106:新しい未来
この奇妙な僕の物語は、ようやく冬が終わって温かくなりかけた頃に始まり、夏の終わりと共に終わった。その間、まずは梅の花が咲いて、ミモザの花が咲き、サクラ、ツツジがそれらに続いた。紫陽花が咲く頃には、僕はナコヤに引っ越していた。
やがて夏休みになって、僕が引っ越してから二度目にハッピーアイランド州ヒカリ市を訪れて、それからトキオでを経て再びナコヤへと戻った時、祖父母の家の庭には、コスモスの花がちらほらと咲き始めていたんだ。
最近は、雨ばかりが続いている。秋の長雨という奴だ。僕は、傘も持たずにふらりと校庭の方に歩いてゆく。そして空を仰ぎ見る。
灰色の雨雲が空全体を覆っていた。
この世界は以前のままだ。何も変わりはしない。きっと変わってしまったのは僕の方だ。
イルージョンというのは、やっぱり幻だったのだと思う。ハッピーアイランドにいた人達だけが見た幻……。
世界は、あんな事件とは一切の関係も無しに、今まで通りにずっと続いて行くんだ。
僕が大好きだった初恋の少女は、この世界から居なくなってしまった。
でも、僕は、この現実の世界で生きて行くしかない。あの日、僕は瑞希と約束したんだ。これからは、どんな事があったって僕は、絶対に瑞希との約束を破ったりしない。
それに最近の僕は、それなりに頑張ってもいるんだ。
ここナコヤでの高校受験はハッピーアイランドよりも厳しくて、僕には震災のハンディキャップがあるから、いっぱい頑張らないといけない。
前は瑞希と一緒の高校へ通う事を夢見て頑張っていたけど、今は瑞希との約束を守る事が僕の頑張る動機になっている。
僕は、こっちの世界で一生懸命に生きて行く!
★★★
今日の雨は冷たい。心まで冷やしてしまう雨だ。
「もう、樹くんったら、何ぼんやりしてんのよ。ああもう、雨に濡れちゃってるじゃない!」
その時、サッと僕の頭上に傘を差すなり喚き出したのは、田中美佳。僕にとっては、少々お節介で口煩いな女の子だ。
「樹くん、傘、持って来てないの? あ、ひょっとして、自転車通学だから雨合羽って奴?」
確かに傘は持ってないけど、正直、雨合羽も着たくない。
「あれっ、泣いてるの?」
「あ、いや、何でもない。雨に濡れただけ」
「そう。そんなら良いけど……。ねえ、せっかくだから一緒に帰ろっか?」
「でも、僕、自転車だよ」
「そっか。じゃあ、自転車置き場まで一緒に行こうよ」
自転車置き場に着くと、結局、僕はそのまま自転車を押して美佳と一緒に歩く事になった。美佳の家は通学路の途中なので、そこから自転車に乗れば良い。
僕がそうしたのは、雨合羽を着るのが嫌だったからだ。『美佳の家まで行く間に、雨が止んでくれるかも』っていう希望的観測を持っていたせいでもある。
美佳は、何だか嬉しそうだ。何となく僕が憂鬱な時に限って、このお節介な女は、こういう笑顔になる。
「もう、ホントにどうしたのよ? 樹くん、さっきから溜め息ばっかりじゃない」
相変わらず美佳は、僕の気持ちなんてお構いなしに喋ってばかりだ。でも、彼女の横顔を覗いてみると、いつもとは少しだけ様子が違う。
「ねえ、樹くんにとっての私って、前の彼女さんの代わりでしか無いのかな?」
僕は一瞬驚いて、再び彼女をチラッと見た。だけど、それが美佳には頷いたように見えたみたいだ。
「バーカ、本当でも頷いたりしないの! 余計に傷付いちゃうじゃない。私だって女の子なんだからね」
美佳は、そう言いつつも笑っている。いつもの無邪気であどけない笑顔だ。この笑顔は、ちょっとだけ瑞希に似ている。僕が大好きだったあの笑顔……。
そんな事を思っているうちに、僕らは美佳の家の前まで来ていたようだ。
雨は、まだ降っている。しかも、さっきより大振りになったみたいだ。
その時、またもや美佳が話し掛けてきた。
「ねえ、香山くん。ちょっとだけ、うちに寄ってかない? うちで宿題やって行きなよ。そしたら、その間に雨が止むかもよ」
それが意外と素敵な案だと思えた僕は、素直に彼女の誘いに乗る事にした。
★★★
最近の僕は、割と頻繁に田中美佳の家に来ている。そのせいでクラスメイトの中には、僕らが付き合ってると思い込んでる奴らが多い。でも、実際は一緒に勉強しているだけなんだ。
なにせ僕らは受験生。そして美佳は、悔しいけど常に学年で一桁上位の優等生だ。「一緒に勉強しよう」って誘われたら、僕にとってはメリットしかない。
ところが、今日は雨で僕の気分が沈んでたせいだろうか、妙に美佳が絡んで来る。しかも、話題の中心は、あの日に消えてしまった僕の彼女、緑川瑞希の事だった。
当然、瑞希の事となると、僕は平静じゃいられない。それなのに美佳って奴は聞きたがる。
以前の彼女だったら、ここまで踏み込んでは来なかった筈。だけど、今日の美佳は積極的っていうか妙に真剣で、それで僕も次第に気を許しても良いって感じになって行ったんだ。
「ねえ、話してみてよ。その子のこと全部。こないだは最近の話だけだったでしょう。私は全部を知りたいな。その子と出会った時からの事すべて。そうすれば、樹くんも少しは心が楽になるかもよ」
相変わらず、彼女の部屋は居心地が良い。女子にしては割とシンプルな、それでいて、どこか温かい感じがする部屋……。
その部屋で僕は瑞希との物語を、ゆっくりと語り出そうとしたんだけど……。
出会いの場面、いや、あの日、瑞希との約束を僕がすっぽかした公園を思い浮かべた途端、僕の目から涙が溢れ出していた。
そんな僕の様子を見かねてか、美佳が優しく言った。
「ねえ、辛かったら、話さなくても良いんだよ」
だけど、僕は首を横に振って、それを否定する。
「ちゃんと話すよ。じゃないと、僕は前に進めない気がするんだ。長い話になると思うけど、聞いてくれるかな?」
もちろん、彼女は頷いてくれたけど、少し硬い表情だった。
だけど、それを見なかった事にして、僕はポツリポツリと語り出す。
「僕には、幼馴染の友達が四人いたんだ。皆、とっても素敵な仲間達だった。そのうち男は一人だけで、僕の一番の親友の金森翔太。残りの三人は女の子なんだけど、一番に頼りになるのは、青木麻衣って子でさ。勉強も運動も出来て……、麻衣は翔太の彼女なんだけど、ちょっと美佳に似てるかもな」
麻衣が似てると言った所で、美佳が少しだけ微笑んだ。
「それから、緑川菜摘なんだけど、こいつは僕ん家の隣に住んでる、僕が生まれた時から一緒だった奴でさ。ちょっと乱暴なんだけど……、でも、根はとっても良い奴だった……」
「だったって……」
「ああ、瑞希と一緒に、別の世界へ行ってしまった」
「てことは、その瑞希って子が……」
「うん、緑川瑞希が僕の初恋の相手で、彼女だった女の子だよ」
どうやら、長い話になりそうだ。
「僕が瑞希と出会ったのは家の近くの公園の砂場でさ……」
そうして、二時間以上を掛けて僕が全部を話し終えた時、美佳がポツンと言った。
「それで樹くん、最後に瑞希って子には会えたんだよね?」
「ああ」
でも、瑞希は消えてしまった。僕のこの腕の中で……。
「そっか」
美佳は、そこで少し考えてから先を続けた。とても優しい声音だった。
「あのさ、私には何も出来ないよ。だって、樹くんの過去は樹くんだけのものだもの……。私に出来るのは、樹くんが望む限り一緒にいてあげることだけ」
美佳が笑った。ほんの少しだけ、好きだった瑞希の笑顔と重なって見えた。
「私は、一緒にいるよ。これからもずっと、いつまでも……」
ALL END
このお話は、これにて完結になります。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
尚、ストーリーの関係上、止むを得ない事ではありますが、一部の方にご不快に思われる表現等ございましたらお詫び申し上げます。
★★★
本作品と並行して、以下も連載中ですので、できましたら覗いてみて下さい。
(ジャンル:ローファンタジー)
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
https://ncode.syosetu.com/n9786lf/
また、ご興味ありましたら、以下の作品も宜しくお願いします。
【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~
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