007: 大地震発生
結局、僕が夢の中にいられたのは、ほんの僅かな時間でしかなかった。その僅かな時の中で僕は、ぼんやりと今までの短い人生を振り返っていた。緑川瑞希との出会い、鯨岡菜摘とのケンカの数々、そして翔太、麻衣と仲間が増えて行き、やがて皆で小学校に通うようになって、僕の世界がどんどんと広がって行く……。
あの頃は、いつも毎日が楽しかった。もちろん、泣いた事だってあった筈なのに、何故か蘇ってくるのは、全てが楽しかった事ばかり。あの大きなミモザの木の下で、幼馴染の五人が仲良く遊ぶ光景が、僕の頭から離れそうにない。
当時は僕らの身体が小さかった分、ミモザの木は本当に巨大に感じられて、その周りを僕らは、いつだって笑顔で駆け回っていた。そんな僕らを母親達が、いつも優しい眼差しで見守ってくれて、疲れたら自分の母親の所へ戻って行く。そこには、絶対的な安心があったように思うんだ。
それなのに……。
突然、凄い音がして、僕らの幸せの象徴だったミモザの木が、真ん中から二つに裂けた。
「危ない、逃げろ」と翔太が叫ぶ。
その時、腹の底にドスンと響く不気味な音がして、目の前の地面に亀裂が走った。すると、その裂け目が見る見るうちに広がって行く。底は真っ暗で全く見えないが、随分と深そうだ。万が一にも落ちてしまったら、絶対に這い上がって来れないだろう事は明確だった。
僕は、恐怖で身が竦む思いだった。
ところが、その穴の中に誰かが落ちたのだ。いや、誰かなんかじゃなくて、それは瑞希と菜摘だった。僕が慌てて二人の名前を呼ぼうとしたけど、何故か声が出ない。そうこうするうちに、前後に身体が揺すられる感覚があった。
「あれ、何だろう?」と思っていると、急に周囲が騒がしくなって、僕は短い睡眠から無理やりに呼び戻された。
「これって、もしかして地震?」
菜摘の声だ。
僕は、「良かった。菜摘が無事で……」などと間抜けなことを思いながら、ゆっくりと頭を持ち上げて、教室の中を見回してみた。
ほとんどの生徒が、まだ自分の席に座っている。だけど、誰もが緊張した面持ちだった。まるでウサギが耳をピンと上に立てて、必死に猛獣の動きを探っているって感じ? それとも、これから起こる脅威に対し、必死に身構えているって所かも。
「やっぱ地震だよ。しかも割と大きくね?」
「うん、ちょっとヤバいかも」
後ろの席で、ひそひそ話す声がする。
怖くなった僕は、机の両端をギュッと掴んだ。それから、周囲に注意深く目を走らせる。
まだ揺れは治まらない。それどころか、少し強くなった。
「キャー」という甲高い叫び声と共に、何人かの女子が机の下に潜ったのが見えた。
「マジかよ。勘弁してよね」
前の席の菜摘までもが、机の下に身を潜めた。それと同時に、更に揺れが激しくなる。
「うわっ、何だこりゃ!」
右手前に座っていた男子が、遂に机の下に身を隠した。それで僕も机の下に潜ることにした。
僕が机の下に身を置いた途端、揺れが更に一段と激しくなった。僕は、両手で机の脚をギュッと握っていたものの、激しい横揺れで身体のバランスが上手く保てない。お尻を床にペタンど落とし、左右に振られそうになるのを必死に耐えているのがやっとって感じだ。
いつの間にか移動していたようで、隣の女子の机と僕の机がガンガンと打ち合って、大きな音を響かせる。その子は既に半泣きの状態で、僕の顔を恨めしそうに睨んで来る。でも、僕が悪い訳じゃないんだ。僕には何にもしてやれやしない。
もう、無茶苦茶だった。
けたたましい女子の悲鳴が教室のあちこちで上がって、そこに男子の声も交じり出す。教室の後ろの個人ロッカーの上に並んでいた本が、バサバサと床に落ちたかと思うと、掃除道具の入ったスチール製ロッカーまでもが、ガッシャーンといった大音量と共に前へ倒れた。
その途端、「きゃああああ!」という女子の悲鳴が再度、教室中に響き渡る……。
僕には、今の教室の状態が信じられなかった。
とても現実の出来事だとは思えない。何で自分がこんな目に遭っているんだろう? まるで、まだ夢の中にいるみたいだ。覚めたと思っても、全然、覚めない夢……。
突然やってきた世界の終末に、僕は翻弄されるばかりで無力だった。
その時、僕の頭の中は、完全に真っ白な状態になっていたのだった。
★★★
地震の揺れは、唐突に治まった。
カチッ!
後になってみると、この瞬間に僕らは、きっと別の世界へ足を踏み入れたんだと思う。
僕は、恐る恐る机の下から這い出て、ゆっくりと身を起こした。
すると、頭の中だけじゃなく、現実に僕の目の前にも真っ白な世界が広がっていた。
やがて、その白い世界の中に、ぼんやりと人の姿が浮かんだ。そうして現れたのは、たぶん、菜摘だ。でも、彼女の髪の毛は真っ白で、まつ毛や眉毛だって白い。紺のブレザーの肩までもが、白く染まっている。
「あんた、樹?」
先に声を上げたのは、菜摘の方だった。
「菜摘だって、何だよ、その顔?」
慌てて菜摘は自分の頭に手を持って行くと、髪の毛に付いた粉を払った。辺りに白い粉がパッと舞い上がって、二人してゲホゲホと咳き込んでしまう。
それが治まってから、彼女に問い掛けた。
「ケガとか無い?」
「私は、大丈夫みたい。樹は?」
「僕も大丈夫だよ」
たぶん、白い粉の影響なんだろうけど、体育倉庫の中みたいなカビ臭い異臭が鼻を突く。
僕はポケットからハンカチを取り出すと、取り敢えず鼻と口を覆ってみた。そして、それを身振りで菜摘にも勧めてみる。
しばらくすると、他のクラスメイト達も机の下から出てきた。
僕は、教室の中をグルっと見回してみた。
いつの間にか蛍光灯の灯りは消えていて、相変わらず周りには白い粉が濛々と立ち込めている。心持ち息苦しい。ぼんやりとしか姿が見えないが、その場に誰もが茫然と立ち尽くしているようだ。
やがて、あちこちで短い会話が囁かれ始めた。
「ねえ、大丈夫?」「うん、何とか無事だったみたい」
「すっごく長かったよな」「うん、それに途中で、どんどんと激しくなっちゃうんだもん」
「もう、死ぬかと思っちゃった」「分かる分かる」「マジで、ヤバいって感じだったよね」
「ケガは無いか?」「足、ちょっと捻ったかも」
……。
内容的には、どの会話も大差無い。
近くの床に目をやると、机の上に乗っていたり机の中に収納されていた文房具や教科書、ノートの類が下に落ちて、床一面に散乱していた。
次に天井を見上げると、端の方の石膏ボードが落下していて、所々で剥き出しの鉄骨が見えている。僕は、これが白い粉の原因だと思った。
他にも天井からは、あちこちで留め具が外れた蛍光灯がぶら下がっていたり、落下したりしている。良く見ると、床には勉強道具の類だけじゃなくて、破片や部品も数多く散らばっていた。
それらに外から差し込む陽射しが当たって、チカチカと輝いて見える。いや、そんなに光って見えるのは、破片の中に割れたガラスが混じっているからだ。
そんな事を思っていると、誰かの声が聞こえた。
「おーい、足元に気を付けろ!」
「そこの天井、危ねーぞ」
そこで、ようやく僕は、瑞希の席がある方に視線を向けた。すると、彼女らしい人影が、ゆっくりとこちらに近付いて来る。
「瑞希?」
僕が声を掛けると同時に、彼女の柔らかい身体が僕の両腕の中に飛び込んで来た。
「怖かったよー!」
温かくて愛おしいその生き物は酷く震えていて、僕達はそのまま抱き合った。
教室でこんな事するのは、僕だって恥ずかしいに決まってる。でも、瑞希が泣きながら必死にしがみ付いてくるのだから、仕方が無いじゃないか!
少し余裕が出てきて、そっと辺りを伺うと、僕等と同じように抱き合う姿があちこちで見られた。
もっとも、女子同士ばかりで、男女のカップルは無さそう。はっきりと言えないのは、まだ白い靄が立ち込めていて良く見えないからだ。だから、僕等も周りからは見えないだろうと、まずは勝手な解釈をしておく。
一分くらいして、ようやく落ち着いたのか、瑞希は自分の方から離れた。僕はホッとした半面、名残惜しくもあった。
そこで、ちょうど学級委員長の麻衣の声が響いた。
「さあ、皆、外に出て頂戴!」
ああ、こんな時でも麻衣は、僕らの委員長なんだ。
この時の麻衣の声は、今までで一番に頼もしく思えたのだった。
END007
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
ようやく地震発生です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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★★★
本作品と並行して、以下も連載中ですので、できましたら覗いてみて下さい。
(ジャンル:ローファンタジー)
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
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