018: 忍び寄る災厄
「ただいま」と言って家の中に入って行くと、さっき汲んで来た水を、車から降ろしておくようにと母さんに言われた。その母さんは、相変わらずノートパソコンと睨めっこをしている。
仕方なく僕は、母さんに言われた作業に取り掛かった。そうして、全部の水を車から降ろし終えた僕が、リビングで休んでいると、隣の鯨岡朱美さんがやって来た。
「さっき、菊池先生から電話があってね、学校の休みが水曜まで延期になったんですって」
菊池先生に、『香山くんの家はお隣ですし、ついでに伝えておいて頂けませんか?』と言われたらしい。僕は、『面倒くさがりのリカちゃんらしいな』と思った。
「その菊池先生がね、『ここだけの話なんですけど、たぶん、このまま春休みになると思います』なんておっしゃったのよ。葵さん、どう思う? それって、学校の校舎が相当ダメージを受けているって事かしら? それとも、例のイルージョンって奴?」
母さんは、即座に答えた。
「両方よ」
母さんの断定的な口調に、朱美さんが一瞬、たじろいだように見えた。
「まずは校舎のダメージの方だけど、うちの樹の話だと、三階は天井も壁も大変な状態だったみたいじゃない。あの中学校って、まだ出来て十年も経ってなかったわよね。いくら強い地震だからって、そんな新しい建物でそんな事になるもんかしら?」
確かに、僕らが通うセンターヒルズ南中学校は、来月でやっと創立十周年を迎える比較的新しい学校だ。センターヒルズの分譲が始まった時点から計画にはあったそうなんだけど、分譲が進まないうちは生徒数が足りなくて、市が建設を見合わせていたのだ。だから、その当時の生徒は自転車に乗って北中学校まで通っていたらしい。
「そういや、前の市長って、色々ときな臭い噂があったもんね。ここのセンターヒルズニュータウンの分譲事業に絡む汚職の話だって、何度か取り沙汰されてたから、それに関連してるのかもしれないわね」
「たぶん、そうよ。今度の地震でケガ人とか出なくて、良かったと思うわ」
「本当にそうよね……。あ、それで、イルージョンの方なんだけど、ここって、新型発電所から四十キロも離れてて、避難区域にもなっていないわよね?」
「たったの四十キロしか離れてないのよ」
「えっ?」
母さんは、きょとんと固まってしまっている朱美さんに、ネットで取り交わされている新型発電所の情報を、分かり易く噛み砕いて説明した。
途中まで聞いた朱美さんが口を挟んだ。
「うーん、なんか俄かには信じられない話ね。もちろん、頭の良い葵さんのことだから、根拠のある事なんでしょうけど……」
「避難の理由としては、もうひとつあるのよ。新型発電所が止まっちゃったから、今、首都圏では電気の供給が不足してるじゃない。だから、停電に備えて懐中電灯とか乾電池とかが売れてるらしいんだけど、その人達が一緒にインスタント食品とかも買い漁ってるみたいなの。そうなると、ますますこっちに食糧が回って来なくなるわ。飲み水だって不足してるわけだし……、逃げられるんだったら、今のうちに逃げちゃった方が良いのよ」
食べ物が無くなるという話に、朱美さんは相当なショックを受けたみたいだった。
「それにね、政府が支援の食糧とかを運ぶにしても、たぶん、もっと北の方とか内陸の地方が先になる筈よ。ハッピーアイランドの海沿いには、運送会社がトラックを送らないわ。あの発電所の爆発を見ちゃった人には、この辺に来るのは恐怖なのよ」
「でも、それが仕事なんじゃ……」
「仕方ないわよ。トラックの運転手にだって、皆、家族がある訳だし、誰だって自分の身が惜しいもの」
「ええ-っ、だったら、うちらは、これからどうなっちゃうわけ? 政府は何にもしてくれないって言うの? うちらは見捨てられちゃったってこと?」
叫び声を上げたのは、いつの間にか来ていた菜摘だった。
いや、菜摘だけじゃない。その隣には、菜摘の妹の愛奈がいて、今にも泣きそうな……いや、泣き出した。
「こらっ、菜摘。あんたが素っ頓狂な大声出すから、愛奈が泣いちゃったじゃないのっ!」
朱美さんが、愛奈を抱き上げてあやしながら菜摘を叱った。
「違うじゃん。葵さんが怖いこと言うからじゃない」
「葵さんは穏やかに話してたわよ。大声を上げたのは菜摘なんだから、謝りなさい」
朱美さんの有無を言わさぬ口調に、さすがの菜摘もシュンとなって、小声で「ごめんなさい」と言った。
「良いわよ、菜摘ちゃん。菜摘ちゃんも怖くなっちゃっただけだものね……。皆、本当は怖いのよ。大人も子供も」
「そうね」
母さんにそんな風に言われると、朱美さんも頷くしかない。僕らは皆、被害者なのだ。
「ねえ、テレビ点けて良い?」
僕は、何気なく口にした後で、すぐに「しまった」と思った。何となく暗くなってしまった雰囲気を変えようと思ったのだが……。
「良いわよ。でも、どうせ震災関係の情報しかやってないわよ」
僕が思った事そのままを、母さんに言われてしまった。それでも、一応スイッチは入れてみた。
若い女子アナが、新型発電所から二十キロ圏内の人達が入っている避難所の様子を紹介していた。たぶん、地方局の女子アナなのだろう。話す言葉が少しなまっている。
「あの人達と比べると、うちらはまだ恵まれている方ね」
朱美さんがしんみりと言うと、すかさず菜摘が、「そんなこと判んないじゃん」と否定した。
「だって、新型発電所には、まだ二号機から四号機まであって、その内のどれが爆発してもおかしくない状態なんでしょう? それって、明日は我が身って事なんじゃないの?」
姉の尖がった口調を聞いて、やっと泣き止んだばかりの愛奈が、今度は僕にしがみ付いてきた。僕は、「よしよし」と頭を撫でてやる。菜摘より細い髪の毛の感触が心地良い。
テレビ画面に、いつもの枝松長官が現れた。時計を見ると午後三時半。ちょうど会見が始まる所だった。
その会見で枝松長官は、発電所の状況についての細かい事柄を長々と話した後、突然、メルトダウンの話題に触れた。
現在の状態は、『燃料棒の一部が圧力容器内で変形している可能性は否定できないものの、燃料棒が露出した状態がそれほど長く続かなかったことから、まだメルトダウンには至っていないと判断できる』との事だった。
「そういえばこの人、記者会見だと、いつも出て来るわね」
「だって、内閣官房長官ですもの。それが仕事でしょう?」
「でも、一日に何回も記者会見をやるって、大変なんじゃないの? 夜中もやってるんでしょう? 寝る時間が無いじゃない」
「ネットにも、そういう意見が多いわよ。皆、この人には割と同情的なの。でも、菅野総理に対しては、厳しい意見が多いわね」
「あの人なら、あたしも嫌いだわ。なんか、偉そうなんだもの」
母親達の会話は延々と続きそうだったので、僕はトランプを探しに二階へ上がって行った。
僕が何とか押入れの奥から探し出したよれよれのトランプにも、愛奈は飛び上って喜んでくれた。菜摘の方は露骨に嫌な顔をしたので、僕は愛奈と七並べを始めた。
だけど、すぐに菜摘も加わってきて、結局、最後に一番熱くなっていたのは菜摘だった。『やっぱり、こいつも随分とストレスが溜まっていたんだな』と、僕は思ったのだった。
END018
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「おにぎりパーティー」です。
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