034: 脱出の翌朝(2)
祖父母の家に避難した翌朝、朝食を終えた後の僕らは、全員でダイニングに置かれた小型のテレビ画面を見ながら談笑していた。
ここにいるのは、祖母と母の他に、僕と一緒に来た鯨岡菜摘と愛奈の姉妹、そして緑川瑞希の六人だ。この家には、他に祖父がいるんだけど、朝早くからゴルフに行ったとの事。
その祖父は、去年の秋に還暦を迎えて早々に会社を退職。最近はゴルフ三昧で、週に一度はコースに出ているのだという。正月に来た時、祖母さんが僕に愚痴っていた。
「どう見たって、元気溌剌に見えるんだけどねえ。皆さん、定年後も五年くらいは再雇用で働いておられるってのに、ほんと、贅沢な事だわ」
「祖母さんは、祖父さんが家にいない方が良いの?」
「そんなの、当ったり前だがね。とにかく自分勝手な人だで、これからは毎日、家におるかと思うと、憂鬱でたまらんわ……。まあでも、家にずーっとおられるよりは、ゴルフでもパチンコでも行って、少しでも家におらん方が有難いのかもしれんねえ」
という訳で、現在、この家にいる男は、僕一人だ。まあ、僕と一緒に避難して来たのが母さんと幼馴染の女子三人なんだから、仕方なくはあるんだけど……。
「どうしたの、樹?」
「あ、いや、別に……」
しばらく黙り込んでいたからか、母さんに心配されてしまった。あの地震が起きてから、今日で一週間。昨日までの六日間は、本当に非日常的な事の連続だった。だから、今日くらいはリハビリだと思って、のんびりしていたって良いと思う。
そんな事を母さんに話すと、「何を言ってんの。地震の後、ほとんど何もしてなかったじゃないの。たまには勉強でもしなさい」と言われてしまった。
「少なくとも、午前中くらいは勉強の時間にしたら?」
「えっ、でも、春休みは宿題だって無いんだし……」
「本当なら、まだ授業がある筈なんじゃないの?」
「それはそうだけど、せめて今日くらいは……」
「そうだよ、葵さん。勉強は明日からって事で良いじゃん」
僕の意見に加勢してくれたのは、菜摘だった。もう一人の同級生の瑞希はと言うと、ただニコニコ顔で成り行きを見守っている。来月から小学校に上がる愛奈は、祖母さんの隣で広告の裏に色鉛筆で何やら絵を描いていた。
「まあ、別に良いけど、明日からはちゃんと勉強を頑張るのよ」
母さんが折れてくれたので、僕は改めてテレビ画面に目をやった。
テレビでは、イルージョンの強さと人体に及ぼす影響が改めて話題になっていた。文部科学省は昨日、発電所の北側二十キロの地点で三百三十マイクロイル、つまり毎時0.33ミリイルを観測したと言う。
それを受けて女子アナが、『暫定基準値百ミリイルの三百分の一でしょう。まだまだ全然OKですね』とあっけらかんとした口調で言った。隣で大学教授の御用学者が苦笑いしているが、その間違いを訂正しようとはしない。
三百三十マイクロは「毎時」であって、暫定基準値は「年間」だ。それくらいのことは、中学生だって分かる。単なる間違いだとは思えない。いったい、どういうつもりなんだろう? そんな細かい事は、どうだって良いとでも思っているんだろうか? 所詮、結論ありきで、その結論というのは、「今回の爆発での人体への影響は、ほとんど無い!」って事なんだから……。
「あの女子アナ、局の上層部から、『視聴者の不安を煽るような事は、絶対に喋るな!』とでも言われているのかもね」
そんなことを母さんが、独り言のように呟いた。
「うーん、単に、オツムが弱いってだけなんじゃないの?」
「それは無いんじゃないか? 菜摘じゃあるまいし」
「ひっどーい!」
「菜摘ちゃん、女子アナって、なるの大変だよ。良い大学を出てないと、なれない筈」
「えっ、そうなの?」
「常識だろ」
「むぅ」
テレビがこんな風におかしな報道を始めたのは、一号機の爆発があった頃からだ。
首都圏でのパニックを抑え込む必要があるってことは、僕にだって分かるけど、それではハッピーアイランドの人達に「正しい情報」が伝わらなくなってしまう。その結果、逃げ遅れる人達が出てしまったら、政府はどう責任を取るつもりなんだろう?
僕らが避難したのだって、本当は水と食べ物が無くなったからだ。もちろんイルージョンを恐れたのも理由のひとつだけど、それが引き金になった訳ではない。結果的に避難した事は同じだけど、イルージョンが怖いなんて漠然とした理由だけで行動を起こせたかどうかは、かなり微妙な所だ。それだけで率先して避難する人っていうのは、たぶん、一部の知識人だとか意識高い系の人だけなんじゃないだろうか?
「政府は、ハッピーアイランドの二百万人を見殺しにするつもりなのよ」
いきなり母さんが、随分と物騒なことを言った。
さすがに僕もドン引きだったけど、言いたい事は分かる。菜摘と瑞希が思ったほど動揺してないのも、僕と同じ感覚だからなんだろう。
だけど、祖母さんの目には紛れもなく奇異に映っていたようで、相当に怪訝な顔をしている。きっと、自分の娘がおかしくなってしまったとでも思っているに違いない。
母さんの場合、ネットで多くの情報を得ている事に加えて、これまでの精神的なストレスが影響しているんだと思う。特に、ここ二、三日は、雨戸を閉め切った暗い家の中で、飢えと寒さとイルージョンに怯えながら過ごしていたんだ。多少はノイローゼ気味になっていたって、全然、不思議なんかじゃない。
「ハッピーアイランドは、もう駄目だわ。あの家、気に入ってたのに資産価値ゼロよ。私はあの家のことは忘れることにしたの。こうやって心をどんどん切り変えて行かないと、逃げ遅れちゃうのよね。逃げ遅れたら死ぬだけよ。昨夜、高速のインターから降りて、あのけばいネオンを見た時に分かったわ。私は何をためらってたんだろうって……。今までいた所は、もうニホンなんかじゃない。あそこは、もう人が住める場所じゃないの……」
「葵、ヒカリ市には、まだ香山さんが残ってるんだろ? それに、この子達の親御さん達だって向こうに居るんだし、そんな事、ここで言うもんじゃないよ」
そう言って祖母さんが諫めたけど、母さんの言葉は止まらなかった。
「イルージョンが人体へ及ぼす影響は、まだ良く分かってないのよ。なのに政府は国際基準で定められた年間一ミリイルを、暫定基準ってことで百ミリイルにまで引き上げた。政府の御用学者達はその値でも問題は無いって言ってるけど、それはまだ定説が無いってことでしかないの。あの枝松長官が『直ちに影響は無い』って繰り返し言ってるじゃない。確かに、直ぐには死なないかもしれない。でも、先の事は誰も分からないの。政府は行き当たりばったりで言ってるだけで、何も保証してくれてないのよ」
母さんの演説は、次第に熱を帯びてきた。
「今、イルージョンの学者達は、大喜びだと思うわ。だって、二百万人もの貴重な学術サンプルが手に入るんだもの。これでニホンのイルージョンに関する研究は、世界でも抜きん出たものになるわね。私は、そんな邪な学者連中のモルモットになるなんて、まっぴらごめんなのよ。もちろん、『子供を生贄に差し出せ!』なんて要求は、断固拒否するわ。そんな目には、絶対に遭わせたくなんてない……」
きっと、今の母さんは相当に疲れているんだろう。
祖母さんも僕と同じように感じたのか、黙ってダイニングから出て行ってしまった。
END034
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「立派な被災者」です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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