030: ガソリン問題
「ねえ、本当に大丈夫なの、母さん? 次のゴテンバで降りる?」
そんな僕の心配を他所に、相変わらず母さんは呑気だった。
「まだ赤ランプが点いてないから、行ける所まで行っちゃいましょう」
母さんの言葉に被せるようにして、鯨岡菜摘の奴が「行っちゃえーっ!」と大声で叫ぶ。
「お前なあ、こんな山奥でエンストしたら、どうなると思ってんだよ!」
僕が思わず菜摘を窘めても、彼女はあっけらかんと言い放った。
「そん時はさあ、ヒッチハイクでもすれば、良いじゃん。アタシがやれば、どんな車だって停められると思うよー」
「お前なあ、高速道路でどうやってヒッチハイクするんだよ?」
「そんなの簡単じゃん。スカートの裾を、ほんのちょっと持ち上げるだけだと思うんだけど……」
「馬鹿か、お前。だいたい今日の菜摘は、スカートなんか履いてないだろ!」
「あ、そっか……」
そんなくだらない会話を菜摘と交わしているうちに、ゴテンバのインターチェンジは通り過ぎて行った。でも、意外な事に、まだ赤ランプは点灯していない。
更に、スソノ、ヌマズを過ぎて、フジのインターチェンジに残り二キロと迫った時、再び菜摘は、言い放った。
「もう一丁、行っちゃえーっ!」
すると母さんが、「あ、ようやく赤ランプが点いたわ」と呟いた。
その母さんは少し言い辛そうにして、更に不気味な事を口にした。
「そう言えば、昨日、この辺りで震度六強の地震があったわよね? ひょっとすると、フジガワのサービスエリアのスタンドも、ヤバいんじゃないかしら?」
僕が「えっ」と小さな叫び声を上げた時、既に車はフジインターチェンジの入り口を過ぎてしまっていた。
「あとは、フジガワサービスエリアのスタンドが開いているのを祈りましょう」
「愛奈、お祈りだって。頑張るのよ。任せたから」
「何で、妹にお祈りだけ任せるんだよ!」
僕がツッコミを入れると、菜摘はケラケラと笑っている。駄目だった時は、こいつにマジでヒッチハイクをやらせてやりたくなってきた。
フジガワのサービスエリアが、徐々に近付いて来る。その間、愛奈は健気にもずっとお祈りのポーズを取っていた。クリスチャンの両手を組み合わせる奴だ。それを見て、緑川瑞希も一緒に祈ってくれている。真ん中の席の菜摘だけは、駐車場の空きスペースを探してキョロキョロと目を走らせていた。
やがて、僕らの車が止まると、愛奈を押しのけて菜摘が最初に外に出た。急いで僕も助手席から飛び降りる。すると、そこに茫然と立ち尽くす菜摘の姿があった。
「樹、あそこ!」
菜摘が指差したガソリンスタンドには、車が一台も無かった。
ああ、だから言わんこっちゃないのに……。
「仕方ないわね。まっ、どうするかは後で考えることにして、まずは何か食べましょう」
「えっ、さっきコンビニでおにぎり食べたじゃん」
僕が声を上げると、母さんは優しく微笑みながら言った。
「ここなら、きっと温かいものが食べられるんじゃないかしら」
★★★
僕らは、母さんに促されるままに歩き出した。母さんが愛奈の手を、僕は瑞希の手を引いて建物のある方に向かう。僕らの後を最後に菜摘がトボトボと付いて来た。さすがの彼女も、さっきの「行っちゃえ-っ!」には後ろめたさ感じているんだろう。
「あっ、そうだ。もうマスク取っても良いわよ。ここだったら、安全でしょうし」
母さんの言葉で、僕達は一斉にマスクを外す。たかがマスクだというのに、何だか凄い解放感がある。瑞希も同じように感じたのか、足取りが急に軽やかになった。
僕らは、外したマスクを近くにあったゴミ箱に投げ捨てた。母さんが、「本当にイルージョンの粒子が付着してたら、こんな所に捨てちゃ駄目なんだけど……」と呟いていたけど、今更だと思った。
サービスエリアの建物の中は、割と空いていた。それなのに、フードコートの前で僕達は、一様に立ち竦んでしまった。
だって、ここ数日は夢の中でしか出会えなかったような御馳走が、すぐ目の前にあるんだもの。
味噌ラーメンだとか、カツカレーだとか、地震が起こる前だったら当たり前にあったメニューだというのに、今は全身が総毛立つ程の感激に震えている自分がいる。やっぱり食べ物っていうのは、人のもっとも根源的な本能なんだって、僕はつくづく思ったんだ。
「お姉ちゃん、愛奈、味噌ラーメンが食べた~い!」
愛奈が可愛い歓声を挙げた。それを合図に、僕らは券売機の前に列を作る。そして、それぞれの食券を握り締め、それを震える手で係のお姉さんに渡す。
「特製味噌ラーメンですね。お席に座ってお待ち下さーい」
そんな風にお姉さんから言われても、僕らはその場から離れられない。だって、あの震災からの六日間、おにぎり以外の物を口にしていないのだから……。
あ、そういや一回だけ、レトルトのカレーを食べたっけ。あれは、本当に御馳走だったな。でも、今ここで待ってるラーメンと比べたら、きっと雲泥の差なんじゃないだろうか?
お姉さんが、トレイに載せたラーメンを渡してくれた時、余程、僕は幸せそうな顔をしていたんだろう。「ラーメン、大好きなんですね?」だなんて言われてしまった。だけど、そんなことも気にならないくらい、僕の目はラーメンに釘付けになっていて、それを、母さん達が待っているテーブルまで運んで行く時の僕は、本当に幸せの絶頂にあったと言っても過言じゃなかったと思う。
僕が席に着くとほぼ同時に菜摘と瑞希も席に着いて、代わりに母さんは愛奈と自分の分を取りに行った。そして、ようやく全員が揃うと母さんが言った。
「さあ、食べましょう」
僕らは、一斉に割り箸を割って食べ始めた。最初のひとくち、僕は不覚にも涙を零してしまった。
ふと前を見ると、菜摘までもが泣いていた。この気の強い幼馴染がマジに泣いた所を見て、僕は心底驚いた。でも、気持ちは分かる。もの凄く良く分かる。
僕の隣では、瑞希が夢中で麺を啜っている。菜摘の席の隣では愛奈が、熱いスープをレンゲで掬っては、ふうふうしながら飲んでいた。
「お姉ちゃん、美味しいね。本当に美味しいね」
「愛奈、良かったね」
菜摘は、涙声のまま言った。
「お母さんやお父さんにも、食べさせてあげたいな」
僕の母さんも、目尻が微かに濡れていた。
★★★
食べ終わってトイレを済ませ、僕らが再び車に戻った時、母さんが声を張り上げた。
「さあ、これからが勝負よ!」
母さんが、ゆっくりと車を走らせる。僕らも緊張して身構えた。
でも、控えめな蛍光灯に照らし出されたガソリンスタンドに近付いた時、母さんの勝負はあっけなく終わってしまった。車の列なんて無くっても、そこは普通に営業していたのだ。
給油機に車を寄せると、すぐに若いお兄さんが飛び出して来て、「いらっしゃいませ-」と元気良く応対してくれた。
母さんは窓を開けて、「レギュラー、現金で良いんだけど、どれだけ入れられるかしら?」と聞いた。首都圏のスタンドでは、どんなに並んでも十リッターしか入れられないと聞いていたから、その時、母さんはそんな風に言ったんだ。
ところが、お兄さんはキョトンとした顔でこっちを見ている。
「……どれだけ入るか、というご質問でしょうか?」
どうやら、母さんが発した言葉の意味が、そのお兄さんには正しく伝わらなかったらしい。
もしやと思って、僕が訊いてみた。
「満タン、できますか?」
「満タンですね? 満タンで宜しいですね?」
お兄さんに二回も確認されてしまった。心持ち安心したような笑顔だった。
「もちろんです、お願いしまーす」
母さんもまた、最高の笑顔で答えていた。
どうやら、ここにはガソリンがふんだんにあるようだ。ガソリンも食べ物もふんだんにあるなんて、何て素敵な所なんだろう!
「ハコネのお山を越えたら、そこは天国だったってわけね」
心底、嬉しそうに母さんが言った。
「ええーっ、天国? ここって天国なの? 愛奈、いつの間にか死んじゃったの?」
突然の愛奈の素っ頓狂な声に、皆が一斉に笑い出した。瑞希までもが大声で笑っていた。
END030
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「普通への回帰」です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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★★★
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