102:ハッピーアイランドへようこそ
僕は、以前に通っていたセンターヒルズ南中学校の校庭に、一人でじっと佇んでいた。目の前には、眩しく光る銀粉が振り積もった空間が広がっている。
やがて僕の耳に、けたたましいヘリコプターの音が近付いて来た。そのヘリが行っているのは、この土地にイルージョンの粒子を固着させる為の微細な粉の散布。その結果が、目の前の校庭に積もった銀色の粉なのだ。
そのヘリの音が徐々に大きくなって、やがて耳を塞いでいたくなる程の音量になった時、僕はハッキリと悟った。
やっぱり、ハッピーアイランドは、政府から見捨てられていたんだ。
「香山くん、そんな所に何時まで突っ立ってるつもり? 今日は、とびっきりイルージョンの濃度が高いみたいだから、そんな恰好でぼんやりしてると、直ぐにあっちの世界に行っちゃうよ。ほら、これ身に付けな」
その時、僕に近寄って来たのは、菅波奈々子だった。その彼女は、さっき僕が脱ぎ捨てた白いウィンドブレーカーと手袋を手渡してくれる。
僕は、それらを念入りに払ってから身に着けた。更に、背中のリュックから新しいマスクを出して装着し、最後にポケットに仕舞ってあった黒いサングラスを掛けた。
「あはは、その恰好だと、いっぱしの不審者だねえ」
「お前だって、人の事は言えないだろ」
菅波の方も相変わらずイルージョンの防備の恰好で身を固めていて、見るからに暑苦しそうだった。
その菅波もサングラスはしている。そっちはイルージョン対策というよりは、単純に眩しいからだろう。
「まあでも、お前が無事で良かったよ」
「一応わね。でも、もう相当やられてて、そろそろ限界かもしんないよ」
菅波は、そう言って苦笑いをした。
「秀じいはどうしたんだよ?」
「まだ消えてはいないけど、もう死んじゃった婆ちゃんしか見えてないみたいなの。てか、死んじゃった人が見えるってのも可笑しな話なんだけどさ……。とにかく、アタシの役目は終わったんじゃないかな」
「そっか」
僕は、菅波の顔を見て言った。と言っても、サングラス越しの目しか見えないけど……。
「だったら、僕と一緒に来るか?」
菅波の顔に、マスクとサングラス越しでも分かる笑みが浮かんだ。
「アタシ、あんたの彼女の代わりってわけ?」
「違うさ。菅波は菅波だろ。お前は僕の大切な友達だ」
「そっか。香山くんも、アタシの大切な友達だから、一緒に行ってやろっかな」
僕らは、スクーターが乗り捨ててある校舎の昇降口までゆっくりと歩いた。そこに着くと、タンデムシートに積もった銀粉をサッと振り払い、括り付けられていたヘルメットのひとつを外して菅波に渡す。彼女は前にも乗った事があるのか、慣れた様子でシートに跨った。
それを見た僕もヘルメットを被り、同じようにドライバーシートの銀粉を払って、そこにおもむろに腰かける。そして、ゆっくりとスクーターを発信させた。
だけど、しばらくして僕はスクーターを停めた。そこは、僕ん家の近所の公園だった。
「どうしたの?」と菅波が訊いてくる。
「あ、いや、ちょっとね」
「ふふっ、ここで香山くんと何度か会ったよね」
本当は、それだけじゃない。ここは、僕が最初に緑川瑞希と出会った場所だったんだ。
それに、いつまで待っても来ない僕を、ずっと瑞希が待っていた場所でもある。
僕は、菅波の問い掛けには答えずに、じっと砂場の方を見た。だけど、今は何処も彼処も銀色の粉で覆われていて、何処が砂場なのか見分けが付かない。
僕は菅波に、「行こっか?」と言って、彼女の返事を待たずにスクーターを発信させた。
センターヒルズ南小学校の辺りまで来た時、僕は後ろの菅波に大声で言った。
「もっと、ちゃんと掴んでないと危ないぞ」
「わ、分かった……。これで良い?」
珍しく女らしい声が返ってきた。直後に、彼女の細い腕が僕の腰に回される。何となくこそばゆいけど、自分で言い出した事なので我慢した。
今度は、菅波が声を掛けて来た。
「ねえ、香山くんがバイクとか運転するなんて、全然、知らなかったわ」
「あはは。僕も初めてなんだ」
「そうなの? でも、割と運転が手慣れてると思うんだけど」
「いや、半日、練習しただけだよ。菊池先生に教えてもらったんだ」
「えっ、まさか?」
「本当だよ。菊池先生、『こんなのは小学生でも運転できる』って言うんだ」
「うわあ、学校の先生が言う言葉じゃないね」
「だろ? あの人、レディースのチームに入ってたみたいでさ……」
「えっ、それマジ?」
それから僕らは、割と良く喋った。菅波も、珍しく饒舌だった。今まで話す相手がいなくて、きっと胸の中で言葉が溜まりに溜まっていたんだろう。
「菅波、この世界は、やっぱり嘘っぱちの世界だよな?」
「そうよ。世界は幸せばかりじゃないもの。きっと、ハッピーアイランドなんて、最初から無かったのよ。たぶん、みーんな夢を見ていたんじゃないかな」
そうだ。全ては夢だったんだ。僕が生まれてから続いていた、長い長い夢……。
僕にとっては幸せな夢だったけど、菅波のはどうだったんだろう?
「素敵な夢だったわ。優しい祖父母に両親、お兄ちゃんとお兄ちゃんに囲まれて、本当に幸せだった……。でも、そろそろ卒業しないとね。アタシ、頑張るよ」
「ああ、頑張れ!」
頑張って、本当の世界で生きて行くんだ!
だって、瑞希と約束したんだから。あっちの世界で一生懸命に生きて行くって。
僕はもう、絶対に約束は破らない!
僕は、「本当の世界」に向かって慎重にスクーターを走らせて行った。
★★★
ヒカリ市からの帰路は、とても順調だった。途中、全く別の車とは出会わずに、行にも通った山間の脇道に入る。そうして上手く検問を回避し、何事もなくハッピーアイランド州を出て国道六号線に入る事が出来た。そこから神永さんの経営するコンビニまでは、数百メートルの距離だ。
直ぐに、見慣れたコンビニの看板が見えた。最後に左折して駐車場にスクーターを停めると、最初に神永さんが、いつもの人懐っこい笑顔で出迎えてくれた。スクーターを下りた僕は、ヘルメットと手袋を外して、彼と握手をする。ごつごつした温かい手だった。
「おかえり、樹くん」
青木麻衣の声がした。
「良かったあ、香山くんが無事で帰って来てくれて……」
リカちゃんの声がした。
二人とも、瑞希や菜摘の名前は出さない。僕が連れて帰らなかった事が全ての答えだからだ。
僕がついさっき失ったものの大きさと重さを、この二人はきちんと理解してくれている。そんな不思議な安心感があった。
唯一、神永さんだけが怪訝そうな顔だったけど、直ぐに状況を察してくれたようだった。
「あれっ、菅波さんだよね? 来てくれたんだあ!」
突然、リカちゃんが大声を上げた。
「うわあ、ありがとう、菅波さん。私の大切な生徒が一人でもこっち側に来てくれて、本当に嬉しい……」
リカちゃんが菅波奈々子を両手で抱き締めた。と言っても菅波の方が背が高いので、単にリカちゃんが抱き付いたようにしか見えない。
だけど、そのリカちゃんの頬は、いつの間にか濡れていた。
「あのー、先生。ひとつ我儘を言って良いですか?」
「何、菅波さん? 私、あなたの我儘だったら、今は何だって聞いちゃうよ」
菅波は、おずおずと答えた。
「あの、もう一度だけ、アタシがいたハッピーアイランドを見てみたいんです」
その言葉に全員の顔が、一瞬で強張った。
「あ、いや、そんなに大したことじゃ……、あの、ハッピーアイランドの入口から、ちょっとだけ中を覗いてみるだけで良いんです。さっきは必死にスクーターにしがみ付いてたから、お別れを言いそびれちゃって……。もう絶対に来ないと思うから、最後にもう一度だけ、お別れを言いたい。だって、ハッピーアイランドは、アタシの故郷なんだから」
菅波は、一気に捲し立てると、じっとリカちゃんの顔を見詰めた。
「分かったわ」
リカちゃんが折れた。
「私もあなたと同じハッピーアイランド生まれのハッピーアイランド育ちよ……って、香山くんも青木さんもそうなんだけどね……。だったら、私の車で行きましょう」
僕は、『借りた車なんじゃ?』と思ったけど、黙っておいた。
僕らは、急いでミニバンに乗り込むと、リカちゃんの運転で国道を少しだけ北上。検問所の直ぐ手前まで行った。
そこには、前回よりも多くの警官がいて、一斉に僕らの方へ訝し気な視線を向けて来る。
だけど、僕らの視線は検問所の向こうにある大きな立て看板に向いていた。
その看板には、大きな字で次のように書かれていた。
『ハッピーアイランドへようこそ』
END102
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
ようやく本編を終える事ができました。
次話から、少しだけエピソードが続きます。
できましたら、引き続き読んで頂ければ幸いです。
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★★★
本作品と並行して、以下も連載中ですので、できましたら覗いてみて下さい。
(ジャンル:ローファンタジー)
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
https://ncode.syosetu.com/n9786lf/
また、ご興味ありましたら、以下の作品も宜しくお願いします。
【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~
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