027: 出発の朝
僕は昨夜、いつ父さんが帰って来たのかを知らない。珍しく、夜九時にはベッドに入っていたからだ。それでも、なかなか寝付けなかったんだけど、気が付いたら眠っていたようだ。
朝、目が覚めると、外は昨日と同じように雲っているみたいだった。
父さんは、会社の車に乗って帰って来たんだそうだ。その車はディーゼル車で、父さんのガソリン車よりも燃費が良いし、最悪の場合、会社に備蓄してある灯油でも何とか走らせる事ができるからだという。
「今日も会社に行くの?」と僕が訊くと、一瞬だけ顔色が変わったものの、やっぱり行くと言う。
「俺は会社を休めない。だから樹は、長男として母さんを守って欲しい。樹と母さんだけで避難しなさい」
父さんは、そう言いながら僕と母さんの荷物を車に積み込んでくれた。僕も手伝おうとしたけど、駄目だと言う。子供の方がイルージョンの影響を受け易い事を、父さんだって知ってるからだ。
父さんが荷物を積み終わった頃、隣の鯨岡朱美さんがやって来て言った。
「樹くん、菜摘と愛奈を宜しくね」
「朱美さんは?」と聞くと、「あたしは、行けないわ」と言う。
「あたしは、やっぱり旦那と一緒に残るわ。あの人を見捨てられないもの」
母さんも、本当は残りたいに違いなかった。そして父さんも、きっと母さんに残って欲しいに違いない。
でも、子供達だけで避難する訳にはいかないのだ。誰か大人が付いて行かなければいけない。きっと、全て大人達だけで決めた事なんだろう。だったら、子供の僕が口を差し挟むいわれはない。
「分かったよ、朱美さん」
僕はそう言って、完全防備の状態で玄関を出た。
外は道路が濡れていた。昨夜、少し雨が降ったみたいだ。
ふと庭に目をやると、折れたミモザの巨大な茂みが、今もまだ緑のままで残っている。だけど、近付いてみると、葉っぱは明らかに萎れてしまっていた。綺麗だった黄色い蕾も、今は薄汚れた茶色だ。もう決して咲きはしない蕾の数々。それらは、見ているだけで悲しくなる光景だった。
それでも、残った方の木には、少ないながらもちゃんと花を付けている。僕が小さい時からずっと見続けてきた、小さく可憐な黄色い花だ。
「母さん、ミモザの花、ちゃんと咲いたよ」
僕が母さんを呼ぶと、庭の方に回って来てくれた。
「あら、本当。ミモザにはイルージョンの影響は無いのかしらね」
母さんは、少しだけ弾んだ声で言った。
それから僕は、ミニバンの助手席に乗り込んでシートベルトを締めた。菜摘と愛奈の姉妹は、既に後ろの席に座っている。二人は、くるぶしまで隠れるズボンの上にトレーナー、そして、昨日、僕が着てたのと同じような白いウィンドブレーカーを羽織っていた。
「それ、どうしたの?」と訊くと、彼女達の父親の栄太さんが勤める信用金庫で、以前にイベント用として作った物の余りなのだとか。愛奈が着ているのは一番小さい物らしいけど、それでも大き過ぎて、ぶかぶかのワンピースみたいになっちゃってる。そんでも、「無いよりずっとまし」という事らしい。
当然、口にはマスクだ。僕もだいたい同じような恰好だった。
「さあ、出発するわよ」
僕らは窓を開けずに、父さんと朱美さんに手を振って別れた。
その後、公園の近くの緑川家に寄って、瑞希をピックアップした。瑞希は神妙な面持ちで僕の母さんに挨拶をすると、三列目の座席の隅にちょこんと腰を下ろした。
母さんが、「ごめんなさいね、狭くて」と謝っているが、七人分の荷物は思った以上に嵩張るようで、瑞希の横にも荷物を置かざるを得ない状態なのだ。
ちなみに瑞希の恰好はと言うと、学校のジャージの上にダッフルコートといった出で立ちで、今日はちゃんとマスクをしている。その瑞希の身体からは、今日も仄かに香水の匂いがしていた。
問題は、瑞希のキャリーバックだけど、予め後ろにスペースを残してあったらしく、何とか押し込む事が出来たみたいだ。もうひとつのリュックサックの方は、荷物の間に少しだけ隙間があって、そこに上手く入ったと瑞希が嬉しそうに報告してくれた。
最後に母さんが後ろのドアをめた時、ドンという大きな音がして車が揺れた。室内がやけに静かだったせいか、その音が予想外に心に響く。
瑞希のお母さんの由希さんにも、やはり窓は開けずに皆で手を振って別れた。
彼女の姿が見えなくなると、瑞希と菜摘が相次いで後ろから声を掛けてきた。
「お母さん、樹くんに私のこと宜しくって言ってた」
「ふふっ、良かったね、樹」
僕は、ちょっと照れくさかったので黙っていた。
やがて車は長い坂を下りて、センターヒルズニュータウンの出入口の交差点で、信号待ちで停まった。今日は高速道路が使えないので、目の前の幹線道路をひたすら南に進むことになるのだ。
信号が青に変わった。母さんは、ゆっくりと車を進めて左折する。
「さあ、頑張って行くわよ」
母さんは、自分に言い聞かせるように呟くと、慎重に車を進めて行った。
★★★
最初は誰もが、あまり喋らなかった。いつもは煩い菜摘でさえ、ずっと黙り込んでいる。そうかと言って、僕もまた積極的に口を開く気にはなれない。そんな不思議な緊張感があった。
僕らをそんな風にしてる理由のひとつは、路面状況にある。アスファルトの道路なのにデコボコで、波を打っていたり大きな穴が開いていたり路肩が欠けていたりと、とにかく散々な状態なのだ。
それに、突然、急な段差があったりする。大きな段差の所には、だいたい目印があるのだが、それでも無い所だってあるから、運転は大変そうなのだ。僕も必死になって路面を見て、何かあるとすぐ母さんに伝える。後ろの席の真ん中に菜摘が座っていて、僕が見落とした路面の異常を、大声で指摘してくれていた。
だけど、その頃はまだまだ普通だったんだ。
そのうちに車は海沿いを走るようになって、辺りの雰囲気がガラリと変わった。そして、眼前に現れた壮絶な光景に、僕らは思わず息を飲んだ。そこからは、つい先日の津波の凄まじさが、まさに有り有りと伝わってきたからだ。
テレビ画面で見るのと、直に見るのとでは迫力が違う。そんな当たり前の概念が全く意味をなさない程、現実は僕らの想像を遥かに超えていた。
残された全ての建物に、明白な津波の痕跡が見て取れる。一階だけが空洞になった家屋。完全に潰れてしまい、残骸しか残ってない屋敷。横たわったり引っくり返ったまま、道路の脇に放置された車両の数々。そこら中に取り敢えず集められた無数にある瓦礫の山々……。
青木麻衣は、ハッピーアイランドが「戦場のような所」だと言ったけど、こここそが本物の戦場の跡地のようだった。
何処こにも人の姿が無い。まるで、時間が止まってしまったかのように静かな世界。そこを僕らは、自転車並みの速度で進んて行く。
すれ違う車は、さっきから一台も無かった。僕らの救いは、ずーっと前に小さく見える一台の青いワゴン車だけだった。
途中に小高い丘があって、そこを再び下ると、ナビが落ち着いた女性の声で、「イーストゲート州に入りました」と伝えてくれた。
どうやら僕らは、無事にハッピーアイランド州を出られたようだった。
だけど、まだ周囲の景色は何も変わっておらず、僕らは廃墟のような街を、ただひたすら南へと進んで行ったのだった。
END027
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「非日常な世界」です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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★★★
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(ジャンル:ローファンタジー)
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