059:牛乳戦争
土曜日、僕は少しだけ近所を出歩いてみたんだけど、街のあちこちに決まったデザインの看板があったり、店の軒先とかに同じステッカーが貼られていたりするのに気付いた。また、バスの側面にも、同じデザインの物が描かれている。
それは何かと言うと、ハッピーアイランドやヒカリ市の復興に向けた標語だった。
「がんばろう、ハッピーアイランド!」
「ヒカリ市をひとつに!」
そこに書かれているのは良い事の筈なのに、何だか嫌な気持ちになってしまうのは何故なんだろう?
ああ、そうだ。今の僕らの苦労だとか不安だとかを、綺麗な言葉で勝手に語って欲しくないからだ。てか、その標語が、何だか押し付けのように感じてしまうのって、きっと僕だけじゃない筈……。
と、ここまで考えた僕は、もっと重要な事があるのに気が付いた。
――まだ、新型発電所事故は、収束しちゃいない!
それどころか、収束の目途すら立っちゃいないんだ。そんな中で、「復興」を考える事自体、絶対におかしい。
きっと青木麻衣だったら、「バッカじゃないの!」と一笑に付すに違いない。
僕は、それらの標語に、大人の偉い人達の思惑が見え隠れしてるような気がして、何だか白々しい気分になってしまったのだ。
★★★
そして、僕が外出から帰って少し経った時の事だった。我が家にも待望の水が出たんだ。予定ではゴールデンウィーク開けとかだったけど、工事の人とかが思った以上に頑張ってくれたみたいだ。
でも、本来なら嬉しい所なのに、未だ謹慎中の身だからか、それとも二度目の事だからか、僕は今ひとつ手放しで喜べない気分だった。
そんな時、隣の鯨岡朱美さんがやって来て、母さんに言った。
「葵さん、知ってる? 来週から給食が始まるみたいよ」
それは、二人にとっても寝耳に水の話のようだった。
「給食ですって? だけど、給食センターとか大丈夫なのかしら?」
「もちろん、駄目みたい。だから、当面は牛乳とパンだけだって言うのよ。中学生だと、それじゃ当然足りないわよね。でも、お弁当は禁止なんですって。理由は、避難民の子と差が付くからだそうよ」
「また避難民なの? ていうか、相変わらず行き当たりばったりな話ね」
「その通りなのよ。でも、もっと見逃せない話があるのよ。その牛乳、ヒカリ市の農家の乳牛から採れたものだって言うの」
「あれっ? ヒカリ産の牛乳って、こないだ暫定基準値を超えたイルージョンが検出されたとかで、出荷禁止になったんじゃなかったの?」
「そうなんだけど、それでもヒカリ産を使うんですって。何でも、市長の意向で地元産に拘ってるらしいの。市民が一致団結して、今回の震災に立ち向かう為なんですって。ねえ、馬鹿げてると思わない?」
それを聞いた母さんは、すっかり呆れ顔だった。
「市長は、そうまでして地元農家のご機嫌を取りたいのかしら? 農家の人も、子供の健康を犠牲にしてまでして、自分達が儲かりたいわけ? とても人間がすることじゃないわね」
「その通りなのよ。あの渡部市長、市内の酪農家から多額の賄賂を貰ったか、有力な支援者か親類縁者に酪農家がいるんじゃないかって噂よ」
「なるほどね。だけど、少なくともセンターヒルズの住民からは、思いっ切り反発を喰らうわよ。私、そんな牛乳なんて、絶対に子供に飲ませないもの」
「当然、あたしもそのつもりよ」
こうして、僕の謹慎処分が解けて登校した月曜日、今度は僕の教室で牛乳戦争が勃発した。
★★★
その日、僕らは弁当を持たずに学校に行った。もちろん、食べ盛りなので本当は辛い。「家に帰ったら、すぐ何か食べられるようにしておくから」という母さんの言葉を信じての、決死の覚悟だった。
牛乳を飲まない件は、母さんが菊池先生に電話をして伝えてある。リカちゃんは、特に何も言わなかったらしい。きっと、「当然のことよね」と思ったに違いない。
そして、給食の時間が来た。
「皆さん、今日から待望の給食ですよ。地元の農家の方々が、一生懸命に育てた牛から採れた牛乳と、これは残念ながらアメリカ産の小麦だけど、それでも地元の工場で生産されたパン。皆でハッピーアイランドとヒカリ市の復興を願って、全て残さずに頂きましょうね」
戦いの口火を切ったのは、オバサン先生こと猪狩先生だった。そして、パックの牛乳と、ビニールに包装されたコッペパンが配られた。
「頂きまーす」
もちろん僕は、パンしか食べない。喉が渇くから、水筒は持参している。
僕だけじゃない。北からの避難民グループ以外は、クラスの誰もが牛乳を飲まなかった。リカちゃんも同じだ。全く手つかずのパック牛乳は、そのまま各自の鞄の中に消えて行った。それらは当然、後で捨てられることになる。
そのまま遣り過ごせばいいのに、猪狩先生が噛み付いてきた。
「あらあ、皆さん。牛乳は嫌いなの?」
最初は、やんわりとだった。
「私が小さい頃はね、給食を全部食べない人は、食べ終わるまで休み時間もずーっと食べさせられたものよ」
『それは、小学校の事じゃないのか?』とツッコミを入れたくなったけど、黙っていた。
「もったいないわ。せっかくの農家の方々のご好意を無視するつもりなの? この牛乳はね、破格の値段で地元の農家がご提供して下さった物なのよ」
当たり前だ。他に売れないからだ。
「こんな毒入り牛乳、飲めるかよ!」
突然、大声を出したのは、高萩勇人だった。
「あら、高萩くんは、お家が農家なのに、おかしいわね」
「今じゃ、兼業農家だけどな。でも、農家だからこそ分かるんだ。もうヒカリ市じゃ、まともな野菜は作れっこない。うちでも作った野菜は、もう食わないんだ。全部、捨てちまう。祖父ちゃんも親父も、『少しでも身体に悪い物を人様に売るくらいだったら、破産した方がマシだ』って言ってた。それが、本当の農家ってもんだろ!」
「なるほど、君と私とでは、考え方が違うようね。この給食はね、ヒカリ市の復興のシンボルみたいなもんなの。だから、この牛乳だって、全員に残さず飲んでもらうからね。さあさあ、つべこべ言わずに飲みなさいな」
「あの、猪狩先生。今朝、職員室で申し合わせた内容と違います。多くの保護者から『牛乳は、飲ませないで欲しい』との要望が出ている以上、『当面は、飲まなくても良しとする』って、決めたじゃないですか」
「そんなの、関係ないわ。私は、私の方針でやらせてもらいます」
「このクラスの担任は、私よ。あなたは、副担任でしょうがっ」
「来月から、私が担任です。ちゃんと先崎先生を通して、教頭先生から内定を頂いています」
「給食の強制は、人権侵害です」
「市の方針に従わない人は、非国民だわ」
「まあ、時代錯誤なお言葉。私、非国民なんて言葉、知らなーい。オバサンの時代のセーラー服って、丈がなっがーいのを履いてたんでしょう?」
「あんたこそ何よ。お尻が見えそうなスカートに、よれよれの靴下とか履いて、いつも男を誘ってたくせに」
前の席の鯨岡菜摘が噴き出した。そして僕の耳元で、「それって、ルーズソックスって言うんだよね?」と囁く。
「とにかく、私の方針に従ってもらいます」
「いいえ、市の方針に従ってもらいます」
「ねえ、緑川さん。市役所の人も、この牛乳、飲むのかしら?」
リカちゃんの言葉に、突然、緑川瑞希が立ち上がって言った。
「昨日、市役所にもこの牛乳が配られて、皆、持って帰って捨てたって、お父さん、言ってました。市長も、飲まなかったらしいです」
形勢は、こちらに傾いたようだ。
リカちゃんは、最後の言葉を言い放った。
「そんなに、この牛乳が飲みたいんだったら、私のもあげるからさ。全部、オバサンが飲みなよ」
そう言ってリカちゃんは、パック牛乳を猪狩先生の方に放り投げた。それを思わずキャッチしてしまうオバサン先生。そうして、避難民グループを除くクラスの全員が、オバサン先生の机に自分の牛乳を積み上げて行く。
「あんた、覚えてなさいっ!」
オバサン先生は、そう言い捨てて教室から速足で出て行った。
★★★
この事件は、これだけで治まらず、更に拡大してしまった。自分の子供から事の顛末を聞いた親達の大半が、翌日、学校に押し掛けたのだ。
親達の姿は、教室の窓からも見えた。それに最初に気付いたのは、金森翔太だった。
「あれって、俺の母さんだ」
小さく呟いた翔太の言葉で、授業中なのに、ほぼ全員が窓の傍に集まってしまった。
しばらくすると英語の藤田先生が、僕らの背中に向かって間延びした口調で言った。
「皆、お母さんが学校に来て、そーんなに嬉しいのかなあ?」
まさか、そんな筈ないじゃないか!
誰もがそう思ったのか、全員がサッと自分の席に戻った。そして何事も無かったかのように、若い女性教師の授業が再開したのだった。
★★★
家に帰ると、母さんの機嫌が最悪だった。
「モンスターペアレントって、言われちゃったわ」
母さんが、吐きだすように言った。
「何それ?」
僕は、サンドイッチを頬張りながら訊いた。
「学校に無理難題を押し付ける保護者の事よ。教頭先生が言ったの。『困りますなあ。こんなに大勢で学校に押し掛けて来られちゃあ。こういうのを、モンスターペアレントって言うんですよ』……」
「でも、母さん達、間違ったこと言ってないでしょう?」
「大人の世界ではね、正しいかどうかなんて二の次なのよ。あの教頭先生、聞く耳持たずって感じだったわ。ずーっと、『市の復興に、ご協力頂きたい!』の一点張りよ。市は、安全宣言を出したんだから、ここにはもう発電所事故の影響は無い。イルージョンなんて存在しないってわけ。本当は、見えないだけなのにね。ああ、もう何もかも嫌になっちゃった。もう少しここに居るつもりだったけど、樹、明日から、あっちに行っちゃおうか?」
「あっち」というのは、母さんの実家のあるナコヤのことだ。
僕は、それには答えずに言った。
「あの教頭先生の家族って、オサカの親戚の所に避難してるらしいよ。今は単身なんだって」
「それ、本当なの?」
母さんは、かなり呆れた様子だった。
「それなのに、教頭の奴、良くもまあしゃあしゃあと言いやがって、あの、タヌキオヤジがっ!」
大人は、本音と建て前を使い分ける。
★★★
『ハッピーアイランドの野菜を食べましょう。あなたのひとくちが、被災地を救います』
農林水産省の新聞広告に書かれたキャッチコピーが、これだ。母さんは、この広告をじっと見詰めて、何度も溜息を付いていた。
こないだもテレビを見ていると、ハッピーアイランド出身の有名タレントが涙声で叫んでいた。
『こんなにも美味しい野菜なんです。お願いです。私の故郷の人達を助けてあげて下さい。今、ハッピーアイランドの農家を救えるのは、皆さんの愛情の「ひとくち」なんです!』
そう言って、その中年の大物タレントは、手に持ったキュウリをガブリとやった。
ほんの「ひとくち」食べるだけだったら、確かに、ほとんど身体に害は無いだろう。でも、それを毎日食べるとなると、話は別なのだ。
誰も僕等の健康には、気を配ってはくれない。心配してくれるのは、親だけだ。
そして、そうした親のことを、この国では「モンスターペアレント」と呼ぶ。
END059
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「奈々子の誘い」です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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★★★
本作品と並行して、以下も連載中ですので、できましたら覗いてみて下さい。
(ジャンル:ローファンタジー)
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
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また、ご興味ありましたら、以下の作品も宜しくお願いします。
【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~
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