002:ミモザの木
ミモザって木、知ってるかな。庭に植えておくとどんどんと成長して、春にイエローの小さなボンボン状の花をいっぱい付ける木なんだけど。ほら、中学からの帰り路、最初の曲がり角の家のお庭にもあっただろ? マメ科だから細長くて丸い小葉がいっぱい並んだ、一年中ふさふさした柔らかい感じの葉っぱの木……。
ハッピーアイランド州ヒカリ市にあった僕の家の庭には、それはもう見事なミモザの木があったんだ。その木は、我が香山家にとっては自慢のシンボルツリーでね、イエローの花を満開に咲かせた姿は、近所で評判になる程に圧巻の眺めだったんだよ。
ミモザの木の下には、ちょうど手頃な大きさの丸テーブルと椅子が置かれていてさ。うちの母さんは、そこで色んな人達とお茶を飲んだりお菓子を摘まんだりして、午後のひと時をまったりと過ごしてたんだ。
庭の端にはレンガ作りのコンロがあって、春先からはバーベキューとかも頻繁にやってたな。お肉をジュージューと焼いている内に、いつの間にか匂いにつられた近所の子供達が大勢集まって来ちゃって、自然と盛大なパーティになったもんさ。
僕はね、よちよち歩きの頃から、その木の回りで良く遊んでいたんだ。大きな枝に自家製のブランコが吊るしてあって、ちっちゃい頃の僕が座ると、母さんが背中をそっと押してくれたっけ。
でも、隣の家には僕より一回り身体の大きな鯨岡菜摘って子がいて、僕がブランコで遊んでいると、すぐにやって来て取り合いになっちゃう。そのうちケンカになると、泣かされるのは決まってこの僕の方。とにかく、女の子のくせに乱暴な奴でさ。ホント、困った奴だったな。
その菜摘はさ、幼稚園に上がると今度は木登りに夢中になって、いつも両家の親達をヒヤヒヤさせてたよ。
その後、僕も菜摘の真似をしてミモザの木に登るようになったんだけど、その頃になると、近所の同じ年頃の子供達が仲間に加わるようになっててさ。僕の家の庭は、この界隈でも特に広い方だったから、子供達にとっては恰好の遊び場だったんだ。
ちなみに、僕の家があるセンターヒルズニュータウンは、ハッピーアイランド州ヒカリ市随一の高級住宅地と言われていたんだ。そのニュータウンは、ヒカリ市のほぼ中央にある丘陵地帯を造成した巨大な団地で、ショッピングセンターや幾つかの病院、三つの小学校と二つの中学校、そして高校から大学までもがあって、まるで小さな町のようだったな。
団地というのは、辺りに同年代の子供が多く集まるもんでさ、僕の場合も近所に幼馴染の友人がたくさんいたんだ。皆、幼稚園からず-っと一緒の奴らで、中学生になっても、すっごく仲良しだった。その点、僕の子供時代は、とっても恵まれていたんだと思う。
まあ、唯一の難点は、隣の家の鯨岡菜摘だったかもしんないな。よちよち歩きの頃から僕らは何かといがみ合ってばかり。きっと、犬猿の仲って奴だよ。でもさ、突っかかって来るのは、いつだって菜摘なんだ。あいつは、とにかく乱暴な女の子だったんだ。
★★★
三月の忘れもしないあの日の朝、その菜摘がうちの勝手口からひょっこりと顔を出して、大声で叫んだ。
「葵さーん、大変だよー!」
葵というのは僕、香山樹の母さんの名前。小さい頃から菜摘は母さんのことを、そうやって名前で呼ぶ。僕も菜摘のお母さんのことは、「朱美さん」と名前で呼んでいる。きっと、両方の母親が自分達を「おばさん」と呼ばせたくなくて、そうさせたんだろうと思う。
「どうしたの、菜摘ちゃん? そんなパジャマのままで」
三月の朝はまだまだ寒いから、母さんの言葉は菜摘の身体を気遣っての注意だったんだろう。
「だってえ、大変なんだよ。ちょっと外に出て、見てみてよー」
うるさい菜摘に急かされて、僕の目の前で一緒に朝食を取っていた母さんが、やっと重い腰を上げた。そして、勝手口の方へゆっくりと歩いて行くと……。
「あらまあ!」
今度は、ちょっと間が抜けた母さんの声が響いた。
「いったい何てことなの、これは……」
その時の僕は、あらかた学校へ行く準備を終えており、食卓テーブルに着いて、のんびりとトーストなんかを齧っていた。それに僕の視線はテレビのスポーツニュースの方に釘付けだったから、母さんと菜摘のやり取りなんか正直どうでも良かったんだ。
僕の左側、庭に面した窓にはレースのカーテンが掛けてある。ようやくテレビ画面がコマーシャルになった時、窓の向こうに母さんと菜摘が薄っすらと見えた。僕はトーストの最後の一切れを口の中に放り込むと、その白いレースのカーテンを一気に引いてみた。
途端に眩しい朝の陽射しが部屋の中に飛び込んで来て、僕は反射的に目を眇める。最初に僕の目に映ったのは青く澄んだ空だった。でも、ゆっくりと視線を落として行った時、突然、庭の中央に生まれた巨大な謎の物体を見付けて、唖然としてしまったんだ。
僕は、窓ガラス越しに五秒間ぼんやりとそれを眺めてから、急いで外へと飛び出して行った。
その時、僕の目の前にあった物は、幹の中央から真っ二つに裂けてゴロンと庭の中央に転がった、大木の無残な半身だったんだ。
そのミモザの一部だった残骸は、一夜で生まれた巨大な茂みにも見える。あと一週間もすれば花が咲く状態だったから、小さな黄色い花の蕾を無数に纏っていて、まるで神様が金粉を万遍なく振り掛けたみたいだ。その金粉が朝の強い陽射しを浴びて輝く様は、何やら未知の物体にすら感じられる。
残されたミモザの木の本体はと言うと、身体の大半を失ってしまって淋しそうだ。それに、どうにも形が歪で情けない姿に見えてしまう。以前の堂々とした大木の佇まいを見慣れていただけに、それが残念で仕方がない。
ふと足元を見ると、そこにはブランコのロープと台座が落ちている。僕は溜め息を吐いてから、それらを拾って、庭の隅にある物置の中に運んで行った。
戻って来た僕は、立ち尽くす母さんと菜摘の隣に並んだ。そして、再度ミモザの木が裂けた部分をじっと見詰めると、今度は床に横たわった巨大な残骸の周囲をグルっと回ってみた。
「うっわあ!」
僕が菜摘の隣に戻った時、背中から聞きなれた女の子の声がした。咄嗟に後ろを振り向くと、そこにいたのは別の幼馴染の少女。彼女は両手で大きく開けた口を塞いで、両目を最大限に見開いたまま、庭の奥にあるミモザの残骸をじっと見詰めている。
「それじゃ、アタシ、家の中に入るね。さすがに、この恰好じゃ寒くなってきたからさ」
視界の隅で、菜摘が隣の家へと戻って行く。足元は裸足にサンダルだ。さすがの菜摘も、これじゃあ寒いわけだ。
「樹も、あんまり時間は無いからね」
母さんもまた、そんな捨て台詞を僕に残して、いそいそと家の中に引き上げて行ってしまった。
どうやら、二人に気を使わせてしまったみたいだ。
母さんと菜摘が居なくなると僕は、今しがた現れた幼馴染の子の方へ近寄って行く。そして、いつものように「おはよう、瑞希」と声を掛けた。
その声で小さくビクッと身体を震わせた瑞希は、ゆっくりと僕の方を向いて笑顔になる。僕が大好きな瑞希のとびっきりの笑顔……。
「おはよう、樹くん」
こうして瑞希が僕の名前を呼んでくれる時、僕は最高に幸せだと思う。
この時だけは、さっきのミモザの木の事とかだって、完全にぶっ飛んでしまっている。
だって、この瑞希は、僕のサイコーに可愛い彼女なんだから……。
END002
こちらは、本日二話目の投稿になります。
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
できましたら、次話も引き続き宜しくお願いします。
★★★
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