036: 父との再会と別れ
その日の昼食は、スーパーで調達したお惣菜を皆で分け合って食べた。とても美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまった。ヒカリ市を離れて以来、「何を食べても美味しい」という現象は、まだまだ続いているようだ。
昼食後、中学生組の三人は、母さんに言われて一時間半くらい勉強した。ほとんどは、中学二年生の復讐だった。その間、母さんは鯨岡愛奈に勉強を教えてあげていた。教材は、昔、僕が使っていた物。僕らがアメリカに行く際、向こうに持って行かない物は祖父母の家に送っていて、その大半は未だにそのままになっている。母さんは、そこから適当なのを見繕ってきたようだった。
それから、おやつを食べた後、僕らは再び外へ出て、近くの公園で愛奈を遊ばせてやった。と言っても、相手をしていたのは姉の菜摘で、僕は緑川瑞希と一緒にベンチに座り、ずっとお喋りをしていた。話の大半は、小さい頃のたわいもない事ばかり。そんな事でも、今の僕らにとっては、とっても楽しいと思えたんだ。
そして、祖父母の家に戻ると、菜摘と瑞希は夕食の準備に駆り出され、僕は愛奈と一緒にテレビを見て過ごした。
夕食は、昨夜に聞かされたとおりの焼肉パーティー。僕らは大喜びで、お肉をお腹いっぱい食べまくった。
「こんな美味しい物ばかり食べてたら、私、太っちゃうかも」
「瑞希なら、もっと太っても良いんじゃない?」
「こら、樹。女の子に太るとか言っちゃダメでしょうが」
「あはは。葵が中学生の時は、もっとふっくらしとったもんなあ」
「もう、お父さんってば」
母さんが祖父を睨みつけている。その祖父さんだけはビールを飲んでいて、さっきから顔が赤い。
僕は、中学生の時の母さんの姿を想像してみたけど、何も頭に浮かんでこなかった。だけど、そうやって考え事をしていたのがマズかったようだ。その時の僕は、何となく正面にいる菜摘の方を見ていたからだ。
「もう、樹ったら、どうせアタシが太ってるって言いたいんじゃないの?」
「あ、いや……」
「違うって事は……、ひょっとして……」
「ひょっとしてって、何なんだよ!」
「もう、嫌らしいんだからっ!」
どうやら菜摘の奴は、僕の視線が菜摘の胸に行ってるって言いたいらしい。
確かに、菜摘の胸と瑞希のとでは雲泥の差があるのは間違いないんだけど……」
「もう、樹くん、今、私に失礼なこと思ったでしょう?」
今度は、瑞希が膨れている。
僕は、「ぜーったいに違うから」と言って、瑞希には僕が育ててた食べ頃の肉を、菜摘には黒焦げの奴を、ぞれぞれの取り皿に入れてやった。
★★★
翌日の土曜の夕方、父さんから母さんの携帯に突然の電話があった。父さんは今、首都圏の外れの知り合いの家にいて、明日こっちに来ると言う。
土曜の朝、母さんの車で新幹線の駅に向かい、父さんをピックアップした。母さんと僕は、いつもと変わらぬ父さんの姿に安堵した。瑞希や菜摘達には申し訳ないと思いつつも、家族が一緒になれて僕は嬉しかった。
だけど、その父さんも、日曜日中にはヒカリ市に戻らないといけないらしい。本当に短い間だけの滞在だ。
その事には、僕も母さんも不満を言ったけど、ヒカリ市の工場は父さんの会社にとって重要な拠点らしく、一日も早く再稼働させたいのだそうだ。ヒカリ市の住民のほとんどが避難したというのに、父さんの会社では工場の再稼働に必要な人達が今も多く残っていて、毎日、遅くまで働いているという。
そうした人達の中には、父さんのような幹部の役職者に加えて、若い人も割といるらしい。一部には特別ボーナスをエサに頼み込んで残ってもらった人もいるようだが、大半は自ら進んで協力してくれているという。父さんは、予想以上に社員の忠誠心が強い事に驚いていたそうだ。
「しょうがないんだよ。どうしても必要な仕事なんだ」
「でも、水や食べ物はどうするの?」
「当分は、役所に届いた支援物資で何とかなりそうな感じだ。問題は、ガソリンだな」
今は、会社の車を使って、近くの社員が乗り合いの形で通っているのだそうだ。だけど、このまま行くと、それも難しくなる為、最悪は会社に泊まり込む事も考えているらしい。
「まあ、それまでには、ガソリンも手に入るようになると思うんだ」
「あの、父さん、お風呂とかは、どうしてんの?」
「ああ、風呂なら、温泉で市民に開放してくれてる所があるんだ。まあ、問題は洗濯の方だな。コインランドリーでやってる所はあるんだが、ちょっと遠くてな」
「ふーん、そうなんだ」
やっぱり、今のヒカリ市での生活は、相当に大変なようだ。
★★★
僕の父さんは、物事を単純に考えようとするタイプの人だ。それは、決して頭が悪いとか考えなしという意味ではなく、大切な事とそうでない事の見極めがきちんとできる人なんだと思う。
それに父さんは、あまり人前で弱気を見せない人でもある。もっとも、それには例外があって、母さんの前でだけは、割とイラついたり甘えた事を言う。それは時として駄々っ子のように見える事もあるけど、それはそれで良いと僕は思っている。
だけど、日曜日の朝、その父さんが珍しく僕にも、ほんの少しだけ弱気めいた事を言った。
「なあ、樹。ヒカリ市の工場、債券は無理かもしれん」
「えっ、そうなの? 再建できなかったら、どうなるの?」
「たぶん、転勤だろうな。でも、ヒカリ市の工場はうちの主力工場でもあるから、最悪、会社が傾く事も有り得るな。どっちにしたって、ヒカリ市からは引っ越す事になると思う」
「てことは……」
「あ、まだ絶対って訳じゃないんだ。それに、そうならないように父さん達は頑張ってる訳だしな……。だけど、昨日、ここに来る前に避難した部下から電話をもらってな……」
その部下の人からの電話は、こんな感じだったという。
『……オレ、もう一度、香山部長と一緒に働けたらなあって思うんですけど、やっぱ、現実的じゃないっていうか……、あの、避難させて頂いた立場でこんな事を言うのも何なんですけど……、どう見たって、当面は部分稼働がやっとじゃないですか。問題は、それで会社が持つかどうかですよね。今も現場で頑張っておられる香山部長には申し訳ないですけど……、新型発電所の事故は続いてますし……、やっぱり、職場復帰は現実的じゃないっていうか……』
たぶん、ヒカリ市に本社や主力工場がある会社の大部分が、きっと同じような状況なんだろう。
僕は、その後に父さんがポツンと呟いた言葉が印象的だった。
「これが、ただの地震と津波だけだったらなあ……」
★★★
そんな話を父さんから聞いた後、僕の家族と女の子三人は、遠出して大型ショッピングモールに出掛けた。
僕達は、両親が買い物をしている間、本屋に寄ったり、ゲームコーナーを見て回ったりして過ごした。
この巨大モールには、複数のスーパーや専門店が集まっている。他に映画館やおもちゃの量販店まであって、買い物客の数も半端ではない。愛奈など、「こんなに沢山の人を見たのって、花火大会の時以来だよ」とコメントしていた程だ。
お昼はそこのフードコートで食べることにした。そのフードコートも巨大で、ありとあらゆる種類の食べ物がある。僕らは自分が食べる物をなかなか決められず、フードコートの中を二周した。それでも迷っている僕らに、母さんが言った。
「決められないんだったら、おにぎりにでもしたら?」
もちろん母さんは、冗談で言ったのだが、愛奈がその言葉に反応してしまった。
「愛奈、おにぎりが良い!」
そう言って愛奈が選んだのは、鮭、タラコ、梅の定番に、唐揚げとウィンナーが入ったおにぎりセットだ。
すると、隣にいた菜摘までもが、それをキラキラした目で見ている。
「わあ、美味しそう。アタシもそれにしようかな」
「えっ、マジで?」
その場にいると瑞希までもが「おにぎり病」に毒されてしまいそうだったので、僕は彼女の手を取って、ラーメンコーナーの列に並ばせた。
結果として、それが正解だったようだ。チャーシューメンにあんみつのセットが載ったトレイを持って、瑞希はニコニコと嬉しそう。僕は、大盛りチャーシュー麺に餃子とミニチャーハンのセットだ。
母さん達が確保してくれていた席に僕らが着くと、既に皆は食べ始めていた。
僕が「いただきます」と言って、ふと鯨岡姉妹に目をやると、本当にさっき見ていたおにぎりセットを頬張っている。
「菜摘ちゃん達、何でおにぎりなの? ヒカリ市であんなに食べたじゃない」
母さんが言うと、愛奈が答えた。
「だって、愛奈、おにぎり大好きなんだもん」
それを聞いて母さんが突然、涙ぐんでしまった。
菜摘が肘で僕の脇腹を突いてきた。
「ねえ、うちらって、何か葵さんを泣かせるような事した?」
「してないと思うよ」
僕が菜摘の耳元で囁いた時、母さんがボソッと呟いた。
「おにぎりなんかよりも美味しい物が、ここには沢山あるのに……」
そんな母さんの姿を、父さんが複雑な表情で見ていた。
★★★
午後二時頃に、僕らはショッピングモールを出た。そして、三人の女子を祖父母の家に送り届けた後、家族だけで、父さんを見送りに新幹線の駅へと向かった。
僕には母さんの表情がどんどんと暗くなって行くのが判った。それでも父さんは一切寂しそうな様子は見せない。
母さんの気持ちは、きっと僕なんかよりもずっと分かっている筈なのに、父さんは不思議と優しい言葉すら掛けようとはしない。父さんは、いつもと同じでぶっきらぼうなままだ。
不思議だ。大人って不思議だ。
そして二人は、無口なまま新幹線の改札口に行き、父さんはボソッとひとこと言った。
「じゃあ、行って来るな」
「ええ、お元気で」
その後、父さんは僕の方を見て、やっぱりボソッと「樹も、元気でな」と言った。
母さんと僕は、普通に手を振って父さんの後ろ姿を見送った。
だけど、父さんの姿が見えなくなった後も、しばらくの間、母さんは改札口に留まっていた。
僕らの目の前を、何人もの旅行客が通り過ぎて行く。大半はビジネス客だけど、既に春休みに入っている大学生や高校生のグループもチラホラいる。ほとんどの人達は、トキオに行くんだろう。
やがて、そうした乗客の波が途切れた時、ようやく母さんが口を開いた。
「さあ、行きましょう」
僕は、無言のまま母さんの後を追った。
帰りの車の中でも、しばらくの間、僕と母さんは無言だった。だけど、祖父の家まであと少しになった時、母さんがポツンと呟くように言ったんだ。
「夫を戦場に見送る妻の心境って、きっと、こんな感じなんだわ」
その後、気付かれないようにそっと目尻を拭う母さんを見て、『大人って、やっぱり良く分からないや』と僕は思った。
END036
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「避難生活」です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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★★★
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(ジャンル:ローファンタジー)
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