042:春休みの終わり
祖父が母さんに、「いつから学校は始まるんだ?」と言い出した次の日、香澄叔母さんと萌香ちゃんは、アメリカへ戻って行った。僕らは母さんのミニバンで中部国際空港に行って、二人が乗った飛行機が旅立つのを見送った。
二人が祖父母の家にいたのは、ちょうど一週間。その間に萌香ちゃんはすっかり鯨岡愛奈に懐いていて、分かれる時は大泣きだったけど、そこはやはり二歳児。ひとしきり泣いた後は眠ってしまい、叔母さんはベビーカーを押しながら僕らに手を振ってくれていた。
その後、僕らは空港ビルを見て回り、買い物とかをしてから祖父母の家に戻って来たのだが、夕食の直後、母さんのスマホに思いがけない人からの電話があったのである。
★★★
母さんに電話を掛けてきたのは、僕の担任教師だった菊池里香先生だった。そして、その菊池先生から伝えられた内容に、僕も母さんも愕然となった。なんと、中学校が予定通り四月六日から始まるというのだ。しかも、入学式と始業式を同じ日に行うらしい。
その後、菜摘と愛奈の母親の鯨岡朱美さんからも電話があって、小学校も同じように六日に入学式をやると言う。
祖父さんが勝ち誇った顔で「それ見たことか」と言うのを聞いても、母さんはじっと黙り込んで耐えるしかないようだった。
『……私だって、もう冗談じゃないわよ。急に学校を六日から始めますったって、まだ何にも準備なんてしてないのよ。どうやって間に合わせりゃいいのよ。教科書はいつ届くか判んないし水だって出ないのに、学校なんて始められる訳ないじゃん。飲み水は水筒持って来させるにしたって、トイレはどうすんの? 弁当だってちゃんと保護者の方は作れんの? そもそもイルージョンの中で、どうやって生徒達を学校に通わせるのよ。雨降ったらどうすんの? 濡れちゃったらヤバいでしょうが……』
こんな風にブー垂れているのは、もちろん菊池先生だ。母さんのスマートフォンに掛かってきた電話をちょっと代わってもらったら、いきなりリカちゃんに愚痴られてしまったという訳だ。
『……それに、「教職員は、明日から学校に来い」ったって、どうやって行きゃ良いのよ? ヒカリ行きのバスに並んで、何んとか乗れたとしても、駅からタクシー走ってるのかよ? 私の車にガソリン無いぞ。イルージョンの中、自転車で通うのかよ?』
「……?」
「あ、そうだ。そういや、嫌なこと思い出した。あの教頭の奴、私が「ガソリンが無い」って言ったら、「迎えに行こうか?」だってよ。あのセクハラ親父の教頭と一緒の車に乗るくらいなら、イルージョン浴びて死んだ方がマシだわ。ああもう、虫唾が走るぅ……』
「先生、何かストレス溜まってません?」
『ストレス? そりゃあ溜まりまくりだわよ。最初は、兄貴夫婦のマンションに転がり込んだんだけど、優しくしてくれたのは最初の二、三日だけで、すぐに居候扱いでしょう。仕方がないから友達の家に移ったんだけど、やっぱ、色々と気を使うんだよねえ。それに、計画停電のストレスもあるし、何か気まずくなっちゃってさ。「お前、いつまで居るんだよ?」って感じよ……』
「あ、あの、菜摘とかにも代わりますか?」
『鯨岡さんかあ。止めとく。あの子、ちょっと苦手なんだ。私と似てるとこあるっていうか……』
何故か僕は、リカちゃんに好かれているらしい。僕としては、有難迷惑なんだけど……。
★★★
今週末も、椿叔母さんが彩人くんを連れて、僕らのいる祖父母の家に来てくれた。その彩人くんは、緑川瑞希の顔を見るなり、いきなり胸にダイブ。「もう二度と離れない」といった感じでしがみ付いている。
そんな息子の姿を横目で見ながら、椿叔母さんが母さんに言った。
「親父から聞いたわよ。来週早々に、あっちへ戻るんだって?」
「始業式を、六日にやるみたいなの」
「そんなに急なんだ。てことは、明日にも帰らないとだね」
「まさか。前日の火曜まで、こっちに居るわよ」
「えっ? そんなんで、準備は大丈夫なの?」
「大丈夫も何も、逆に向こうでやる事なんて何も無いから。てか、何にもできないから……」
「そうなの? お姉ちゃん、なんか帰りたくないみたいだね?」
「そんなの当然じゃない。未だに水が出ないのよ、水が。お風呂に入れないし、洗濯だって出来ない。いったい、どうやって生活すりゃ良いのよ? もう、冗談じゃないわ!」
「あはは。まさか、水が出ない状態で、学校が始まる訳が……」
「出ないのっ! 地震で水道管がズタズタになってて、しかも、技術者の増員なんて期待できないから、そんなに簡単に復旧なんてする筈がないの。ああもう。トイレとか、どうすりゃ良いのよ」
「えっ、そこから? でも、親父は、『全部、俺が言った通りになっただろ』ってドヤ顔だったわよ」
「なーんにも知らないから、そういう事が言えるのよ。ああもう、ムカつく……」
だけど、いくら愚痴を言った所で、帰らない訳には行かない。いや、帰らない人だって大勢いるだろうけど、うちは父さんが、菜摘や瑞希の場合は両親がヒカリ市にいる訳だから、やっぱり帰らない訳にはいかないのだ。
案の定、菜摘も母さんと同様にブー垂れていた。
「もう、葵さんが四月中は大丈夫だろうって言うから、期待してたのにぃ」
「まっ、楽しい時は長く続かないってことだよ。庭の桜だってそうだろ?」
僕が言うと、菜摘はますます不機嫌になる。それに実際、祖父母の家の庭にある桜は、いつもより早く散り始めていた。
「とにかく、五日には帰るわよ。皆、そのつもりでいて頂戴」
そう言って母さんは、食糧と水を中心に、様々な物資の買い出しに駆け回るのだった。
★★★
椿叔母さんは、延々と続く母さんの愚痴に根気よく付き合ってくれた後、日曜日の夕方に彩人くんを連れて帰って行った。当然、彩人くんは瑞希の胸で、今生の別れとばかりに泣き喚いていたのだけど、結局、僕と菜摘が二人がかりで引き剝がし、椿叔母さんが運転する車のチャイルドシートに括り付けられて、ドナドナされて行った。
そうして、翌日の月曜日。もうこれでナコヤも最後だからと、祖父が僕らをナコヤ城に連れて行ってくれた。
その日は、朝から快晴で、気温もグングンと上昇。僕らは上着を乗って来たミニバンに置いて、薄着でお城へと向かう。
お城の見学もそれなりに興味深くはあったんだけど、お城の周囲は桜の名所でもあって、それはもう見事に咲き誇っていた。その割には、平日だけあって人手もそれほど多くはなく、僕らは散り掛かった桜並木の下を、のんびりと散歩する事ができた。
菜摘と愛奈が祖父の話し相手をしてくれていて、その後ろに祖母と母さんが歩いて行く。僕と瑞希は、一番後ろをゆっくりと付いて行った。
春の穏やかな陽射しが、桜の枝の切れ目から優しく僕らに降り注いで、そよ風が春の匂いを運んでくる。
桜吹雪が舞い散る中を、僕と瑞希は仲良く手を繋いで歩く。
隣には、瑞希の穏やかな笑顔。時折り彼女の柔らかい視線を感じて、その度に胸の奥の方がじんわりと温かくなる。
幾つかの桜の花弁が、そっと瑞希の黒くて柔らかな髪の毛に落ちた。すると、急に強い風が吹いて、花弁と彼女の髪の毛を舞い上げる。
白いワンピース姿の瑞希は、「キャッ」と可愛い声を出して、片手でスカートを押さえている。彼女の髪の毛の橋が僕の頬を優しく撫でて、ほんのりと柑橘系の香りがした。
ようやく風が収まって横に顔を向けた時、瑞希としっかり目が合った。僕の照れ隠しのぎこちない笑顔を、瑞希は満面の笑顔で迎えてくれる。
その笑顔は、小さい頃からの僕の宝物だ。僕は、その笑顔を決して失いたくないと心から思った。
この日、最後の平穏な時をしっかりと心に焼き付けようと、僕と瑞希は精一杯に楽しんだ。
だけど、そんな僕らの思いをあざ笑うかのように、僕ら二人の前途には、もはや逃れようのない暗雲が立ち込めていたのだった。
END042
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「始業式の日」です。次話から第八章「帰郷」になります。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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