025: 迫り来る恐怖
そして、また朝が来た。震災五日目の朝だ。今日は外は曇りで天気が悪そうだ。でも、家中の雨戸を閉め切っているので、天気のことなんか、もう僕らには関係がない。
母さんは、「今日は、絶対に外に出ちゃ駄目!」と言う。
水が残り少ないと言いつつも、母さんは今朝もおにぎりを作ってくれた。それを無言で食べることで、今朝は珍しく家族一緒に朝食を済ませた。
「じゃあ、行って来るからな」
父さんは、昨夜の母さんとの言い争いをまだ引き摺っているのか、口数が少ない。僕の顔もほとんど見ずに出て行ってしまった。
取り残された母さんと僕は、避難の為の荷造りを始めた。
「ちょっと長くなりそうだから、色々と持っていかないとね。樹は、勉強道具と学校に関する物は全部持って行くのよ。私も大事なものは一応、持って行こうかしら。ひょっとすると、当分、戻って来れなくなってしまうかもしれないものね」
僕は、思い切って聞いた。
「当分って、どのくらいのこと言ってるの?」
母さんは、小首を傾げてちょっと考えてから、ためらいがちに答えた。
「十年、それとも二十年、いや、もっとかな」
寒気がした。
「アルバム、全部持って行こうか?」
母さんは、無言のまま頷いた。
「母さん、本当に運転、大丈夫なの?」
「うーん、たぶんだけど……。ネットを見てたら、海岸沿いの国道も、ヒカリ市の先はだいぶ整備されて、割と普通に通れるようになってきたみたいなの」
「それって、ヒカリ市内は整備されてないって事?」
「そうね。そこは、運次第だと思うわ」
「津波とかは心配じゃないの?」
「心配じゃないと言ったら嘘になるけど、気にしてたらキリがないもの。それよりも心配なのは、ガソリンの方。半分くらいしかないんだもの。できるだけ節約して、最短距離でトキオを抜けちゃいたいのよね」
つまり、トキオを抜けるまでは、給油が出来そうにないという事だ。いまの状況だと宿泊先もままないまま、最悪は車の中で寝泊まりする事にだってなりかねない。
普通の状態だったら、それでもトキオの知り合いを頼ればどうにでもなると思うんだけど、今はトキオの人だって計画停電とかで混乱している最中。とても他人の面倒を見てる余裕なんて無い筈。そうなると、浮浪者のような生活を余儀なくされかねない。
結局、何をしようとサバイバルなんだ。
★★★
母さんは、すぐにでも祖父母の家に向けて出発したいようだったけど、僕らはなかなか家を出られなかった。
「まだ連絡は無いの?」
「うん、無いみたい」
僕らが待っているのは、隣の鯨岡家からの返事だ。緑川瑞希の他に、鯨岡朱美さんと二人の娘が僕らと一緒に行く事になっている訳だけど、その朱美さんが最後にひとこと、どうしても夫の栄太に確認しておきたいと言うのだ。
『あの人、大人しい性格でしょう? 本当は、自分も付いて行きたいのよ。でも、仕事の事でふんぎりが付かないみたい。信用金庫の方は、今日から一部の支店をオープンするみたいだから』
だったら確認したって、どうせおじさんは行かないに違いない。大人は、いつも仕事が優先だからだ。うちと同じだ。朱美さんが何に拘っているのかが、僕には良く判らない。
僕がそれを口にすると、母さんが教えてくれた。
「朱美さんは、自分にふんぎりを付けたいだけなのよ」
「どういうこと?」
「それはね、朱美さんが栄太さんの事を見捨てられないってこと。もしここで朱美さんと子供達だけ逃げて、その後に何かあったら、今生の別れになっちゃう場合だってあるのよ。だから、そんなに簡単な事じゃないの。緑川さんの奥さんは、賢いわ。最初から自分にそれができないと判ってて、瑞希ちゃんだけ行かせることにしたのよね。みんな、それぞれに辛いのよ」
僕は、朱美さんらしくないと思った。朱美さんは、結構、何でもズバズバ言ってしまう物怖じしないタイプの人だ。一度でも自分が決めた事でうじうじ悩んでいる人だとは思えなかった。
「朱美さん、早く決めてしまえば良いのに」
僕がそう言うと、母さんが意外な事を言った。
「そんなに簡単なことじゃないわ。私だって同じだもの」
そうか、分かった。ずるずると出発を先延ばしにしているのは、本当は母さんの方なんだ!
「ねえ、母さんも父さんに電話してみたら?」
僕がそう言うと、「私は、良いわよ」と言う。まだ、昨夜の事を気にしているようだ。
そうこうするうちに、父さんの方が母さんの携帯に掛けてきた。そんなに長くない電話だった。
母さんは、短く相槌を打ったりしていただけなので、何を話していたのか僕には分からない。でも、最後に「待ってるから」と言って、その後にもう一度、「良いから、待ってるわ」と言った。
「お父さんの会社もね、工場でどうしても必要な人以外、避難したい人は避難してもらうことになったみたい。だったら、あの人も逃げれば良いのにね」
母さんは、独り言のように静かに話し出した。
「お父さんね、いきなり『何で、まだ居るんだ!』って怒鳴るのよ。今朝は、私達だけで行って良いなんてこと、ひとことも言わなかったくせにね。もう、いつも勝手なんだから……。あのね、今、四号機でも火災が発生したそうなの。それに、二号機でも今朝早く、ボンという音がしたらしいわ。それも、爆発だったみたい……」
母さんの話を聞いた後、すぐに僕はリビングに行ってテレビのスイッチを入れた。テレビでは、どのチャンネルも四号棟が燃えている映像を流していた。
今日は朝から避難する準備をしていて、僕がテレビを見るのは、これが初めてだ。それに母さんだって、今朝からパソコンを開いていない。
雨戸を閉めた薄暗いリビングに、ただテレビ画面だけが怪しく光っている。母さんと僕は、その画面の前で、しばらくの間、ぼんやりと佇んでいだ。
聞こえて来るのは、テレビの音声だけじゃなかった。ダダダダと雨戸を叩く音がする。いつの間にか降り出した雨が、急に激しくなったみたいだ。その音が、僕らの恐怖に拍車をかける。
迫り来る不気味な未来。得体の知れないドロドロとした恐怖。
そんなものを僕は、漠然と感じていた。そして、その間にもどんどんと時間が流れて行く……。
★★★
僕は、急に部屋の臭いが気になり出した。
昨日から雨戸を閉め切っているのだ。いくら三月でも、湿っぽくなって当然だろう。
そのうち、いても立ってもいられなくなった僕は、部屋の中をうろうろとし始めた。
そんな時、突然、家の電話が鳴った。
受話器を取ったのは僕た。そして、架けてきたのは金森翔太だった。
『よっ、樹。今、何処だ?』
「何処って、家だけど」
『やれやれだな。やっぱり、まだそこにいたか。そんな気がしたんだよな……。俺の方は今日の早朝、トキオに移動したぞ。今、伯父さん家なんだ。ガソリンが滅茶苦茶に際どくてヒヤヒヤだったんだ。そんでさ、残り僅か一キロって所で、結局エンスト。マジに参ったよ。うちの車、「エンストだから、持って行かないで下さい」って紙をフロントガラスに貼って、道路に置きっ放しにしてあるんだぜ。本当は駐車違反なんだけど、しょうがないよな』
翔太は、割と淡々と話していた。
「それで、そっちの状況はどうなんだ?」
『まあ、何とも言えないな。伯父さんの家、トキオだから計画停電があるんだ。その間、電気が無くなって何にもできん』
「やっぱり、そうなんだ」
『ああ、ひでーもんだ。と言っても、そっちよりはマシなんだけどな……。なあ、樹。こういうこと思わないか? 俺らが今まで当たり前にあるもんだと思ってたものが、本当は当たり前なんかじゃなかった。それがあるって、実は凄い事だったんだ。今回の震災でさ、そういうのを、すっごく思い知らされたよ』
翔太の言うことは良く判る。たぶん、ヒカリ市の人の誰もが、そう思ってるんじゃないだろうか?
『なあ、菜摘も瑞希も、まだそっちなんだろ?』
「ああ」
『宜しく言っといてくれよ。それと、逃げられたらマジで逃げた方がいいぞ。知ってるだろ、二号機と四号機の事? まあ、こんなこと言ったって迷惑だよな。お前らだって、どうせ親次第なんだろうし……。何か、俺にできる事あったら、やってやりたいんだけど、ちぇっ、何にも思い付かねえや。ごめん。やっぱ、俺らって、まだまだ子供なんだよな。こんな時、友達の為に何にもできないだなんて……、情けないよ、俺』
「良いよ、気持ちだけで。ありがとな、翔太」
『ああ。でも何だかな……。何か、皆がバラバラになっちまうのは、嫌だな』
「……」
『学校、楽しかったな。また教室で一緒にワイワイ騒ぎたいな……』
それからも、どうでも良い会話を繰り返した後、僕は翔太の連絡先を教えてもらった。僕の方も家の電話とは別の連絡先を訊かれたので、母さんの携帯の番号を教えておいた。もちろん、避難した場合という事だ。
最後に翔太は、『じゃあ、またな』と電話を切った。いつもと同じ軽い調子の別れだった。
電話を終えた後の僕は、途端に激しい疲労感に苛まれた。胸の中に重い何かがドスンと居座っている感じがして、凄く息苦しい。
僕は、何度も深呼吸を繰り返しながら、重い身体を無理やり動かして避難の為の荷造りを続けたのだった。
END025
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「限界の夜」です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
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★★★
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(ジャンル:ローファンタジー)
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
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