021: イルージョン
イルージョンが人体に与える影響には、未だに定説が無いらしい。イルージョンの粒子は、生物の細胞核に入り込んで細胞と遺伝子を破壊するとされてはいても、具体的な症状が判っていないのだそうだ。ロシアで新型発電所の事故が起こった時は、ロシアがまだ社会主義国だったこともあり、事故の情報公開がされないままに記録が散逸してしまったからだ。
イルージョンを体内に取り込んでも、一般的に、「直ちに症状は出る事はない」と言われている。それでは……。
――どのくらいの時間で症状が出るのか?
――その症状とは、具体的にどのようなものなのか?
――どのくらいのイルージョンを体内に取り込めば、症状が出るのか?
そういったごく基本的な事柄でさえ、ニホンの医者には知られていないのだ。
とはいえ、これまでの新型発電事業の歴史において、国内でも全く事故が起きなかった訳ではない。研究者や作業者が実験中に偶然、イルージョンを体内に取り込んでしまったといった事故は、過去に何回か発生している。公表されていないだけだ。そして、そうした不幸な人達の人体に起きた症状が記録として、どこかに保存されている筈だ。
しかし、それらの情報の全ては、残念ながら、限られたイルージョン関係者によって秘匿されているのが現状のようである。
★★★
震災四日目の朝、僕はまたも地震で揺り起こされた。
両腕を上げ大きく伸びをして薄目を開けると、やけに外が眩しい。目を擦りながら時計を見ると……、ヤバい、もう八時を過ぎてる。月曜から遅刻だなんて、もうマジかよ。
僕は慌ててベッドから飛び起きると、大急ぎで制服に着替え始めた。
「もう、母さん、何で起こしてくれなかったんだよ」
思わず叫んでみて、ハタと気が付いた。そうだ、そう言えば今日は学校、休みになったんだった。
『それなら、もっと寝よう』と、一度は思ったけど、これだけ外が明るくては寝る気にならない。しょうがないので僕は、クローゼットの中から適当に私服を選んで身に付けると、一階に降りて行った。
リビングでは、父さんと母さんが珍しく揉めていた。二人とも揃って機嫌が悪い。さすがに震災四日目ともなると、大人でも疲れてイライラしてくるんだろう。
部屋の中が暗い。「母さん、雨戸開けて来ようか」と僕が聞くと、「駄目よっ!」と強く止められた。
「雨戸なんて、開けちゃ駄目に決まってるでしょうがっ! イルージョンが入って来ちゃうじゃない」
母さんが言うには、イルージョンは非常に細かい粒子なので、ガラスぐらいだとすり抜けてしまうそうだ。金属製の雨戸とかコンクリートの壁とかの方が、すり抜ける量を減らせるらしい。
僕は、突然、そんなにも母さんがイルージョンに過敏な反応をするようになった事に、大きな戸惑いを覚えた。それに、父さんもまた、僕と同じように感じてるみたいだ。
「お前なあ、そこまで神経質にならなくても良いだろ。こんな暗い所に籠ってたら、神経の方が先に参っちまうぞ」
「あなたは、何にも分かっちゃいないのよ。子供は、大人よりもイルージョンの影響を受け易いの。少しは、樹のことも考えてやってよ」
うやって喚く母さんから逃れる為か、父さんはトイレに入ってしまった。十分くらいして出てくると、車の鍵を持って出掛けようとしている。
「父さん、今日も会社?」
「ああ、そうだよ。早く工場を動かさないと、仕事が無くなっちゃうんだ」
そう言って父さんが玄関のドアノブに手を掛けた時、母さんが大声で叫んだ。
「あなたっ! おトイレ、ちゃんと水で流してって言ったじゃない!」
「うるっさいなあ。そんなの、お前がやれば良いだろうが」
父さんは、そうやって捨て台詞を母さんに残し、さっさと玄関から出て行ってしまう。その後、すぐに車のエンジン音がして、父さんが出掛けたのが判った。
「もう、断水してからずーっと、おトイレ流すの私にさせるんだから。臭いったらありゃしない」
母さんは、ぶつぶつ文句を言いながら、ダイニングに戻って来た。当然、食卓の上には、おにぎりしかない。しかも、昨日の残りだ。さすがに食べる気がしなくて、僕はリビングのソファーに寝転がり、テレビのスイッチを点けた。
テレビの話題は、計画停電で持ち切りだった。様々な混乱が続いているが、まだ実施はされていないらしい。
三十分もしないうちに、飽きてしまった。そう言えば、隣の鯨岡菜摘と愛奈の姉妹が泊まってるんだった。母さんに「菜摘は?」と聞くと、すぐに「まだ寝てるわよ」と返事があった。
「でも、そろそろ起きてくるんじゃないかしら?」
時計を見ると、間もなく午前九時になろうとしている。昨夜は寝たのが遅かったと言っても、確か十一時前だった筈だ。という事は、あいつ、十時間は寝てるぞ。
『和室を覗いてみようか?』と思って、やっぱり止めた。菜摘に殴られたくはない。
それでも、あまりに暇なので、金森翔太に電話してみた。すると案の定、翔太も暇にしていたらしく、僕に『家に来ないか?』と言う。
『久し振りに、パソコンで例のゲームやろうぜ』
母さんに「行って良い?」と聞くと、「できれば、家にいて欲しいんだけど」と言われた。イルージョンが心配だからだそうだ。「まだ、大丈夫なんじゃないの?」と言ってはみたものの、現状を考えると、あまり説得力は無い。
それでも諦め切れずに、「このままじゃ、窒息しちゃうよ」と粘ってみた。そしたら、母さんの言うとおりの恰好をすることを条件に、何とか許可を得る事ができたのだが、その恰好とやらを母さんに聞かされる前に菜摘の奴が起きて来た。
僕が菜摘に、「愛奈ちゃんは?」と聞くと、「いない」と言う。
「いないって、何処に行ったんだよ?」
「そんなの知らないわよ。今まで寝てたんだもん」
そうやって開き直る菜摘を見ると、寝ぐせの付いたボサボサの頭に、当然ながら昨日と同じ服。大きく口を開けて欠伸なんかしている所は、どう見たってマヌケな女に見える。全く色気も何もあったもんじゃない。
「母さん、大変だよ。愛奈ちゃんがいないんだって」
僕が大声で母さんを呼ぶと、落ち着いた声が返ってきた。
「あら、愛奈ちゃんだったら、七時頃に起きて来て、おにぎりを三つも食べてから、独りでお家に帰って行ったわよ」
「やっぱり、愛奈ちゃんはしっかりしてるよな」
思わず口に出してから、しまったと思った。
「どうせアタシは、朝寝坊ですよーだっ!」
目ヤニの付いた顔で睨まれた。
ずっとお風呂に入っていない菜摘は、何となく臭う。僕が、『瑞希なら良いけど、菜摘だとちょっと……』なんて思っていると、母さんから菜摘に声が掛かった。
「菜摘ちゃんも、おにぎり食べる?」
「はーい、頂きまーす」
早速、両手でおにぎりを持って、大口を開けて食べ始めた幼馴染を見た僕は、女子の方が生命力が強い事を確信した。
「ねえ、樹、さっき誰に電話してたの?」
三つめを食べ始めた菜摘に聞かれた僕は、ドキッとした。
「誰でも良いだろ」
一応、強気に返事してみたものの、そんなんで菜摘が納得する筈が無い。結局、相手が翔太だと白状させられてしまった。
「なーんだ、翔太か。瑞希じゃないんだ。つまんなーい……。で、これから翔太の家に行くの?」
『何が、つまんないんだ』と思いつつ、「そうだよ」と答える。
せっかく、翔太のパソコンでエッチなゲームをやるのを楽しみにしてたのに、菜摘が来たんじゃ無理だ。『いっそ、瑞希も呼んじゃおうか』と思って電話してはみたけど、誰も出なかった。
それで、仕方なく僕は、菜摘と二人で翔太の家に向かう事になったのだった。
END021
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「三号機爆発」です。
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(ジャンル:ローファンタジー)
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