033: 脱出の翌朝(1)
翌朝、僕が目を覚ましたのは、午前八時を過ぎてからだった。『寝坊したな』と思いながら、急いで顔を洗い、着替えてからダイニングに入って行く。すると、母さんは既に起きていて、祖母さんと一緒にテレビを見ていた。
僕が二人に「おはよう」を言うと、母さんがボソッと、「あら、ようやく起きたのね」と言った。それで僕は何気なく、「何か、動きがあったの?」と訊いた。もちろん、新型発電所の事故の事だ。
「なんか、首都圏の水からイルージョンが検出されたみたいよ」
僕は慌ててテレビ画面に目をやったけど、そのニュースは既に終わっていた。
「僕らの所は水が出て無いんだから、水から何が検出されようと関係ないんじゃない?」
「だから、首都圏の人達が騒いでるってわけ。政府は今回の事故で従来の基準値を大幅に引き上げたんだけど、今回検出されたイルージョンの濃度は、その基準値をも大きく超えちゃったみたいなの。政府だって、ここまで高い濃度が検出されるなんて想定外だったんでしょうね」
母さんは、独り言のように言っていた。
僕は、話題を変えた。
「えーと、皆は、まだ起きて来ないの?」
「瑞希ちゃんなら、洗面所にいるから声をかけてきたら。あとの二人は、まだ寝てるわ」
それで、早速、僕が席を立とうとすると、引き戸がガラッと開いて緑川瑞希が入ってきた。
「あ、樹くん、おはよう」
「おはよう。どう、眠れた?」
「だいぶ」
瑞希の髪は、きちんと梳かしてある。昨夜の三回のシャンプーのおかげで、ツヤツヤの黒髪だ。
母さんは既にご飯を食べたと言うので、僕は瑞希と一緒に朝食を取ることにした。
相変わらず、出された物の何を食べても旨い。
「このお味噌汁、美味しい。赤味噌って、私、初めて食べた」
「そうでしょう? アサリとは良く合うわよね」
「こんなにご飯が美味しいと、太るから困っちゃう」
どうやら、瑞希も僕と同じ様に感じているらしい。
「大丈夫よ。食べ盛りなんだから、たくさんお食べ」
祖母さんが、笑顔でそう言ってくれた。瑞希も笑っている。改めて僕は、『ここは、平和だな』と思った。
「おっはようございまーす!」
突然、鯨岡菜摘の無駄に元気な声が響いた。『うるさいのが来たな』と思っていると、その後ろからちょこちょこと愛奈がやってきて、いきなり僕の首に纏わり付いてきた。
「お兄ちゃん、おはよう」
「あんたって、樹の妹だっけ?」
菜摘が首を傾げてみせるけど、ちっとも可愛くなんてない。
そこで母さんから、「あら、菜摘ちゃんだって、樹と兄弟みたいなもんじゃない?」というツッコミが入った。
「それなら、アタシは樹のお姉さんだね。なっ、弟?」
そう言って肩を叩く幼馴染の頭は、いつもどおり寝癖だらけだった。
僕の隣の席では、瑞希がケラケラと笑っている。
「あらまあ、仲の良いお友達だこと」
祖母さんが呆れた顔で言って、既に席に座っている愛奈の所にご飯と味噌汁を持って行く。母さんに、「早く座って」と言われた菜摘は、またも「ハーイ」と元気よく返事をして、僕の瑞希とは反対側の席に腰を下ろしたのだった。
★★★
食事後は、皆がダイニングに留まってテレビを見た。と言っても、震災関係のニュースばかりで、今は計画停電の事。首都圏の人達は、相変わらず計画停電で苦労しているらしい。
「ねえ、お兄ちゃん。ここは電気があるのに、何でトキオの方は電気が足りないの? 何でトキオの人達に電気を分けてあげないの?」
愛奈が素朴な質問をした。
「それはね、簡単にはできないからなんだよ」
僕は、五十ヘルツと六十ヘルツの違いを、愛奈ちゃんに説明してあげることにした。
「ニホンの電気には、二つの種類があるんだ。トキオの電気とナコヤの電気は、同じじゃないんだよ。だから、変電所と言う所で電気を作り変えないと、トキオの人達には渡せないんだ」
「ふーん、何だか難しそう。じゃあ、何でトキオの人達は電気が足りなくなっちゃったの?」
「それは、新型発電所の事故のせいだよ。新型発電所で作った電気は、ハッピーアイランドで使うんじゃなくて、全部トキオとかの首都圏の人達が使うんだ」
僕がそう言った所で、突然、菜摘が口を挟んできた。
「えっ、そうだったの? それって随分と勝手な事じゃない。トキオの人達って、自分達が使うものを危険だからって、うちらの近くで作ってたって事?」
菜摘は、頬を膨らませてプンスカと怒っている。
「だったら、電気が足りなくなって良い気味じゃん」
そこで母さんが、「新型発電所の事故から、首都圏の人達の関心を少しでも引き離しておく為に、わざとニホン政府が計画停電を演出した」という疑惑について話した。「本当は、首都圏でも電気は足りているんじゃないか?」ということだ。
「これは私の考えじゃなくて、ネットでそういう書き込みが多いということだからね」
母さんは、怪訝な顔をする祖母さんに、そう説明した。
「ネットって所には、変なことが書いてあるんだねえ。でも、『噂には惑わされないように』って、テレビで何度も注意されとるんじゃなかったかい?」
「あのね、お母さん。ネットに書かれた事が、全て嘘って事じゃないのよ。ネットの方が正しい事だって、いっぱいあるの」
「そうかねえ、テレビのニュースだけ見とれば、大丈夫な気がするんだけどねえ。毎日、あんなに報道されているんだし……」
そのテレビでは、「何故、新型発電所の事故が起こったか?」について、専門家を名乗る首都電力の人が説明していた。
『なんたって、十五メートルの津波ですからね。そんな規模の津波は「想定外」ですよ』
『じゃあ、何メートルの津波を想定していたんですか?』と司会役の女子アナが訊くと、『五メートルです』と言う。
『本当に、地震そのものの影響は無かったんでしょうか?』
『基本的には、無いと思っています。充分な耐震設計がされていましたからね。でも、全ての電源が無くなる事態は、始めから想定されていませんでした。今回の大地震は千年に一度なんですから、仕方ありませんよね。ハッピーアイランドには大きな地震が今までほとんど起きてこなかったし、今後も起こらないとされていた所なんですよ。それが、いきなり震度七だなんて、いくらなんでも「想定外」です』
専門家が「想定外」を口にする度に、却って僕には不信感が募った。発電所のあった所は、ヒカリ市も含めて震度六強であって、震度七ではない。それに、十五メートルの津波というのは、そんなに珍しいんだろうか? 最近は、インドネシアとかでも大きな津波が起こっている。津波大国のニホンで、たった五メートルの津波しか想定してないのって、何だか変じゃないだろうか?
「この人の話を聞いてると、『今まで散々聞かされてきた「絶対に安全です!」って言葉は、いったい何だったのっ?』て言いたくなるわね」
母さんのコメントには、皆が一様に頷きを返す。さっきから母さんの言動に呆れた目を向けていた祖母さんでさえ、この事には賛成のようだ。
「だから、『絶対』なんて言う人は、たいてい嘘付きなんだよ」
前にも聞いた菜摘の言葉が、今は心にストンと落ちる気がしたのだった。
END033
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「脱出の翌朝」の続きです。
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★★★
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