046: 入浴
火曜日にヒカリ市センターヒルズニュータウンの自宅に戻って以来、僕と母さんは、まだ一度も風呂に入っていない。お湯で身体を拭いているだけだ。今日の土曜日で五日目。最近はポカポカ陽気が続いている事もあって、男の僕でも気持ちが悪くなり掛けている。きっと母さんは、もっと気持ち悪く感じているに違いない。
とにかく、髪の毛は脂っぽいし、身体のあちこちが何となく痒いのだ。自分の大衆は自分では分かり難いのだけど、きっと、だいぶ臭っているに違いない。
ちなみに、こっちに戻ってから風呂に入ってないのは、隣の鯨岡菜摘と愛奈とて同じの筈。それなのにこの姉妹は、相変わらず気軽に僕の家にやって来る。
昨日の夕方の事だけど、一緒に夕食を食べにうちに来た菜摘は、僕の前でも平気で身体中を掻きまくっていた。その都度あちこち服が捲れて、僕はもう気が気じゃない。
それなのに、菜摘の奴は僕に言うんだ。
「ねえ、樹、ちょっとアタシの背中掻いてくんない?」
僕は、ドキッとした。愛奈なら平気で背中を掻いてあげられるけど、菜摘だとそうは行かない。いくら家族同然だと言っても、それとこれとは違う。それでもやらないと怒り出すので、僕は恐る恐る彼女の背中へと手を伸ばした。
「もう、服の上からじゃなくて、直に掻いてよ」
そう言われて、僕は腹を括った。背中からジャージの下にそっと手を差し込むと、そこは生温かくて少し汗ばんでいた。すると、いきなり肘の辺りを掴まれて、上の方まで持って行かれる。
そっと掻いていたら、「くすぐったいから、もっと強く!」と言う。掻く度に女の子の匂いがして、心臓がバクバクする。
「もうちょっと上かな?」と言われて、更に手を伸ばすと、ブラジャーのベルトに突き当たった。
「あ、そこ。ベルトの下を掻いて!」と言うので、もうやけっぱちになって、その辺りを強めに掻いてやる。すると、「そこはもう良いから、横に行って」と言う。
良いや。もう、こうなったら何だってやってやる!
完全に開き直った僕は、脇の下からフロントの方まで徐々に侵略して行く。だけど、指先が柔らかいものに触れた途端、やっと菜摘のストップが掛かった。
「もう、どこ触ってんのよ。樹のエッチ!」
★★★
そんな危険な戯れを僕と菜摘がしている間、母さんは朱美さんと真剣に明日の計画を話し合っていたようだ。そして、隣の三人が帰った後、母さんが僕に言った。
「明日は早起きして、温泉の整理券をゲットするのに並ぶからね。そのつもりでいて頂戴!」
どうやら、その整理券と言うのは、一人一枚しか貰えないらしい。それじゃないと、代理人の名目で大量に確保して、高値で転売するとかの事態になりかねないからだという。
実は、昨日、菜摘の父親の栄太さんが朝早く行って、家族全員の整理券を貰おうとしたけど、断られてしまったそうだ。しかも、入手できたのは男湯の分で、朱美さんは母さんに、「うちの人ったら、全然、役に立たないんだから!」と不満をぶつけていた。
まあ、気持ちは分からなくもないけど、なんか、栄太さんが可哀そう過ぎる。
という訳で、土曜日の今日、早朝に叩き起こされた僕は、父さんと母さんと三人で、湯本温泉の一角にある温泉旅館を訪れていた。比較的、整理券が取り易いという評判だったけど、朝の七時に並んでも、既に五十人くらいが列を作っている。皆、それだけ風呂に入りたいという事なんだろう。
そうやって並んでいる人の全員が顔にマスクをしているのが、僕には何だか奇異に感じた。更に、『そのうち、そんなのも当たり前になるんだろうな』という思いに至った時、今度は少し落ち込んでしまった。
「父さん、ここって、僕らが祖父ちゃんの家にいた時に来た事あるの?」
「ここの温泉じゃないんだが、会社の同僚と一緒に何回か来たぞ。なんか、そん時よりも混んでるみたいだな」
「子供の学校が始まって、人が増えてるのよ。それに、新型発電所事故の対応で、首都電力の人だとか、二十キロ圏内の避難民とかも来てるんじゃないかしら」
「避難民の人は、タダで入れるみたいだな。避難所からの送り迎えとかもあるらしいぞ」
「ふーん」
目的の整理券は、アッサリと確保する事ができた。車に戻った母さんは、その薄っぺらな紙切れを、とても大切そうに眺めている。まるで、人気バンドの特別席のコンサートチケットを手に入れた時みたいだ。
実際に入浴する時間は夕方なので、その後、いったん僕らは帰宅する事にした。
★★★
朝、整理券を取りに行った温泉には、指定された午後四時の二十分前に着いた。遅れて入れてもらえないのを恐れたというよりは、主に母さんが待ち切れなかったというのが正しいって気がする。
早く着いた事もあってか、僕らは十分程早く脱衣所に案内してもらえた。
母さんと別れ、僕は父さんと一緒に男湯ののれんをくぐる。脱衣所で服を脱いでいると、いきなり若い女の係員がずかずかと中に入って来た。上はピンクのポロシャツで、下は紺のホットパンツ。そして、裸足だった。彼女は、おもむろに僕の真横に立つと、大声で言った。
「本日は、大変混み合っておりますので、入浴時間は三十分以内でお願いしまーす」
その時ちょうどパンツを脱いだ所だった僕は、すごく焦った。その後、その女性は周りををグルっと見回して、その場の混み具合を確認してから、まるで何事も無かったように脱衣所から出て行こうとする。
その彼女が出て行く時に、一瞬だけ僕と目が合った。その顔は、ニヤニヤと笑っていたから、確実に僕の下半身を見ていたと思う。
「樹、行くぞ」
父さんに促されて、浴場へと向かう。洗い場には人がギッシリといて、なかなか開いてる所が見付からない。それでも、五分くらいで席を立つ人がいたので、その後を素早く確保した。
ところが、頭を洗っている内に順番待ちの人がやって来て、僕のすぐ後ろに立つと、思いっ切り「早くしろ」のプレッシャーを掛けて来る。気付かないフリをして無視するだけなのだが、鬱陶しい事この上ない。そのせいで、それからの僕は必死に手を動かして、急いで泡をシャワーで流して、サッと立ち上がった。
そうして、僕が振り返った時、そこにいたのは割と普通の中年オヤジ。その時は焦っていたせいで、僕の形相は相当に険しいものになっており、中学生の僕なんかにビビりまくっていた。『だったら、後ろからプレッシャーを掛けるようなこと、すんなよ!』と思ったのは、言うまでもない。
それでも、湯船の方は充分な広さがあって、ゆっくりと浸かる事ができた。さっきの女の人は三十分とか言ってたけど、当然、そんなのは気にしない。心行くまで湯に浸かって、のぼせそうになったら半身浴に切り替えるのを何度かやり、思う存分に楽しんでから外に出た。
それなのに、時計を見ると三十分ぐらいしか経ってない。それで、ちょっとだけ僕は、損をした気分になった。
ちなみに母さんは、それから更に三十分以上経たないと女湯から出て来なくて、僕と父さんは随分とヤキモキさせられたのだった。
END046
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「水が出た!」です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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★★★
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