたいな感じ?」
『うん。そんな感じー』
それから、何が可笑しいのか、急に瑞希は笑い出してしまった。
そうかと思うと、今度は急に黙り込んで、その後、ボソッと、『もう、あんまり私に電話しないでくれた方が良いかも』なんて言い出すんだ。
僕が「どうして?」と訊くと、彼女は黙り込んだまま返事をしてくれない。
ところが、僕が菅波奈々子の事を尋ねた時、瑞希は珍しく饒舌になって話し出した。
『私、あの子、嫌い。最近、細かい事ばっかり言うの。何かと言うと、肌を出しちゃ駄目だとか、マスクをしなきゃ駄目だとか……。こんなに暑いってのに、窓を開けちゃ駄目だって言うんだよ』
案外、瑞希は窓開け事件の事を、もう覚えていないのかもしれない。
「あの、瑞希。そっちってエアコン、無いんだよね?」
『当ったり前じゃない。樹くん、もう忘れちゃったの?』
今の僕の中学には、教室にエアコンがある。もっとも、こっちの夏はヒカリ市よりもずっと暑いから当然なんだろうけど、確かに七月にもなると、いくらヒカリ市だって、エアコンが無いなら窓を開けないとサウナ状態になってしまうだろう。
だけど……。
「やっぱりイルージョンの事は、僕も心配だよ」
その僕の言葉は、適切ではなかったみたいだ。
『……しょうがないじゃない! 樹くんには分からないんだよ、うちらの気持ちなんてっ!』
その後、僕は彼女に掛ける言葉が見付からなかった。そうして、そのまま僕らは電話を終えてしまった。
★★★
期末テストの結果は思ったよりも良くて、ひとまず僕はホッとする事ができた。その後に行われた三者面談で担任教師の関谷先生は、「これだったら、トップ校は無理でも、その次くらいの高校なら入れそうよ。頑張ったわね」といった感じで褒められた。
念の為、田中美佳が目指しているトップ校だって、二学期に頑張れば可能性はゼロじゃないとの事。関谷先生には、「諦めずに頑張りなさい」とハッパを掛けられた。
その後、田中さんにお礼を言ったら、彼女は僕に久しぶりのはにかんだ笑顔を見せてくれた。
やがて梅雨が明け、本格的なナコヤの暑い夏がやってきた。
サッカー部の大会は、大方の予想通りにアッサリと一回戦で負けてしまった。
でも、この大会には意外な成果があった。田中美佳がクラスの女子を四人も連れて応援に来てくれた事だ。その四人とは、犬飼さん、丹羽さん、渡辺さん、杉浦さんで、要するに僕と田中さんと勉強会で一緒だったメンバーだ。そして、その彼女達は、水野恭平が推奨するうちのクラスの美少女全員という事でもある。まあ、杉浦さんはちょっと違うと思うんだけど……。
田中さん達は、おにぎり持参で来てくれた。僕等は一回戦負けなので本当は昼前に帰れるのだが、せっかく好意で作ってきてくれた物を食べないなんて選択肢はない。うちのチームは、一年まで入れて今はちょうど十一名。その全員が、女子の手作りおにぎりを前に大喜びだった。
もっとも、僕だけは震災後、おにぎりには良い印象が無い。正直言って最初のうちは、あんまり食欲が湧かなかった。それで、ついぼんやりしている所を、田中さんに気付かれてしまった。
「香山くんは食べないの?」
突然、田中さんが僕に話し掛けてきた。少し意外に思ったけど、咄嗟に僕は答えていた。
「田中さんが作ったのだったら、食べたいかも」
「ふふっ、嬉しいこと言ってくれるじゃん。だったらこの辺よ。鮭とタラコだけど、どっちが良い?」
「タラコかな」
田中さんは、タラコのおにぎりを僕に渡してくれた。やや小さめで綺麗な三角で丁寧に海苔が巻いてあるおにぎり。お世辞じゃなく美味しかった。結局、田中さんのおにぎりばかりを僕は、四個も食べてしまった。僕が食べ終わるのを見計らって、田中さんが自分の水筒から冷たい麦茶を汲んで渡してくれる。
「ありがとう。凄くうまかったよ」
僕がそんな風にお礼を言うと、田中さんはニッコリと笑ってくれた。これまでのお互いの気まずさを完全に洗い流してしまう、とても温かい笑顔だった。
★★★
僕が金森翔太からの誘いを受けたのは、サッカー部の大会があった直後のことだった。
『なあ、樹。お前、俺と一緒にヒカリ市に行ってみる気はないか?』
僕にとっては、突然の思い掛けない申し出だった。
訊けば、翔太にはアラサーの従兄がいて、フリージャーナリストをしているという。その人がヒカリ市の取材をしたいので、案内役を頼まれたのだという事だった。
僕にとっては願ってもない話なんだけど、ハッキリ言って胡散臭くもある。
「あのな、翔太。大きな口では言えないんだが、今、ハッピーアイランドに行くのは難しいってのを聞いたんだが……」
『ああ、そこまで知ってるんなら話は早いな。だけど、詳しい事は電話じゃ言えないんだ。でも、しっかりした筋からの要請だから、そこんとこは心配いらない。樹が大丈夫だったら、詳しい事はこっちに来た時に話すよ。たぶん、出発は夏休みに入った頃だな』
翔太は、そこまで一気に話すと、僕の返答を待った。
僕は、「取り敢えず、母さんに聞いてみる」とだけ言って、ひとまずは電話を切ったのだった。
END072
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「翔太からの申し出」です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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★★★
本作品と並行して、以下も連載中ですので、できましたら覗いてみて下さい。
(ジャンル:ローファンタジー)
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
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