003:緑川瑞希
彼女のフルネームは、緑川瑞希。僕の幼馴染達の中でもとびっきり大切な存在だ。だって僕等は、友達にも親にも公認のカップルなのだから。
いつから彼女と今のような関係になったのかは、僕らにも良く判っていない。幼稚園の頃からだとも言えるし、ごく最近だとも言える。
毎日一緒に学校に行くようになったのは、まだ先月の初めくらいからだ。その頃、瑞希は珍しく三日続けて学校を休んだ。いわゆるインフルエンザという奴だ。彼女がそんなに学校を休んだのは、僕の記憶だと小学校入学以来初めての事だ。
その間、僕は毎日ノートを持って瑞希の家に通った。
そうして迎えた四日目の朝、瑞希は顔に大きなマスクをした状態で、ひょっこりと僕ん家の玄関に現れた。彼女は僕にノートを届けてくれたお礼を言うと、それから、はにかんだ笑顔で、「ねえ、一緒に学校、行こうよ?」と僕を誘ったんだ。もちろん、僕に異論なんかある筈もない。僕らは、お互い少しだけ照れながら、並んで歩いて学校まで行った。
その日だけだと思ってたら、次の日も次の日も毎朝、瑞希は僕を呼びに来るようになった。
だけど、僕と瑞希の二人だけの登校は、そんなに長くは続かなかった。すぐに他の幼馴染達が加わるようになってしまったからだ。
一番最初は、隣の鯨岡菜摘だった。僕が瑞希と一緒に登校するようになった三日後には、それを嗅ぎつけて、「何で、アタシも誘ってくんないの?」と言って拗ねたのだ。
最初、僕は断ろうとしたんだけど、瑞希に「樹くん、意地悪しないの!」と窘められてしまった。それで、僕が何となく腑に落ちない気分になった所で、他の仲良しの二人も加わってしまい、結局、いつもの幼馴染五人組で僕らは登校する事に落ち着いた。
まあ、そんでも、僕が瑞希と一緒に登校できるのには変わらない。だから、『まあいっか』となって、今日に至るって訳だ。
★★★
緑川瑞希の黒い艶々した髪は、ショートヘア。小さい頃はおかっぱヘアで、それが最近はボブカットというのになったそうだけど、僕には違いが分からない。今朝は、右のひと房が軽く上に撥ねていて、そういう所も僕は可愛いと思う。でも、それを指摘すると拗ねてしまうので、敢えて言わないようにしている。
瑞希は、ちょっと見には平凡で地味な印象の子だ。だけど、もしも瑞希を十秒以上ちゃんと見てくれたなら、彼女の印象は全く違ったものになると思うんだ。
目は二重で意外に大きいし、中身はガラス玉のように光っている。整った形の鼻はわりと高めでチャーミングだし、小さめの口は下唇がぷっくりと良い感じに膨らんでいるから思わず手で触ってみたくなる。そして何より肌がすっごく白くて、しっとりとした感じが良い。
問題は人見知りで、ちょっぴり臆病な性格である事。本当は割としっかりした面もあるんだけど、親しい人以外と接する時は控えめな面が出てしまい、そこが彼女をマイナー人気に留めているんだと思う。まあ、僕にとっては、彼女を独り占めできて有難いんだけどさ。
「瑞希、うちの庭を見て、びっくりしただろ?」
「うん、驚いた」
普段の瑞希だったら、さっきみたいな大声を出したりしない。つまりは、そんだけ衝撃が大きかったという事だ。
今度は、その瑞希が僕の顔を繁々と見詰めている。僕は、彼女の大きな瞳に吸い込まれそうになって、少し落ち着かない。僕の胸の鼓動がだんだんと早くなり始めて、気が付いたら問い掛けていた。
「どうしたの、瑞希?」
「唇、ジャム付いてるよ」
瑞希はそう言いながら、人差し指をすーっと僕の方へ伸ばしてきた。その指先が僕の唇に触れた……と思ったら、彼女の白く細い指に付いたジャムをペロリ、すました顔で舐めた。
「あっまーい」
そう言って微笑む瑞希の服装は、当然、僕らが通うセンターヒルズ南中学校の女子の制服だ。上は白のブラウスにクリーム色のベストで、その上に紺のブレザーを羽織っている。首元には、二年生を示す水色のリボン。それがワンポイントになっていて、とっても可愛い。
ボトムは、紺系統のチェックのプリーツスカートだ。丈は大人しい瑞希らしく、ちょっとだけ長め。今日は、その下に厚手の黒タイツを履いている。まだまだ朝は寒いから、きっと彼女のお母さんが厚着をさせてくれたんだろう。
「昨日の夜中、風、強かったね。あたし、怖かった」
瑞希が、ボソッと言った。
そう言えば、昨夜の風はハンパじゃなかった。まさに春の嵐といった感じで、僕も夜中に目が覚めてしまった。
海が近いこの辺りは、たまに凶暴な風が吹く。だから、ここで生まれた僕らは強風には免疫があるんだけど、そんでも昨夜のは特別だった。普段は雨戸なんか開けたまま寝るのに、父さんが真夜中、その雨戸を閉める為に僕の部屋に来たくらいだっだ。
「なんだ、樹、まだ起きていたのか?」
僕がベッドで寝返りを打ったのを見て、父さんが言った。
「だって、風が強いから」
「確かに、今夜の嵐は不気味だな。何か、とんでもないことが起きそうな気がするぞ」
そんな風に父さんが言っても、僕は全く気に留めなかった。と言うのは、昔から父さんは、一人っ子の息子を怯えさせるのが趣味の人だからだ。でも今の僕は、もう中学生。しかも来月からは三年生なんだから、父さんの期待どおりに怯えたりなんかしない。
父さんが階段を降りて行く音を聞きながら、『父さん、また適当なこと言ってら』と正直、僕は馬鹿にしていた。それなのに、まさかこんなことになるなんて……。
「あらー、こりゃあ酷いわねえ」
間延びした声の主は隣の菜摘のお母さんで、鯨岡朱美さん。知らないうちに隣に立っていて、ちょっとビビったのは内緒だ。
「とても残念だけど、まあ、寿命ってことかしらね」
朱美さんは、こっちが拍子抜けするくらいにサラッと言ってのけた。
「僕がちっちゃい頃から、ずっとあった木だよ。朱美さん、寿命だなんて言わないでよ」
「あら、ごめんなさい……。そりゃーね、この家が建った時、あたしも葵さんが小さな苗木を植えた所を見てた訳だし、それからは、一緒に見守ってきた木なんだもの。あたしにだって、愛着はあるわよ。だから、せめて花が咲いてからにして欲しかったんだけど……、まあでも、仕方ないじゃない。世の中、そうそう都合良くは行かないもんよ」
冷たい風が僕の頬を撫でていく。昨夜の嵐は治まったとはいうものの、まだ多少の風は吹いている。思わず僕は、ブルっと身を震わせた。
「私も、寂しい……」
隣にいる瑞希は、今にも泣き出しそうな表情だ。
それでも朱美さんは、僕らの心情におもねったりなんかしない。じっと幹の裂けた所を見詰めながら、話を続けた。
「でもね、この木は何かの犠牲になって、倒れてくれたって気がするのよね。例えば、うちらに何か大切な事を知らせてくれただとか……。ふふっ、あたしの考え過ぎかしらね。だけど、この近所の皆が愛した木なんだもの。きっと、こうなった事には、何か意味があるんだと思うの」
それだけ言うと、朱美さんは隣家の勝手口へと歩いて行く。
僕ん家と菜摘の家は同じ方向に勝手口があって、お互いの家を行き来し易い構造になっている。両家の敷地の間には低い生垣があるんだけど、そこにも小さな隙間が作ってあるから、僕らは毎日、その通路を当たり前のように使っているんだ。
朱美さんが去った後、瑞希が小声で呟いた。
「私、やっぱり悲しい……」
瑞希の顔が、本当に泣き出しそうに歪む。『あっ、まずい!』と思っていると、大粒の涙がポツリ、ポツリ……。
この緑川瑞希という女の子は、良く泣く。ちっちゃい頃から、僕は彼女の泣き顔を数え切れないくらい見てきた。僕の記憶の中では、泣き顔が瑞希のデフォルトだ。彼女の身体は、不安に駆られると瞳から涙を分泌する構造なのだ。
そして、瑞希の不安は即座に僕にも伝わって、激しく動揺させられてしまう。他の奴等が、「瑞希ったら、また泣いてら。面倒だから、放っとこ」と言ったとしても、僕は放ってなんておけない。瑞希の泣き顔には、僕の心に共鳴する何か特別な仕組みがあるみたいだ。
「私、来月のお花見、すっごく楽しみにしてたのに。それも、もう駄目……」
四月四日は母さんの誕生日で、実は、隣の鯨岡菜摘も同じ日に生まれた。その為、その日の前後にやる二人の誕生日パーティー兼お花見バーベキューは、毎年の恒例行事なんだ。
ちなみに僕の誕生日は十二月で、菜摘より八ヶ月も遅い。その分、小さい頃は菜摘の方が身体が大きくて腕力があった訳だから、僕が彼女に泣かされ続けて育ったのは、ある意味、仕方が無い事だと思う。
その僕の背丈も去年には菜摘を抜いて、今は僕の方が何センチか高くなっている。
「昔の樹くん、この木、良く登ってたよね」
「それは、僕だけじゃないよ。たぶん、菜摘の方が回数は多いかも……」
その瑞希の言葉で今度は、僕の脳裏に菜摘との苦々しい思い出の数々が蘇ってきた。
僕は再び、半身を失って歪な形になったミモザの木に目をやった。
END003
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
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