023: 瑞希の母からの申し出
「その事なんだけどね、樹くん。もし樹くんのお母さんにお願いしたら、本当に瑞希だけでも連れて行ってくれるかしら?」
僕に話し掛けてきたのは、運転席から降りて来た瑞希の母親の緑川由希さんだった。いつもは割とのんびりした感じの人なのに、今は妙に切羽詰まった様子なので、僕は少しびっくりした。
「もちろんです。大歓迎に決まってます」
そう答えながらも、実は母さんにまだ話していなかったのを僕は後悔していた。瑞希も一緒に連れて行く話、早くしておけば良かった。
ところが、思いがけない事に、隣にいた鯨岡菜摘が僕の味方をしてくれた。
「大丈夫ですよ、葵さんだったら、絶対に良いって言うに決まってます。実は、アタシも一緒に行く事になってるんです」
「えっ、そうなの? 菜摘ちゃんも一緒だったら安心だわ。瑞希って大人しい子でしょう? いくら樹くんと一緒でも、人の家に、この子一人だけだと心配だったのよ。二日や三日の修学旅行とかとは違うじゃない。たぶん、長くなりそうだし……」
「本当に、大丈夫です。安心して下さい。アタシもこの樹も、瑞希とは幼稚園の時からの幼馴染だし、兄弟みたいなもんですから」
僕は、自信たっぷりに言う菜摘の顔を見ながら、『お前とは、確かにそうだよな。』と思った。
昨日も平気で僕ん家に泊まって行ったし。だいたいこいつとは、確か五年生くらいまで一緒に風呂に入ってたぞ。その頃には、こいつ、もう胸が大きくなり掛けてて、僕が冗談で触ってやろうとしたら、凄い剣幕で怒鳴られて……。それからだったな、菜摘が一緒に風呂に入るのを嫌がるようになったのは。あの時、我慢しとけば、今でも一緒に……、いや、それは無いな……。
そんな昔のあれこれを思い出していたら、突然、菜摘の奴に睨まれた。
「早く玄関のドア開けなよ。瑞希のお母さんに、ちゃんと上がって行ってもらうの。どうせなら、今、葵さんと話を付けちゃった方が早いじゃない」
僕が鍵を開けるや否や、菜摘はまるで自分の家であるかのように、緑川親子を僕ん家の中へと招き入れて、大声で叫んだ。
「葵さーん、お客様でーす!」
菜摘の元気な声が、家中に響き渡る。中は暗い。即座に僕は、玄関の電気を点けた。
慌てて出て来た母さんは、お客さんの二人を見て困惑した表情を顔に浮かべている。瑞希と僕との関係は当然、どちらの親も知っている訳だから、母さんは僕らの間に何かトラブルがあったとでも思ったのかもしれない。
咄嗟に、昨日の公園での事が頭を掠めたけど、僕はその考えを一瞬で振り払った。
「こんな時に突然お邪魔してしまって、どうもすいません。ちょっとだけ宜しいかしら?」
由希さんが穏やかに話し掛ける。母さんは慌ててスリッパを出して、二人が着ていたコートを受け取ると、緑川親子を雨戸の閉め切った薄暗いリビングへと通した。
緊張した面持ちの瑞希が、僕の前を通り過ぎた時、彼女もまた由希さんと同じ香水を付けているのに気付いた。ずっとお風呂に入ってないからだろうか?
「樹、帽子にマスク、ゴーグルと襟巻とかは、ちゃんと玄関に置いておくのよ。あ、菜摘ちゃんも、宜しくね」
僕と菜摘が何気なく二人の後ろに付いて行こうとすると、母さんの鋭い声が飛んだ。家の中にイルージョンを持ち込まないようにという事らしい。上に羽織っていた白いウィンドブレーカーも、きちんと外で払って玄関の所のキャビにしまう。菜摘も僕にならったので、僕らは遅れてリビングに入った。
そして、その時には既に瑞希の母親の由希さんは、あらかた本題を話し終えていたのだった。
★★★
「もちろん、うちは全然問題無いですよ。たぶん樹が一番喜ぶと思うし、菜摘ちゃんや愛奈ちゃんだって大勢いた方が楽しい筈だから、大歓迎です」
「でも、そんなに大勢押し掛けちゃって、本当に大丈夫なんでしょうか?」
「あ、それも全然平気です。私、娘三人の長女なのに、こんな遠くに来ちゃったでしょう? 下の二人とは少し歳が離れてるんですけど、なかなか結婚しなくて……。それでうちの両親、どっちか一人は一緒に住んでくれるだろうと思って、二世帯分の大きな家を建てちゃったんです。そしたら、途端に妹二人の結婚が決まって、結局、揃って家を出て行っちゃって……。まあ、良くある話なんですけど、今は両親二人だけで住んでるんですよ。だから、使ってない部屋だらけなんです」
母さんの話は長い。でも、饒舌だったのはそこまでで、その後、急に声のトーンが下がった。
「でもね、うちの人が、『俺は、逃げられないから』って言うんです。それで今朝も、ちょっと気まずくなっちゃって……」
完全に大人の会話になってしまい、僕ら同級生はただ黙って聞いているしかなかった。
「それは仕方ないですよ。ご主人、工場のお偉いさんなんでしょう? だったら、工場を早く動かさなきゃならない責任がおありなんですよ。うちの旦那は市役所でちっとも偉くなんかないんですけど、昨日も今日も呼び出しを受けて役所に行きました。こういう時、役人は休んじゃ駄目なんですって。でも、本人も本当はこんな時に行きたくなかったみたいで、昨日なんか機嫌が悪くて大変でした」
瑞希の母親の由希さんは、そう言って溜め息を吐いた。僕は、昨日、瑞希が何度も「お父さんの機嫌が悪い」とぼやいていたのを思い出した。
「たぶん、うちの旦那、私がここから逃げると言うと、絶対に怒ると思うんです。あの人、本当は気が弱いんですよ。だから怖くて仕方がないんです。きっと、今夜は昨日以上に不機嫌だと思います。だって、三号機まで爆発しちゃった訳でしょう? でも、だからって娘は別ですから。これから赤ちゃんだって産まなきゃなんないんだし、やはり心配です。大事な一人娘なんです。この子だけは、何としてでも避難させてやりたいんです」
僕は、「赤ちゃん」という言葉を聞いて、思いの外に動揺してしまった。一体、誰との赤ちゃんなんだ?
「おっしゃること、良く分かります」
母さんは、僕のそんな心の動揺とは関係無く話を続けた。
「とにかく今夜、うちの人を説得してみます。そして場合によっては、私だけでも子供達を連れて実家に行くようにします。私、これでも運転は得意なんですよ。大丈夫、いざとなったら、一人でも運転できますから」
母さんが運転に慣れているのは、良く知っている。アメリカにいた時も、いつも運転していたからだ。でも、こんな時だし、道路状態もすごく悪い訳だから、さすがの母さんだって心配なのは間違いない。できたら父さんも一緒に行って欲しいんだろう。
「それより緑川さんの方こそ、ご主人、大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。最悪は勝手に瑞希を行かせちゃえば良いんだから。どうせ昼間は役所に行ってる訳だし、どうにでもなるわ」
そう言って笑う由希さんは、とても気丈な人に見えた。
「大丈夫じゃない。お母さん、きっと殴られちゃう」
それでも瑞希がボソッと口に出した言葉で、一瞬、全員が黙り込んだ。
「もしも、あの人が手を上げたりしたら、私、『瑞希を連れて家を出る』って言ってやるわ。そしたら、ビビって何もできないわよ。だから、ぜーんぜん平気」
そう言って、由希さんはケラケラと笑った。時折、瑞希が見せるあどけない笑顔に、とても良く似ていた。
END023
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「苦悩する母」です。
できましたら、次話も引き続き読んで頂ければ幸いです。
また、ログインは必要になりますが、ブクマや評価等をして頂けましたら励みになりますので、宜しくお願いします。
★★★
本作品と並行して、以下も連載中ですので、できましたら覗いてみて下さい。
(ジャンル:ローファンタジー)
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
https://ncode.syosetu.com/n9786lf/
また、ご興味ありましたら、以下の作品も宜しくお願いします。
【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~
https://ncode.syosetu.com/n6201ht/




