051 :菜摘と瑞希
本日の二話目です。
青木麻衣がウエストゲート州のオサカ市に引っ越すのを見送った後、その事を僕は、鯨岡菜摘にも緑川瑞希いも伝えられないでいた。麻衣に言われた事が、それ程までに重く僕の心に圧し掛かっていたからだ。
ただ母さんにだけ、「麻衣が引っ越したよ」と言っておいた。だけど母さんから帰ってきたのは、「知ってるわよ」だった。
「えっ、何で?」
「だって、メールでお別れの連絡を貰ったもの」
「てことは、菜摘とかも知ってるって事?」
「たぶんね。あ、でも、由希さんはどうかしら? パソコンを持ってない人には、どうしたのか分からないわ。向こうに着いてから連絡するのかもしれないわね。急だったし……」
由希さんというのは、瑞希のお母さんの事だ。
「どうせ、瑞希ちゃんには樹から言うんでしょう?」
「うん、まあ……」
僕は、適当にお茶を濁して二階へ上がって行った。
そして、結局、僕は瑞希に電話しないまま、その夜はベッドに入って寝てしまった。
★★★
翌朝、僕は菊池里香先生から託された「今週中は学校が休校になった事」を、菜摘と瑞希に伝えていなかったのに気付いて、急に焦り出した。それで、急いで鯨岡家に電話を掛けたら、朱美さんが出た。
「あら、こんな朝早く樹くんから電話だなんて、珍しいわね。ひょっとして、青木麻衣ちゃんの事かしら?」
「あ、その、今週中、学校が休校になったって事なんですけど……」
「それなら、知ってるわよ。愛奈の先生が、中学校もお休みだって教えてくれたの」
「そうなんですか。あの、すいません。僕、昨日、菊池先生から聞いてたんだけど、その後に知った麻衣の事で頭がいっぱいになっちゃって……」
「そっか。樹くんでも、そんな事があるのね。大丈夫よ。菜摘ったら大喜びで、今朝もまだ寝てるのよ」
という訳で、菜摘は問題なしとして、次は瑞希だ。
僕は、恐る恐る緑川家の電話番号を押した。すると、ワンコールで瑞希が出た。
「樹くん。おはよう。昨日、電話が来るの、待ってた」
「ごめん。なんか疲れて、気が付いたら寝ちゃっててさ」
「そうだったんだ……。あ、学校の事?」
「そう。今週一杯、休みだって菊池先生が言ってたんだけど」
「それ、お母さんから聞いた。お母さん、知り合いの人に教えてもらったって言ってた」
「そっか」
「ねえ、樹くん。今日、これから会えない?」
「えっ?」
珍しい瑞希の方からのお誘いだった。僕は少し戸惑ったけど、当然、嫌だなんて言えやしない。
結局、僕は、麻衣から言われた二人の将来についての答えを、未だに見出せないままに、彼女の家へ行く事になってしまった。
★★★
三十分後、洗い立てのトレーナーにジーンズ、そして、その上に白いウィンドブレーカーを羽織るといった服装で、僕は家を出た。もちろん、口元にマスクをするのも忘れない。
久しぶりに訪れた緑川家では、瑞希の母親の由希さんが僕を大歓迎してくれた。どうやら瑞希は、僕の祖父母の家での滞在を特別な思い出として、自分の母親に語っていたようだ。その間も色々な事があったけど、総じて僕も良かった事の方が勝っていたから、瑞希も楽しいと感じてくれていて嬉しいと思った。
その瑞希は、学校指定のジャージ姿だった。休みの日なのにどうかと思ったけど、「この格好が一番落ち着くの」と言う。
「それに、このジャージって汚れが目立たないし、洗ってもすぐ乾くの」
割と現実的な理由だった。
その後、瑞希の部屋に移って彼女が最初に言ったのは、「今日、会えて良かった!」だった。
僕は、一応、「僕もだよ」と返したものの、いつもより積極的な瑞希に少し戸惑いを覚えた。すると……。
「私、たぶん、明日が限界……」
「えっ、何のこと?」
僕は、自分のことで精一杯で、瑞希が何を言いたいのかが今ひとつ掴めなかった。瑞希は、ためらいがちに小声で言った。
「私、お風呂、入ってない。実は、一昨日、お風呂に入りそびれちゃって、昨日も入れなかったから、今日で三日目なの」
『何だ、そんなことか』と思わず言いそうになって、僕は慌ててその言葉を飲み込んだ。
瑞希は女の子。きっとそんなことも気にするんだろう。だけど……。
「そんなの、全然、僕は気にしないよ。先月なんて、もっと長くお風呂に入れなかったし……」
「ううん。今は先月とは違う。ずっと温かくなってるから、きっと、すぐに臭くなっちゃう」
確かに、そうかもしれない。だけど……。
「だったら、温泉に行けば?」
「どこも週末まで休みなの。お母さんに調べてもらった」
たぶん、二日続けての強い余震で、何らかの被害が出たんだろう。考えてみれば、有り得る話だ。
一瞬、僕は『このまま、ずっと瑞希に会えなかったら』と思って、ぞっとした。
いや、今は、まだ大丈夫。そう思いなおして、僕は瑞希と当たり障りの無い会話を続けて行く。
だけど、そのうちに瑞希が「皆、どうしてるかな?」と呟いた時、僕は青木麻衣が引っ越した事を言わざるを得なくなった。
ただ「電話で聞いた」としか言わなかったのに、瑞希は、「何ですぐ教えてくれなかったの?」と酷く怒った。
「瑞希が悲しむと思って、言わなかったんだ」
「何でそう思うの? 麻衣は私にとっても、大切な友達なんだよ」
「だって瑞希は、そんなに簡単にハッピーアイランドから出て行けないだろ?」
思わずそう口走ってしまい、すぐ僕は過ちに気付いた。だけど、もう遅かった。
「うん。樹くんがナコヤに行ったら、私達も遠距離になっちゃう。それは、凄く嫌」
そんな風にストレートに言われてしまうと、僕は何も言い返せなくなってしまう。
二人がちょっと気まずい雰囲気になった時、ちょうど由希さんがジュースを持って部屋に入って来た。僕らは、無言のままストローで啜って飲んだ。
「私は、ここから出て行けない。ああ、翼が欲しいな。そしたら、いつでも樹くんに会いに行けるのに」
一瞬、僕は天使の翼を持つ瑞希の姿を想像した。きっと素敵だろうけど、少し不吉な気もする。天使って、天国の住民じゃなかったっけ?
僕は、その想像を振り払おうとして言った。
「まだ決まった訳じゃないよ」
「ううん、連休までに樹くんは、ここから出てく。たぶん、もう決まった事なの」
昨日の麻衣がそうだったように、今日の瑞希もまた、やけに確信的な物言いだった。
★★★
そろそろ昼時になったので、僕は瑞希の家をお暇することにした。玄関の所で由希さんが、「また来て頂戴」と言って見送ってくれた。僕と同じようにマスクをして白いウィンドブレーカーを羽織った瑞希が、僕を見送りに付いて来てくれる。
外は、いつの間にか曇っていた。
僕らが、瑞希の家の前の道路に降り立った時だった。目の前を何か黒い物が、サッと横切った。
「あ、猫だ!」
そう言って瑞希は道路を渡ると、ゆっくりと公園の方へと向かう。そして、そのまま公園の入り口の所にしゃがみ込んだ。
ふと彼女の手元に目をやって、僕は全てを了解した。ここらで良く見掛ける黒猫だった。
「この猫、近所の人の飼い猫なの」
瑞希が、手元の黒猫を撫でながら言った。
「あっ!」
急に何かに怯えたのか、その黒猫は、瑞希の手元から走り去って行ってしまった。
瑞希は、悔しそうな表情で立ち上がって、僕の方を見た。
「行っちゃったね」
僕は、何故かさっきの猫に不吉な印象を覚えた。僕の大切な何かが、永遠に失なわれてしまったような感覚だった。
僕から去って行ってしまった物は、もう二度と取り戻せない。そんな、やり切れない喪失感……。
もう春なのに、通り過ぎる風がやけに冷たい。
思わず僕は、軽く身を震わせる。
この日の僕らは、お互いに何も言わず、ただ手を振って別れた。
END051
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「北からの転校生」です。次話からは、第九章になります。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
また、ブックマークや評価等をして頂けましたら励みになりますので、ぜひとも宜しくお願いします。
★★★
本作品と並行して、以下も連載中ですので、できましたら覗いてみて下さい。
(ジャンル:ローファンタジー)
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
https://ncode.syosetu.com/n9786lf/
また、ご興味ありましたら、以下の作品も宜しくお願いします。
【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~
https://ncode.syosetu.com/n6201ht/




