056:窓開けバトル(1)
この日は、ヒカリ市の四月としては珍しく、午前中からグングンと気温が上がって行った。そして昼休み、僕らが弁当をちょうど食べ終えた頃の教室で、その事件は起こった。
窓を開ける開けないで、北からの避難民四人組と僕らセンターヒルズ組との間で、激しい口論となってしまったのだ。
「何だとお! イルージョンが怖いからだあ? こちとら、新型発電所のすぐ隣で育ったんだぞ。イルージョンが怖くて、やってられるかってんだっ!」
こうやって避難民の男子の一人、ノッポの矢内秀樹が憤っている理由は、暑くて彼が窓を開けようとしたのを、センターヒルズ組の女子の一人が咎めたからだ。
そして矢内に、同じ避難民の新妻亜紀が同調した。
「そうよ、暑いから窓を開けて何で悪いの? だいたい、皆お風呂に入ってないんだから、開けなきゃ教室が臭くなるでしょうが。もっと、じゃんじゃん開けちゃいなよ」
これまでは、新妻亜紀に何を言われても常に黙り込んでいた女子達も、イルージョンの事になると放ってはいられないようだ。
「呆れた。あなた知らないの? イルージョンは、身体に吸収され易いの。皮膚からでも、どんどん入って来るのよ。しかも、いったん吸収されちゃったら、もう出て行かないんだからねっ」
近くにいた別の女子が、すぐに加勢した。
「そうそう。それに、女子の方が男子よりも症状が現れ易いんだよ。あんたら、『皆で浴びれば怖くない!』だとか思ってないでしょうね? もう、病気になっても知らないんだから」
また別の女子が言った。でも、新妻亜紀だって負けてない。
「うるっさいなあ。イルージョンの話は、もう、ウンザリなんだよ。別の所でやってくんない? せっかく、こんなに良い天気なんだからさあ。窓を開けて、新鮮な空気を胸一杯に吸い込んでみなよ。そうすりゃ、あんたの薄っぺらな胸も、あたしみたいにでっかくなるかもよ。キャッハハハ」
新妻亜紀に言い負かされた貧乳の女子が、項を垂れて自分の席へ戻って行く。
それでも、この話題は、こんな事では治まらなかった。センターヒルズ組の避難民グループに対する恐怖よりも、健康を害する恐怖の方が断然に勝っていたからだ。
最初に声を上げた女子が、何も言わずに窓をピシャッと閉めた。すると、真後ろに回り込んでいた避難民の矢内が、その女子のジャージを両手で一気に引き摺り下ろしてしまった。
白いパンツを丸見えにされた女子は、一瞬、自分に何が起こったのかが判らない様子。でも、その子が自分の下半身に目をやった途端……。
「きゃあああ!」
その女子は咄嗟に、その場にしゃがみ込む。そこに新妻亜紀が寄って来て、「てめえ、何すんだよ!」と怒鳴ったかと思うと、その女子の髪の毛を掴んで立ち上がらせようとする。
すると、今度は別の女子が新妻亜紀を突き飛ばした。
その亜紀は、近くの机に手を突いて何とか転倒を免れた。そして、集まって来た女子達をキ゚ッと睨み付ける。
「あんたらさあ、あたしが髪の毛、染めてると思ってるだろ? 違うんだよ。あの発電所の近くに住んでると、昔から自然にこうなっちゃうんだよ。こうなったら、普通は町から離れて療養しなきゃいけないんだけど、今はそんな余裕なんて無いんだ。あたしはさ、あんたらみたいに、まだ黒い髪してんのにイルージョンのことでビクビクしてる奴を見ると、ムシャクシャするんだよ」
亜紀は、未だに近くの床にしゃがみ込んでいる女子の所に、ズカズカと近付いて行く。その女子が亜紀に気付いて、慌てて立ち上がったのがいけなかった。ジャージを足首に絡ませた状態で亜紀に突き飛ばされた彼女は、頭を床に強く打ち付けて、そのまま倒れ込んでしまった。動かない所を見ると、気を失ったようだ。
「あんた達、いったい何やってるんですかっ!」
突然、その場に現れた猪狩先生が、大声で怒鳴った。その猪狩先生の元に、いそいそと亜紀が寄って行く。
そして、窓開けバトルの第二幕が始まった。
★★★
さて、その時の僕はというと、廊下側の席に机を並べて、いつもの四人で未だに談笑していた。
それでも僕らは、さっきの新妻亜紀が起こした騒動を横目で見てはいたんだけど……。
ところが、猪狩先生は、何を考えたのかツカツカと僕らが座っている所までやって来て、いきなり僕と鯨岡菜摘に向かって、「あなたとあなた、こっちに来なさい!」と言い放ったのだ。
当然、僕は困惑した。それは菜摘も同じだったようで、「えっ、何でですかあ?」と声を上げる。
それなのに、このオバサンこと猪狩先生は、菜摘に向かって言い放ったのだ。
「愚図ね。さっさとしなさい! ほらほら、前に来なさい!」
その上、彼女は菜摘の腕を取って立ち上がらせると、そのまま腕を引っ張って教室の前へと連れて行ってしまう。仕方がないので、僕も立ち上がって付いて行った。
僕は、もう何が何なのか分からない状態だった。このオバサン先生は、さっきの窓際の騒動を収めに来たんじゃなかったんだろうか?
だけど、この女性教師は、こうやって支離滅裂な行動を取る事が度々あるのだ。たぶん彼女は、彼女にしか分からないロジックでもって行動しているに違いない。
そのオバサン先生の横では、新妻亜紀がニタニタと薄ら笑いを顔に浮かべている。案外、彼女が先生に何かを吹き込んだのかもしれない。
当たり前のように、彼女には全くのお咎め無しだ。それと不思議なのは、被害者の筈の女子達とは、一切の言葉を交わそうとしない事だった。僕がサッと窓際へと目を走らせると、倒れている女子は仲間の女子達に介抱されていた。
そんな僕に向かって、急にオバサン先生が語り出した。
「私はね、何も知らない癖に分かったような口を利く、あんた達みたいな連中が赦せないの。イルージョンが怖いですって? 冗談じゃないわ。私の家は、発電所から一キロと離れてないのよ。まあ、新妻さん家ほどじゃないけどね。でも、毎朝、発電所の建物を見ながら暮らしてきたの。この事故でこんな目に遭ってしまった訳だけど、私は今でも新型発電はニホンに必要だと思ってる。新型発電が無いと、将来のニホンは、エネルギー不足に陥る事になるのよ。あんた達は、ニホンの将来をいったいどうしたいわけ? 私達はね、電気が無いとやって行けないの。もう、江戸時代に戻る訳には行かないのよ!」
突然、目の前で脈絡のない話を始めた先生に、僕らはますます困惑を深めて行く。今までも行き当たりばったりの行動を取る事は珍しくないけど、ここまで予想外の行動が続くと、さすがに戸惑いを禁じ得ない。
この時の僕は、まだ彼女の本当の意図には気付いていなかった。いきなりのオバサン先生の奇行ともいえる行動に混乱するだけで、しかも長くなりそうなお説教が『早く終わらないかな』とか呑気に思ってさえいたんだ。
後で思うと、自分の迂闊さが嫌になる。穴があれば入りたいって感じだ……。
閑話休題。
ふと僕が視線を先生から逸らすと、さっき倒れていた女子が、他の女子達に支えられて教室から出て行くのが見えた。たぶん、保健室に向かったんだろう。
「あの、猪狩先生。うちらは廊下側にいて、新妻さんが起こした騒動には加わってませんけど……」
途中で堪えられなくなったのか、菜摘が口を挟んだ。そして、それだけならまだしも、こいつは余計な事まで言ってしまう。
「それに、ニホンのエネルギー問題と窓を開ける開けないって、関係なくない? てか、その二つがどう結び付くわけ? 全然分かんないんですけどー」
案の定、オバサン先生こと猪狩先生の顔が真っ赤で、こめかみの血管をピクピクさせている。これはマズいと思った途端、「パシッ」と菜摘の頬が鳴った。
「何すんのよ、オバサン!」
「お、オバサンですって?」
「そうよ。暴力オバサンじゃない!」
「もう、何て口が悪い子なの。担任の教師も教師なら、生徒も生徒よね。全く躾がなってないじゃないの。赦せないわ。あんた……」
猪狩先生が菜摘の腕を掴んで、強引に廊下に引き摺り出そうとするので、僕は咄嗟に菜摘を庇った。
「あんたも一緒に来なさい!」
先生が僕の腕を掴もうとして菜摘の手を放した瞬間、僕は叫んでいた。
「菜摘、逃げろ! リカちゃん呼んで来いっ!」
END056
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話も、「窓開けバトル」の続きです。
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★★★
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(ジャンル:ローファンタジー)
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
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