032: 祖父母の家
「まあまあ、良く来たね」
玄関のスライド式のドアを開けると、祖母がにこやかに出迎えてくれた。
「アタシ、樹くんとは同級生の、鯨岡菜摘です。お世話になります。あと、この子は妹の愛奈です」
「鯨岡愛奈、六歳でーす」
「あらあら、大きくなったねえ、二人とも」
「えっ、ひょっとして、前に……」
「あはは、覚えてないみたいだね。こないだ、うちらがハッピーアイランドに行ったのは、樹や菜摘ちゃんが小学生になったばかりで、愛奈ちゃんなんて、赤ちゃんだったからねえ」
そうなのだ。僕が小学二年生の時、祖父母はヒカリ市の家に遊びに来た事がある。その時は鯨岡家も呼んで、うちの広い庭でバーベキューをした。
「お母さん。この子が、樹の彼女よ」
「緑川瑞希と言います。宜しくお願いします」
「まあ、べっぴんさんだこと。葵、この子も、お前の家の近くの子かい?」
「ええ、うちの近所の子で樹の同級生よ」
祖母は軽く頷くと、瑞希に優しく微笑み掛けた。
「樹の祖母の森本敏子です。あたしの方こそ、宜しくね」
祖母の挨拶の言葉に、瑞希の顔がほんのりと赤らんだ。
「それじゃあ、台所に食事を用意しとるから、まずは食べながら話そうかね」
そうして僕らは、祖母に案内されて広いダイニングへと入って行った。
★★★
祖父母の家のダイニングキッチンには、十人が余裕で座れる大きな食卓テーブルがある。元々、この家は二世帯が住む事を想定して造られており、特にダイニングは娘三人の家族が集う事を考慮してある為、老夫婦二人が住むにしては有り得ない程に広いのだ。
その食卓テーブルには、既に御馳走が所狭しと並べられていた。和食が中心だけど、ブリの煮付けとか、おでんだとか、僕の好物だってちゃんとある。「別の国」に紛れ込んでしまっていた僕らにとっては、どれもが凄くおいしそうだ。
「ごめんねえ。本当は焼き肉にしようと思ったんだけど、葵が電話で『今まで、おにぎりしか食べてなかった子が急にお肉なんか食べたら、お腹壊すでしょうが』なんて言うから、軽いもんにしたよ。明日は、ちゃんとお肉にしてあげるから、今日はこれで我慢しておくれ」
「ううん、これでも充分に御馳走です」
笑顔で菜摘が答えると、瑞希も相槌を打った。
「だいたい、もう夜の八時を過ぎてるんだから、軽い物で良かったのよ」
「そんな事を言ってもねえ……」
「いやいや、とても美味しそうです」
「うん。僕もそう思う」
そうして、熱々のご飯をよそったお茶碗が全員に行き渡った時、ガラッと引き戸が開いて、パジャマ姿の祖父が顔を出した。どうやら、今までお風呂に入っていたようだ。
「いらっしゃい。良かったなあ、葵。無事に着いて」
「あの、初めまして。鯨岡菜摘です」
慌てて立ち上がった菜摘が、元気よく挨拶する。更に、瑞希と愛奈が二度目の自己紹介をしてから、やっと僕らは遅めの夕食を頂いた。
「お姉ちゃん、美味しいね」
「美味しいに決まってるじゃん。御馳走なんだから……」
「だって、本当に美味しいんだもん」
「もう、愛奈ったら黙って食べなよ」
鯨岡姉妹の会話を、祖母は嬉しそうに聞いていた。
「たくさん、お食べよ」
「うん。愛奈、二ホンのごはん、大好き」
愛奈の言葉に祖母が怪訝な顔をしたので、母さんがヒカリ市の現状を説明した。
ガソリンが無い事。食料が不足している事。水道が断水していて、給水車の所に水を貰いに行きたくても、ガソリンを使いたくないしイルージョンが怖いから、なかなか貰いに行けない事。同じ事情で、ようやくスーパーが営業を始めたけど、とても行く気にはなれない事……。
「……だから、この子達は、ずーっとおにぎりばかり食べてたんだけど、いよいよ、水もお米も無くなっちゃって……」
「そうかい。大変だったねえ。ニホンも戦争の時は食べ物が無くて大変だったって言うけど、あたしが物心ついた時は、戦争が終ってだいぶ経ってたからねえ……。あ、でも、学校の先生からは、しょっちゅう聞かされたよ。戦争は絶対に駄目だって、もう耳にタコができるくらい、何度も何度も言われたねえ。それで、食べ物は残しちゃ駄目だって、嫌いな物も全部、給食を食べさせられたんだよ」
「昭和の頃は、そうだったみたいね。今は、食べたくないなら残しても良いって感じなんだけど」
「今は、飽食の時代って言われてるからねえ」
「お母さん、それ、もう随分と前の言葉だから」
「そうなんかい? だけど、今のニホンで食べる物が無いだなんてねえ。信じられない話だけど、葵が言うんだから、本当の事なんだろうねえ」
そこで、菜摘と愛奈の会話が聞こえてきた。
「愛奈は、昭和の頃に生まれなくて良かったね。給食で出た嫌いな物も食べなきゃなんないなんて、マジで地獄だと思うよ」
「愛奈、嫌いな物ないから大丈夫だもん……。でも、戦争の時も、ニホンがニホンじゃなくなっちゃったんだね?」
「うーん、イマイチ意味が分かんないんだけど……、今のハッピーアイランドは、戦争の時とおんなじって事になるのかなあ」
僕と同様に姉妹の会話尾を聞いた祖母が、「菜摘ちゃんも愛奈ちゃんも、面白い事を言うんだねえ」と言って、笑っている。
僕は、青木麻衣と最後に会った時、言われた言葉を思い出していた。
『……いい、ここは戦場なの。いつまでも中学生が戦場なんかにいちゃ駄目……』
麻衣は確か、そんな風に言ったんだ。
「そうか、ハッピーアイランドは戦場だったんだ」
僕の言葉を母さんが引き継いで、祖父に向かって早口で捲し立てた。
「そうなのよ、お父さん。ヒカリ市は今、まさに戦場のような状態なの。食べ物も水もガソリンも無い。外にはイルージョンの粒子が漂っていて、危険だから出歩くこともできやしない。皆ね、外に出れないから雨戸を閉めて、じっとしてるしかないの。まるで防空壕に身を寄せ合って、敵の爆撃機が去るのを待ってるような状態だったんだから……」
「何か、信じられんなあ。今のニホンにそんな所があるなんてなあ」
そう呟く祖父の口調に僕はこの時、何故か心に引っ掛かるものを感じていた。でも、それが何だったのかは、もっと先になるまで分からなかったんだ。
★★★
食事の後、ずっと楽しみにしていたお風呂に皆が順番に入った。菜摘と愛奈以外は一人ずつだったから、時間が掛かった。女の子に先に入ってもらった為に、僕が入ったのは夜の十時半頃。それ迄は、ずっと震災のテレビを見て過ごした。
菜摘の風呂上がりは何度も見たけれど、瑞希のはもちろん初めて。その彼女がダイニングの引き戸をそおっと開けて「お先にどうも」って顔を出した時、僕は背筋にぞくぞくするものを感じて、思わず風邪かなって思っちゃった。でも、それから彼女が僕の近くに寄って来た時、彼女の髪の甘酸っぱいシャンプーの匂いに、僕は幸せを感じたんだ。
「ごめんね。私、ひとの家なのに、何かシャンプー三回も使っちゃって」
「そんなの全然問題ないから」
早口でそう言った僕は、照れ隠しの為、急いで脱衣室に飛び込んだ。
髪の毛を洗ってみて、さっき瑞希が言ったことが良く判った。ごわごわになった髪の毛には、一度や二度のシャンプーじゃ全然泡が立たない。三度目でやっと普通にシャンプーした状態になった。
身体もじっくりと洗ってから、いよいよ湯船に入る。ここに瑞希がハダカで入ってたことを思うと、またもやドキドキしてしまう。
祖父母の家の浴槽は木で出来ていて、僕ん家のよりも広い。手足を伸ばして首まで浸かっていると、震災後の緊張感がサァーっと湯の中に溶けていく感じがする。
ああ、生き返る。ちょっと年寄りくさいけど、本当にそんな感じだった。
結局、僕が寝床についたのは、午後十一時を大きく回ってからだった。僕達の寝る部屋は一階の座敷で、奥の部屋に女子三人、襖ひとつ隔てた手前の部屋に僕と母さんが寝た。
そんな近くに瑞希が寝てることを思うと、すっごくドキドキしたけど、余程疲れてたのか布団に入った途端、僕はストンと眠りに落ちて行った。
END032
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「脱出の翌朝」です。次話から第七章になります。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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(ジャンル:ローファンタジー)
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