070:変調の兆し
六月に入ると、祖父母の家の庭にある紫陽花がようやく色付き始めた。祖母さんのお陰で、この家の庭には季節の花々がいつも咲き誇っているんだ。
でも、花の種類は、ヒカリ市の実家とは少し違う。母さんが言うには、園芸ショップの品揃えが向こうとは違っているらしい。
その母さんが僕に、「この庭にも、ミモザ、植えよっか?」と訊いてきた事がある。僕は少しだけ考えて、「植えなくて良いよ」と断った。
「ミモザは、ヒカリ市の家だけにしとこうよ」
母さんは、ちょっとだけ悲しい顔をしてから、「分かったわ。ヒカリ市の思い出にしておきたいんのね」と言った。
「違うよ……あ、いや、それもあるかもだけど、この庭には似合わないと思うんだ」
祖父母の家の庭は、純和風。松の植木の横にあるのは、アンマッチな気がする。
僕の返事に母さんは、「それもそうね」と納得してくれた。
ちなみに紫陽花は、ヒカリ市の自宅にもあった。母さんが駐車場の横に植えた株が育って、毎年、多くの花を咲かせていた。だから、この花を見ると、どうしても向こうの事を思い出してしまう。
「ヒカリ市の家の紫陽花も、ちゃんと咲いたのかな?」
「さあ、どうかしら。連絡が無いから分からないわ」
「お父さん、まだ連絡が付かないの?」
「今日の昼間に少しだけ話したわ。最近は、工場で寝泊まりする事の方が多いみたい。まあ、その方が私も安心ではあるんだけどね」
相変わらず物流が滞っているせいで、スーパーでの品揃えは良くないそうだ。それに、ガソリンだって、まだ並ばないと入れられないらしい。
水が出るようになったとはいえ、何かと生活には不便が付き纏うのだという。その為、三食きちんと食事を出してくれる会社の方が、父さんには居心地が良いのだとか……。
「あっちは、お父さんみたいな単身者が増えてるでしょう? そのせいで、余計にインスタント食品とかが品薄になるそうよ。それに、コインランドリーだとかも、相当に待たないと使えないみたい。まあ、お父さんの場合は、家の洗濯機を使えば良いんだけど……、『最近は、洗濯の為に家へ帰ってるようなもんだ』って言ってたわ」
そこで僕は、スマホのスピーカーホンで聞いた鯨岡朱美さんの話を思い出した。
「近頃は、北からの避難民だけじゃなくて、首都電力の作業者が大勢、ヒカリ市に押し掛けてるみたいなの。そのせいで駅前の繁華街とか、夜はもちろん、昼間でも女性だけじゃ危ないってくらいに、治安が悪くなってるそうよ」
「首都電力の社員だったら、エリート集団なんじゃないの?」
「あのね、葵さん。エリート社員が危険なヒカリ市なんかに来る訳が無いじゃない。こっちに来るのは契約社員や下請けの下請けだけよ。つまり、ほとんどがならず者ってわけ。しかも、男ばっかりだから、女が襲われるのよ。最近は警察だって、辞める人が結構いるみたいで、手が回らないから無法地帯化してるってわけ」
「なんか、どんどんと住み難い街になって行くわね」
「そうなのよ。さっきの駅前の話に戻るけど、駅の周辺って、昔はバス待ちの高校生がたむろってたじゃない。あたしもそうだったんだけど、放課後はファーストフードのお店でお喋りしたり、カラオケ屋さんで騒いだりしてたのよね。それが今は親が送り迎えするか、授業が終わると駅に直行だそうよ。で、余裕のある家庭の子は、どんどんとヒカリ市を出て行っちゃうわけ」
「なるほどねえ」
朱美さんからは、医療機関が壊滅的な状態にあるとも聞いた。
「ほら、医者ってエリートじゃない。それに、うちらよりはイルージョンに関する情報を持ってるし、えーと、危機察知能力っていうのかな、とにかく、逃げるのが早い人種なのよ」
「そう言えば、青木さんの所もそうだったわね」
「そうそう。麻衣ちゃん、今はオサカだっけ。良いわよねえ、お金持ちは……。あ、それでね、医者が少ないもんだから、病院はどこも満員状態。それに、医者がどんどんと横暴になって行くって話も聞くわね。へたな病気で行ったりすると、怒鳴られて、追い出されたりするみたい。体調が悪いっていうのに、朝から何時間も並んだ上に、追い出されるのよ。もう、信じられる?」
「誰か、そういう目に遭った人がいるの?」
「うちの裏の赤津さんなんだけど、大変だったみたい。何とか駅でタクシーを捕まえて帰ったそうなんだけど、死にそうだったって言ってたわ」
「でも、看護師さんとかも、同じような態度なの?」
「当然よ。てか、看護師こそ、いち早くヒカリ市を出てっちゃったわよ。今は、何処だって引く手あまたなんだもの。それで、残った看護師は、とにかく忙しいのよ。そりゃあ、患者の扱いが手荒にもなるってもんよ」
「そうなのね」
「あと、歯医者とかも全く予約が取れなくて、あたしがこないだ行った所も、入口に『新規患者はお断りします』って張り紙が貼ってあるの……。あ、そうだ。思い出したわ。昨日、車でスーパーに行く時にラジオ聞いてたら、女子アナの子がお別れの挨拶をしてたわよ。北海道の放送局での採用が決まったんで、そっちに移るんだって。こんな事、葵さんの前で言って申し訳ないんだけど、やっぱり、こういう時って、お金持ちや良い職業に就いてる人から、どんどんといなくなるもんなのね」
「……」
「あ、それとね、駅前の話に戻るんだけど、飲食関係のお店は、どこも満員みたい。まあ、食材が入って来なくて、お休みの所が多いってのもあるんだけど、それ以上に、男性の単身者が増えてるからなのよねえ……。それで、そっち系の女性がいるお店も大繁盛なんですって。と言っても、ニホン人はヒカリ市に来たがらないから、外国の女ばっかだって話なんだけどね……」
★★★
六月になっても、相変わらず震災関係のニュースはテレビで頻繁に放映されていた。それと比べると新型発電所の事故に関しては格段に少ないのだが、それなりに報道されてはいる。それらを見ると、一応は政府も、必死で事故の収束に向けた努力を続けているように感じられる。
しかし、イルージョンによる食品の汚染度合い、イルージョンの濃度や土地の汚染状況といった具体的な情報は、どれも首都圏のものばかりで、ハッピーアイランドの情報が流される事はない。そして何よりも街の人々の様子についての映像が、テレビ画面では全く流れていないのだ。
それと同時に、政府が何かしているのか、ネットでも情報が出回らなくなった。母さんが言うには、書き込みがされても直ぐに削除されてしまうのだという。
たぶん、ハッピーアイランドから逃げて来た人でしか、感じ取れない変化なんだろう。だけど、僕らにとっては割と深刻な事態だと思われた。
ハッピーアイランドが、今どのような状態になっているのか?
それを知る手掛かりは、いつの間にか、友人や知人との電話だけになってしまっていたんだ。
やがて、セントラル州が梅雨入りした。その夜、どしゃぶりの雨が窓ガラスを激しく叩き付ける中で、僕はオサカの青木麻衣からの電話を取った。
『ねえ、樹くんって最近、瑞希と話した?』
この頃、青木麻衣からは週一くらいの頻度で電話が掛かってきていた。
「昨日、話したよ。週末には、必ず電話するようにしてるんだ」
『そう……。それにしては、なんか浮かない感じね」
「まあな。最近は、会話が上手く繋がらなくってさ。あんまりそれを言うと瑞希も拗ねちゃうし、結局、だんだんと掛け辛くなっちゃって……。ゲームで言うと、NPCと話してるような感じっていうか……」
『あ、それ、良く分かる。微妙なんだけど、なかなか会話が噛み合わないのよね。瑞希の方の受け答えが変だっていうか、ちゃんと出来てない感じなの。やっぱり変よね』
「変だって言うなら、瑞希よりも菜摘の方だよ。何か菜摘の奴、話し方が少し変わった気がするんだ。前は割と早口でハキハキと話してた奴が、最近やけにゆっくりなんだ。それに聞いててまどろっこしい事があって……、まあ、母さんに言わせると、『最近は女らしくなった』って言うんだけど、絶対に違うと思うんだよな」
『私も違うと思う。話す速さなんて、そうそう変わるもんじゃないもの。私、菜摘とは六月になってから話してないけど、今度、電話してみるね……。やっぱり、私、何か気になるんだ』
「何かって、何だよ?」
『うん、そうね。まだハッキリとはしないんだけど、「何か」なんだよね。それより、他にハッピーアイランドの人のことで気になった事ない?』
「あ、そう言えば、昨日、珍しく母さんが朱美さんと言い合ってたな……あ、朱美さんって、菜摘のお母さんなんだけど」
『分かるよ。ふーん、そうなんだ』
「今まで、あんな風に朱美さんが声を荒げたの初めてだったから、驚いちゃって……あ、いや、大きくなってからって意味なんだけど……、昔は良く菜摘に怒ってたからさ」
『やっぱり、それも話が噛み合わなかったとか?』
「うん。そんな感じ。母さん、朱美さんとは口喧嘩とかもしたこと無かったみたいだから、昨日は落ち込んでたんだ」
『そっか、やっぱりね』
「何が『やっぱり』なんだよ?」
麻衣は少しの間、黙り込んでいた。
途端に、外の雨音が気になり出した。僕は、ガラス窓を叩く雨のリズムを身体全体で感じながら、じっと麻衣の次の言葉を待った。
「どうした、麻衣?」
つい待ち切れずに僕が問い掛けると、麻衣が小さな声で呟いた。
『イルージョンよ。ヒカリ市の人達にイルージョンの影響が、具体的な症状として出始めたんじゃないかと思うの……』
END070
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「アメリカの叔母の再訪」です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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★★★
本作品と並行して、以下も連載中ですので、できましたら覗いてみて下さい。
(ジャンル:ローファンタジー)
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
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