028: 非日常な世界
ハッピーアイランド州から外へ出ても、道路の両側の様子に変化は無かった。津波の被害がニホンの行政区分を考慮してくれないのは、至極、当然のことだ。
更に十五分ほど走ると、道路が少し内陸に入った。ようやく街並みは普通に戻ったのだが、それでも人の姿は何処にも無い。
どの店もシャッターが閉まったままだった。普段なら、まだラッシュアワーの筈なのに、車の数だってまばらだ。
僕らの車が赤信号で止まった時、僕は道路の脇に通学路の標識を見付けた。もちろん、生徒や児童の姿なんて何処にも無い。
その時、僕はハッキリと悟った。ここには、日常から切り離された時間が流れている。そして、それは僕らの家があるハッピーアイランドのヒカリ市だって同じだ。
ようやく、僕らの前を行く青いワゴン車に追い付くことができた。ナンバープレートを見ると、僕らと同じ「ヒカリ」ナンバーだった。僕らのミニバンは尚も、そのワゴン車の後をノロノロと付いて行った。
しばらくして、高速道路を示す緑の看板を見付けた。ところが、そのすぐ下の電光掲示板に「閉鎖中」とある。「ああ、やっぱり」と思った。仕方がない。僕らはそのまま下道を行くしかなかった。
それでも、その辺りから街の様子が変わり始め、ちらほらと人の姿が見られるようになった。更に開いてるコンビニとかの店も目に付き始め、その都度、自然と車内で会話が交わされるようになる。
「今のコンビニ、お惣菜とかは置いてなかったみたい。やっぱり、おにぎりは無いのかなあ?」
鯨岡愛奈は、コンビニを通ると必ず、惣菜コーナーをチェックしていた。目が良い愛奈には、店によっては外からでも、店の中の様子がある程度は分かるようだ。
その次に目に付くようになったのは、ガソリンスタンドに並ぶ長い車の列だった。コンビニに飽きた愛奈は、声を出して並んでいる車の数を数え始める。だけど、それが百を超えると、彼女もだいたい諦めてしまうのだった。
「たいていの車は、前の日の晩から並んでるんでしょうね。並ばないと入れられないでしょうから。そして朝の内に、その日の分のガソリンが完売になっちゃうそうよ」
僕は、久し振りに母さんの声を聞いた。今までずっと無言だったのに、やっと、少しだけ余裕ができたんだろう。
ここまで来ると、車の数も増えてきた。ナンバープレートを見ると、まだ意外と「ヒカリ」の物が多い。それほど遠くに来ていないのもあるけど、案外、僕達のように避難する人が多いのかもしれない。
やがて、今度は緑川瑞希が、自分の父親の話を始めた。
「昨日の夜、お父さんとお母さんが、やり合ってるの聞いちゃった」
僕は路面状況をチェックしながら、まずは黙って聞いていた。
「最初、お父さんが凄い剣幕で怒って、お母さん、殴られそうだった。それで怖くて、私、隣の部屋で隠れて見てたの。でも、お父さんは急に優しい声になって、私の事を宜しくって言ってくれて……。だけど、お母さん、『私は、行かない』って言った。お父さんの事が心配だからって……」
「ふーん、そっか。瑞希ん家も、うちとおんなじなんだね」
鯨岡菜摘がそう言うと、瑞希は「うん」と頷いた。
僕は、母さんの方をチラッと見た。母さんは、どういう気持ちで父さんを残して来たんだろう?
「父さん、食べ物とか大丈夫かな?」
つい、そんな言葉が僕の口から漏れ出てしまい、僕は『しまった!』と思った。母さんを余計に心配させてしまう。
でも母さんは、普通に答えてくれた。
「大丈夫よ。食糧と水は会社が調達してくれるみたいだから」
「あ、それはうちも一緒。役所には救援物資が一杯あって、それを持って来ちゃえば良いからって、お父さんが言ってた」
「うちのお父さんも、おんなじようなこと言ってたかも。総務の人が役所に貰いに行ってるみたいだってさ」
「ふーん、菜摘の所もそうなんだ。でも、余った救援物資って、どうなっちゃうんだろう?」
僕がそう言うと、母さんがネットで見た情報を話してくれた。
「ヒカリ市は『イルージョン汚染の街』って思われてて、ほとんどボランティアの人が来ないらしいの。それに市役所も若い人はほぼ全員が避難しちゃってるから、残った人だけじゃ、避難所に届けるのがやっとだそうよ。ガソリンも足りて無いから、役所を責める訳にはいかないわね。結局、最後は捨てることになるんじゃないかしら」
「ふーん。でも、こうして僕らはヒカリ市から出て行けるけど、避難所の人は大変だね?」
「そうね。もっと北の地方と比べたら、ヒカリ市の避難所は寒さの点でましかもしれないけど、それでも別の見方をすれば、新型発電所の事故のせいで、より一層、大変な所なのかもしれないわね。どう見たって、今のハッピーアイランドは、安全なんかじゃないもの」
そこで菜摘が、急に変な事を口にした。
「イルージョンって、目に見えないから、良いんだよね」
「良いって、どこがだよ?」
「だってさあ、もしも赤い色とかだったら、どんなに政府が隠してたって、すぐにバレちゃうじゃん。そしたら、速攻でパニックになっちゃうと思うんだ」
「そんな、色が変わるくらいの濃度だったら、とっくの昔に死んじゃってるんじゃないのか?」
「だからさあ、ほんのちょっとでも空気にイルージョンが混じると、すぐに色が変わちゃう事が前提なのっ!」
菜摘の言葉に母さんが、「確かにそうかもね」と、何故か同意を示す。
「もし、そんな薬とがあって、スプレーでシュッーとやって、色の変化でイルージョンの濃度が分かったりしたら、便利で良いわよねえ」
「でしょう? そしたら、うちや瑞希のお父さんとかも絶対に逃げるって言うよね?」
「でもさ、そうなるとヒカリ市の人は皆、逃げちゃって、廃墟みたいになっちゃわない?」
僕の発言に菜摘が、「もう、そうなってるじゃん」と返してくる。そんな菜摘の投げやりな放言にも母さんは、ちゃんと丁寧な言葉を加えてくれた。
「たぶん、ヒカリ市民の七割以上は、もう市外に出てるんじゃないかな? このままだと、本当にゴーストタウンになっちゃうかもしれないわね」
「ゴーストタウンかあ。何か不気味だなあ……。そう言えば、ヒカリ市長が逃げたって噂あったよね。瑞希、何か知らない?」
「お父さん、『やっぱり、市長はいないみたいだ』って言ってた」
瑞希の返事の後、菜摘が物知り顔で言った。
「ふーん。やっぱりね。だって、ヒカリ市がこんな状態になってんのに、テレビとかにも全然出てこないんだもん。おっかしいよね。もっと、『食べ物、寄こせ!』とか『ガソリン、寄こせ!』とか、言ってくれりゃ良いのにさ」
「だから、食べ物は来てるんだよ。でも、ガソリンが無いから、配れないだけ」
そこで、またもや母さんが、ポツンと呟くように言った。
「案外、ガソリンが無くて逃げられない人も、結構いるんじゃないかしら」
母さんの言葉で、車内が急にシーンとなった。
「だけど、政府の本音は、これ以上は逃げて欲しくないって事なのかもね」
「母さん、それって首都圏の人達に、パニックになって欲しくないからだよね?」
「そうよ。もう手遅れだっていうのにね」
僕と母さんのやり取りを聞いた菜摘が、「ひっどーい!」と言って口をとがらせる。
すると瑞希がボソッと、「皆、逃げられれば良いのに」と呟いた。
もう一度、母さんが口を開いた。
「あの二十キロ圏内とか三十キロ圏内というのも、本当はもっと広げるべきなのよね。だけど、これ以上広げると、ヒカリ市、ハッピー市、コオリ市とかの都市が圏内に入ってきちゃうでしょう? そうなると、避難民の数が膨大になって、国や首都電力が補償金額を払えなくなっちゃう……」
「えっ、そんな事で避難区域を決めちゃってるんですか?」
声を上げたのは、瑞希だった。
「少なくともネットでは、そういう風に言われてるわね。実際、アメリカは在日の自国民に五十マイル以上、発電所から離れるように警告してる訳だし……あれっ?」
その時、突然、母さんの携帯電話に着信を知らせる音楽が鳴った。母さんは、その携帯の小さな液晶画面をチラっと見て、僕に差し出した。
「菊池先生みたいだから、樹、出て頂戴」
僕もまた、液晶画面に「菊池先生」と表示されているのを確認して、それを耳に当てる。その途端、聞きなれた大人の女性の声が耳に飛び込んできたのだった。
END028
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「首都圏クリア」です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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