067:菜摘と瑞希との電話
青木麻衣との電話を切った僕は、直ぐに母さんにJRの新しい時刻表の話をした。すると母さんは、「調べてみるから、樹は、お風呂に入ってらっしゃい」と言う。
僕が風呂から出て、パジャマの上にカーディガンを羽織った状態でダイニングに戻ると、椿叔母さんはいなくて、母さんはスマホで電話の最中だった。
その母さんは、僕の顔を見ると、スマホをスピーカーホンに切り替えた。
「今、樹がお風呂から出て来たわよ」
『ヤッホー、樹、元気してるー?』
いきなり、鯨岡菜摘の元気な声が部屋中に響いた事に、僕は少し困惑した。それでも、「何とかやってる」と返してやる。
「今日から、こっちの中学に通い出したんだ。こっちの制服、学ランとセーラー服でさ。なんか、アウェイ感がハンパないって感じ」
『ふーん、セーラー服なんだあ。良い事、聞いちゃった。これは、瑞希に教えてあげなきゃだね。麻衣の情報だと、瑞希に電話してないみたいだし……』
「麻衣と電話したのかよ」
『うん。麻衣の方から、ちょくちょく掛かってくるんだ。たぶん、あの麻衣も淋しいんだと思う』
「そっか」
『あ、でも、麻衣はもう普通に翔太とも電話してるって言ってたよ』
「当ったり前だろ。麻衣が引っ越したのって、もう一ヶ月近く前の事だぞ」
『そういやそうだね。今日が十日で、明日が十一日。あの大地震があって、明日で二カ月かあ』
「なんか、すっげえ昔の事に思えるな」
『うん、色々とあったもんねえ』
菜摘は、オバサンがするような感慨深い声で言った。でも、僕は、それを揶揄う気にはなれなかった。僕も同じ気持ちだったからだ。
『樹はさあ、まだ瑞希に電話してないんだよね?』
いきなり、痛いところを突かれてしまった。
「これから、架けるつもりだよ」
『ちゃんと架けてあげなよ。瑞希、電話が無いの心配してたから。今日も自分から架けて良いかどうか相談されちゃったんだ』
「そうなんだ……」
ここで僕は、この電話がスピーカーホンだった事にようやく気付いた。
僕が母さんの方に目をやると、母さんは気を利かせてか、出て行ってくれた。
『ちゃんと、この後で電話してあげなよ』
「分かった。そうする」
『宜しい』
「うっ、何か、菜摘のくせに上から目線なんだけど」
『菜摘のくせにって、アタシは昔から樹のお姉さんなんだけど……』
そうだった。四月生まれの菜摘は、僕より八ヶ月も早く生まれたんだ。そのせいで小さい頃は、良くイジメられたって訳だ。
『それより、うちのクラス、大変なんだよ。本当にオバサン先生が担任になっちゃってさ。そのせいで、もうやりたい放題』
「でも、こないだの騒動で、校長先生から叱責を受けたんじゃなかったの?」
この話は、リカちゃんからの情報だ。学年主任の先崎が僕を殴ろうとした時、本当にリカちゃんが警察を呼んでいたら、オバサン先生だって無事では済まなかった筈なんだ。
そう言えば、あの時、オバサン先生は菜摘の頬を打ったんだっけか……。
それに、あの事件の影響で、女子三人が転校してるし、翔太だって僕だって、事件のせいで転校したって言えなくもない。
『うん、そうなんだけどさ。今のオバサン先生には何を言っても無駄っていうか、誰の話も訊きゃしないんだよね。リカちゃんの話だと、校長も教頭もお手上げみたい』
「先崎の言う事だったら、聞くんじゃないの?」
『先崎先生だったら、もういないよ。トキオのどっかの私立で先生の職を見付けたんだって。「あんな奴が教師を続けられるなんて、世の中どうかしてる」って、リカちゃん、怒ってた』
本当だ。僕に理不尽な冤罪を平気で擦り付けた上に、殴り掛かってくるような奴が、まだ教師を続けてるだなんて、絶対におかしい。
『なんか、最近のオバサン先生、「自分の評判なんて、どうなっても良い」って投げやりな感じなんだ。刹那的っていうかさあ、「今だけ良けりゃ良い」みたいな……』
「刹那的なんて言葉、良く思い付いたな」
『リカちゃんが言ってたんだよ。あ、そんでさあ、リカちゃん、最近は理科準備室に引き籠っちゃてて、仕方ないから、昼休みとかは瑞希達と一緒に、そこで弁当を食べるようにしてるんだ」
「ふーん、そうなんだ」
例の牛乳とパンだけの給食は、僕らの学校以外からもクレームの嵐だったようで、一週間もしないうちに取りやめになった。それで今は、弁当が復活してるって訳だ。
『あ、それと最近は、菅波さんとも仲良くしてるんだ。あの子も時々、樹のこと気にしてるみたいだから、今日の話をしとくね。セーラー服の事とか』
「あのなあ」
『大丈夫。他の話もするから。隣の女子と仲良くなったとかさ』
「な、何で、それを……」
『さっき、葵さんから聞いちゃった』
『こら、菜摘、そろそろ、スマホ返しなさいよ。まだ、葵さんに話があるんだから』
スマホのスピーカーから、突然、菜摘の母親の朱美さんの声が聞こえてきた。どうやら向こうは、スピーカーホンにしてなかったようだ。
『はーい。じゃあ、樹、またねー。後で瑞希に電話するんだよー』
「分かった。またな」
菜摘との電話を終えた所で、母さんが部屋に入って来た。どうやら、僕らの声は外に漏れていたらしい。
僕が出て行こうとすると、母さんに呼び止められた。『一緒に聞いておけ』という事のようだ。
その間にも、朱美さんの話は続いていた。
『……そんでね、葵さん。さっきのスーパーの話なんだけど、やっぱり物流が滞ってるみたいで、品揃えが良くないのよね。しかも、野菜とかは地元のハッピーアイランド産か近場の物ばかり。イルージョンの汚染は心配なんだけど、もう背に腹は代えられないって感じで買うしかないのよ」
「そうなると、中国産だろうと輸入品の方が良いのかもね」
「いや、輸入品だってトキオとかから来る訳だから、品薄なのは同じ事なのよねえ。同じハッピーアイランドでもコオリ市の方は、まだ物流がしっかりしてるみたいなんだけど」
「あっちは、センダ市との中間点だから、高速道路とかもいち早く復旧したじゃない。でも、ヒカリ市の方の高速は、先月の大きな余震の時にまた閉鎖されちゃって、未だに不通のままなんでしょう?」
「あら、許可証があれば通れるそうよ。首都電力の関係者の車とかは、ハンバン通ってるみたい」
「えっ、そうなの?」
「そうみたいよ。うちの旦那が首都電力の関係者から聞いた話だと、もう道路の復旧工事は終わってるんですって。だけど、まだ余震が続いてるし、あんまりトラックとかを走らせると、またすぐに修復が必要になってイザという時に通れなくなるから、わざと通行を制限してるそうよ」
「そうなのね。なんか、最近は朱美さんの情報の方が、ネットよりも進んでるわね」
「でも、全部、悪い情報ばかりなのよね。困ったもんだわ……」
★★★
僕は、母さん達の電話が長引きそうだったので、祖父母の家の電話を借りる事にした。母さん達の会話には興味があったけど、それ以上に僕の頭の中は、緑川瑞希の事でいっぱいだったからだ。
さっき、菜摘にまで約束してしまったからには、瑞希に電話しない訳にはいかない。こういう菜摘の指示が絶対ってのは、生まれた時から僕に染み付いた本能的な行動であるようだ。
それに、そろそろ電話しなきゃマズいってのは、常識的に考えたって当然の事だ。
瑞希は、すぐに出てくれた。
『樹くん、元気で良かったあ』
「それは、僕のセリフだよ。本当は、瑞希の事が心配だったんだ」
『うん。今週も学校では……って、まだ二日しか経ってないけど、いろんな事があったよ。リカちゃんが副担任になって、教室に来なくなったりとか……」
「それで、理科準備室に引き籠ってるんだろ? さっき、菜摘から聞いた」
『えっ、私よりも先に菜摘に電話したの?』
「あ、いや、母さんと朱美さんがスピーカーホンで話してて、そこに菜摘が割り込んできたんだ」
『そうなんだ……。菜摘も、元気ないみたい。相変わらず猪狩先生に怒られてばかりってのもあるんだけど、やっぱり、仲間が減ったのが影響してるんだと思う』
「えーと、前のクラスメイトの三十人のうち、残ってんのは十六人だっけ?」
『ううん、実際には、十五人。四家さんがね、猪狩先生に怒られて、学校に来なくなっちゃったの。たぶん、トキオの学校に転校する事になるだろうって、リカちゃんが言ってた』
「そうなんだ……。酷いな」
『猪狩先生、新妻さん以外の女子は、全員、追い出したいみたい。やっぱり、あの人、おかしいと思う』
「そうだよな。それなのに、お咎めなしだなんて、変だよな……」
『校長先生が怒っても駄目みたい。かと言って、辞めさせると北からの避難民を冷遇してるって事になって、外聞が悪いんだって』
「そっか」
『今、教室にいる女子は、新妻さんを入れて五人だけ。最近は、菜摘以外にも、佐川さんと菅波さんとも良く話すんだ。お昼も一緒に食べてる』
「そっか」
「他のクラスも、女子は少ないみたい。そのこと、お母さんも気になってるみたいなんだけど、お父さんが怖くて何も言えないって感じ」
「そうなんだ」
次第に喋ってるのは瑞希だけで、僕は相槌を打ってるだけになっていた。
「私もね、将来の事とか本当は心配。このまま、どうなっちゃうんだろうと思うと、あんまり夜も眠れないって感じ」
「そっか」
「何課ね、最近の私、どんどんと嫌な女の子になっちゃう気がして……、ごめんね。こんなこと、樹くんに言ったって、困らせるだけだよね……。ねえ、電話なんだけど、これから週に一回にしない? 本当は毎日でも樹くんの声を聞いていたいんだけど、それって、お互いの為にならないって気がする」
突然の思いがけない瑞希からの申し出を、僕は断ることができなかった。だって、僕の本心は、『良かった』って思っちゃったんだ。
『……私、頑張ってみる。いつか、樹くんがいなくても大丈夫なように、私、もっと頑張るから』
「……」
『……本当は、もう電話なんてしない方が良いって分かってるの。だけど、まだ今は無理だから……』
何て言って電話を切ったのか、僕は思えていなかった。気が付くと僕は受話器を握りしめたまま呆然としていて、そんな僕の手から受話器を引き剥がしてくれたのは、椿叔母さんだった。どうやら、僕らの電話がただならぬ内容だった事を察してくれていたようだ。
ダイニングに行くと誰もいなくて、椿叔母さんは僕に甘いココアを作ってくれた。
「母さんは?」と訊くと、お風呂だという。
「まあ、誰でも色んな事があって、大人になって行くもんだからさ。実は、私も中学の時は、大失恋しちゃって、お姉ちゃんの前でワンワン泣いちゃった事があるんだ」
「あら、それが大失恋だって思ってるの、椿だけなんじゃない?」
「もう、お姉ちゃんったら……」
いつの間にか母さんはお風呂から上がって、部屋に入って来ていたようだ。
僕は、何となく二人に励まされる形になってしまい、少し気まずい思いで自室に戻って布団に潜り込んだ。
まだ頭の中はこちゃごちゃだったけど、転校初日で疲れていたからか、気が付くと眠りに落ちていたのだった。
END067
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「田中美佳」です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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★★★
本作品と並行して、以下も連載中ですので、できましたら覗いてみて下さい。
(ジャンル:ローファンタジー)
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
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【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~
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