026: 限界の夜
避難の為の荷造りは、まもなくして終わってしまった。母さんは、何十年も戻って来れないみたいな事を言っていたけど、だからと言って何から何まで持って行くってのは非現実的だ。だいたい、ミニバン一台に積める量なんて、たかが知れている。一緒に行く鯨岡家の三人や、緑川瑞希の荷物だってあるんだ。無駄な物なんて、持って行ける筈がないじゃないか。
それに考えてみると、僕が小学四年の時に家族でアメリカへ渡った際、こっちに残しておく荷物を母さんの実家に運んで、その大半が今もそのままなのだ。アルバムだって、こっちにあるのは新しいのだけ。しかも最近はデジタルだから、本当は紙に印刷したのなんて必要ない。
という訳で、最終的に僕の荷物は、大きめのスーツケースに段ボール一箱となった。母さんも僕と同じくらいで、ミニバンに積めるのは、それが限界という結論に収まったのだった。
★★★
荷造りを終えた後、再び僕は一階に下りて、リビングにあるテレビのスイッチを点けた。
テレビ画面には、もう見慣れた顔になってしまった枝松長官が、またもや会見を開いていた。どうせ、四号機の火災の件だろうと思っていると、案の状そうだった。
枝野長官の説明では、四号機も水素爆発だと言う。そして、その火災は今も続いているらしい。つまり、イルージョンの放出も続いているという訳だ。
更に、小規模の爆発だとはしたものの、二号機でも水素爆発が起こった事を枝松長官は認めた。朝の六時半だったと言う。
もはや僕は、「水素爆発だから、格納容器は壊れておらず、外にイルージョンは出ていない」だなんて理屈は、全く信じちゃいなかった。問題は、イルージョンの濃度だ。三号機の周辺で毎時四百ミリイル、四号機周辺で百ミリイルという高い値が観測されたらしい。
「イル」というのはイルージョンの略で、イルージョンが人体に与える影響度を表す単位だという。発電所内で観測されたそれらの値は、数時間そこにいただけでも身体にかなり深刻なダメージを被るレベルらしい。
枝松長官は、それよりもっと気になる発表をした。
現在、発電所から二十キロ圏内の人に退避勧告が出されているが、今回、新たに二十キロから三十キロ圏内にいる人にも、「建物から外に出ないように」という勧告を政府が出したと言う。
窓を閉じる、換気はしない、洗濯物は外に干さない、そして、できるだけ外気に触れない、外気を直接吸い込まない。
うちは新型発電所から四十キロの距離だから、それには該当しないが、それでも本当に大丈夫なんだろうかと疑ってしまう。
母さんはと見ると、再びパソコンに向かって何かを調べている。時折り小さな叫び声を上げたりして、見てると結構、異様だ。
良いな、母さんはパソコンがあって……。
僕は、そう思わずにはいられなかった。今は、何かをやっていないと落ち着かない。テレビをじっと見ているだけじゃ駄目なのだ。
再び電話の着信音が鳴って、今度は母さんが取った。
「なーんだ、菜摘ちゃん……。ええ、良いわよ。でも、気を付けて来るのよ……。うん、待ってるから。それと、お母さんいる? ふーん、そうなのね……。うん、代わってくれるかな……」
★★★
それから五分後、鯨岡菜摘と愛奈がやって来た。ほんの五秒の距離なのに、二人共すっごい重装備だ。
その二人の顔を見て、僕は何故か嬉しかった。いつも会ってるというのに、不思議だと思った。
菜摘は、僕の家に入ってくるなり、家にあるゲームの類を片っ端からやりたがった。いつもだったら、「何、こんなの」と馬鹿にするようなボードゲームでも、僕に勝とうと真剣になる。普段からテンションが高い奴だけど、今日の菜摘は、それに輪を掛けてハイテンションだ。妹の愛奈ですら、「お姉ちゃん、ちょっと変」と言い出す程だ。まるで、幼稚園の頃に戻ってしまったみたいだった。
だけど僕だって、たぶん、少しおかしいのかもしれない。普段の僕なら、そんな菜摘に振り回されるのは真っ平ごめんな筈なのに、今日は喜んで付き合ってしまっているからだ。
「瑞希も、ここに来ればいいのに」
何かの拍子に、菜摘が言った。
もちろん僕だって、そう思うさ。それに瑞希だって、退屈してるに違いないんだ。いや、それとも、さっきの僕がそうだったように、目に見えない何かに怯えて震えているのかもしれない。
「でも、ここまでは来られないよ。危ないよ、今は」
「そんでも瑞希は、樹が迎えに来るのを待ってるんじゃないの?」
そうかもしれない。いや、そうに違いない。きっと瑞希は、僕が来るのを待っているんだ。そして、僕と一緒に避難したがっている。
何故か、凄くそんな気がした。
瑞希の所に行ってやりたい。でも、僕だけじゃどうにもならない。
さっき、電話で翔太が言ったとおりだ。まだ中学生は子供、子供の僕には、何にもできやしない。
「母さん!」
僕は改めて母さんに、「いつ避難するか?」を問い掛けた。
母さんは、何も言わない。困惑している。今まで、僕に一度も見せたことの無い表情だ。
菜摘が、僕達親子をじっと見ている。そして、深く溜め息を付いた。菜摘のような女の子には、全然、似つかわしくない溜め息だった。
「ねえ、樹、もう少し待ってあげようよ。ねっ、トランプしよう。樹の番だよ。ほら、愛奈も待ってるよ」
僕は、菜摘に誘われるままに、トランプのゲームに興じるしかなかった。そういうフリをするしかなかった。
★★★
そうして、また一日が終わろうとしていた。
外は、再び闇に包まれる時刻になっている。雨戸の無い階段の上の窓から外を覗くと、いつの間にか雨は止んでいるようだった。西の方の雲の一部だけが、薄っすらと赤い。
「そう言えば、皆、お腹が空いたわよね?」
突然、母さんが聞いてきた。確かに、今日の僕は、朝、おにぎりをひとつ食べた切りだ。その後は、何も口にしていない。
菜摘に、「お腹、空いた?」と問い掛けると、「別に」と言う。愛奈はと見ると、大きく首を横に振っていた。「何か食べたの?」と訊くと、やっぱり、「別に」としか言わない。
不思議と僕もお腹が空いていなかったので、そのとおり母さんに答えると、母さんが突然、声を出して泣き出した。まるで、幼い少女のように泣きじゃくっている。
リビングのテレビは、消してあった。愛奈が怖がるからだ。その愛奈がさっき、こんな事を言った。
「もうテレビは嫌い。テレビは嘘ばっかだって、お母さんが言ってた!」
――大人は皆、嘘付きだ!
僕の頭に、そんな言葉が浮かんだ。確か、菜摘が言ったんじゃなかっただろうか? それとも、映画か何かのタイトルだったかもしれない。
母さんは、まだ泣いている。僕らは、そんな母さんを少し離れた所から見守っているしかない。
やがて、母さんが涙交じりに話し出した。
「情けない。もうお水が無いの。それに、お米だってあんまり残ってない。さっきブログを見てたら、今日から営業を始めたスーパーがあるみたいだけど、そこも午後三時で閉まっちゃってる。それに、こんな時に外なんか出たくない。それに……それに、そもそもこんな所で食事をすること自体、危険なのよ。食べ物に付着したイルージョンが、体内に入って来てしまうわ。今日は浮遊してるイルージョンの量がすごく多いらしいの。たぶん、家の中にまで入って来てると思うの」
母さんが、また泣き出した。下唇をギュッと噛んで、もう声は出さないものの、目から涙が止めどなく溢れ出ている。
「私、本当に情けないわ。食べ物が無いことが、こんなに情けないとは思わなかった。子供に何も食べさせてあげられないなんて、私、親として失格だ。ごめんなさい。ごめんなさい……」
菜摘が言った。
「葵さんは悪くないよ。葵さんはちっとも悪くなんかない。悪いのは、あの発電所だよ。それと首都電力、そして新型発電を推進した政府だよ、ねえ、樹だってそう思うでしょう。樹も何か言いなよ」
でも僕は、どんな言葉も思い付かなかった。僕は、母を慰める言葉を何も知らない。やっぱり僕は、まだまだ子供だ。
★★★
結局、この日は避難できなかった。
菜摘達はしばらくして家に戻り、母さんと僕は何も食べないまま、翌朝まで眠れない夜を過ごした。
僕は、瑞希に電話しなかった。
END026
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「出発の朝」です。次話から第六章になります。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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(ジャンル:ローファンタジー)
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